参考:「鈍太郎」、池田廣司・北原保雄 校註『大蔵虎明本 狂言集の研究 本文篇中』、p260、表現社、1973年。

 「鈍太郎」は「どんだろう」と読むということである。「大蔵虎明本」は江戸時代の狂言師大蔵虎明の伝書であり、「鈍太郎」はこのうちの「女狂言之類」の巻に収められている。虎明はその序に「この書き物は他人が見るものではない。私は愚かであるから親に習ったことどもを忘れまいとして書いたことなので、これを有難いと思う人は大した人ではなく、非難する人のほうが理想的である」という意味のことを書いている。しかしながら室町から江戸初期の日本語の貴重なテキストとして多くの学者が研究している。「女狂言之類」の跋には寛永19(1642)年とある。

 「鈍太郎」のあらすじは以下の通りである。

 長く九州にいた鈍太郎が京に戻ってきた。京には上京に妾、下京に本妻を残していたが、どちらにもずっと便りをよこしていない(ちなみに上京は御所を中心とする上品な地区、下京は繁華な商人街、とのこと)。どちらを訪ねても戸も開けてくれない。既にそれぞれ棒使い・長刀使いの夫を持ったので入ってきたら脛を痛めつけるぞ、などと言って逢ってくれない。実はそれは妻たちが度々若い男にちょっかいを掛けられるので、それを追い払うための方便だったのだが、鈍太郎は真に受けて、さんざん怒った上にふてくされて坊主になる。その噂を聞いた上京・下京の女たちが仲直りして自分たちのもとに戻そうとする。この部分が引用の部分になる。
 泣いてすがる妻たちを前にして鈍太郎はどんどん良い気になる。「じゃあ自分の言うとおりにしろ」とて、妻二人の腕を組ませて手車を作らせ、その上に載って「これは誰が手車、鈍太郎殿の手車」などと囃したてながら意気揚々と去っていくのだった。いい気なもんである。
「鈍太郎」という名前は他の狂言にも現れるようだ。「こがね丸」に代表される少年向けの作品を多く手がけた巌谷小波の作品に同名のものがあるがその内容は上記の狂言とはまるで関係が無い。

 が、ことのついでにその概略を記しておこう。

 小波の鈍太郎はせっかくの元旦の日に、父親から留守番を言いつけられる。特に、家の大事な財産である子豚を盗まれないように気をつけろと言われるが、ものぐさな鈍太郎はじっと監視しているのも退屈だと、子豚に寄り添って一緒に寝てしまう。ふと眼を覚ますとその子豚がいない。外に出て探すと一人の老人が豚を連れて歩いているので、さては、と文句をつけるといきなり叩かれて"ものぐさ"をなじられてしまう。しかもその拍子に鈍太郎は一匹の豚に変えられてしまう。
 しかし豚が見つからないどころか自分が豚にされてしまっても、鈍太郎は大して落ち込まない。いなくなった豚の代わりに自分が豚小屋で寝ていれば父親が帰ってきても気づかないから怒られずに済むだろう、と全く暢気なものである。
 やがて父が帰宅するが、帰宅するなり自分の豚(実は鈍太郎)を売り払ってしまう。鈍太郎は屠殺場に連れられていかれて、そして…そこで夢から醒めたのでした、という一席である。
 参考:巌谷季雄 編『小波お伽全集 第9巻 少年短篇 復刻版』本の友社 刊、1998。