参考:「驛肝録 廿四 五街道文字之事」、樋畑雪湖 監修『日本交通史料集成 第二輯』p40、聚海書林、1985。
1716申年4月14日に発布された。1716年に正徳から享保へと改元されたので書物によっては享保元年とも表記するが、ここでは正徳6年としておく。『驛肝録』は幕府道中奉行所や伝馬役所で所員が執務の際の座右の書として用いられたもの。参考文献の底本は逓信博物館蔵のもので、文政年間のものと思われる。以下全文引用。
一 東海道 海端を通り候ニ付海道と可申候
一 中山道 只今迄ハ仙之字書候得とも向後山之字書可申事
一 奥州道中 是ハ海端を通り不申候間海道とハ申間敷候
一 日光道中 右同断
一 甲州道中 日光道中同断
右之通向後可相心得旨(正徳六)申四月十四日河内守殿(より)松平石見守伊勢伊勢守江被仰渡候
この御触書の発布に当たっては新井白石の意見が取り入れられたということである。