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2009-01-01 和尚がツー。 [長年日記]
明けましておめでとうございます、世界の皆さん。
何て、世界遺産の道を歩いてだいぶ気が大きくなってるみたいですが。
今朝は湯の峰から四十分程歩いて本宮に程近い大斎原へ。ここは明治まで本宮社殿のあった所で、宿で一緒になったサイキック坊様も「良い気が出ているところ」と言っていた。熊野では何が起きても不思議じゃないと思い始めているので、気を感じる能力というのも意識していれば自ずと鍛えられるのかな、と素直に信じておこうと思う。熊野川の流れに手を浸して幸せを感じたのを「良い気」と表現しても大して間違いではないだろう。
バスで新宮へ。新宮から電車で名古屋・新横浜という帰途の車中。宿で握ってくれためはり寿司とビール、駅で買った珍味うつぼの揚げ煮。
良い正月だな。
では今年もよろちくび(サーモンピンク)
2009-01-03 初モハン。 [長年日記]
_ 良く行くモハンというインド料理屋で食事。さすがに店員にも顔を覚えられて、軽口を利かれるようになっている。それに、最初はインドビールとパパド、次はキリンラガーとタンドリーチキン、それからカレーとナン。あとは興に任せてビール、ビール、…。
まあそんな感じ。
2009-01-04 [長年日記]
_ 初神保町、初伯剌西爾。
神保町に行って行きつけの喫茶店「伯剌西爾」へ。結構客が多かった。
書泉グランデの漫画コーナーをのぞいたら、諸星大二郎の栞と紙魚子シリーズの「百物語」というのを見つけた。去年の6月頃出てたらしい。なぜ気付かなかったんだろ。
2009-01-06 初出勤。 [長年日記]
_ 今日はフレックスタイムの使えない初出勤日。
定時の三十分前に出社。年に何度あるかしれない。朝飯も食ったしな。
お昼休み、会社を抜け出して駅ビルで昼食。食後本屋を覗くとNHKの「日めくり万葉集」のテキストブックを売ってたので購入。元興寺の僧の歌が目を引いた:
_ この歌は聞き知っていたが、その意味をよく理解してはいなかったような気がする。少なくとも、表面的にしか。
_ 白玉は真珠のこと。人には知られないとしても、己の価値は己ひとり知ってさえいれば良い。
_ この歌は負け犬の遠吠えなのか。自尊の讃歌なのか。誇らしい表明なのか。しかしそう歌っているではないか。私は白玉を持っているのです、と。この複雑な気持ちには深い共感を覚える。
_ 何より、この歌が旋頭歌(5・7・7・5・7・7)の好例であることを興深く思った。
2009-01-08 今日は仕事行くのやだったよ… [長年日記]
_ 「山でクマに出会う方法」
伊豆半島にはクマはいないらしい。しかしイノシシはいる(と、この間天城で出会ったハンターさんが言ってらした)。イノシシも人を襲うことがあるから注意せねば。
_ 「40代からの勉強法」
加齢によって能力が低下していることを自覚すること。そして、「勉強しよう」と思った時点で勝ちだと考えるべきこと。ふむふむ。
_ 今日新たに買った本:「額田女王」「ヒグマ」「山でピンチになったら」
くれぐれも言っておきますが、これから単独で高山に登ろうというわけではないんです。何度か書いてますけど、手近に平坦な旧街道というのが無くなってきているんですよ。だからこれらはいざというときのリスクマネージメント、KYT(危険予知トレーニング)なんですってば。でもこの手の本って面白いんだよね。
2009-01-11 牛馬童子の首。 [長年日記]
_ 今月のトップページにある牛馬童子。この首は復元されたものなのだそうですね。
実はこの像、昨年の6月に頭部を損壊し持ち去られたということのようです。ですからトップページにある画像はそれを復元した後のもの、です。
地蔵の首なんてのもときどき同じ憂き目にあうことがあると聞きます。10年にわたる古道歩きの折々、無くなった首の代わりに程好い大きさの石をすげてある石仏をいろいろなところで見かけました。その都度、石仏の首を持ち去る人の心の暗部を思い恐ろしくなります。狂信なのだろうか、誰かへの怒りの表明なのか、所有の渇望なのか。
世に数ある記録媒体の中、野外にあって100年を超えて情報を保存できるものと言えば石しかないというのに。だから人は命無き石に心から感動し共感し憧れるのだというのに。
路傍の石ころを持ち去り所有することですら命に限りある人にとっては分不相応の行ないと言えるのかもしれない。
旅先で石を持ち帰ると不幸になる、そんな話も誰かから聞いたような気がします。
この文、オチ無し。ただ残念であるばかりです。
2009-01-14 2つの会議。 [長年日記]
_ その1:『額田女王』(井上靖)
近頃伊豆を徘徊してるから井上靖が気になって、「しろばんば」に続いて読んでます。放送大学で日本の古典を学んでいるので、額田女王の歌についても若干の予備知識を持っていたつもりでした。しかし、井上靖の考証というか妄想というか、そっちのほうがすごいって感じがする。
額田女王のことは、私の言わば"三度目の初恋"の思い出に結びついているので、行間に切ない気分がよみがえる。
オレ、実は今(も)、酔ってるんスよ。だから思い出したこと書いちゃう。後で読んだら恥ずかしくなって削除しちゃうかもしれないけどとりあえず書いとく。
高校入りたての頃に知り合ったとある女性にほのかな恋心を抱いてたという話。同じ部活動にいたからいろいろと行動を共にしたり、交換日記まがいに交替で日誌をつけてたり。そんなやり取りの中、オレは悪ぶってエロい文章をぶっきらぼうに書きなぐったりしたその日誌に、あの人の書いていた文章は、まさにこの井上靖の額田女王にまつわる記事だったのでした。
あのときのあの人は、ひそやかに額田女王に自分をなぞらえ、そして私ともう一人の彼を、中大兄皇子と大海人皇子になぞらえたりして-どっちがどっちかはよくわかんないけど-ひそやかに楽しんでいたのではないのかな。一方その頃の私はと言えば、せいぜいがところ新潮文庫で森鴎外や夏目漱石を読んで、同じ年ならば男より女の方がずっと偉いとか「暗闇で饅頭を食うように何となく神秘的」とか言った漱石(だったと思うんだけど)に反感と共感を抱いたり、鴎外の『ヰタ・セクスアリス』の「あなたは何がお好き」「金団が旨い」みたいなくだらないやり取りに喜んでたくらいの、はいはい確かに幼い奴でしたっけね。
今日は有馬王子の最期の歌に寄せる額田女王の気持ち--を描写した部分になんか泣きが入っちゃいましてね。例の、「家にあれば筍に盛る飯を草枕…」。おととしの熊野街道の途中で有馬王子の墓どころなんかに寄っていたので、なんかまた他人事に思えなくってさ。高校入りたてのピチピチのあの人は同じこの小説を読んで何を感じてたのかな。そしてあの人はやはり、人でありながら神の言葉を歌にする特異な能力を持ったこの女流歌人に深い共感を抱いたのだろうな、と思うわけです。男の目線から描いたであろうファム・ファタルは世に山ほどいるわけですが--峰不二子とかキャプテンウルトラのアカネ隊員とか(これは私だけかもしれません)--同じ男性の自分から見たかかるファム・ファタルに自分を重ねる女性の心理というのは、いまだによくわからないのです。
酔ってるから支離滅裂です。次!
_ [栗山千明] その2『鴨川ホルモー』
この本、寝床で読んでるのです。読むに至った動機は単純、この小説は映画化されてて(公開まだですが)、その登場人物の一人の役をやってるのが何を隠そう我らが栗山千明さんなのです。
栗山千明さんの役どころは、見かけが大木凡人に似てるので「凡ちゃん」と陰で呼ばれてる京大生。この凡ちゃんルックスがなんかすごくかわいんですよねー。ありだなー、ありあり。みたい。小説の中にはブナシメジの如き後姿、なんて形容があったと思う。
_ 今日も書きっぱなしでまとめなしです。いいじゃん、日記なんだから。。。
2009-01-15 ホルモー!(面白かった) [長年日記]
_ [読書][栗山千明] 『鴨川ホルモー』(読了)
映画の原作本を読んだのは、もしかしたら『バトルロワイヤル』以来かもしれない。どちらも私にとっての動機付けは栗山千明さんなわけで。
あの頃は、すべての役をあのストレートの長髪でやっていくつもりだろうかと思っていたのだが、時を経て彼女は最近ハゲヅラとか凡ちゃんヅラとかまげヅラとかを被るようになっている。
『鴨川ホルモー』は面白かった。折々先の見える展開もあるけれど、ありありと浮かんでくる描写にその面白さがあるんだろう。
と、いうわけで今日の会社帰りには『ホルモー六景』も買ってきた。ちなみに著者の名前「万城目学」は、「まきめまなぶ」と読むんだそうな。
_ 映画では是非ちぃにもしゃべらせて欲しいですね。
2009-01-16 ケーニヒスベルクの橋の問題。 [長年日記]
2009-01-17 荒崎の手前。 [長年日記]
_ ぐああいっぎうえぇ。
こんばんは。今、三浦半島は荒崎の手前の海岸で野営中です。天気良かったのに雲が出てきました。
湘南爆走族にいつおそわれるかと思うと気が気ではありません。砂浜で食べるちゃんこ鍋は妙な味でした。
酒飲んで寝ます。おやすみなさい。
_ ----(後記)----
家を午後に出たのは、荒崎の手前あたりで野営しようという計画が織り込み済みだったのですね。逗子駅で立ち食いそば食べて、バスに乗って以前大楠山に登って行った秋谷の辺りから三浦半島の西岸に向かっていくと、偶然にも旧鎌倉街道・向坂に出ました。いずれ集中的に歩いてみたいですね、鎌倉街道。
海辺に出てほどなく、天神島に着きます。ここはハマユウの自生する北限だとか。冬場は16:30までの開園時間です。16:00に着きました。
なんとなく三浦半島を軽く見てたのですが、この西に向いた複雑な地形の海辺は、とてつもなく良い夕陽のスポットなんじゃないでしょうか。どうして会社入りたての時はこういうものに興味がわかなかったんでしょうね。おかげで今更ながら年がらもなくやんちゃなハイキングが趣味になっちゃった。
自衛隊武山駐屯地の広い敷地をぐるりと回ったあたりで日暮れです。残念ながら海に沈む夕日を見ることができませんでした。また来よう!
コンビニで今夜の酒とペットボトル2Lの水を仕入れて、富浦公園到着。まだ人が何人かいるけれど、あまり人目につかないところで野営。浜辺のところで、自宅の近くのスーパーで買って持ってきた一人前のちゃんこ鍋をつくる。寒いけどあったかい。ビール3本、日本酒300ml。ときどき聞こえるスクーターの音(この公園、バイク乗り入れは禁止なんだけどな。キャンプ禁止とは書かれてなかった)がちょっと気になる海辺の野営。波は静かで寝袋はぬくぬく。明日に続く。
2009-01-18 三浦はいいな。 [長年日記]
_ [かながわのハイキングコースベスト50から][関東ふれあいの道][かながわの景勝50選] ほんと三浦は良いです。
荒崎。
暗いうちにテントを撤収して、インスタントのうどんを食べる。メスティンの中は砂でじゃりじゃり。海岸の野営はこれが嫌なんだよね…。
荒崎を目指して歩き始める。この辺は自衛隊の少年工科学校のあたりからずっと「関東ふれあいの道-荒崎・潮騒の道」でもある。
着くと7時。夕日の丘に登って、コーヒー淹れた。
この辺、水は綺麗だし、岩壁の地層の線も複雑で面白い。こんなにいいところが神奈川にはあるんだなあ。改めて思う。荒崎の城山の上は「かながわの景勝50選」の一つでもある。
それにしても、三浦に限らず、鎌倉も横浜もなんだけど、神奈川の海辺の町というのはやけにトンビが多い。すごく低い所を飛んでいてカラスみたい。
このあと道は弁天島・長浜海岸と続いて行く。しばらく岩場や砂浜であり、そこを私は10km強(含むテントと寝袋)のザックを背負い、ライケルの冬用登山靴でざかざかと進むのである。距離はさほどでなくとも相当に疲れる。山道を行くのとはまた違う疲れ方。そりゃそうだろうさ。浜辺を走るのはハードなトレーニング、「俺は男だ!」でモリケン達もやってた。
_ 和田長浜。
というわけで長浜です。多くの人たちがゴミ拾いしてます。海のルールとかも表示されてます。釣り人は釣り用品のゴミとか糸とかを放置しないように。犬の散歩の人は犬を放さないように。そしてひそやかなキャンプは大目に見てください。以上は、けいりう堂のお願いです。
9:40、矢作入口バス停。ここが、ふれあいの道の終点です。ここから少し北に進み、和田義盛の里のあったあたりという碑を見ます。和田氏こそは鎌倉武士の栄枯盛衰の典型、と書かれていました。
えと。また南へ向かいます。134号線に沿って歩いてるとコンビニが目に入りました。ちょっと汗かいたようで塩分が欲しくなり、焼鳥串1本(塩)と昆布仕立ての焼き塩味ポテトチップスを食べつつ緩やかな登りの国道わきを進みました。三浦口の駅の辺りで、沿道に人がぽつぽつ集まり出したのに気づきました。今日はどうやら駅伝があるらしいです。
さすがに三浦、あちこちに大根の売店がありますな。10:43、駅伝の先頭走者が私を通過して行きました。沿道からの声援。私がどんなに頑張って歩いても、そんな声援めったにもらえません。
_ 引橋から油壷へ。
ここから南には、北原白秋にまつわる説明板が点在しています。「引橋の茶屋のほとりをいそぐとき ほとほと秋は過ぎぬと思ひき」ここ・引橋には後北条氏がこの地を攻めたとき三浦氏が三年に及び守ったという
話が残っています。こういうの、大河ドラマにしたらいいんじゃないかな。
11:00過ぎ。少し歩き疲れてきたけれど、油壷に向かって国道を西に外れました。東大の実験施設とか国土地理院の研潮場(道が崩れてて見に行けない)とか、地学を究めるのにも良いところなのですな、三浦半島は。油壷と言えばマリンパークなんでしょうけど、私はわきにそれて三浦道寸の墓など訪ね、マリンパークのある岬をぐるりと回りました。海岸に打ち寄せた大根のしっぽなんかもいとをかし。
「油壺しんととろりとして深し しんととろりと底から光り」白秋。
油壷という地名は、油を流したように穏やかな海、という意味じゃないかと予想していたのですが、由来はもっと凄惨なものであるようです。「新井城を最後の居城として立て篭った三浦一族が北条早雲の大軍を相手に、三年間にわたって奮戦しましたが空しくついに全滅し、一族の将三浦道寸義同(よしあつ)をはじめその子荒次郎義意は自刃、他の将兵も討死、または油壷湾へ投身したと伝えられそのため湾一面が血汐で染まり、まるで油を流したような状態になったので後世"油壷"といわれるようになりました」三浦氏の無念のこもる入江は今ヨットで一杯です。
_ 三崎へ。
さて、油壷バス停からはまた三浦に続く「関東ふれあいの道 油壷・入江の道」が始まっています。油壷湾から少々南東にエクスカージョンすると、諸磯隆起海岸という国指定天然記念物に指定されたところがあります。砂に穴を掘って生活するマテ貝の巣穴の化石が6層ほどにわかれて並んでいる地質の側面が露出しているのが珍しいんだそうで。マテ貝がいたということはそこがかつての砂浜海岸だったことを意味しており、昔の地震の時の隆起量などを知る上で重要な遺跡だと言うのですな。他にも海外(かいと)町のスランプ構造とか蓮痕とか面白い地学的の見どころがあちこちにあります。
二谷町には白秋の歌「寂しさに浜へ出てみれば波ばかり うねりくねれりあきらめられず」が残っていました。これは死を思ってここいらの浜を彷徨したときの歌だそうですが、三崎に一年ほど住んだ白秋はこの地で再生したということです。正月には小栗判官の蘇りの地を巡り、今ここで白秋の蘇生の地を巡る。今年は私にとっても復活の時かもしれません。震えるな、瞳こらせよ。
13:30、歌舞島。ここにある白秋の歌は有名だと思います。
「いつしかに春の名残りとなりにけり 昆布干場のたんぽぽの花」ただし三浦で昆布は取れないらしいですが、三浦における会心の自作として大事にしていたということです。
というわけで三崎到着は午後二時に近かったのですが、マグロ&&イカ丼を食べてバスで帰ってきました。この日の歩数、36000歩あまり。
_ 「相模のや 三浦三崎はありがたく 一年あまり 吾が居しところ」白秋
2009-01-21 インド料理屋。 [長年日記]
_ [食べ物・飲み物][夜へ急ぐ人] 残業なし日で、会社から関内まで歩いた。
伊勢佐木町モハンで夕食にしようとしたら一杯だった。仕方なく足を延ばして野毛町へ。飲み屋もいいかなと思ってたら、新しいインド料理屋を発見。味もなかなか。タンドリーチキンはヨーグルト味が濃く出ていて、ちょっと焼き鳥風のテクスチャー。パパドも悪くない。インドビールがゴールデンイーグルならなお良い。
カレー食べるときのバリエーションがあるのはうれしい限りだ。
_ ホルモーの鬼語まとめ。
・ぐあぁいっぎうぇえ(行け)
・ふぎゅいっぱぐぁ(止まれ)
・ぎゃらぎゃら、くぅお(回り続けろ、右回り)
・ずるぅうぎぃ、がっちゃあっ(左翼に、展開)
・ぼごき、くぇげぼっ、ぼっ(待て、追うな)
・あ、やっぱり、ぐぇげぼっ(あ、やっぱり、追って:『あ、やっぱり』は日本語と思われる)
・べけっ、くぉんくぉんくぉんくぉんくぉん(前列、走れ走れ走れ走れ)
・どうんどぅぐぁ、げっぽ、げっぽ、げっぽ、げっぽ / どうんどぅぐぁ、げっぺ、げっぺ、げっぺ、げっぺ(*いずれもパニックに陥ったオニを鎮める言葉。前者は関東、後者は関西で使われる模様)
2009-01-24 三浦はいいな。続。その1。 [長年日記]
_ [かながわのハイキングコースベスト50から] 三崎から城ヶ島へ、そしてまた三崎へ、そんで城ヶ島へ、の日(なんなんだ一体)
先週三崎港に着いたから、今回は三崎口駅からバスで三崎港へ。今日と明日は城ケ島をまわってから宮川湾の海岸をそぞろ歩いて剱(つるぎ)崎へ、なんぞ思ってるわけですが、そうすると長い城ケ島大橋を二回渡ることになるのがちょっとうざいなあ、なんて思ってたわけです。渡航船もあるけど高いんだろな、と思ったらなんと200円。2-3分でついてしまうらしく、船長さんに声をかければいつでも乗れるというんで乗ってみました。船長さんが遠くを指して教えてくれます。
「あの辺が富士、だけど雲に隠れて見えないね。あれは雪雲だな。あの前の方が天城。もっと左側は大島。」
思い出深い天城の山を隣の半島から眺めている自分がなんか変な感じ。
_ お昼ごはん。
実はお昼過ぎてます。三崎と言えばマグロなわけでして、先週は一応漬け丼の如きをいただきましたので、ちょっと趣向の違うものを頼みました。
マグロのカツ。血合いの多めのところをカツにするとなかなかいけるもんなんですね。わたしゃいつもカツは半分ソースで半分醤油で食べます。
ごちそうさまでした。
_ 天城に雪が!
まずは城ケ島灯台に向かって歩き出しました。
ふと海の向こうを見ると、船の中で見た雪雲はどんどん南下して行ったと見えて今は天城のお山にかかっています。降らせてるんでしょうな、峠に、雪を。
ああ、あっちに行かなくて良かった。
_ 灯台。
この灯台に来たのは3度目。ちょっと趣味を疑うような西洋風の庭があって、海に向かう輪形のモニュメントを逆にのぞいて灯台をパシャ。
過去の二回の訪問ではこのあと灯台のふもとの海岸をちょこっと逍遥したらそのあとはもう手頃な料理屋に入ってサザエの壺焼きで一杯やって帰ってきてしまっていたのですが。。。
_ 今日は島を端から端まで堪能するぞ!
今日は島の南側の磯づたいに東の方に歩いて行きます。
写真は馬の背洞門。岩がもろくなっているので入らないで下さいと言う看板がありましたので、くぐるのはあきらめてしかたなく上に登ってみました。いや、それだってやっちゃいけないんじゃないか?もっとも岩が薄くなってるところには上がりませんでしたけどね。
なんか大人げないね。
_ アーァッ、鵜ッ!
そうです。マンボです。違いました。
ウミウの生息地の見られるところに出たのでした。ちょっと遠望ですが、岩の白地に点々とくっついてるのがウミウです。
発音ちょっと似てるけどエミューじゃありませんよ。ウミウとエミュー…そんなに似てませんかね。
私は双眼鏡持ってたのでじっくり観察してきました。
さて、時間になりました。県立公園の東端の海岸に出た私はきょろきょろしています。地面はほとんど岩場。そこに枯れ草の広場がありました。ここならペグが利きそう。しかし大事なものがありません。それは独居の友、すなわち寝酒です。もう城ケ島灯台の方のお店は閉まってしまったでしょう。ひそかに地物の蛤なんか買って、つげ義春の漫画にあったみたいに一杯やりたかったんですよ。「こうして飲めない酒を飲んで見るのも…」なんて言いながら。飲めなくないですけど。この作品なんだっけな。
ともかく、酒の調達に三崎へと出かけました。結局城ケ島大橋を往復して帰ってきたのですな。三崎の酒屋で選んだ酒は飲んだことのない「長者盛」900ml。今日は何となく沢山は飲めないような気がするので明日は重い思いをするのだろう。
暗くなって、公園の管理人も釣り人も全く姿を消した。公園の芝生とかにテント張るんじゃないから許されるだろうと思って設営してたらちらちらと雪。なんか得したような気分だけど寒い。ラジオでは暴風注意報が出てるなんて言ってるし、飛ばされたら温暖の地と言えど命の保証はあるまい。草の生えた広場であっても地面はやはり岩で設営に苦労した。
夕食はアルファ米の五目ごはん。熱湯20分でほかほかご飯だから、缶ビール飲みながら待ってればすぐ。こうして三浦半島最南端、つうかそのさらにちょっと南の夜は更けていく。宮川湾をはさんで向こう側の丘に大きな風車が2基見えてる。ときどき灯台の光が私の貧しい住まいを照らす。夜半、雲が去ってたくさんの星が見えた。そうだ、こんど星座板を持ってこよう。
おやすみなさい。
2009-01-25 三浦はいいな。続。その2。 [長年日記]
_ [かながわのハイキングコースベスト50から][関東ふれあいの道][かながわの景勝50選] 城ケ島〜宮川〜毘沙門〜剱崎

城ケ島の夜明け。風は強かったようだけど良く眠れた。人の気配で目覚めた。テントの横っちょにどうやらベストポジションがあったようで、一眼レフ持ってきてる人が夜明けを待っている。特に私に声を掛けようともしないのは、やはりなるべく関わりあいになりたくないということなのだと思う。
それにつけても。昨日の雲も雪も今日は名残をとどめていない。良い襞!違う、いい日だ。朝からごめんなさい。機嫌がいいと下ネタが出ちゃうんですよ。ちょっと大村昆みたいでしたかね。ぜんぜん違いますね。

気がついたらカメラの人のほかにも釣りの人とかデートの人(おまえら、朝帰りだろう!)とか結構にぎわい始めたのでとりあえず朝ごはん。「岳食」のにゅうめん。これはフリーズドライであっても全く普通にゆでて作ったのと変わらなくてうまいしゆで汁を捨てる心配がないのがいい。アルファ米みたいに20分もかからないしね。分量もそこそこありますし。それにしても今日はホントにいい天気だ!昨日雪雲に覆われてた富士山はさすがにまっ白。

今回の宿をここにした理由の一つには、「水っ垂」という湧水のある所を見たかったからでもあったのですが、今ここは落石注意で通行止めなのです。でもね、ちょっと泳げば現場まで行けそうですよ。やっぱり夕陽を満喫するのを兼ねて夏にまたやって来よう!また悪いこと考えちゃいましたな。さて、またしても城ケ島大橋を越えるわけですけど、その前に見るべきものがあります。城ケ島側の橋のたもとに北原白秋の「城ケ島の雨」の歌碑があるのですね。

で、その白秋碑のある海岸を、何かきれいな貝でも落ちてないかと思ってうろついてみたら、お!発見。ツメタガイ。FFでは炎系のモンスターに効くアイテムとして有名ですね。図鑑でしか見たことないけど、ちょっと大きめで、この中からべろんと外套膜とか言うのを出してヒメハマグリを抱き込んで、穿ち犯しとろとろにして味わいつくす様を想像すると妙に興奮しますな。綺羅光の官能小説並みに下品ですな。さ、橋渡りましょう。富士山よく見えるな。どこまで格好良いんだ、富士!

少し内陸部へ。するとすぐ三浦大根の畑が広がっているわけです。その向こうはただ海ばかり。大根の地平線。さらにすすめば八景原があり、白秋文学コースの16番。八景原の崖に揺れ揺るかずらの葉
かずらに照るあきらめきれず
ここにも死にに来たのでしょうか?この付近、遊女の身投げを供養する塔や、馬頭観音・牛頭観音の牛馬供養塔などあります。そして、昨夜城ケ島から眺めていた大きな二基の風車がここにありました。遠くに気になるものがあると、しばらくの後にはそこにたどり着いている、ということがよくあります。旅の非日常性を感じる時です。あちこちで風力発電の風車を目撃するたび思うのは「なんだ。『未来少年コナン』のハイハーバーみたいな未来に、ちゃんとなっているじゃないか。」ということ。
宮川湾からは岩の海岸に沿う「関東ふれあいの道」です。乾いてる所は良いんですけど、濡れてたりするとつるつるします。まして表面が海藻で覆われてたりすると、もう危ないのなんのって。しかも45+αリットルのザックなんか背負って、雪山用の登山靴ですぜ旦那。でも恥ずかしがってても仕方ないんだよね。人とすれ違う時には極力明るい笑顔。でも疲れてくるとエアロビクスの人みたいになって怖いかもです。
まあそれでも砂浜よりはずっと歩きやすいんで良いです。
"盗人狩り"というところに来ました。昔盗賊が追われて逃げてきたけれど、ここの断崖に怖気づいているところを捉えられてからの地名、ということなのですが、出典が不明ですね。昔と言うのがまたいつのことなのやら。ここは「かながわの景勝50選」に選ばれています。さらに三浦半島南端の海岸を東進すると毘沙門湾に出ます。ところが、ここから毘沙門洞窟に至る途中湾岸工事につき通行止めとあります。県道215号を行けとさ。ええー?工事いつ終わるのさ?
まあ仕方なく行きましたよ。途中大嫌いなトンネルも抜けましたよ。トンネルがどうして怖いかって?車が轟々と通っていく横を万一の時の逃げ場も無く進むのが嫌なのさ。それにときどき上の方から滴っている水がトンネルの壁を濡らす形が、なんだか浮き上がった死人のように見えることがあるからさ。悪い気がこもっている気がするからさ。熊野の湯の峰で会ったサイキック・プリーストならきっとわかってくれることだろうさ。で、トンネルを出ると江奈湾ですが、白秋の歌じゃないけど「あきらめられず」に、トンネルの真上に出る道を西に戻る。トンネルの上だから当然登り道。海岸から離れてるから当然周りは大根畑です。まあ良いじゃないか。お昼ごろですけど、白浜毘沙門天に到着。
さらに毘沙門海岸への道は特に通行止めではないので、海岸に出て西へと向かいました。これはもう、工事現場ぎりぎりまで行ってしまうしかないな。ここまで来て戻りなさいなんて言われたら「悲しみ光線」フルパワー(注:仕事中にこういう技を使ってくる同僚が実際にいるんである)で「うひゃー、参った!でももうへとへとなんすよぉ。気をつけて通りますんで、お願いしますよぉ。拝みんす、拝みんすよう」みたいなこと言いながら強行突破しようと静かな闘志を秘めて歩くのです。
しかし結局のところ工事は本日お休みだったようです。弥生時代の遺跡であるところの毘沙門洞窟もちゃんと見ることができましたが、弥生の住居址はどうやら現在も同じ機能で使われているようでありました。
お昼過ぎた。もう腹減った。しかもまた大嫌いなトンネルを通って歩く訳ですな。この悔しさを思い切り昼飯に叩きつけるのです。江奈湾の岸辺にたたずむスーパーでおにぎり二つとハムカツと鶏のから揚げとお茶購入。干潟を眺めながら食べてると、三脚を持った好事家と思しき方が声をかけてきた。たぶんものすごく長い旅をしてるんだと思ったのでしょうけど、「いやあ、昨日今日の旅でして。ちょっと大げさなんです」と笑って答えるわけです。ここで少し照れた感じを出すのがポイントですよ、全国の野宿ファンの皆さん。いや、まあ悪意があるわけじゃないんですけど、こんな恰好してまで野に遊び野に寝ることを望んで止まない気持ちをどう説明したらいいのかホントにわかんないんですよ。
小学校の低学年の頃だったろうか、あちこちで拾ってきた車のライトのカバーとか、手頃な長さの木の棒とか、木の実とか、なんかそんな、他人にとっては何の価値もないようなものを、これまたどこで拾ったのか10kg入りのコメの袋に詰め込んで、それを大黒様のように背負ってひとりで外に遊びに行っていたという問題行動を実施してたことがあります。今反芻してみるといちいち論理的に説明できる行動だったのですが、そのことはいつか機会があったら書きましょう。とにかく、なんか一式背負って歩かないと自分の遊びが完成しないような気持があの頃と同じように在るのだということに思い至ってしまいました。食べた後は元気百倍。韋駄天のごとく江奈湾を回って剱崎に着きました。これで、「関東ふれあいの道:第3番 三浦・岩礁のみち」が終了しました。剱崎灯台を見て松輪のバス停でポテチ食べながらバスを待っていると、江奈湾で声をかけてきた人にまた出会いました。三浦海岸駅に着いたら蛤を売ってたので、旅の名残りを惜しむように買って帰りました。ザックの中には昨日の酒も半分以上残ってます。家でやりましょうか。
「こうして飲めない酒を飲んでみるのも…」
なんて言いながら、猫の肉球を瞼に充てたりしながら。。。それにしても、つげ義春のこういう漫画、なんてタイトルだったっけなあ?
2009-01-27 外出。 [長年日記]
_ いわゆるコンソーシアムってんですか。似たような業種でおカネ出しあってなんかやるというところの一つのテーマに顔を出してきました。
いわゆるStatistical Quality Controlなんかに関係した集まりなんで、いろいろ共鳴する部分はある。大学の先生もコンサルタントとしていらしていたりして。
それにしてもやはり景気の悪いことを嘆く言葉は絶えませんな。
2009-01-29 『中春こまわり君』『かむろば村へ4』 [長年日記]
_ [漫画・アニメ] 『中春こまわり君』『かむろば村へ4』
『中春こまわり君』はときどき雑誌に載っていたのを知っていたのでいつか単行本になると思ってた。
こまわり君は中年となってもいまだに過去の忌まわしい能力を発揮しようと思えばできるのだが、『劇画オバQ』なんかとは違って、自分だけ子供で周りの正ちゃんたちはみんな大人になっちゃった、とはならない。
西条君と同じ会社に勤めて、普通の奥さんとちょっと老け顔のやはり普通の子供のいるサラリーマンとなっている。
”無理のない意外な結末”に向かうストーリの中でこまわり君はワキ役のようにある。主役は老後のあべ先生だったり、老人介護に追われるジュンちゃんだったり。だから、山頭火の恰好で一人旅に出たこまわり君の話は、漫画の中であってもさらに虚構のセレモニーだったということだ。
『かむろば村へ 4』これで最終巻。もっと読んでいたい世界だったんだがなあ。去年の奥州街道行脚で東北弁にも親近感がわいていたし。
作自体も面白かったけど、あとがきがなかなか読ませる。「すべては解決する。思った通りにはならないけれど」というかむろば村。しかしそれはかむろば村の特徴であると言えるのでしょうか?という著者。異界をふいに日常に変貌させるこのあとがきをもってこの物語が本当に終わってしまったのだと感じさせられた。
_ うしどし [白玉=甘味と思う私です。私にとってある意味真珠かも^^]
_ けい [丑年の甘味好きのあなた。。。素敵ですね。 そいで人知れずこっそり食べてるんですな。]