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2008-12-03 ファミコン。 [長年日記]
_ [コンピュータ] ちゃっくんぽっぷ。
とある漫画家さんのHPの日記に「ちゃっくんぽっぷ」のことが書かれてたのですえ。このゲームは大学院時代に講座のパソコンでさんざんやり倒したものでした(でもそれ以上にやりこんだのは一番初めの三国志とかザナドゥとかオランダ人妻は電気ウナギの夢を見るか?とかチョビンとかニュートロンとか…あー、キリがねえよ)。
そのPC版のゲームのSEがどんなだったっけ?という話題。ホントは88MarkIIが欲しい。次善の策はエミュレータなのかもしれないけど…そういえばファミコン版のちゃっくんがあったっけ、と思いだして、コントラストが悪くて使ってないアイワのTVにファミコンくっつけてみたら、ちゃんと動いた。
思わず「燃えろ!ツインビー」なんかやってしまったら面白かった。でも肝心の「ちゃっくんぽっぷ」のカセットがどこに行ったかわかんない。しかたないから「いっき」でもやるか。
そういえばこないだ帰省したとき、実家でもファミコンは現役で活躍してたな。弟の奥さんが結構熱中してたっけ。
2008-12-04 カーボン山。 [長年日記]
_ [夜へ急ぐ人] カーボン山に初めて登った。
妙蓮寺・菊名近辺の人にはおなじみのカーボン山というところがあって、ここは最近菊名桜山公園となることが決まったのです。この付近にもう15年以上住んでいるというのに、この場所を知らなかったのですが、上記を通知する掲示に描かれた地図を見て、今日の会社帰りに訪ねてみたわけです。
付近はマンションなどの住宅に囲まれているけど丸見えというほど肉薄しているわけでもない。春は桜がきれいなんでしょう。水場もあり、木々の間にいい感じの平らかな地面がある。
まあ要するに、野宿ポイントとしては割と良いかな、なんて思ったわけでして。まあしないと思いますが。でも、エスビットストーブ持ってコーヒーの野点くらいはやりに行くかもしれませんね。
2008-12-05 不義密通はお家の一大事。 [長年日記]
_ タイトルはさらっと流してください。人づきあいとか公の席とかそういう社会人的の行為をどうしてかないがしろにしてしまう私なんである。きっと偏屈な老人に向かってGo!のまっ最中なんだろう。おかしいな、まっしぐらに目指してたのはダンディたる生き方のはずだったのに。どうしてこうなってるんだ。
2008-12-06 かの悪名高きVARDIA [長年日記]
_ 熊野詣のための準備でザック新調。明日テスト運用の予定。鶴見のIBS石井スポーツにて。
横浜に出て300GBのHDDを2台購入。これは、調子が悪くなって放置状態にしていたRD-XD92Dの換装のため。これは一応うまくいったようだが、デジタル放送を録画してみないと効果があったかどうかはわからない。それよりも、DVDドライブもおかしな動作をしていたことを忘れてた。トレーが閉まったり閉まらなかったりするんだ。これも換装してうまく動作するようになったら、引き取り修理の半額くらいで治ったことになるはずなんだけどな。とりあえずこの悪名高い機種の600Gの容量を何に使うかというと、昔撮ったビデオテープの中身をDVDに入れ替えて、空いたスペースにこれまでのDVDライブラリを収納するという壮大な計画なのだったんだったん。うまくいくかどうかしれん。まあ失敗しても、300Gのハードディスク2つととDVDドライブが1つ増えるだけのことだけど。
2008-12-07 下田街道・天城越えその1 [長年日記]
_ とある方の訃報を聞き、それでなお喪に服すこともなく自らの気持ちに決着を付けんとして出で立ちました。詳述は後ほどということにして、一言。
「満天の星。朝起きるとメスティンに張っていた水がすっかり凍っていた。」
この日、早朝に新横浜を発って、河津でバスに乗って大滝(おおだる)入口へ。ここから、去年沢に迷い込んでしまった下田街道の旧道を再三登って天城峠へ。今回はさすがに迷わなかったのだけど出だしが悪い。後で伊豆にはクマがいないらしいことがわかったのだが、クマ鈴を持ってこなかった。それに、夜のお供のSONYのラジオも見つからなくて持ってこなかった。後で気づいたのは、どちらも秋に着てたベストのポケットに入っていたであろうこと。
12月に入ってやっと、と感じるのだが、伊豆の山々は今やっと錦秋という風情だ。途中ハンターたちとすれ違う。向こうから「どこまで行くの」と声を掛けられ、「二本杉峠(旧天城峠)へ」と言うと、三叉路を右にと教えてくれる。以前迷った原因の一つである林道入口のゲートのことは特に言わない。林道のゲートを突破しちゃうのはごく普通のことなの?そうなの?
ここで、「煉瓦の洞」なる史跡への分岐点を通り過ぎてしまったことに気づいて少し戻る。先のハンターさんがいて、これこれを探してると言うと、またも親切に看板があって云々と教えてくれた。
煉瓦の洞というのは弘化2(1845)年に作られた、わが国初の耐火煉瓦製造工場なんでした。前回は完全にスルーしてたわけですが、あのときは時間も押してたわけで。
12:00少し前に、以前迷った時と全く同じところで昼食をとる。以前はこの直後に迷ったのだったが、それは林道のゲートを突破することを躊躇した故のこと。今回はためらわずに歩いて行った。
菅沢歩道なる表示にしたがって登っていくとこれは沢沿いの道であり、以前の沢に迷い込んだ時の記憶がよみがえってきて焦る。結局この沢を通る必要はなかったのだが、着実に二本杉峠に近づいていた。ふと地面を見ると、霜柱。寒いんだ、ここは。
えー、14:30ごろ二本杉峠着。コーヒーを淹れ、小休止のあと北側に降りていく。降り着けば大川端野営場…のはずが、その看板の文字は塗りつぶされていて、今はキャンプ禁止の場所となっていた。あへっ!
ここから踊り子街道を通ってさらに北へと行き、そういえば太郎杉も見てないなと思い出しつつ道の駅で酒と食糧を買い込み、トイレで水を補給して、そこから少しだけ南下したところで野営を始めた。ところが、なんと!テントのポールをまるごと忘れてきてしまった!
しかたなく携帯してたロープを使ったのだが、見苦しいことこの上ない。それでも住めば都。お米を炊いて道の駅で買ったいのししカレーをかけて食べ、道の駅で買った修善寺の茶色い酒を飲み、持ってきた「御伽草子」を読みながら寝入った。
夜中にふと目覚めて空を見ると、満天の星とはまさにこれ。北側の空を早足で過ぎて行った人工衛星のごときも眺められた。ラジオなしでもこれなら過ごせそうだ。時折、鹿の声と思しき声がする。
御伽草子で、「道」にかかる枕詞が「たまほこ」であると知った。
_ 「玉鉾の 天城の道や峰の道 紅葉踏み分け鳴く鹿の道」
_ 寒いけど寝袋の中は暖かい。つづく。
2008-12-08 下田街道・天城越えその2 [長年日記]
そういう訳で、道の駅天城越えの近くで野営したのです。朝起きると、メスティンに張ってた水が厚さ5mmくらい凍ってて、引いてしまいました。「う、寒いんだ、ここ」
暗いうちから朝食の支度。今回は「岳食」のにゅーめんというのを持ってきてます。インスタント素麺ということなのですが、これは良いですね。ゆで汁を捨てる必要がないし、歯ごたえも普通にそうめんをゆでたのとほとんど変わりません。煮るだけだから水と時間の節約になりますしね。他の岳食も試してみよう。
腹ごしらえ終わってテントを撤収して、目指すのは太郎杉。下田街道から1キロ強のエクスカージョンですが、野営した地点は旧街道と滑沢渓谷沿いの道の分岐点に程近いわけでして、へへ。。。
昨日とは違って曇りがちのこの日。途中でぱらりと雨が降りましたが、大降りにはならなかったのでそのまま進みます。滑沢の美しい水の流れと紅葉を眺めつつ若干のアップダウンを繰り返していくこの道はハイキングコースとしてはなかなか良いように思います。
さて再び旧下田街道を進み、今回は旧天城トンネルへの道を行くのでした。途中川端康成の「伊豆の踊り子」の文学碑がありました。車道でもあるこの道は、しかしながら平日とあって車も人もあまり通りません。文学碑にもあるようにつづら折りになっている道を歩くと来し方がずいぶんと下の方に見えるのもいとおかし。日本の道100選の一つでもあります。トンネルの手前、江藤延男追慕の碑というのがあって、天城の自然を守ることに尽力した人ということがわかります。そして、
「1989年、6月24日、64才、山が萌えたった季節に、彼はこの峠の尾根をたどり、星に一番近い頂から天に旅立った。
ひとつの 巨きな足跡をのこして。」
とありました。これは滑落したというのでしょうか?それともここをしぬ場所と定めたということなのでしょうか。
というわけで旧天城トンネルです。トンネルは実は大嫌いなのですよ。車に巻き込まれても逃げ場がないようだから。中山道の寝覚の床あたりのトンネルでそのことに気付かされ、爾来トンネルはなるたけ避けるようにして生きてきましたが、今回はしかたない。トンネルを行って帰ってしてきました。
さて、今回はこの旧天城トンネルをくぐること以外にもいくつか目的を持ってきたのですけど、そのひとつは、古峠の位置を確認する事でした。で、天城稜線歩道というのをずっと西に向かって歩こうと。トンネルの北側の出口のそばにこの登山道の入り口の表示があったので、ここから登って行きました。天城峠で、西側から来たという男性に出会いました。峠からまっすぐ南への道が見えるが、これを下りていけるかどうかと聞かれましたが、その方の地図にも私の地図にもそのルートが載っておらず、峠にある行き先表示もその方向だけ示していないので、この方は私の登ってきた道を下りて行きました。わたしは稜線歩道をずっと
古峠の標示杭のある場所に戻り、簡単な食事を済ませました。水で戻す磯部餅。粉末醤油を振りかけて食べるのです。餅の味と食感はまあまあですが、醤油の粉末は振りかけ方に失敗するとダマになって辛くてたまりません。液体醤油を使うべきですね、これは。山火事にならないように気をつけながらお湯を沸かしてコーヒーで流し込みました。二本杉峠に着くと午後2時。ということは宗太郎林地に着くと午後4時過ぎてしまう。せっかくなので七滝の辺りの紅葉狩りがしたいので急ぎます。
このルートは昨年の秋にも降りたのですが、その時は峠から降り始めたのが4時頃だったために、宗太郎林地に出る前に足元が真っ暗になってしまいました。持っていたヘッドランプでは十分足場が見えなくて、仕方がなくいつも携行しているサバイバルシートを体に巻きつけて、沢よりも一段高い比較的平らなところで夜を明かしました。雨ふりだったのにサバイバルシートにくるまっていると汗が出るくらい暖かかったけど、ガサガサうるさくてあまり眠れなかったのを覚えています。
今回同じ道をたどってみると、昨年降りるのに時間がかかってしまった原因の一つだった倒木は整理されており、いくつか道しるべも新調されていたようで、だいぶ歩きやすくなっていました。道普請に感謝しながら下りていきました。
峠から500mほど降りたところにお地蔵さんがあり、降りる道はここで一度分岐して、林地で合流するらしく、ためしに去年と違う北東側のルートを行ってみましたが、ところどころ沢にかかる道が途切れているようで、引き返してきました。4時近くになって、去年ビバークした場所に着きました。せめてあと30分早く行動していればビバークを避けることはできたでしょうに。でも今回訪れてみると、この沢沿いの道の中では一番平らな場所のようではありましたが、こんなところでするもんじゃないです。やはりちょっとぞっとしてしまう。
釜滝に着いたころにはだいぶ辺りが暗くなっていました。踊り子と学生の銅像のある初景滝のあたりはライトアップされており、この時間でも訪れる人がいました。大滝の旅館で日帰り入浴…と思ったら、受付は16:00で終了という事でした。あらら、今回も温泉に入りそびれちゃった。
2008-12-09 だるい日。 [長年日記]
_ だるいのは仕方ないよね。昨日一昨日、伊豆の天城峠近辺で遊びまくってたわけだし。
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暮れのウォーキングは熊野古道・中辺路を本宮まで。暮れも近づいてきたし、大体熊野大社は神社なわけだから、伊勢神宮や明治神宮並みに参詣者でごった返してしまうんじゃないかな。宿を取れるんだろうか…。
なんて心配しながらあちこち電話したら、割と問題なく宿が取れた。ちょっと強硬軍になりそうではあるけど。
近露の宿に電話したとき、宿の方が、雨具と杖と塩の携行を勧めてくれた。冬といえど汗をかくので塩分を失って動けなくなる人がいるということだった。これは有名な熊野の「ダル」であろうか。
というわけで会社帰りにカモシカスポーツでストックとかいろんなものを買った。ついでに参考図書。
「山でクマに出会う法」「全図解クライミングテクニック」「誰も知らない丹沢」の3冊。2冊目のやつは、今回沢にかかる旧道があちこち崩壊していて通れなかったので、なんとかそこをクリアする方法がないかという模索のつもり。ただ、岩登りのことは書いてあっても、柔らかい土の道が崩落しているところをどう通過するかなんてことは書いてない。これは別のアプローチが必要なんじゃないのか?なんて。
2008-12-10 本いっぱい買った。 [長年日記]
_ [読書][交通史] 横浜そごうの紀伊国屋書店で。
1)「廃道をゆく」
2)「廃道本」
3)「三浦半島の史跡みち」
4)「技術者に必要な地すべり山くずれの知識」
5)「ハイグレード登山技術」
すべて最近の街道ハイキング(これまではずっと街道行脚とか街道ウォーキングとか言っていたけど、最近たどる道が険しくなってきたのでハイキングとかトレッキングとかいう方がよりふさわしく思われる)に関連した本な訳です。すべてに購入の動機があるのですが、やはり先に歩いた下田街道の天城の道を歩いていろいろ思ったわけですね。古道が廃道化していることは良くあることで、意識的に地元の方々などが道普請をしてくださればこそ古い道が残っているわけでして、これが30年も放り出されてしまうともう廃道になってしまうわけです。廃道がどのようにして作られるか、とかそういったことをマニアックに調べている人たちの知識に触れたくて1)2)を買いました。この分野の火付け役になったのは堀淳一さんで、この方はもともと物理学者さんでもあった人ですが、地図に関する著作が多数あるので有名ということです。
3)は、最近の「かながわのハイキングコースベスト50」めぐりと歴史街道とをつなぐための参考になれば、ということで。存在はずっと前から知ってた。
4)ええ、そうなのです。天城峠を南に下る旧道の一つを行こうとして、崩落個所に阻まれて引き返した経験から、土の力学的性質を知っておくべきじゃないかな、なんて思ったのです。旧街道に対してこういうアプローチができるというのは理系出身の街道マニアの面目躍如ということになるんじゃないんだろうか?ちょっと無理があるかな。
5)とくにオフラインの私のことをよくご存じの人々、中でも故郷の親族の皆様がたのために弁明させてください。私は決して、こんな本を読んで、危険なことをあえてしようとしているのではなくて、危険を回避するためのこれは予知訓練なのです。KYTって奴なんです。
だってさ、メジャーな街道から踏破していってるもんですから、私の訪れる道の方が勝手にどんどん険しくなっていくんだもん。だから、崩落個所に杭を打ちながらロープとハーネスで踏破するとかいうような真似は絶対にしないつもりです(実はそういうことも可能なんじゃないかなんてちょっとかんがえちゃいましたけど)。地形図をしっかり読んで、可能な限り安全なルートを進むことを心掛けたいと思います。
2008-12-12 仕事。 [長年日記]
_ 長い間患っていた問題に解決のめどが立つ。しかし、これは新発見と言うには当たり前すぎるようにも思われる。勉強、足りない。でも良かった。理論武装しよう。
2008-12-13 DVD換装。 [長年日記]
_ RD-XD92DのDVDをとっ換えた。おかげで、閉めても閉めてもDVDのトレーが開いてしまう不具合は解消。しかし、このマシンはどうやら他にもいろいろな不具合を抱えているようだ。ネットで調べた感じも、この機種は史上最悪のトラブルメーカーであるようだ。うぬぬ。
2008-12-15 休んでねまくり。 [長年日記]
_ 蒲団にくるまって寝続ける。なんか作る気もしなかったので、アウトドアの店で買ったフリーズドライの味噌煮込みうどんとか袋ごと煮るだけで炊きあがるお米とか食べて過ごす。どっちもそれなりにイケることがわかったので、非常食として適量常備しておくことにしようかな。
2008-12-18 長の休みとなる。 [長年日記]
_ 結局3日ほど会社を休んで静養していた。時折HDDレコーダーの整理をしてたりしたのはまあ良しとしてください。
風邪の失調とそれに少し影響を受けた精神的の失調。まあどれもこれも季節の患いのようなものだ。何とか乗り越えられる。乗り越えられたのだと信じたい。
横浜で見る星空は、残念なことにこの間天城で見た星空には遠く及ばない。
_ しかし、つながっている。
天城でみたオリオンは同じ形で横浜の空に輝いている。
_ この間のハイキングでは、稜線歩道の途中でいかにもキャンプに相応しそうな平地を見出したのだった。昔何かの建物が建っていたその基礎の部分が残っていた。その心ばかりの平地にペグを穿ち、わずかな面積を占有して夜を明かすことには罪があるだろうか??
_ というわけで、わたしの遊びの時間は終わらない。
2008-12-19 転機が来る。。。のだろうか? [長年日記]
_ 転機という言葉にはなんだか輝かしい未来へのステップじみた感じがあるのだが、必ずしもそうならない転機と言うものもあるだろう。
易の言葉で言うと何だったっけ?良く分からないので、何年ぶりなんだろうか。自分のページの「易占の部屋」でコインを投げて占ってみることにした。
_ 初爻 二爻 三爻 四爻 五爻 上爻
少陰 少陰 老陰 少陰 少陰 少陰
_ 本卦:二番 坤為地 地の徳をもって大いに吉。貞節を心がけましょう
之卦:十五番 地山謙 謙遜の心があればどこに行っても大丈夫。終わりをまっとうできるでしょう。
_ 非常にお利口さんな感じの卦が出たようだ。こんな卦に対して不平を洩らすのは「高い城の男」の中にあったような気もする。
_ 「ピンチはチャンス」と言って、そんな転機に向かって飛び込んで行った人がいた。そうでない人もいた。四十路を過ぎて環境が変わってしまうことには恐れを感じざるを得ない。
_ だが、これを思え。私には、自分とは比べようもない偉大な先例がある。ローザムステッドのフィッシャーであり、ギネスビールのゴセットがそれであるのだ。統計学は実学としてその輝かしいサンプリング理論を編み出した。ピンチがチャンスになるのなら、そういう機会が与えられるということなのかもしれない。
_ まあ何にせよ年明けのことだろう。わたしのまずすべきことは家を清浄な状態にすることだと思う。
_ ----
_ そうか。日記のネタのないときはこうやって占いの結果とその解釈を書き込めばいいんだ。
2008-12-21 ぶり返し! [長年日記]
_ どうも風邪をぶり返した見たい。今の方が先週より重篤な感じもしてる。
薬食いとて、関内のインド料理屋に行かんと欲せども時逢はず、野毛町、桜木町、高島町と歩き嫌な汗をかく。
横浜西口の良く行く焼肉屋で豚タン・キムチ・ホルモン・ニンニク・ハラミなど食べる。ぽかぽかしてるのでこのまま寝袋にくるまって寝てしまおうという魂胆。
ショーソンの「愛と海の歌」とカントルーブの「オーベルニュの歌」の入ったCDを買ってきた。聞きつついねるかな。歌ってるのはヴィクトリア・デ・ロスアンヘルス(スペイン風の読みかたかな。フランスだとド・ロサングレだろうし、英語だとドゥ・ロサンジェルスだ)。ジャケットの写真見ると、非常に胸囲の大きい女性。お肉と言うよりも骨格ががっしりしてる。
2008-12-24 暮れともなるといろんなことが起こる。 [長年日記]
_ まずは自分にとって一番重要な事件。
早帰りして久しぶりに横浜市立図書館に寄り、統計関係の本を仕込んできた。そのあと行きつけの飲み屋に行こうと思ったら、なんと無くなっちゃってた!!
これは白楽の『前略』という飲み屋。神大のOBのドジョウ髭の人がやっていた。珍しい日本酒が飲めるから良く行ってたんだがな。これからは白楽と言うともう『世界長』くらいしかないじゃないですか。
横浜に越してきて以来無くなってしまった行きつけの飲み屋を列挙してみようか。もう知る人には知るところとなっているから隠さないけど、俺の住まいの最寄り駅は菊名だ。だから界隈に住んでる人には懐かしい名前もあるかもしれない。お世話になった人のお目に留まれば、まあお目こぼしを。
まずはランバー・ジャックなるスナック。しかしまあこれはある時を境にして寄り付かなくなってしまったから行きつけと言ってしまうのにはちょっと語弊がある。会社入りたてのころに良く行ってて、カナディアンクラブ飲みまくってた。
次は綱島駅前20秒のところにあった『ひょうたん』。いつおとづれても雑煮とドジョウのから揚げが食えるので大好きな居酒屋だった。思いで深い。しばらく無沙汰してある日行くとイタリア人顔のたぶん生粋の日本人の板さんが「会えて良かったよ」なんて言うんだ。聞くとオーナーの意向で近々閉めちゃうという。店員は系列のお弁当屋さんで働いてもらうということだったが、そんなことするために腕を磨いたんじゃないという自負があるから複雑な気持ちだ、というようなことを言ってた。もう来られなくなるからという記念に会社の仲間を連れて初めて店の名物のすっぽん鍋を食べに行った。すっぽんの甲羅を記念に持ち帰った同僚も今は違う会社にいるんだっけ。弟がアメリカ留学に発つ前の日にさんざん飲ませたのもこの店だったのでいろいろ思い出深い。
次は菊名西口の『どんたく』。九州出身のおかあさんがやってたおでん屋。この店ではなぜかおごってもらう機会が多かった。おかあさんにちょっとした漬物とか煮物とかを出してもらったりしたのも多かったけど、地元では名のある人がいきなり焼酎のボトルをいれてくれたり、一度連れてきた同僚が忘年会の二次会で入れたボトルの残りをおれの名前でキープしてくれたり…。最初のころいたバイトのあみちゃん、かわいかったよなあ。その後四国でスッチーをやってると聞いたがそれももう五年ほど前になる。
それから菊名西口にあった『つぼ八』。まあ普通につぼ八なんだけど、この店の窓からは大きな桜の古木が見えるので、まだうすら寒い桜の季節には行ったもんだった。
あと、菊名駅前改札でて15秒くらいの『菊繁』。これは本業は蕎麦屋だと思うんだが、この蕎麦がまた妙に長くて得した気分にはちょっとなるものの、蕎麦を取る時は席を立ちたくなってしまうほどだった。定食のバラエティも多かったしつまみになる料理も多かったのでよく利用してた。地下一階に座敷がいくつかあったので、一階が満席のときはそこに通された。それが結構楽しみでもあった。お座敷で一人で蕎麦屋のつまみを肴にしてポラーノ書林-この本屋も髭の店主のセレクションが妙で、国書刊行会のアレイスター・クロウリーの本とか並んでて立ち読みばかりしてましたっけ。お店は今も健在だけど相当規模が小さくなっちゃった-で買った文庫本なんか読みながらブランドがあるのかないのかわからないような燗酒飲んでました。燗で思い出したけど、一時期ここに勤めてたなかなかグラマラスな(酔眼にはそう映ったがもしかしたら鳩胸というだけだったかもしれない)お姉さんは「燗」=「とっくり」と思ってたみたいで、「お銚子2合、冷で」と注文すると店の奥に「お銚子2合、ヒヤカンで」と声を掛けて、その度に他のお店の人に注意されてた。それで今度行った時には「お銚子2合、ヒヤカンで」と注文してやろうと思っていたのだがその機会は来なかったように思う。
そんなわけで、理想の飲み屋は絶滅の危機に瀕している。その意味するものは俺の行くような店が無くなっていく、という意味にはとどまらない。
日本酒が楽しめて、適度にほっておかれて(ということは適度にかまってくれるという意味でもある)、つまみがバラエティに富んでいて、しかも高くつかない、そういう店のことだ。お座敷が適当にあいてたりして、そこに腰をおろしてだらだらと居座っていても追加の注文をせかされたりせず、でもこっちも良いのんべだと思われたくて適当に注文をしつつほんとの酒肴は文庫本だったりする。そんな店だ。いつも探してる。飛露喜が飲めたらもう言うことなしだ。そんなわけで一番その理想に近いのは福島サンルートホテル1Fの箸屋惣介なのだが、通うにはあまりにも遠すぎる。
_ 飯島愛が死んでしまったらしい。
死因とかよくわかんないみたいだが。なんかなじみの女性が亡くなってしまったような寂寥感を感じる。ギルガメッシュナイトは学生の頃。AVが出始めのその頃はビデオデッキなんか持ってなかったので、ちゃんとAV作品を見たのは会社に入ってしばらくしてからだった。普通に話してるときはちょっとトーンの低い声が濡れ場では高い声になるギャップが可愛いな、と思っていた。その後普通にタレント活動をしているのがすごいと思ったり腑に落ちなかったりそういうものかもと思ったり、、、ちょっと気になる人ではあった。年代的には美保純とか東てる美(あー古いさ古いさ)とか、それに最近ではゴーオンジャーでケガレシア(いやこの名前はすごいよな。過去がケガレシアってことかも)をやってる及川奈央とかの在り方とつい比較してしまう。もちろん一番好きなのは及川奈央です。AV作品の時からケガレシアみたいなコスプレやってたんだよね。一番笑えるのはアトムのエネルギー吸収シーンを実写でやるあたりでしたけど。ああ、無駄に語ってしまってるな。飯島愛からずいぶん離れてしまった。ご冥福をお祈りします。
_ [郷土史][交通史][下田街道] 『天城山往来雑記』佐藤陸郎。
酔った勢いでアマゾンで注文しちゃってたらしい。2日ほど前に届いた。タイトルが示す通りで天城越えを中心とした下田街道に関する本なわけです。
http://kodou.lolipop.jp/index.html
というHPには私が良く迷う(いや、正確には迷ったのは一回だけだ)天城峠周辺の探索のことが書かれているのですが、ここにこの本が紹介されていたので、つねづね欲しいと思っていたのでした。
で、今日『前略』がなくなってたので『世界長』というこれも日本酒の揃えの多く魚骨のから揚げせんべいがおいしい(いや、他にもうまいつまみはいっぱいあるんですけどこれは好きなんです)お店で飲みつつぱらぱら読んでたわけです。著者はいわゆる郷土史家の人のようで、意図的かどうか本のとあるページに刊行を紹介する地方紙の記事の切り抜きが挟んであるのを見ると、これは自費出版だということ。良い装丁だ。記事には初版は300部作ったと書いてある。奥付をみるとこれも初版なので、その300部の自費出版の1冊を今私は手にしているということだ。自らの歩きに根ざす自信がうかがえる。考証も堂々たるものなのではないだろうか。歴史を考証する本は、考証のもとになる文献の一部を多く引用するのが常なのだが、この中には『伊豆の踊り子』や『しろばんば』の一部なども引用されていて、非常に親しみやすい。良い本です。「道道(みちどうと読んで道を究める道という意味。勝手に作った言葉だが、きっとすでに誰かが同じことを言ってることだろう)」を究めんとするからには一生に一冊、このような本を上梓できたら幸せだろうな、と思う。それは"サラリーマンなんとか紀行"みたいな自費出版本(実はこの手の本は結構ある。読むと結構面白いが、それを集め始めるとみうらじゅん並みの境地に至る覚悟がいる)とは一線を画したものでありたい。
_ そんなわけで郷土史家の底力をこの本でも感じてしまった。一方でもっと大きなスケールで時代をぶった切るような歴史家もいる。飯島愛の訃報にちなんで例えるならば、繊細なヒダのひとつひとつを丹念に舐め分けることで初めてわかる愛もあれば、強靭な一閃で深奥を穿つことで感じる愛もある、という感じだろうか。
_ あんまりうまいこと言えてないですね。ごめんなさい。おやすみなさい。
2008-12-28 明日からおでかけ。 [長年日記]
_ 明日から熊野。
準備万端整ったと言いたいところだが、HDレコーダーの容量が不安。なんぎやね。
熊野の天気はおおむね良さそう。お店の少ない所を歩くらしいと言うので食料をちょっと多めにザックに詰め込んだら結構重たい。ちゃんと宿をとっていくのにちょっと大げさかな。まあいいや。いちきます。
2008-12-29 中辺路1日目:紀伊田辺から下鮎川 [長年日記]
紀伊田辺着11時やや過ぎ。めはり寿司の入ったお弁当駅で買う。蟻通神社に詣でる。「蟻の熊野詣」というほどに伊勢参宮と並んで賑わった熊野古道・中辺路の旅が始まります。われもまた一匹の蟻となって常緑の森を行かん。
出立王子でお弁当食べた。出発遅いので立ち寄るかどうか迷ったが、やはりと高山寺に寄り合気道開祖植芝盛平と偉大な南方熊楠の墓を訪ねた。この二人に武蔵坊弁慶を加えて「田辺の三人」と称するらしいことが紀伊田辺の駅の看板にあった。 やや雲が多く暖かい。荷が重いこともあり寺の長い石段を昇り降りしてすでにかなり汗をかいた。
八立稲社・願成寺など訪ねて会津川沿いにほぼ沿うように進む。途中街道から外れている秋津王子を訪ねるのを忘れてしまった。万呂王子跡14時過ぎ。社殿も何もない。道はこのあと近畿自然歩道となっている。山道を控え焦るが、三栖寺跡にも寄り報恩寺・三栖王子へ。と。熊野古道の標示があり山道となる。 地形図から想像するよりキツく感じられストックの助けをかりた。近露の宿の人のアドバイスの通り持ってきて良かったと思う。途中南方熊楠山中裸像撮影場所なんてのがあって、上半身裸の熊楠さんの写真が看板となっていた。
自然歩道から新岡坂トンネル出口の脇へ出た。舗装道路を500m程行けば八上王子。西行も訪れたという。年始の準備をしてた人が絵馬をくれた。 次いで田中社15時50分。ここも年始の準備をしている。日暮れが近いといよいよ焦るが、ここでまた山道。近所のおばちゃんが「これから登るのですか?」と言うのでさらに不安だったが読図と体力を計り、前進。800m足らずの急坂を喘ぎつつ越えたら二匹の犬が盛大に吠えてお出迎え。16時25分稲葉根王子。この後富田川に沿うて舗装道路を行く。市ノ瀬橋で富田川を渡り市ノ瀬王子入り口に着くが更なる山道と見え、敬遠。宿に至る。
_ 宿につき、荷を軽くすることを検討する必要があると考えた。とりあえず携行した寝酒を減らす。精進落としにはまだ早いが。
続く。
2008-12-30 中辺路2日目:下鮎川から近露まで [長年日記]
朝6時半に起こされて朝食。7時に出発。昨日見逃した市ノ瀬王子に行こうかとも思ったが、今日の道の険しさとて後ろ髪ひかるる思いを払い先へ。
7:35鮎川王子。
このあたりは大塔宮こと護良親王ゆかりの地。鎌倉宮を訪ねたときも思ったが、早く「太平記」読みたい。
7時46分住吉社。角柱の形のコマイヌがいい。
8時7分御所平。
後白河院の仮の御所という。ここで小休止。この先道は川沿いの木立の間を進む。リンガとヨニの形の道祖神と並んでビリケンに似た青面金剛があった。念仏淵、大ウナギ生息地域指定境界など過ぎると上りとなる。
富田川を渡り清姫の墓に向かう。橋の手前、放し飼いらしい犬がいてしばし睨み合いとなるが、大人しく道を譲ってくれた。緊張した!放し飼い反対です。
9時53分、清姫の墓到着。
古そうな板碑。ここが清姫の故郷で、姫はそも出自が蛇。川淵の流れにを黒髪をなびかせ泳いでいたという。どこかで聞いた話と思ったら、木曽の巴淵の巴御前の言い伝えと似てる。
滝尻王子着。10時半。休憩所でコーヒーを注文すると、いつもの女店員がお休みとてインスタントを淹れてくれてサービスにしてくれた上ミカンと自家製梅干しと中辺路の名水野中の清水をご馳走になり返って申し訳なし。
滝尻王子からいよいよ本格的な世界遺産の道。最初の登りがかなり急。乳岩、不寝王子と過ぎるとややなだらかに。針地蔵を越えた先集落に出る。高原熊野社の赤い建築が鮮やか。無料休憩所でアルファ米とレトルトカレーの昼食。アルファ米初体験だが結構食べられる。お湯で戻すのに20分かかるから乾麺の方が速いが、無洗米炊くよりはずっと速く、しかも炊き損ねるということはない。
13時半を回り、行脚再開。
人家の脇の急坂を登ると先は今宵の宿のある近露までずっと山道だから覚悟しろ、というような看板がありビビる。
地形図を読みながら次はしばらく平ら、この後は急坂、だらだら下り、などと思いつつ進むのは知らない道(未知の道だ、あはは)を行く上で慰めとなる。 時折眺めの良い場所に出ると、北側の谷合はモヤが出始めた模様。晴れていれば5時までは明るいこの地方も曇ればそうもいくまいと焦る気を抑えつつ十丈王子着、15時。中辺路最高標高の辺りも比較的楽に過ぎ道は下りに転じる。
16時10分、大坂本王子着。
天気は崩れず、牛馬童子とも無事会えた。17時、近露王子着。明日の朝食は6時。いよいよ本宮を目指します!
2008-12-31 中辺路3日目:近露から熊野本宮 [長年日記]
7時少し前出発。宿の主人が色々アドバイスくれた。最初の2キロは決して急がないこと。その通りちんたらとだらだら坂を登る。8時少し過ぎ野中の清水。斉藤茂吉の歌碑あり。旨い水をペットボトルに詰めまた歩き出すと、ちらほら雪。大晦の風情ひとしお。来し方は深い谷。はるばる来ぬる旅をしぞおもふ。継桜王子で秀衡桜。ここまでは平易な道。9時50分熊瀬川王子手前の休憩所でコーヒータイム。気合い入る。女坂・仲人茶屋跡・男坂と進む道はあくまで常緑の深い森。蟻の熊野詣というが如く一匹の蟻となった我は、壮大な鎮守の森を喘ぎつつ右往左往。つけても3日間総晴れで何より。
11時過ぎ岩神王子。ここからはほぼ下り。体は楽だが足にはキツい。蛇形地蔵でお昼。持ってきた岳食のフリーズドライの山菜蕎麦食べて気づいた。これ、年越しそばだ!
湯川王子からはまた登り。三越峠二時前。順調と思った、この時点では。
猪鼻王子からまた登り。発心門王子で宿の主人に教わったように熊野の神に挨拶。ここからの距離を計り間違えてたことに気づき、焦り出す。
結局本宮には5時少し前着。まだ明るくて助かった。熊野誓紙買って湯の峰の宿に連絡すると車で迎えに来てくれた。宿には私入れて7人。一斉に食事すればおのずと話が。中でもサイキックオリンピック優勝経験者の坊様が異彩を放ってる。
今は大晦日らしく紅白見てくつろいでます。以上!
_ うにゃにゃ [私もファミコンやりたいです。。]
_ けい [ツインビーダブルプレイしますか。 おれめっちゃうまいよ!]