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2025-08-16 [長年日記]
_ [短歌・和歌] 『一握の砂』、石川啄木より。
作風を真似ようというほどでもないのだが、どう詠めば歌になり得るのかという調査のようなつもりで『万葉集』と石川啄木と釈迢空の歌を書きつけていたりする。万葉集は現在歌神・柿本人麻呂の長歌がずらずら並んでる辺りに辿り着いたところで、一首書き取るのにだいぶ時間が掛かる。あまつさえ枕詞だの歌枕だのを調べて万葉仮名の綴りまで書き写しているのだから鑑賞というより苦行に近い。しかしおそらく、賀茂真淵さんやら本居宣長さんなんかはもっと困難な状況でそれ以上の苦行を積んだに違いないし、彼らはそれを苦行などとはさらさら思ってもいなかったであろう。枕詞は、ある日突然使ってみたら面白いかな、なんて思ってる。「ぬばたまのヨルシカ」とか「いさなとり海原雄山」とか。あまり使う場面無いな。
釈迢空こと折口信夫さんは、万葉集をはじめとした古典の造詣の深さをベースにして作られる作品はどのようなものかと言う興味から。わからない歌も多いが枕詞なぞは無闇に使われていないことだけはわかった。そしてやはり石川啄木。何というか、それを肯定しているわけではないのだろうがネガティブなニュアンスの歌が多い。「うぬ惚るる友に 合槌うちてゐぬ 施与(ほどこし)をするごとき心に」とか「人並の才に過ぎざるわが友の 深き不平もあはれなるかな」とか。啄木さんにとっての友人とは何なのだろう。でも、有名な歌よりもこういう歌にこそ啄木さんらしさを感じて、何だか愛おしいと思えてしまうのであった。これらの三つの歌集の書き取りも、それぞれやっと百首を超えた。一人で勝手に祝杯くらいあげてもいいかもしれないな。自分の歌も先頃200首をやっと超えたところ。スマホで写真撮るよりは効率が悪いが自筆でかき残すよりは少し効率の良い想い出の記録法だ。