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2025-07-10 [長年日記]
_ [音楽] 高田浩吉『スター☆デラックス 高田浩吉』(CD)
ヒトの中で生きてるとつい聞きたくもないような言葉が耳に入って来るのが苦痛で、気にしまいと思うほどに気になってしまうのが昔からどうしようもない。ソクラテスがクサンチッペの声を鳥の声のように聞き流す術を得ていたことが羨ましい。やはり哲人は違う。腹に据えかねて言い返せば言い返したでまたやってしまったと後悔するばかりだ。さりとて罪悪感は無駄だとて捨て去ることも何か違うと捨てきれない。こういう気分は止め難い攻撃性や、それを抑え込む自己嫌悪など様々な心的症例を引き起こすことになるため、さっさと立ち去るが良いのである。そうして、普遍的に価値のあることをするべきなのだ。という訳でその普遍的に価値のあることの一つとして今日行ったのはもう何十年も使っているコーヒーミルの掃除。分解して徹底的にと思ったのだが接着剤を使っていて外せない部分があったため、やむなく螺子を緩めて金具の合わせ目を大きく開いて専用に使っている筆でガシガシと屑を除けてまた組み立てる。切れ味ならぬ挽き味が鋭くなった!だいぶ古いからこれを機会に新調しようかとも思ったんだけど、使い勝手が良いからもうこいつが壊れるかこっちが死ぬまで使い続けることにしよう。とりあえず錆止めの塗料を塗りなおすとするかな!
そんなわけでその掃除したミルで挽いたうまいコーヒーを飲みながら、最近買った高田浩吉のベストアルバムを聴いているのである。この人の『白鷺三味線』を知ったのはタモリがオールナイトニッポンのパーソナリティをやっていた頃で、割と人生の中で何度も歌っている。この歌にはきわめて個人的な思い出がある。わが弟その1の婚儀の際、末子である父方の姉たち、つまり僕にとっては伯母たちが老体を押して参加してくださったその2次会の宴席で、カラオケも無いのに何か歌えと請われるも何を歌えば良いか思いもつかずに捨て置いて弟の嫁側の親類の方々と談笑していたという後になってから苦い思い出としてよみがえるエピソードである。で、そのこと自体は白鷺三味線と何の関係も無いのだが、後日になってから、「そうか、あの時『白鷺三味線』でも歌っておけば伯母さまたちも大喜びだったに違いないし自分の父母の面目も保たれた筈だった。なぜそうしなかったのだ、自分。」などと考えてしまって以来そのエピソードは白鷺三味線と切り離せない苦い思い出となってしまったのである。勝手に結びつけて勝手に苦くしただけだ。で、そんな思いと共に高田浩吉のアルバムを聴いている。20曲収録されているうちの、当の『白鷺三味線』を含む半数以上は作詞が『かなりあ』や『まりと殿様』で著名な西條八十である。アルバム半分以上聴いてみて何とも言えず良い。何が良いって、調子の良い言い回しだ。「よいしょ喧嘩か 買おうじゃないか」「ホイシャンシャンシャラリコ馬の鈴」「ハァピイチク パアチク 春の雨」「ハ どうするどうするスチャラカチャン」「トコトンのカッチリカッチリ(これは作詞野村俊夫『江戸の三四郎さん』)」「権三と助十 名コンビ」「ホイキタホイキタ ホイホイホイ ホイキタ助十 合点権三」である。こういった調子の良い言い回しがもしかすると西條八十の真骨頂とかなんだろうか。『まりと殿様』も「てんてんてんまりてんてまり」などというナンセンスかつリズム感あふるるフレーズがほとんど歌の本意を言いきってる感じでもある。浜口庫之助も良いが西條八十も良い。良さの方向が全然違うかもしれん。
_ [音楽] 『はやし・こば CM WORKS』
高田浩吉の興奮冷めぬうち続けて『はやし・こば CM WORKS』もちょっと聞き出した。新グロモントの『ガンバラナクッチャ』とか『味なことやるマクドナルド』とか懐かしいのばっかり収録されてるが、中でも秀逸なのが『スタミナ食品 こてっちゃん』。「こてっちゃ〜ん やきにく!」と歌う超短い歌。歌ってるのは田中真弓さんだ!あろうことかと言おうかそりゃそうかと言おうか。歌っていいなあ。流石リリンの生み出した文化の極みだ。「黄色いサクランボ」歌ってたスリー・グレイセスがひたすら「魔女、魔女」と繰り返す東芝クリーナー魔女(こんな信じられない名前の掃除機があったのかw)の歌も良い。←訂正。「黄色いさくらんぼ」はスリー・キャッツでした。スリー・グレイセスは「山のロザリア」などでした。まだまだじゃのう、自分。
_ 追記。駄目だもう遅い時間なのに。「タンスにゴン」も「吸えないときの禁煙パイポ」も田中真弓さんだ。どっちも超短い。助けてw