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2025-07-27 [長年日記]
_ [漫画] 『壇蜜』清野とおる、講談社、2025。
読むの楽しみにしてた。感想。こういう結婚生活はちょっと良いかもしれない。多分漫画で描かれた壇蜜のおかしさは氷山の一角なのであろう。久しぶりに、壇蜜のいろいろはみ出てるようなイメージ映像とか見たくなった。
_ [戯れ歌] 人を憎むの歌。
— 露先で人の眼潰し 自らの肌守るなり 日傘の御仁
— 極小(ごくしょう)の迷惑なせる自覚無き人類 並(な)べて絶滅すべし
久しぶりに詠んだらこんなのばかり。嫌われたいと思ってるようにしか見えない。あえてかかる嫌悪の種を蒔くような真似は昨今剣呑だが明治期には石川啄木さんが「一握の砂」の中でこんな歌を詠んでいる。
「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねといのりてしこと」他にもこの人は、実話かどうかはわからないがむしゃくしゃしたから犬の耳を切ったとか結構暴力的な歌を提示している。そういうこと言っちゃうんだ、というナイーブさも、この人のたまらない魅力ではあると思う。
歌であること以外に関連はないが、数日前にコンビニで買い物して帰宅した後買い忘れに気づいて同じ店を二往復したことがあった。そのとき二度目の往路で、そう言えば夜泣き石で有名な静岡の日坂を再び越えて命からがら、とか詠んだ狂歌があった、などということを思い出した。この歌の本歌は西行法師のもので、後年芭蕉もそれを受けて「生命なり わずかの傘の下涼み」と詠んだのも思い出した。西行の歌は「年たけて また越えゆべしと思いきや いのちなりけり…」結句が思い出せない。二往復後に自宅でやっと、それが「小夜(さや)の中山」であったと思い出した。思い出せて満足だった。こんな話にオチなんかねえよ。しかしながら、その西行法師の歌は思い出せたものの、それをパロった狂歌の方はネットでは出てこないので、じゃめ・こんとん。