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けいりう堂日記

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2025-05-04 伊勢街道 [長年日記]

_ [伊勢街道] [スケッチ]松阪から阿漕手前まで。

5/1から5/3に掛けて伊勢街道の行脚に行ってきた。最近ブラタモリでこの街道を取り上げられたことが影響しているのか、比較的多くの人とすれ違う。伊勢方面から四日市の追分方面に向かうものは自分の他にはいなかったかもしれない。一日目は松阪観光。宿に荷物を預けてから、先回見なかった来迎寺に行く。初めて見る白い花を付けた木に目を奪われた:ヒトツバタゴ近所から見に来られていた女性に声を掛けられ、名を訪ねると「なんじゃもんじゃ」と教えてくれ、思わず「ナンジャモンジャ!」とオウム返してしまう。ヒトツバタゴである。女性は他にもどこやらに生えているといくつかの場所を教え、しかしここの花が一番良い、と言った。僕と言葉を交わした後また別の人と同様のことを語る熱心な布教振り。僕もまた信徒となった:

─ 松阪に降り立ち見れば 時めきてナンジャモンジャに花は咲きける
─ 雪の如き モールの如き 白き花を 土地のをんなは布教する也

 その後松阪城のほうに歩いていく。松阪工業高校には昔化学教室であった赤壁(せきへき)校舎というのがあり、事務室で頼めば開錠して見学させてくれる。壁が赤いのは硫化水銀で、この塗装によって教室から出る化学物質による損傷を防ぐ意図があったとか。ここも松阪城の領域の中にある。松阪は近江・大坂と並ぶ商人の街であり、原田・長谷川・小津の旧宅を見学することができる。この日は城に最も近い原田家を見学。登城すると東からの風に吹かれて心地良かった。ここが梶井基次郎『城のある町にて』の舞台であることは初めて知った。

─ 古城まで 海よりの風来たりなば 校舎裏より歌声も来る

 本居宣長記念館へ。十七歳にして3000以上の地名を含む街道図を描き、和歌を研究し、当時万葉仮名の読み方も定かではなくなっていた古事記を研究した言わずもがなの日本国を代表する学者であるが、膨大な記録に見られる文字は活字と言って良いほど整っており、小粒の文字で何もかも書き尽くそうとしているかのように思われる。マニアとしての正しい姿勢を感じた。自分などは比べることすらおこがましい雑魚に過ぎないと打ちのめされる。言い方を変えるなら、自分はもっとマニアであって良いのだ、ということを確信した。

 5/2は予報どおりの雨。雨装束に身を包んで長谷川・小津の2商家を見学。これら公開している商家は靴を脱いで座敷に上がることができる。僕の旅装束ではいつも靴は軽量の登山用なので上がるたびに靴ひもを解かねばならないが、そのような手間など得られる知識に比べたら些末なものだ。長谷川家は後年奉行所の払い下げ地を購入したこともあり敷地も広い。立派な建物にも驚くが、飾られている屏風や陶器その他の調度、釘隠しなどの細やかな意匠にも感心する。

─ 芳野山の 屏風の中の人びとに 吾も混ざりて 楽しまんとす

 小津家は小津安二郎監督にとっては本家に当たる家。三角の中に「久」を書き込んだ屋号は「ウロコキュウ」と読む、と教わった。松阪市街地のあちこちには小津監督の肖像を「Ozu」という文字を使って図案化したロゴが目に付く。城内にある郷土資料館の二階は監督のための記念館となっている。小津家は紙を商う家で、日本橋の辺りに現在も小津和紙という会社がある。そこにも資料館があり松阪の小津家にも立ち寄ったと告げるとたいそう喜ばれるとのことである。午後三時ごろ雨は止む。

 5/3。一泊した津から電車で昨日の終点である六軒駅まで行こうとして逆方向の列車に乗ってしまった結果旅の続きは11:00スタート。GW後半の初日とあって、六軒に行く電車の中は若い人が目立つ。女の子が一人、高茶屋駅の辺りの車窓から付近の町中を見て「三重めっちゃ栄えてる!こんな大きいイオン見たことない!」と驚きの声を上げたのに実に新鮮な気分を感じた。のちの人生で君はもっと大きなイオンを見ることになるだろう。その時今の驚きを感じることは無いかもしれない。六軒で降りる。雨上がりの晴れで空気も乾燥して心地良い。何よりもこの日目指したのは松浦武四郎記念館と彼の生家の見学。武四郎の探検した地はまさに自分の故郷であり、様々な場所で彼を記念する石碑を目にする。小学校時代には社会科教育として郷土の歴史を学ぶが、その中でも名を知ることができる。この人を識ることは様々な土地を歩いた自分にとっても重要な意味を持っていた。そしてここを訪れて痛感したことは、やはり自分はもっともっとマニアであるべきである、ということであったのだ。現在よりも記録を残すには不便な時代である。和紙で紐綴りの野帳はコクヨのセ−Y3という厚い表紙で廉価・頑丈なものに。筆記具は矢立の墨筆から鉛筆・ボールペンなどに。旅装束も合羽や脚絆からゴアテックス製のレインウェアに。草鞋は登山靴(いや、登山靴である必要は必ずしも無いが)。何よりも往時は無かった道が今は有り(もちろん廃道となったりしてその逆もあるだろうが)、宿は無くとも駅があり、そして絵を描く代わりにいくらでも写真が撮れる。にもかかわらず武四郎の残したものの1割も自分は記録してはいないだろうと思われた。施設の周りには食事をとれる場所はほぼ無く、隣接するギフトショップで味噌味の豚まんを購入した。店でレンジを使わせてくれた。お店の女性は話し好きと見えていろいろとお話を聞かせてくれる。国道と旧街道の間には一時電車が走っていたとか、ブラタモリのロケ地に武四郎記念館も名乗りを上げたが却下されたのだとか。ご自身も旅好きで青春の頃には道南・道東を巡ったとか大台ケ原にも登ったことがあるとか。武四郎生家へ。雲出川(くもずがわ)のすぐそばにある。説明員の方が松阪を「まつざか」と呼んでいたので、「地元の方はなんと読むのですか」と尋ねたら、「まつざか」も「まつさか」もあるし「まっつぁか」と言う人もあるとのこと。これから自分は「まっつぁか」で行こうか、と思う。晴れなので常夜灯の四阿のところでこの旅初めての絵を描く。描いた直後は満足できるものではないと思った。武四郎さんの絵を見た後だったせいかもしれない。スキャンして貼ってみると、これはこれで旅の記念としては悪くは無いという気にもなってきた。拙かろうが描かないことには上達はしない。

雲出川・小野古江(おののふるえ)渡し そろそろ家路を辿らねばならない。六軒駅の少し北で伊勢街道から分かれて香良洲神社に向かう香良洲道と言うのがあり、そこも歩きたいと思っているからまたこの付近をうろつくことになるはずだ。なので付近の見どころを後にして阿漕駅の傍からバスで、ロッカーに着替えや冊子類を預けてある津へ。電車に乗る前にデカい津餃子でビールその他飲んで帰宅。久々の雨行脚もあったし何しろ「まっつぁか」の産んだ2人のマニアの鑑を知ることができた。松阪開祖の蒲生氏郷にも興味が出てきた。気づきの多い旅だった。六軒に向かう車中で見かけたカップルの歌:

─ 鼻ピアス飾る二人は睦み合ひ 深き接吻(キス)為し金(かね)打ち鳴らす
(ディープキスしたら鼻ピ同士がぶつかるんじゃないかなと思って)

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ きだ [遅ればせながらお帰りなさいませ。車で通ったことしかないので、街道行脚を楽しく読ませていただきました。雨の日は大変そう..]

_ けい [多分次回は追分に辿り着けると思うんですけどねー。行脚の記録、もっと書きたいと思ってます。雨の日も楽しいですよ、街中だ..]


2025-05-05 スケッチの練習を兼ねて花を見てきた。 [長年日記]

_ [スケッチ]  花木園。

ほど遠からぬところに馬場花木園と言う公園がある。GWももうすぐ終わる。今日は晴れ。ということでスケッチの練習に行ってきました:

馬場花木園

 池のほとりの花菖蒲でも描こうかと思っていたのだが、古民家があったのでこちらをテーマに。原画の彩色はずいぶん淡い感じになってしまったのだが、スキャンしてみるとなんだかこのくらいでも良いんじゃないかと言う感じもする。古民家だの神社の鳥居だの常夜灯だの、和式の建築の類の曲線的な輪郭はデッサンがとてもしにくい。今スキャンした絵を見てみると、ちょっと縦長になってしまっているのに気が付く。悪い癖だな。ちゃんと縦横比を測って描かないと。こどもの日と言うこともあって親子連れが多かった。スケッチはし慣れてしまうと、行きかう人々はさほどこちらには注目しない(あるいは儀礼的無関心を装っているのかもしれないが)ことがわかり、余り緊張せずに集中することができるのだが、今日は2歳くらいの女の子にじっと見られてしまった。連れの女性が離れるように言うのだが「だって気になる〜」とか言って見続けるので、つい「あんまり見ないで恥ずかしいから」とか口走ってしまった。連れの方も女の子に語り掛けつつこちらにも「古民家を描いてらっしゃるのですか」なんて声をかけてくる。若い頃の自分なら沈黙して緊張しながら作業に没頭しようとしただろう。もうそんな初心な若者ではないので描きながら受け答えをする。描きかけの絵を女の子に見せて「どう?似てる?」と尋ねたら、うん、と答えてくれた。いい子だねえ。 結局花は、持参した一眼レフで撮りまくった。一眼レフ使ったの久しぶりだ。その後歩いて図書館に寄って、三島由紀夫が被写体になっている写真集『薔薇刑』を借りて、銭湯行って帰宅。花木園、良いところだ。脇を通ってる道は夜は寂しくて狸が出そうだけど。季節の移ろうたびに尋ねたいと思う。今日の女の子、早く大人になってまたおじさんと会おうねw

_ 写真撮った花。

花菖蒲 花菖蒲。いまだにアヤメとカキツバタとショウブの区別がつきません。
オダマキ 苧環(オダマキ)。今を盛りと咲いてました。
竹藪もイイ 特に竹藪がイイ(『パンダコパンダ』パパンダ)
月と桂 桂の木を見つけたらその向こうにちょうど月が出てました。月には桂が生えてるんだよ。あないみじ!←宮島美奈『それいけ!平安部』買いました。

2025-05-08 [長年日記]

_ 久しぶりに中央図書館へ。

野暮用があって早く勤務を終え、その野暮用を終えた後まだ中央図書館が開いている時間だったので、久しぶりに訪問。ヨコハマ資料のある3階に陣取って、下田街道・東浦路に関連する資料を閲覧。かの有名な児玉幸多先生の監修になる『根府川通見取絵図』全二巻が普通に閲覧できるという素晴らしさよ。東浦路というのは伊豆半島東岸にほぼ沿った道である。先日の松阪のマニア先人ショック(←本居宣長と松浦武四郎のことね)から、これまでの街道行脚の記録をおさらいしておきたい衝動に駆られ、書きっぱなしの野帳セY-3から一冊取り出してみたらそれが東浦路の宿場・伊東を訪ねた頃の記録だったのである。
 ただ、この頃はある理由があってこの時の記録も詳細には書き付けておらず、しかもあろうことか、旅の前にあらかじめ道筋を描きつけていくのが常である当時使用した地形図には道筋の描き込みが全く無いのである。どういうことかと言うと、この時の道の確定に用いたのは『伊豆東浦路の下田街道』(加藤精志・田畑みなお、サガミヤ、2004)という本だが、行程の地図は載っておらず、代わりに著者らが実際にたどった道筋に沿って目印を文章で書いていくという記録であるため、地形図にあらかじめ道筋を描き込むことは困難だったのだと思われる。「思われる」と書くのは、僕が実際に訪れたのが2010年・2011年でこぼこの頃であったため当時の気分を覚えていないからである。たとえば「坂町バス停から、奈良本への旧道を二百歩ほども登ると、正面行く手に秩父坂東供養塔が見えてくる」と書かれていても、そのような分解能で地形図を読むことはできない。しかし実際に現地に行ってみれば、親切な地元民に道を教えていただく時のように行き先が良くわかる訳である。その当時もこの記述の恐らくコピーを携えて首っ引きで歩いたはずだ。その本を冒頭から読み返そうとしてみると、二つの発見があった。一つは、今上天皇陛下は皇太子時代にロンドンに留学した際テムズ川の海運に関する研究をおこなっており、国内外に関わらず交通史にご興味を持たれているということ。こちらはいくつかの著作が手に入るようなので、古書で求めることにした。もう一つは、『伊豆東浦路の下田街道』の著者は静岡在住であり東浦路の道筋も神奈川側については詳述していないが、そのあたりの道筋は「根府川通」と呼ばれる道と重なる、と書かれていたことである。そこで「根府川」というキーワードで横浜市立図書館の蔵書を検索して、『根府川通見取絵図』に行きついた、という訳である。そういう訳だから、14・15年振りに東浦路の旅を補完することになりそうという予感がある。

_ 横浜銭湯のトレーディングカード。

この春からスタンプラリー風のイベントが横浜銭湯のネットワーク内で行われている。2通りあるのだが、うち一つは3か所のスタンプを集めるたびに3つめの銭湯+ランダムにもう一か所のトレーディングカード計2枚をいただける、というイベントである。いつもなら水曜夜はジムで筋トレをしているが調べ物で遅くなったので、ウォーキングを兼ねて図書館から最も近い銭湯に行くことにした。それが、藤棚という場所にある中乃湯さんだったのである。ここで入手した2枚で6枚目の入手となった。図書館から藤棚に向かう道は野毛山動物園脇を経由する上り坂だったので結構息が切れた。風呂前にひと汗流すという意味では悪くはない。湯を出た頃丁度雨となったが、おそらくは忘れもののビニール傘を、返さなくて良いからと呉れた。ありがたく頂戴して、これは会社に置き傘として置くことに決めた。ヒトの情けは有効に使わねば。その時ふと思った。こんな風に使われない傘は世の中にたくさんある。そこでいたる所に置き場を設置しておいて誰でも使って良いようにその傘を置いておく、という習慣が一般に流布したなら、世の中のビニール傘は有効に使われはしないか、ということである。拾った硬貨を何かに使って経済活動の中に戻してやるようなことだ。尤も、良き市民にとって役に立つ仕組みは、良からぬ市民の悪行の種になることも世の常で、こんな仕組みを上手く回すにはよほど工夫が必要だろう。けれども、要らない傘を誰でも有効に使ってまた別の誰かに使わせてあげようと思う人々が暮らしている世の中は、少なくとも自分にとっては住みやすい世の中のように思われるのである。


2025-05-10 清水ミチコ『バッタもん』 [長年日記]

_ [音楽] 清水ミチコ『バッタもん』

…というCDを聴いておりますが、この中の「80年代メドレー」が本気出し過ぎてて凄い。冒頭の松田聖子はどうだろう!続いて薬師丸ひろ子、欧陽菲菲(←そういえばこの人の名前手書きで書いたことないなあ)、山下久美子、忌野清志郎、そして中森明菜「セカンド・ラブ」。「赤道小町ドキッ!」が「適当小町」に聞こえたり、中森明菜の声の強弱の付け方が極端すぎるところ以外ほとんど笑いの要素が無い。この才女と同世代に生きていることがなんか誇らしい。勝手に誇らしく思ってるだけだけど。

_ [読書] 宮島美奈『婚活マエストロ』『それいけ!平安部』

最近立て続けに宮島美奈の『婚活マエストロ』と『それいけ!平安部』読んだ。成瀬の2冊も良かったが男性主人公の前者も成瀬に比べれば個性は弱いものの平安を好きな気持ちの強さだけで高校に部を立ち上げてしまう後者も劣らず良い。この人の文体のどこがいいと思ったかは気が向けば後日。

_ 『バッタもん』のあと「大正ロマン5 童謡」というCDを聴いてるんだが、「スター誕生」で中森明菜に、おまえは顔が幼いから童謡でも歌っちゃあどうかと講評して「スタ誕」では童謡は受け付けないんじゃないんですか?と明菜ちゃんに反論された松田トシさんが「お山のお猿」という童謡を歌っててちょっと微笑ましく思った。


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