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2008-12-07 下田街道・天城越えその1 [長年日記]
_ とある方の訃報を聞き、それでなお喪に服すこともなく自らの気持ちに決着を付けんとして出で立ちました。詳述は後ほどということにして、一言。
「満天の星。朝起きるとメスティンに張っていた水がすっかり凍っていた。」
この日、早朝に新横浜を発って、河津でバスに乗って大滝(おおだる)入口へ。ここから、去年沢に迷い込んでしまった下田街道の旧道を再三登って天城峠へ。今回はさすがに迷わなかったのだけど出だしが悪い。後で伊豆にはクマがいないらしいことがわかったのだが、クマ鈴を持ってこなかった。それに、夜のお供のSONYのラジオも見つからなくて持ってこなかった。後で気づいたのは、どちらも秋に着てたベストのポケットに入っていたであろうこと。
12月に入ってやっと、と感じるのだが、伊豆の山々は今やっと錦秋という風情だ。途中ハンターたちとすれ違う。向こうから「どこまで行くの」と声を掛けられ、「二本杉峠(旧天城峠)へ」と言うと、三叉路を右にと教えてくれる。以前迷った原因の一つである林道入口のゲートのことは特に言わない。林道のゲートを突破しちゃうのはごく普通のことなの?そうなの?
ここで、「煉瓦の洞」なる史跡への分岐点を通り過ぎてしまったことに気づいて少し戻る。先のハンターさんがいて、これこれを探してると言うと、またも親切に看板があって云々と教えてくれた。
煉瓦の洞というのは弘化2(1845)年に作られた、わが国初の耐火煉瓦製造工場なんでした。前回は完全にスルーしてたわけですが、あのときは時間も押してたわけで。
12:00少し前に、以前迷った時と全く同じところで昼食をとる。以前はこの直後に迷ったのだったが、それは林道のゲートを突破することを躊躇した故のこと。今回はためらわずに歩いて行った。
菅沢歩道なる表示にしたがって登っていくとこれは沢沿いの道であり、以前の沢に迷い込んだ時の記憶がよみがえってきて焦る。結局この沢を通る必要はなかったのだが、着実に二本杉峠に近づいていた。ふと地面を見ると、霜柱。寒いんだ、ここは。
えー、14:30ごろ二本杉峠着。コーヒーを淹れ、小休止のあと北側に降りていく。降り着けば大川端野営場…のはずが、その看板の文字は塗りつぶされていて、今はキャンプ禁止の場所となっていた。あへっ!
ここから踊り子街道を通ってさらに北へと行き、そういえば太郎杉も見てないなと思い出しつつ道の駅で酒と食糧を買い込み、トイレで水を補給して、そこから少しだけ南下したところで野営を始めた。ところが、なんと!テントのポールをまるごと忘れてきてしまった!
しかたなく携帯してたロープを使ったのだが、見苦しいことこの上ない。それでも住めば都。お米を炊いて道の駅で買ったいのししカレーをかけて食べ、道の駅で買った修善寺の茶色い酒を飲み、持ってきた「御伽草子」を読みながら寝入った。
夜中にふと目覚めて空を見ると、満天の星とはまさにこれ。北側の空を早足で過ぎて行った人工衛星のごときも眺められた。ラジオなしでもこれなら過ごせそうだ。時折、鹿の声と思しき声がする。
御伽草子で、「道」にかかる枕詞が「たまほこ」であると知った。
_ 「玉鉾の 天城の道や峰の道 紅葉踏み分け鳴く鹿の道」
_ 寒いけど寝袋の中は暖かい。つづく。