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2025-02-24 [長年日記]
_ [読書] 『アポリネール詩集』ギヨーム・アポリネール、堀口大学訳、新潮社、1954(新潮文庫)。
かなり昔に少し目を通したアポリネールの詩はまず「ミラボー橋」。高校の時の部活の先輩が、卒業する直前か卒業後間もないころに、何かに書きつけていた詩だった。我らの腕(かいな)の橋の下を川が流れる。これはシャンソンの歌詞ともなっているのだが、ちゃんと聞いたことが無いような気がする。クリエイティブでエネルギッシュなその先輩がこんな繊細な詩を愛好するのだとは思えなかった。何かの劇的な効果を狙って書きつけたような気もするが、人の心など捉えようも無い。単純に好きな詩だったのかも知れない。この詩は僕も気に入っているが、もっと気になるのは「秘め事歌」の第1。最近拙い歌を「戯れ歌」と呼んで書きつけているのはこの詩の題の影響を受けていると思う。アポリネール曰く、自らの愛するマドレーヌには九つの戸口があり、その全てを我が軍は征服せんとしている、という猟奇的とも言える詩である。この戸口の最後の二つは第一次大戦時に歩兵として従軍していたアポリネールには未踏の戸口であって、これら二つは順にそれぞれヴェイジナおよびエイナスである。若い頃にこの詩を読んだ自分には、アポリネールはどうやら第八の戸口よりも第九の戸口の方にこそ重きを置いていたように思われ、前衛詩人の流石さに驚嘆したのだったが、今読んでみると第九のそれは単に慎み深く最後にそっと並べられたもののようにも見える。少なくとも彼はマドレーヌの二つの秘部には立ち入ったことは無かったらしい。変態は僕の方でした。ギヨーム、すまん。ウィキペディアに彼の肉声による「ミラボー橋」の朗読の音声データが上がっていた。
_ [戯れ歌] 千歳温泉14首。
寒気も今日までとのこと、風の強い中を1時間ほどウォーキングしてから電車で武蔵新城近くの銭湯へ出かけた。ここは露天風呂が黒湯温泉でまた炭酸泉も水風呂もある。露天が仕切られていてやや狭いが、良い湯処である:
<光の>と断りの付く春なれば 風の寒さや黒湯恋しき
「内省し続ける自分も好きだよ」と 風に吹かれてうそぶいてみる
軽車両の自覚の有らぬ自転車が 轢かれ掛けてもなお逆走す
かくとだに二足歩行が苦痛とや スマホに見入り歩くヒトども
かくとだに情報無きが怖くてか スマホに見入り歩くヒトども
かくとだに仲間外れは酷くてか スマホに語り続くヒトども
ブロンドを赤に染めたる麗人の フリースの背にプアゾン香る
名ばかりの 春に凍える人中で 我のみ汗す ウォーキングにて
昨晩は長寿庵にて蕎麦今日は 千歳温泉 オメデタキ吾
「今宵こそは飲んでいこうか」はや夜更け、おでん種でも買いて帰らむ
寒き月にも 興の有るなり 具を代えて 育てし汁(つゆ)の饐えず深まる
名ばかりの 春に震える車中にて われのみ汗す 風呂帰りにて
おでん種は 玉子 大根 なると巻 ちょっと迷って真蛸加える
あふりかの モーリタニアの海底は 明石に勝り蛸の渋滞
粗製乱造気味。最後のはスーパーの魚売り場でずっと思ってたことを詠んでみた。求めていた短歌のための文法の本が届いたのでしばらく懲りることなく書き付けていこうかと思う。雰囲気出すためにわざわざ使った古語が間違ってると恥ずかしいからなあ。ちなみに「かくとだに」はほぼ「あなたのことをこれほど(思っているのに)」という恋の歌で使われる言葉だということを後で知ったが、そうであればそれもまた良いのではと思ってそのままにしておいた。異論は認める。