RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
RSSフィード:https://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2025-08-12 [長年日記]
_ [音楽] Chagrin d'Amour
大学に入りたての頃、第二外国語で取ったフランス語の勉強に少しでもなるように、と、シャンソンやフレンチポップスを可能な限り聴くようにしていた。日曜のNHK-FMの昼間の番組に、フランスの曲を流すものがあって、エアチェックと称するラジカセで番組を録音する行為をたびたび繰り返していた。そんな曲の中に、旋律だけ思い出せてタイトルのわからない曲がある。以前、イヴ・ディティユとジャンヌ・モローのデュエット曲"L'adolescente"を再発見したという記事を書いたと思うのだが、その曲も元はこのようなFM番組でエアチェックしたものだった。今旋律だけ思い出した曲は、歌詞もほとんどわからない。ただ、同じ頃にNHK-FMで聴いた曲ということしかわからないのだ、いくつか、曲の特徴をプロンプトにしてChat-GPTと探りあっても、ちょっと正解にたどり着けない。古い曲なのでSoundHoundなどの鼻歌検索ソフトも役に立たない。ついに最後の手段に出ることにした。対象期間に発行されたFM雑誌を次から次へと調べていって、可能性のある曲を探る。おそらく国会図書館にでも行かないと閲覧は難しいだろう。その手間を考えると、メルカリその他でバックナンバーを入手していく方が多少は楽だと思える。そういうタルタロスの苦行をまたしても始めてしまったのだった。まあ今のところまだ1冊だけ入手して眺めてみただけだが、それでもいろいろな記憶がよみがえってくる。ポルナレフの『ラジオが気がかり』とかも流れていたのを確認して、ひそやかな手ごたえを感じた。おそらく対象期間は大学に入って間もなくの2年間の何処か、と当たりをつける。FM雑誌は2週間ごとの発行である。そんなことも忘れてた。当時200円台で売っていた雑誌を現在一冊600円程度で入手するとして、2年間分を最悪全て当たるとすれば6万円弱の経費が掛かることになる。どこをあたって良いかわからないのだから、しらみつぶしにするよりはランダマイズした方が当たるまでの期間の期待値は短くなることだろう。よくわからんけど、統計学者のロナルド・フィッシャーに倣えばそういう感じになる。まあゆっくりやるよ。それこそ2年くらいかけるつもりでね。そんなことをやり始めていたら、やはり当時聴いたフランスのアーティストの中に、Chagrin d'Amour(愛の悲しみ)という名前のユニットがいたことを唐突に思い出したのだった。Youtubeで確認してみる。ラップだ。そういえばフランス語のラップだった。CDは入手困難なようだが、Amazon Musicで聴けることがわかった。ぎゃはは、何だこのジャケット。ほぼヌードじゃん。しかも男女2人w アルバム買った。難儀な性分よのう。。。なんでもその"Chacun fait "という曲は、フランスで初めてのラップ曲で、お国ではずいぶん売れたとのこと。そんな画期に、青春であった自分が何だかいいなあ、なんて思った。探してた曲はまだ見つかっていないが、代わりに懐かしい曲が見つかったのでまずは良しとしよう。
_ というわけでここのホームページもいまさらながらSSL対応しました。証明書付きの変態ホームページにアップグレードしました。さて盆休みなので山尾悠子でも読もうかな。変態ホームページに山尾悠子様のお名前を書いたりして良いのだろうか。。。
_ …と、日記を編集しようとしたら久々に鯖エラが出てしまった。日記の設定が元のままだと編集内容が昔のURLに飛ばされてしまうせいだったらしい。直した。SSL導入もエラー対策も全部ChatGTPに教えてもらった。もう昔の不便な世界には戻れない。
2025-08-16 [長年日記]
_ [短歌・和歌] 『一握の砂』、石川啄木より。
作風を真似ようというほどでもないのだが、どう詠めば歌になり得るのかという調査のようなつもりで『万葉集』と石川啄木と釈迢空の歌を書きつけていたりする。万葉集は現在歌神・柿本人麻呂の長歌がずらずら並んでる辺りに辿り着いたところで、一首書き取るのにだいぶ時間が掛かる。あまつさえ枕詞だの歌枕だのを調べて万葉仮名の綴りまで書き写しているのだから鑑賞というより苦行に近い。しかしおそらく、賀茂真淵さんやら本居宣長さんなんかはもっと困難な状況でそれ以上の苦行を積んだに違いないし、彼らはそれを苦行などとはさらさら思ってもいなかったであろう。枕詞は、ある日突然使ってみたら面白いかな、なんて思ってる。「ぬばたまのヨルシカ」とか「いさなとり海原雄山」とか。あまり使う場面無いな。
釈迢空こと折口信夫さんは、万葉集をはじめとした古典の造詣の深さをベースにして作られる作品はどのようなものかと言う興味から。わからない歌も多いが枕詞なぞは無闇に使われていないことだけはわかった。そしてやはり石川啄木。何というか、それを肯定しているわけではないのだろうがネガティブなニュアンスの歌が多い。「うぬ惚るる友に 合槌うちてゐぬ 施与(ほどこし)をするごとき心に」とか「人並の才に過ぎざるわが友の 深き不平もあはれなるかな」とか。啄木さんにとっての友人とは何なのだろう。でも、有名な歌よりもこういう歌にこそ啄木さんらしさを感じて、何だか愛おしいと思えてしまうのであった。これらの三つの歌集の書き取りも、それぞれやっと百首を超えた。一人で勝手に祝杯くらいあげてもいいかもしれないな。自分の歌も先頃200首をやっと超えたところ。スマホで写真撮るよりは効率が悪いが自筆でかき残すよりは少し効率の良い想い出の記録法だ。
2025-08-20 [長年日記]
_ [現代湯治考] 本牧の銭湯へ。
実は今週、通ってるジムがお休みなのである。ヨーガは自己流で家でやるとして、筋トレはどうせ週最大2回なので1回くらいのブランクになるのも良いとして、問題は、ジムに行くまでの徒歩或いはスロージョギングの約30分という運動が無くなってしまうことなんである。そういう訳で、まず月曜は何度も行っている自宅から30分ほどの銭湯に歩いて出かけたのだった。で、昨日は行ったことの無いところに行こうと思い、終業後、元町・中華街駅まで電車で行った後、そこから1時間程度歩いて本牧の銭湯を浴びるという計画ででかけた。銭湯についたのは21時頃。なんと!その21:00がその銭湯の閉店時間なのであった。夜の本牧を歩くのは初めてだったからそれなりに面白くはあったのだが、このままでは気が済まぬ。というわけで今日は早めに仕事を切り上げてリベンジしたのでした。サウナも水風呂も薬湯も無い、しかしなかなかにレトロな銭湯。こういうところも嫌いではない。というか、嫌いな銭湯って今のところ無い気がする。本牧地区は、マイカーの無い自分にとってはちょっと行きずらい地区なのであるが、バスが通っているからあまり問題にはならないことが分かった。会社帰りの人々も根岸駅や磯子駅への交通手段として良く利用しているようだった。自分には、横浜の中にもいつか訪ねなくてはならないと思っているところがたくさんあるのだが、なかでも三渓園は季節の折々に訪ねたいところなのである。良いじゃないか。元町・中華街駅から1時間ちょっと歩いて三渓園を訪ねてスケッチをしたらその後銭湯によってバスで根岸駅か桜木町駅に行って軽く飲んで帰るとか。そういう可能性を感じた2日間の小さな旅であった。歩いたことの無い道を歩くとエンドルフィンが分泌されるから、これはまごうかたなき旅なのである。
2025-08-25 増山江威子『江威子抄』 [長年日記]
_ [音楽] 増山江威子『江威子抄』
そういうわけで増山江威子さんのCDを聴いているのです。お盆休みが終わってもまだ気分は夏休み。今日は蒸し暑かった。江威子さんはこのCDの中で「夜霧のハニー」と「ラブ・スコール」を歌っている。これがねえ、もの凄く可愛いんだよ!ハニーの凛々しさも不二子の妖艶さも無くてなんか幼女のような声。「さるとびエッちゃん」のテーマの歌い方で歌ってる(しかしエッちゃんには増山さんは出てないんですねえ)。こっちのほうが不二子の声なんかよりもこの人の地声に近いのかもしれない。「ラブスコール」は好きな歌で、いろんな人がカバーしてるけど、いや。もしかするとこの江威子さんの歌い方が正解なのかもしれん。すまぬ言い過ぎた。でも癖になる。←「いろんな人が」って書いてみたが、検索してみるとあまり出てこない。いろんな人にカバーして欲しいという願望が記憶を捏造したんだろうか。上坂すみれあたり歌っててもいいと思うんだけどなー。今、「ひとりミュージカル『或る女』」が流れてるんだけど、エロイなあww 本作、1980年にレコードで出たもの。
2025-08-27 [長年日記]
_ [秩父往還] 小前田から波久礼まで。
こないだの盆休みにはまた秩父往還の道を少し歩いたのでした。灼熱のお盆に、灼熱の埼玉。城跡を2つ訪ねたり五百羅漢+千体荒神を全部訪ねる少林寺の裏山を蠅にたかられながら上り下りしたりとか。真夏の埼玉の歩き旅というのは苦行感がいつにもまして強いなあなんて。でも今回、「五本指ソックス二枚重ねの計」が功を奏して足にはマメひとつできませなんだ。次の旅は9月だろうか。きっとまだ暑いだろうが、長瀞が近い。川で遊んでみたいなあ。
そういう夏の想い出を振り返りつつ、「ブラタモリ」のだいぶ前の録画の伊勢街道の1回目を見ていて、自分の東海道の旅のことを振り返りたくなって「今様膝栗毛」を眺めていた。誰このホームページ作った人。街道歩きの事何にもわかってないなあ。城跡には何にも残ってないから行って損したとか、お前ホントに何にもわかってないなあ、と昔の自分に突っ込んでみたり。27年くらい前の自分だ。それでも一応成人はしてたはずなのに。で、見てるうちに、先日思い出そうとして思い出せなかった小夜の中山にまつわる狂歌が書いてあったのでここに転載しておこうと思う:「一日に二度越ゆべしと思ひきや 命からがら佐夜の中山」(馬場金埒、狂歌師)ということである。多分当時参考にしてた東海道行脚のハンドブックに書いてあったんだと思う。なんかその旅をしてた頃によく見てた人のホームページへのリンクがまだ生きてたりして古い友人に会ったような気分になった。現在も東海道行脚している人々はいることと思うが、当時とはまた事情が変わったことだろう。東海道ルネッサンスの残滓は今も少しは残っているだろうけれど。