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2009-05-06 女心の不思議。 [長年日記]
_ [漫画・アニメ] やまだ紫さんがお亡くなりになったそうな。
この人の作品には高校の終わり頃か大学の入りたての頃に出会ったのだと思う。「ガロ」という雑誌に出会った頃。その頃の「ガロ」は漫画家に原稿料を払わないというポリシーだったと思う。単行本はとても丁寧な作りだった。長井勝一さんがやっていた頃。
同じ雑誌には近藤ようことか杉浦日向子とかも載っていて、この人たちの作品は当時のメジャー誌には載りようも無い特異な(と見えた)感覚に基づいて描かれていたように思われた。中でやまだ紫さんは、「性悪猫」の猫たちに託された微妙な心の動きや、「ときどき日だまりで」などに描かれた女性の物の見方というものに驚かされた記憶がある。それまでの自分にとって女性はボンドガールとかイデオンのカララさんとか原悦子みたいな男性目線で作られた表象だったのだろう。現実生活では当時付き合いのあった女性の考え方にいつも驚かされ、最終的には何も分からないままに離れていったという時期と重なっている。その人から贈られたのだったか、僕がその人に贈ったのだったかもう忘れたが、「性悪猫」という本のやり取り(やったかとったかのどちらか)が二人の間には確かあったはずだった。その頃の想いと重なって、以来その本を手元には持っていないと思う。ちゃんと掃除すれば出てくるかもしれないが。
そういうわけで、やまだ紫の作品は好きだけれど何か畏れのようなものも感じつづけていた。それでなのか、今、ああ、とうとう…、という幾分安堵したような変な感じがある。その頃に付き合いのあった彼女の訃報に接したとしたらやはり同じようなことを感じるのではないかと思う。彼女たちには責められるべきところは無い。女性と言う存在の大きさをあまりにも直接的に彼女らに投影してしまった私に落度があるのだ。