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2009-05-22 一週間オワタ。 [長年日記]
_ 長かった気がする。
入社1年目だけだった朝イチの出社を心掛けてひと月ぐらいだろうか?朝10時までが思考には一番いい時間のように思えてきている。早寝の習慣がなかなかつかないので、平日の睡眠時間は平均でぎりぎり6時間と言うところだろうか。これを切るともう創造的な活動はたぶんできない。
この休みの間にもいろいろやらなくちゃいけないことがある。家事に庭の手入れにそうじ力の強化に月曜の準備その他。
学会発表というのもある。正直ネタに詰まっているしそんな場合じゃない、みたいなのもある。
とりあえずあがいてみることにします。それであきらめるしかないならスパッとあきらめがついて、次を考えることができるんじゃないか。つまり、あきらめるためにあきらめないという。この姿勢はウルトラマンネクサスに教えられたような気もする。
_ 物の言い方にはよほど気をつけなくちゃあいけない。
自嘲的な言葉、シニカルな言葉、誤解を招くような言葉の裏には人情があふれている。そういうスタイルがずっと好みだった。たぶんそういうヒーローが活躍する空想の世界に耽溺していたためだと思う。
最近になって、やはり誠実な言葉を使うことが望ましいのだと気付き始めた。「どうせ自分は…」と言った自嘲的なことを言うとする。でも裏を返すと、本当はこんなに素晴らしいこともあるのだ、聞いてください、と言っているのだ。その本当に素晴らしいことを直接的に表明するのが格好の悪いことのように思えて、本来マクラであるべき自嘲的な部分だけが結果としては人に伝わることになる。そうしてその人がまたその自嘲的な部分を人に伝えて行けば、結果として自分のイメージが捻じ曲げられてしまったような状況が生まれることになる。
しかも、やはり人は自分が可愛いし、人より優れているか、あるいはせめて同等であることを心から望んでいる。現実がそうでなかったときには、そのギャップを埋めようとしてあらゆる手段に訴える。そんな行動の一つが、とりわけ人のネガティブな部分を強調し喧伝するという行動だ。その行動は時として、人に対する共感から出てくる場合があるからたちが悪い。「あなたの気持はよくわかるんですよ」という言葉もそう簡単に信用できるものでは無い。
会話はキャッチボール。だけど返球は思わぬ方向から飛んでくることも多い。だからいっそ、一時的に孤立を選ぶというのも賢明な選択であることを認めてほしい。それはいつでも人間の世界に帰ってこれる保証があるわけでもない荒行であるかも知れないが、それでも身が滅ぶよりはずっと賢明じゃないか。別に私がどこかに雲隠れしようと思ってるわけじゃない。念のため。
人と接するって難しいですよね。独りって楽だけど、たまにさみしくなっちゃうし。 <br>けど、いろんなわずらわしさ考えると、独りがいいなって思っちゃいます。。逃げなのかな。私の
淋しさと気楽さを天秤にかけてるんですよね。いろんな困難を一人で乗り越える方がいいか助け合いながら乗り越える方がいいか。。。旅は一人がいいと思った私はやはり前者なのでしょう。もちろん私だって一人で暮らしてはいても沢山の人に助けられながら生きてるのですけど。