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2018-04-20 [長年日記]
_ 夜ヨガ行った。
_ [読書] 『家畜人ヤプー』沼正三著、幻冬舎(アウトロー文庫)1999。
日記が空いてるので推測されてしまうかもしれないが、ちょっと調子を崩していた。そんな気分の中で寝床に入ると延々とこんな本を読み続けていたり三条知美の「少女菜美・第2章」読んでたりするなんて正気の沙汰とはいえないかもしれないが、まあ読んでた(ついでに「だがしかし」も読んだりして、やっとハジメさんが登場して先日入手した千葉秀作さんの"薄い本"の下元ネタ(←マジで間違えた。俺ってやつぁ…)がわかったとかいうのもあるが。。。)のだった。寝つきが悪かったのがかかる"悪書"のせいなのか、寝つきが悪いから読みふけっていたのかはよく分からないが、なんか角川文庫で読んだ学生時代に受けた印象とはだいぶ違う読後感だったのは、こちらが相応に汚れたせいもあるだろうが、後年の加筆のせいもあるだろう。これはなんだか愛の物語だ。と言っても、獣姦に通じるような変態性欲ではないし、異類婚姻譚のような許されざる二人の間の悲恋という訳でもない。彼らの間に成立する愛とは、厳しく分かたれた上下関係の間にのみ存在しうる愛なのだった。そこが、私の如き変態を詐称するに過ぎない小物には到底到達し得ない極北だった。読了して、彼らとの別れに喪失感を感ずる。こうなってくると、いたずらもののヤプー河童=ピューだの冒頭日本人・瀬部麟一郎を家畜人ヤプーのリンに落とし込む運命の引き金となる一噛みを彼に喰らわせたヤプーのネアンデルタール・ハウンド=ニューマ(これはもしや沼正三の沼に通ずる名だろうか。そして、すでにリンに先立ってイースの白人ドミナに仕える先達として冒頭から現れたのであろうか)も、あまつさえセッチンらですら、ある種捨てがたく思えてきたことであった。あとがきで沼氏は「妄想的な畜体造形については、画像化を期待したいところもある」とあった。残念なことに沼氏(細かく言うとヤプーの後半部分を描いた沼正三と呼ぶべき作家の少なくとも一人、ということになりそうだが、天野哲夫氏)は鬼籍に入られて久しいのだが、その画像化を現在せっせと実現しようとしているのが三条知美氏なのだ。続巻はやく出て欲しい。この後の読書はかなり毛色の違うものを一つ二つ読んだ後でちまちまと谷崎潤一郎に進む予定なのだが、並行して寝床で読んでいる『売笑三千年史』が読むほどに面白くなってきて(古文書の引用部分は適当に読み流してたりするのだが^^;)、現在の良き独居の友となっていてこの週末の眠気を誘う予定。