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2025-03-20 [長年日記]
_ 春分。
晴れている。変な夢を見ながら昼まで寝ていた。筋トレの後たっぷり炭酸泉に浸かったので、肉体があちこちを回復しようとしているのだと考えることにした。夢を自在に見る方法があれば習得したいものだ。差し当たり自分の想像できないことは見られないだろうから何でも見聞きしておくべきだろう。でも夢って大抵思いもよらないモノを見せるからなあ。ユングの晩年の夢とかちょっと気になる。
- "ふれあい"と云ふ語を"セックス"と云ひ換へ 黒木香はイタリアにおるか
- 瞳無き蒼き眼(まなこ)の猫等(ら)居り 玻璃巡らせる図書館の庭に
_ [読書] 「どうぶつ会議」ケストナー、トリヤー絵、岩波書店、1954/2021(岩波の子どもの本)。
この先何ができなかったからと言って後悔する事は、よくよく考えてみるとあまり無い。けれども、ケストナーのまだ読んでいない作品が残っている事は心残りになりそうだし、今後多少ボケてもケストナーの子供向けの作品くらいは楽しめるのではないか。という訳で読み始めた一冊。初めて読んだと思うが、子供たちと動物たちの遊ぶ見開きのページの絵には既視感を覚える。ケストナーがこれを上梓したのは1949年で、WW-IIは終わっている。人間たちのロンドン会議のニュースを見たライオンのアイロスが友達の象のオスカーや麒麟のレオポルトと話し合うところから物語は始まる。この虚構の物語は子供に向けて書かれたものには違いない。動物たちは世界平和のためではなく、子供たちの未来のために立ち上がった。子供たちのパートナーとしての動物達全てが、である。だから、絵本の中の動物達も動物会議に出かけるし、地殻を掘り進んでミミズも地球の裏側のケープタウンに向かう(間に合わないw)し、もちろんミッキーマウスもぞうのババールや長靴をはいた猫も会議に駆けつけるのだった。少々卑怯な手を使って、ただし人道上は妥当とも言える手段によって、子供たちの未来は守られることとなり、地球上からは国境が取り除かれるのだった。現実の延長上にはこんなことは起こり得ない。だからケストナーは子供に訴えることで未来を変えようとしたのだろう。この作には、そんな子供たちもやがて大人になってしまうという無力感も垣間見られる。自分たちよりも賢くなっていく子供たちを、自分達だけで育て上げることはできない、という限界に、作中の動物たちも気づいている。「動物たち」はいつまでも子供たちのパートナーではいられない…いや、本当にそうだろうか。現実の動物達の生活・行動を見ていると、教えられることはたくさんある。ファンタジーを超えて動物達が僕達に教えてくれる事は沢山ある。その中には闘争を避けるための知恵なども沢山含まれているのだが、そこはケストナーとは異なる誰かの得意分野だ。この本が出版された2年ほどのちに、絵を描いたヴァルター・トリヤーが亡くなっている。
_ 訂正。ケープタウンというのは動物会議と同時に開催されていた人間の会議の場所であり、動物会議の場所は、どこかにある、少なくとも北極からは巨大な氷山が溶けるくらいには赤道に近いところにあり、ミミズの住まいからは地球裏側にある「動物会館」、とだけ書かれていた。
_ - ブランコを漕げば必ず口ずさむ いのちみぢかし こひせよをとめ