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2024-10-04 [長年日記]
_ 「死ぬ準備」と称してあまりためにならず捗りもしない書付けばかりが増えていく。先日上野先生の"在宅ひとり死"の本を読んだのち、認知症関連の本を3冊くらい読んでいるのだが、症例の中には自分の実体験に似ているものがいくつもある。このことからは、自分も認知症なのだと思うこともできるし、認知症とそうでないものの間には連続性があるのだと考えることもできる。立って2歩歩くと何のために立ち上がったのか忘れているとか、ふと何処かに置いたものが次の瞬間にはそこに見つけられなくなるとか、必要と思ったものを買ったら家にはすでにあった、なんてことは日常茶飯事なのである。今どこかで診察を受けたら自分も認知症とされるのかもしれない。でも問題はそんな病名をもらうかどうかではなく、今の自分には何ができて何ができないかを把握することなのだろう。折しももう2学期が始まったので、また大学の通信課題を提出して面接授業も受けて試験に備えるしかないのである。覚えの悪くなる一方の頭で何とかやっていくしかない。あるもので何とかするしかないのだ。