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2010-05-16 こないだの下田街道東浦路1日目の画像。 [長年日記]
_ [下田街道] コメントは後で!⇒今日はもう6/4ですけど、遅まきながらコメント書いて行きますかな。
歩いたのは5/2。このまえ小鍋峠を越えてこの稲梓に着いたのが去年の4/12。まずは中伊豆の下田街道を歩き通すことに。
そうだ、一応言っとくけど、画像の上にマウスカーソル乗せると画像の説明が表示されるからそのつもりでね。
今回は重たい一眼レフを抱えて歩くのでうんざりしている。けど、見ろよ青い空、白い雲。そのうち何とかなるだろう。機材が良いと腕がなくてもそこそこ良い絵が取れるところが良い。使い方も甚だ怪しいのだけど。
で、米山薬師に到着。昨年もここを通ったときに気になっていたので今回は登ってお参りした。旅のしょっぱなで余裕かましてるわけですな。
すでに昇り降りでだいぶ疲れてるけど、下田街道の旅はまだ始まっていないのである。
マクロレンズとか持ってきてるわけじゃないけど、今回の旅では草花との出会いを期待してきた。そんなわけで、道端のレンゲソウです。
メモとかしなかったのでどこの国のものだか忘れちゃったよ。
五月の鯉の吹き流し。緋鯉と真鯉、どっちが上だか知ってますか?どっちでもいいんですよ。コイに上下の区別なし、なんてね。
「伝・茶々丸の墓」というべきなんでしょうか。入口が分からなくてだいぶ探しました。足利第11代将軍義澄の兄ということです。元服前に亡くなったので幼名のみがつたわっているそうな。お墓は韮山にもあるらしいです。
特に言うことはないっす。
実はここから藤原山を経由して蓮台寺に向かう山道を行こうとしたのですが、どうやら入口からして間違えてたらしいです。こういう踏み跡に従っていくと、南下してたつもりがなんと東に行ってたという…。
おお怖。伊豆は全くあなどれん、あどれなりん。
山道はまたの機会に蓮台寺側からアタックすることにして、下田を目指す。途中、唐人お吉が入水したというお吉淵。地蔵を建立したのはなんと新渡戸稲造先生だった。
蓮台寺あたり。今回の旅では下田観光のあと伊豆の東海岸に沿うように北上する。これが東浦路という下田街道の一部であり、黒船密航を企てんと情熱の旅をしたのが吉田松陰その人である。吉田松陰の癖は勉強するときに鉛筆の芯を舐めることだったとか。松陰、芯舐める。うそです。これはつぼイノリおの歌です。止めましょう、下品すぎる。
矢倉沢往還の御殿場から三島にかけての道にもこれに似た南無阿弥陀仏の名号を刻む塔を良く目にしたものですが、それは唯念さんという人が建てたものらしかったです。こちらの徳本さんは地元では「とっこんさん」なんて呼ばれているようですね。あちこちにあります。
画像右手にある特徴的な円錐形の山が、下田富士です。明日登るので詳しくはそのときに。
そういうわけで下田到着。2007年の5月頃三島を立ち、二本松峠のふもとで人生初のフォースト・ビバークをしたり、天城のあっちとこっちを行ったり来たりして大変エキサイティングな街道の旅は一応完結。あすは下田観光をみっちり。みっちりん、ニョリーン!←パニパニパーティーですな。
とても綺麗な写真ですね! <br>よい旅だったんだなぁ〜って感じられました
でもなんか携帯だとページが大きすぎてすべては見られないらしく。