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2005-02-16
_ 明け方に震度4くらいの地震。いつも本にうずもれて寝ている私だが、幸運にも本たちが崩れ落ちることはなかった。がその後眠れず今日は少し寝不足。会社に出る直前、実家の親から見舞いの電話があった。
_ [コンピュータ] 最小木できた。
結局一週間ほどかかったが、グラフの最小木を計算することがやっとできるようになった。ついでに最短経路を計算する良い方法はないかとCGALさんに尋ねてみたが、こちらは少々面倒くさいようだった。
_ [音楽] J.L.Ponti"Enigmatic Ocean"
以前Amazonで衝動買いしてしまったJ.L.Ponti”Enigmatic Ocean”というCDが届いた。ジャケットは懐かしい髭面のフランス男。聞いてみるとなるほどフュージョンにしても謎めいた音楽だが、その感強すぎるせいか、印象に残るフレーズがない。ポンティかなり初期の作品で、気負いと遠慮が見えるような気がする。一番好き、ではないけれど大事にしたい音楽ではある。
_ [漫画][アニメ] 「十二国記」「ふたつのスピカ」
夜中にむくむく起き出して『十二国記』(アニメ)。オープニング音楽はまるで大河ドラマだな、と思う。やっとこの世界に慣れてきたのにそろそろお仕舞なのだよな。小説読むか、もう数冊「積読」を消化してから。
『ふたつのスピカ』。久しぶりに「ヤー・チャイカ」という言葉を聞いてちょっと驚いた。「私はカモメ」。ソ連の女性宇宙飛行士テレシコワのコールサインと言っていたが、『ウルトラQ』で人工生命M1号が宇宙に放りだされたときに言った台詞でもある。『スピカ』のアイキャッチはちょっと野暮ったいが、今回からキャラが沢山出てきて期待大。アスミちゃん萌えは無いってことか。ま、主人公=狂言回しで全然良いんですけどね、私は。
_ そして今宵も「ハッチポッチステーション」が始まった。グッチさんの洋楽パロディは元ネタわかんなくても面白い。先週はKISSのパロディで「指から血がデトロイト♪湿布シティ」と歌ってた(デトロイトロックシティ)。今夜はビージーズ「ステイ・イン・アライブ」で「壊れたおんぼろクラリネット捨てーなさいー♪パッキャマラノパッキャマラノ捨てーなさいー」ですってよ、奥さん。裏声で。
2006-02-16
_ [食べ物・飲み物] 今日のミネラルウォーター。
一本目:ブルボン天然名水出羽三山の水
硬度46mg/l
Na7.5mg
Ca5.5mg
Mg2.4mg
K0.3mg
(100mlあたり)
*家で飲んでるトレビーノの水と大して違いがないような癖の無さ。
_ *バナジウムは、人体内でインスリン(インシュリン)に似た働きをする(血糖値を下げる)ので糖尿病に聞くといわれるが。口当たりは悪くない。私は糖尿ではない。
_ どうしてこう毎日日替わりでミネラルウォーターを試しているかというと、せめて水だけは旨いのが飲みたい、という状況にある所為。まだ詳しいことは言えない。
_ [読書] クレッチマー『医学的心理学 上』(続き)
用語に馴染みが無くてなかなか読み進めないが、少し馴れてきた。
メスカリン中毒の実験というのがあるらしく、「環界は眩いほど明るく輝いて調和にみち、色づき、立体性を増し、神秘を告げ、細部という細部が深い意味を持ち、周囲の人々の顔が役者のようにはっきり引き立ってくる」のだそうだ。全てを理解した、悟りが得られた、などと感じるとき、メスカリンなど用いなくとも、世界はまさにこのようになる。『賢者の石』でフィル・コリンズ、じゃなかったコリン・ウィルソン(←リアルにしばらく名前が思い出せなかったのだ)が書いていたValue experienceというのがまさにこれなのだろう、と思う。少しずつ面白くなってきた。
_ [食べ物・飲み物] ついでにペリエを一本。
今日は帰りがけに久し振りに銭湯に行った。いいな、銭湯はやはり。
家に帰ってきてから、ペリエを開けた。330mlの緑の小瓶もなかなか気に入っている。炭酸の強さもほどほどで、飲みやすい。
BSで「十戒」をやってる。特撮が大変稚拙に見えるが、当時としては画期的なものだったに違いない。現代の特撮もいずれは稚拙なものに見えてしまう時が来るのだろうか。科学技術の進歩と共に特撮やSF考証は急速に陳腐化してしまう。それが定めというならば、それらは常にそれらのパロディに凌駕されてしまう定めでもあるのだと言えるだろう。
2007-02-16 豊かな世界。学ぶ意義。先に進めない私。
_ 世界は多様で、そのことが世界の豊かさのあらわれであり、それがゆえに世界は生きるに値する場所である。
_ 世界には解かれるべき問題が一杯あって、そのうちの多くはすでに解かれてるにもかかわらずその解答を忘れられているし、更に多くは解こうとして解答にたどり着くための努力をなされながらどこまで解答に近づいたのかがわからなくなってしまっている。忘れられたそれらをとりもどすのが学習をするための動機であり、それゆえに学ぶことを意識しつつ生きなくてはならない。
_ 哲学はどの学問よりも身近な問題に答えなけらばならない使命をもっている。だから哲学は科学に対して、常に挑発的に問題提起をしつづける。科学はその挑発を真っ向から受け止めて誤謬に陥る確率の少ない方法論で定量的に答えようとしている。
_ ずいぶん長い時間をかけてたどりついたのはいまだそういったようなところ。要するに何もわかっていないし、これからのありかたに関して何のメドもたっていない。
普通は思考を停止して先に進むのだろうが、いい年して青臭い自分も今は好ましい。悩み続けるしかないのだな。容赦なく。
_ ううん、青臭いな。
2008-02-16 「エピクロス」
_ アタラクシア(心の平静)を失いがちの私は、今暇を見つけては日本の古本屋で購入した岩波文庫の「エピクロス」を読んでいる。
学生時代に読んでいたら、とつくづく思う。紀元前300年の哲学において、すでに現代科学的なものの見方が完成していたとしか思えない。
この人の哲学の流れを汲む人にルクレティウスがいる。学生時代にお世話になった教授が、おそらく「ものの本質について」に言及して、詩人の直観が現代科学を先取りすることに感銘を受けた、というようなことを言っていたのを覚えている。先生は2つの点で間違っていたのだ。まず、ルクレティウスは直観によって詩を書いたのではなく、エピクロスの哲学を詩によって表現したということだった。もうひとつ、そのエピクロスからルクレティウスへと伝わった哲学は、現代科学を先取りしたのではない。当時行い得るもっとも精細な観測と思索によって作られた哲学の内容を、その時代から現代に至る科学者たちが検証を重ねていったということだったのだ。物質の三体における原子の運動の在り方とか、光の性質、音の性質、時間とは何か、など。その中には当然反証されたものも多くある。が、特に物理学におけるものの見方はこの人の考えにかなり沿う形で発展していったように思えるのだ。20数世紀にわたる人の歴史の中で、技術の進歩は世界を物理的に大きく変えていったが、ものの本質に対する理解はそれに比べると非常に遅々としているように見える。逆に、現代人の理解はしっかりと古代人の理解したものに連結していたのだった。
2009-02-16 なんか記事がおざなりになってますけど。
_ まあ良しとしてください。
最近、NHK-BSの「やさいのようせい」をよく見てます。
レタスの精、すごく可愛いなあなんて思うのは我ながらだいぶ”怪しい”というか”幼しい”なあと思います。”幼しい”って、どう読むんだ?10年くらい前にネットで知って以来ずっと読み方がわかりません。意味だけわかるんだけど。
2011-02-16 「見て、僕の中のモンスターがこんなに大きくなったよ」−MONSTER−
_ 数年前に放送大学で受講した経済学入門の教科書を再び開いている。マンデルブロが経済学者であることをもっと早く知っていれば、勉強のモチベーションが上がっていたかもしれない。限界原理がさまざまなコスト関数を支配しているとまずは考えてみようと思っている。単純な関数の増減の話とたかをくくっていたのだが、考えを改めるべきなのかもしれない。
_ 人間を他の動物と峻別する特徴とは何か。情報を交換する手段が言語の原点であるとするなら、簡単な言語を持つ動物は人間以外にもいる。(あまつさえ寝言さえ言っていることがある、うちの奴らは)。高等な動物になれば快楽のために一見不合理な行為を行なうこともあるようだ。宗教は…あるかどうかはわからないが、自分よりも優れた存在や自分にはどうしようもない圧倒的な存在が自分以外に在る、ということは認識しているものがいるかもしれない。たとえば雷を恐れる気持ちなどは人のそれと同じく神の誕生の兆しであるかもしれない。そこに気付いた獣は、こんなふうに言い始めるかもしれない:「私には、自分に不完全なところがあるとわかっている。ということは、完全であるということがどういう意味かを知っているのと変わりが無い。その完全な存在のことを神と名付けよう」。自らの精神の存在に「意識的であること」。それだけが人間を他の動物と峻別する特徴であるのかもしれない。そのことを意識するや、人間は二つのスフィアに同時に存在することとなった…。精神圏という言葉を何で知ったのだったろうか。テイヤール・ド・シャルダンなる人がオーベルニュの歌を歌いながら説いた言葉であろうか。きっとSFに大きな期待を寄せた高校から大学の頃にかけて、百科事典で読んだ言葉ではないかと思う。百科事典に耽溺する時間は素晴らしかった。様々な図版を楽しみ、漫画のこともSEXのことも文学のこともみんな載っていた。50音の辞書順に並べたと言うだけで隣り合う項目同士には意味上のつながりが無いのが面白かった。検索とリンクによって参照されるWikipediaには無い楽しみだ。井上陽水も百科事典を繰りながら作詞をした。
_ さて怪物とは何か。怪物とは人間の姿をしているが人間では無いものである。怪物の特徴は、人間の恐怖心に付け込んで成長するところにある。社会現象としてのモンスターもしかり。「ただ乗り」の兆しでもあれば執拗に攻撃を掛けてきて、自らの正統性を示そうとする。
_ 一方、天使の使命とは「星を護る」ことなどではない。天使という言葉は、Qualty of Lifeを革新した者にこそふさわしい称号なのだった。
_ 「世界のドキュメンタリー−地下深く永久に。−」
「オンカロの最終処分場に近づいてはならないよ。」地下都市を想わせる巨大な施設の入口には、さまざまな言語で危険をあらわす警告が書かれる。これは不気味なファンタジーの一節ではどうやらないようだ。BR導入と共にドキュメンタリー番組を沢山録画するようになってしまった。世界を詰め込めるような記憶装置など在るはずが無いと言うのに…。
_ わかってるさ。今日は疲れているんだ。
2013-02-16
_ 今日の横浜は強風が吹き荒れている。天気は良かった。午前中はずっとうつうつとしていて毎週のヨガはおろか午後の英会話にもなんだか行く気がしなかったが、せっかく宿題もすましていたし外に用事もいくつかあるので出かけた。ビジネス英会話だったが、先生が先日雪まつりに行った話から始まって、結局は良い気散じとなって助かった。どうも調子良く興奮気味な期間と地べたを這うようなネガティブな期間が交互にあらわれている。俺の双極子は何デバイなんだ。1D(デバイ)=3.33564×10−30 C·mで水だと1.84D。倍くらいあるとしたら4DくらいでDMSO並みということになる。水にとけないいろんなものが溶けて混ざる。水の境地とは遠く隔たっている、ということを言おうとして良く分からなくなった。
_ [物理学] 「MIT白熱教室第七回」
いよいよ量子力学。だが今回の番組にはいろいろツッコミどころがある。量子論自体は現象の簡単な説明として触れられる。回折格子を使ったエネルギー準位の説明もだいぶ省略されている。何より目立ったところは、重要なシュレディンガーの肖像の代わりに誤ってボーアの若いころの写真が使われていたところだが、これはNHKの落ち度なのかもしれない。
不確定性原理について。「不思議の国のトムキンス」の引用であるが、動いているビリヤードボールを木枠に閉じ込めて位置の不確定性を制約すると、ビリヤードボールは木枠にぶつかりながら激しく向きを変える。つまり運動量の大きさは非常に広い範囲のさまざまな値を取る。不確定性原理はそのことを言っている。この原理をビジュアルに示すために、ビームをスリットで絞り位置の不確定性を小さくすると、そこから出ていく光子は様々な運動量(方向)に広がる。これは観察が容易で、古典的な回折理論とも整合する。神だってハイゼンベルグの不確定性原理に抗うことはできない、とルーウィン教授は結びに続けていく。この講義はおそらく2012年よりも少し前に収録されたかもしれず、ハイゼンベルグの不確定性原理を補正した小澤の不等式に関連したコメントは無い。今回の収録はさすがにこれまでとは違って、一般公開されてはいなかったもののように見え、聴衆はほぼ学生と研究者と言う風に見えた。次回、星の一生(最終回)。
_ ひとつ鍋届いた。

パッケージに書いてある地図はすごく縦長の北海道。良く見たら林子平図と書いてある。右側が津軽、左手にサハリン。

そういえばこういうお菓子だったかもしれない。蓋は木蓋だったかも。まあ人の記憶なんて曖昧なもんだよ。

中身。お餅も入ってべたべたと(←言っとくがこのフレーズはかなり古いぞ。ちゃんと調べたら渡辺の即席しるこのCMで初代三平師匠がやってて、このフレーズの後にはさらに『安くてどうもすいません』と続くらしい)。一口ほおばると、最中の香りは確かに懐かしい味。最中も餡もお餅も歯にくっついてしまう独特の食感も懐かしい。
「開墾のはじめは豚とひとつ鍋」依田勉三
「食んでみて 幼時の香なり ひとつ鍋」稽隆堂
2014-02-16
_ [コンピュータ] はじめてのWScript。
日付変わって「ももクロちゃん」も始まった。こんな夜中にエディタを開いてもぞもぞとスクリプトを書く。拡張子は.vbsだが、これがウィンドウズ・スクリプト・ホストWSHの仕組みを使った俺のほぼ処女作。
こんだけなのに動かすのに結構手間取ったのは、おそらく日本語エディタのエンコードの問題のようだった。興味ない人には興味ないだろうが俺はとりあえず今日は満足だ。
_ ↑起床してスーパーヒーロータイム見てるとこなんだが、上の画像はなんかブラウザクラッシャーに引っかかった人のデスクトップみたいになってるな。
_ [特撮] 烈車戦隊トッキュウジャー
はじまった。シャベルで戦う戦隊は轟轟戦隊ボウケンジャー以来かな。ピンク(トッキュウ5号)の武器は敵戦闘員をちっちゃくするんだが、そこをツンツンしてアリンコ潰すみたいにしてやっつけるピンクは非情の人也。そこそこ可愛い子が二つ結びにするとどうしてウザい感じがしてしまうのだろうか?トッキュウジャーはイマジネーションを力にして戦うのでなんでもありになってしまいそうな危うさを感じるが初回は結構良かった。昔の仲良しが、気が付いたら一緒の列車に乗っていたなんて、子供らしすぎるイマジネーションだ。
2015-02-16
_ [読書] 「仏典をよむ」末木文美士、新潮文庫、2009(読了)
著者のことは放送大学で仏教思想を(面接ではなく放送授業で)履修した時に知った。俺の仏教知識を改革してくれたものだが、この本を手に取るきっかけとなったのは身内の病気だった。その理不尽さに怒りを覚え、その怒りをどう処理して良いかわからずにいろいろな本を手に取ってみた。ひろ・さちやのわかりやすそうな本は気に入らなかった。その言うところがおかしいと思ったわけではないと思うが、これは好みの問題かもしれない。同じような理由で(つまり好みの問題と言うことだが)、中島義道先生のエッセイもあまり俺には助けとはならなかった。そもそもそういうことを目指して書かれた本ではなかった。たぶん誰かのために書かれたものではないんだろと思う。それから、旧約聖書のヨブ記とその関連の書物だが、これもまた創造主の存在を仮定することのできない俺には、ヨブの初期の怒りは理解できてもその解決は受け入れがたいものがある。ヨブの受難を信仰を試す試練と受け入れるためにはまず信仰が無くてはならないからだ。そして試練であるならばそれを乗り越えることには解決ということが伴わなくてはならない。実際(?)事件ののちのヨブは幸福な人生を送ったと聖書に書いてある。だがそれもまた俺には信じる根拠がなかった。むしろこの世界は苦難に満ち溢れていると最初から言われれば、そういうものなのだと納得することができる。それで仏典を読もうかと思ったのだがいきなり無理なので、この書が入門となることを期待したのである。おそらく、良い入門となった。だが、ポケットやカバンに入れたまま8か月ほどたってやっと読了できたから、もうカパカパだ。あちこちに付箋を貼り傍線を引いた。そのまとめをいまノートに書きつけている。高校か浪人の頃から、読んだ本はすべてなんらかのメモをノートにつけていた。しばらくやっていなかったが、またやることに意義がありそうな気がしている。ノートの名前は「乱読記」で、さすがに昔のものは無くなったと思うが、やっていることは昔と変わらない。ただ、字はすこぶる汚くなった。そういうわけだから、読後の感想とか引用とかはこの日記に書く必要はあまりないのである。
_ 水曜どうでしょう、第10回。オーストラリア縦断の最終日。面白いんだけどこいつらやかましいわ。こういう声で会社で爆笑されたりしたらかなわん。
2016-02-16
_ 素描。
フリクションペンで。今朝の電車のホーム。なんかスリムジーンズとコンバースが目に入って、いいなと思った。中学時代の同級生(女子)の夢見たのが微妙に影響していそう。別に好きな子だったわけでは無いが、都会で洗練されたらかなりの美人になるだろうな、と思った。
2017-02-16
_ 「千住クレイジーボーイズ」
見た。そうか、BLだったのか。比嘉愛美の言葉責めもっと聞きたかった。わりと良かったよ。見てて思ったのは、1時間の中にドラマを詰め込むということにはテンポの良さが要求されるんだなあ、ということ。この中に、千住と言う街の良さ、芸人の青春と挫折そして復活、シングルマザーの頑張りと周囲との和解、地元の元若者の今、といったざっと4つ以上は深堀のできるネタが含まれている。10回シリーズでねちねちと描いて行っても十分持つような内容だし、比嘉愛美や小池鉄平のような魅力あふれる俳優をもっと長く見ていたい、という気持ちにもなる。この1時間枠と言う制限は、作り手にとってはずいぶん大きな制約なのではないのか。
2018-02-16
_ 夜ヨガの帰り道、ふと思い出した歌がある。正調デベロン音頭。
検索したらニコニコ動画にあった。聴いたの何十年かぶり。あーこんな歌だったか。満ち足りた。。。デベロン音頭で回ってヒョ。
2019-02-16
_ 午前中、ちょっとした用事を終えてからジムへ。明日からジムはメンテナンス休業となるので行っておきたかった。終えて帰宅。電子光学系の本2冊、もう届いた。どちらも思いのほか美本で満足。
カーリング女子は中部電力が決勝に。準決勝は再びロコ・ソラーレ対道銀なのだが、時間がスーパーヒーロータイムとかぶってて予約が難しいという…。カーリングって集中してみてると頭が疲れてきますね。決勝は18:00から。
2021-02-16
_ 昨日はなんだか夜目覚めてしまい、王欣太『達人伝』とか鈴木望『青に、ふれる。』とか、ずっと昔に少年チャンピオンに載ってたのを少しだけ読んで続きが気になってた、つのだじろう『メギドの火』とか石川優吾『よいこ』なんか読んでしまって寝不足。なので計算の続きなんかできるような頭じゃなかった。メギドの火のラスト、意表を突いてたがあまり面白いというわけでもなかった。日中、ふと思いついてずっと使ってなかった湯たんぽを引っ張り出した。なので今はちょっと熱めな寝床。そうそう。ここ何年も敷布団というものを使わずに厚めの毛布の上に寝てたのだが、寄る年波には勝てずふかふかで洗える(はずの)敷布団を敷いている。掛布団もふかふかのやつなんだが、寝てると体温が上がって寝苦しいくらい。世間のやつらはずっとこんな贅沢な夜を過ごしてたのかと。いかん今夜も寝不足になるわけにはいかない。でもまだ読んでない漫画が枕元にある。。。
もうちょっと昨晩のことを書くと、 眠気を誘うつもりで「ラジオ深夜便」を小さくつけっぱなしにしてたのだった。うとうとしてるうちに、シベリウスのトゥオネラの白鳥が流れていたのに気づいた。それが全く、真っ黒な夜にはこれ以上相応しい音楽は無いと思わせるものだった。この白鳥は冥界の真っ黒な水の上に漂っている。昔からこの曲は好きだ。というかシベリウス全般が好きだ。だが次にかかった交響曲第5番は、一番最後の印象的な、間を開けて数回弾かれる短い和音の部分だけ覚えていたので、過去に聞いたことはあったんだろうけどほとんど未経験同様だった。もっとシベリウスを。トーンポエムだけじゃなくて交響曲を。まずい、目が冴えてきた。最後に、フィンランディア讃歌の合唱でコーナー終わり。確か魔窟の奥深くに、シベリウスの7つの交響曲を納めたCDのセットがあったはずだが、今年度中にたどり着けるかどうか?
2023-02-16
_ と言うわけで終業後にやはり銭湯へ。今日行ったところは初めてのような二度目のような。一度行ったことがあるとしたら多分昼間だったのだろう。帰り道。よく行くスーパーに立ち寄る。やはり生卵はほぼ売り切れで、お高いヨード卵が1パックとバラ売りのが10個足らず、温泉卵とゆで卵しか無かった。インスタント麺とかに入れることが多いのでいざとなったら温泉卵やゆで卵でも良いような気はする。自分で産んでみようと思ったのだがなかなか上手く行かないしなー。
_ ChatGPTというAIがなんかすごい、と言うのは数日前のNHKニュースで知ったのだけど、とある知人が早速アカウント取って試したら、自分で書くよりもあっさりグラフを描くスクリプトを生成してくれたとか言って見せてくれてのだった。誤りはほとんど無いし必要なライブラリまで探してくれて挙げ句の果ては丁寧なコメント文まで入れてくれて、良い人格のプログラマの仕事にすら見えてくる。もうAIに描かせた絵がトンチンカンだとか言って笑っていられるような時代じゃ無い。少なくともグラフレイアウトの調整で悩むような時代じゃ無くなることは確かだろう。助かるけど、仕事で使えるようになるにはハードルがいくつかありそう。
_ きだ [処女作おめでとうございます。普通"Hello World"ですが、さすがアヤシイ。(^^; 拡張子.vbsなら、フ..]
_ けい [うふふ。次はhogeとかfooとかもつかってJavaScriptも書いてみるわね。こうやってちょっとづつ妖しいシェル..]