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2015-02-16 [長年日記]
_ [読書] 「仏典をよむ」末木文美士、新潮文庫、2009(読了)
著者のことは放送大学で仏教思想を(面接ではなく放送授業で)履修した時に知った。俺の仏教知識を改革してくれたものだが、この本を手に取るきっかけとなったのは身内の病気だった。その理不尽さに怒りを覚え、その怒りをどう処理して良いかわからずにいろいろな本を手に取ってみた。ひろ・さちやのわかりやすそうな本は気に入らなかった。その言うところがおかしいと思ったわけではないと思うが、これは好みの問題かもしれない。同じような理由で(つまり好みの問題と言うことだが)、中島義道先生のエッセイもあまり俺には助けとはならなかった。そもそもそういうことを目指して書かれた本ではなかった。たぶん誰かのために書かれたものではないんだろと思う。それから、旧約聖書のヨブ記とその関連の書物だが、これもまた創造主の存在を仮定することのできない俺には、ヨブの初期の怒りは理解できてもその解決は受け入れがたいものがある。ヨブの受難を信仰を試す試練と受け入れるためにはまず信仰が無くてはならないからだ。そして試練であるならばそれを乗り越えることには解決ということが伴わなくてはならない。実際(?)事件ののちのヨブは幸福な人生を送ったと聖書に書いてある。だがそれもまた俺には信じる根拠がなかった。むしろこの世界は苦難に満ち溢れていると最初から言われれば、そういうものなのだと納得することができる。それで仏典を読もうかと思ったのだがいきなり無理なので、この書が入門となることを期待したのである。おそらく、良い入門となった。だが、ポケットやカバンに入れたまま8か月ほどたってやっと読了できたから、もうカパカパだ。あちこちに付箋を貼り傍線を引いた。そのまとめをいまノートに書きつけている。高校か浪人の頃から、読んだ本はすべてなんらかのメモをノートにつけていた。しばらくやっていなかったが、またやることに意義がありそうな気がしている。ノートの名前は「乱読記」で、さすがに昔のものは無くなったと思うが、やっていることは昔と変わらない。ただ、字はすこぶる汚くなった。そういうわけだから、読後の感想とか引用とかはこの日記に書く必要はあまりないのである。
_ 水曜どうでしょう、第10回。オーストラリア縦断の最終日。面白いんだけどこいつらやかましいわ。こういう声で会社で爆笑されたりしたらかなわん。