RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2009-02-03 『御伽草子 下』、読了。 [長年日記]
_ [読書] 『御伽草子 下』読了。
喉がしんどいんですけど、単に空気が乾燥してるせいですかね。
というわけで下巻も上巻同様テントの中で読むことが多かったので、カパカパに成り果てました。
<メモ>
『二十四孝』この話、初めてまとめて読んだが、老萊子の話だけは知っていた。七十になっても幼子の恰好をして自分よりも老いた父母の前で赤子のように泣いたりしたという。自分が老いたことを父母が悲しまぬように、そして父母が老いを自覚しないようにそうしたのだ、と書かれている。いつか機会があったら実践してみようかな。あと、三国志演義で諸葛孔明に馬鹿にされた陸績の蜜柑泥棒の話も出てた。
『梵天国』「さもいとけなきときよりも、月毎に、七日の歩みを運び奉りつる御利生に、今一度今生にて、姫にあはせてたび給へ。迚(とて)もの対面かなはずは、命を召して、後生の縁となしてたべ」音曲、特に笛の上手は荒き魂を鎮め、冒険に安全をもたらす。『御曹司島渡』でも同種の趣向があった。
『猫のさうし(草子)』「われは是天竺、唐土に恐れをなす、虎の子孫なり。日本は小国なり、国に相応してこれ(=猫)を渡さるる。その子細によって日本に虎これなし。」
『浜出草紙』「あらおもしろの谷々(やつやつ)や。春は先ず咲く梅が谷、続きの里ににほふらん。夏は涼しき扇が谷、秋は露草佐々目谷、冬はげにも雪の下、亀がへが谷こそ久けれ。/遥かの沖を見渡せば、船に帆かくる稲村が崎とかや。飯島、江の島続いたり。…」これは鎌倉の名所を織り込んだ歌で、唐糸草子の唐糸の娘の万寿も同趣向の歌を頼朝の前で歌っていた。「酒にあまたの威徳あり。うとき人さへ近づき、親しき中はなほ親しむ。遠近(おちこち)の、たつきも知らぬ旅人に、馴るるも酒の威徳なり。」これは酒飲みの自己弁護に使える言葉ですね。
『和泉式部』近親相姦もの。母と知らずに式部の気を引こうとした道命阿闍梨18歳くんの、恋の数え唄。「一(ひとつ)とや、ひとりまろ寝の草枕袂しぼらぬ暁もなし 二(ふたつ)とや、ふたへ屏風の内に寝て恋しき人をいつか見るべき 三とかや、見ても心の慰までなどうき人の恋しかるらん 四とかや、夜深に君を思ふらん枕片敷く袖ぞ露けき 五とや…」いかに聡明な坊主と言えど盛りのついた男の子の情熱たるや。口説かれたいという女性はこういう男の必死な滑稽さを見て満足を得るのでしょうか。
『浦島太郎』乙姫が出てこない!そしてなんと助けたカメが女房になる。パロディと言うわけじゃないんだろうな。玉手箱明けたら太郎はおじいさんになってから鶴になる。まあそういうわけで鶴亀だからめでたいんじゃないの?みたいな話。
『横笛草子』「人をとがむる里の犬」この言い回しもちょっと良いから、今度ウォーキングで犬にほえられたらつかっちゃおう。
『酒呑童子』「村岡のまさとき」なる陰陽師が登場。別のテキストでは阿倍晴明だったりするらしい。村岡某という人は聞いたことないよ。
頼光一行は酒呑童子のすみかへ、修験者の恰好で向かう。童子ははじめはかむろ頭の人間の姿で、血の酒と、捕らえた姫の手足を肴に一行をもてなす。一行はこれをためらうことなく口にする、とある。身分がばれないための苦渋の行為ともとれるが、鬼をも凌駕するツワモノとしての表現であるのかもしれない。まあこういう引っかかるところに新規な解釈をしてみてなぜそうあるべきだったのかを象徴として捉えてみたら多少評論っぽくなりゃしないか。別にそうでもないか。
2009-02-04 久しぶりにカレー家で作った。 [長年日記]
_ [食べ物・飲み物] つうかデリーのレトルトに冷凍野菜とガルバンソと鶏肉とピーマン炒めてちょこっと煮込んだだけなんだけどね。
今日はしらふで行こうと思うので、ちょっと古くなってるんだけど危険な香りのティー:その名もその名も「ベンガルスパイス」を牛乳で淹れてチャイにして飲んだらうまかった。ベンガルスパイスが新鮮ならさらにうまかったことだろう。
今週から東映チャンネルで「仮面ライダークウガ」が始まっている。これがオダギリジョーなの?なんかものすごく普通のお兄ちゃんでなんか脱力してる感じ。今みたいにオーラが出まくってる状態よりももしかしたら好ましいかもしれない。作中次第にみんなの知っているオダギリジョーに変貌していく姿が見られるのかもしれませんね。しかし、「アギト」のフォルムってかなりクウガを意識してたんですね。まあオレ、ヲタとしての基本ができてませんからね。
2009-02-05 シルバー假面 [長年日記]
_ [食べ物・飲み物] 今日も昨日と同じ晩御飯のメニュー。
ベンガルスパイスのチャイにはまってきた。しかし帰りがけに寄った横浜駅近傍のお店のどこにも無い。あと11杯しかない。しかし呑みきる前に飽きてしまうかもしれない。とりあえず牛乳がないと飲む気にならないから、カルシウム不足の自分にはちょうどいいかも。
夕食食べながら昨年頃に録画しておいた『シルバー假面』第1話を見てた。TVシリーズとの関連はほとんど無いと言っていいのではないだろうか?でも主人公のザビーネ(これがシルバー假面なのだけど、なんと森鷗外とエリスの間にできた娘w)が「(わたしたちの)ふるさとは宇宙」と言っていたこと(TVシリーズの『シルバー仮面』の第1話のサブタイトルは『ふるさとは地球』)、そして同第1回とこの第1話の監督がどちらも実相寺昭雄であるということこそ2作の内容の独立性を凌駕した強い関連に違いない。何を言いたいんだろ、俺。表に見えている事柄だけで相関を解析しても現れてこないような裏のつながりみたいなものが実はいろいろな事象の背景にある、と言いたいんだろうか?水面の蓮の花がひとつづつ色や形を違えていながら実は一本の地下茎で泥の底において関連している、というような。なんかナンセンス・コリレーションの逆みたいなことを言いたいんだと思うんだけど、自分のことなのによくわからない。そういう誤謬が、相関を調べる統計の中には存在しうるんじゃないか、なんてふと思っただけなんだけど。まあいいや。
_ contenttable1 [For most people heartburn is an occasional nuisance.; ]
2009-02-06 やはりベンガルスパイスしかない。 [長年日記]
_ DSCN4258 [Beauty is the first step towards attracting anyone.; ]
2009-02-08 手塚治虫のすべて。 [長年日記]
子供の頃から漫画が好きだった私は、大人になれば自然に、きっと漫画家になるんだと思っていた。でもある時に気づいたのだ。漫画にするべき、「描きたいこと」なんて持ってない、と。
だって、俺、
われし知れらば知らずともよし
だからね。表現者になるべき強烈なモーチベーションなんて大してないんだ。
2009-02-09 手塚治虫・現代への問いかけ:第1夜 [長年日記]
2009-02-10 仕事で知り合った人々と夜半まで。 [長年日記]
_ 「仕事で知り合った人々」なんてわざわざ言うからには、会社の同僚や先輩後輩ではないのですが、まあ似たような業界にいる人達と夜半まで飲んだ。
2009-02-12 質素な旅:第1夜 [長年日記]
_ [下田街道] 天城。
JR・伊豆箱根鉄道と乗り継いで修善寺。そこからバスで「鍋失」という停留所に。1/25000地図を見ると「鍋矢」と書いてあるが、たぶん間違いだろう。ここから今日は、「天城山往来雑記」にある「中けん業峠」というのを探しに行こうと言うのです。加えて、昨年来たときには崩落していて通れなかった古道を、もう一度たどってみようかと。写真バス停の辺りは踊り子歩道と交差していて、河津七滝に向かう歩道をまずは進む。歩道に入ってすぐ、「平滑の滝」があった。しかしながら日暮れが近付いているため、中けん業峠の立札(これは、HP「下田街道」http://kodou.lolipop.jp/index.html にその場所を探索した様子が詳しく描かれており、大変参考になりました。あと、古峠の位置も。)を確認して古峰に急ぐことにしました。御料地の石柱のあるピークはまた明日訪れることに。
2009-02-13 質素な旅:第2夜 [長年日記]
_ 詳細帰宅してからアップしますが、とりあえず昨日・今日と満喫してます。
圏外だったり電池切れたりしてアップが遅れましたが、無事です。 もっとも、危なげな経験も若干…。 まあ大丈夫です。 ではまた!四方を見渡しても昨日ほどには見通しが良くないようです。今日は雨になりそう。
- ・そのまま稜線を東に向かい、旧天城トンネル上の天城峠から二階滝へ。
- ・古峠から南東下り林道に至り、二階滝へ。
どちらにせよ二階滝(にかいだる)には行きたかったのですが、前者は距離としては遠回り、後者は距離的には短いがルートがわかりにくく沢に沿って降りる部分が不安。
でまあ、やはりそんな道行は非常に難しいわけで、結局林道に出ると、当初目標よりも300mほど西側に出てしまったのでした。どうやら途中うまいこと南東に走る稜線に乗ることができなかったようです。今日は低気圧が近づいてきているのに高度のキャリブレーションをしていないので、高度計の表示にもちょっと不信感を持っていたのです。それがこのささやかな失敗の理由と言えるでしょう。
困難はさらに続きます。林道の東の端が途切れているのです。でも414号線まではわずか。高度差も20mも無いようで、崖の表示も地形図にはありません。そこでどんどん林道を東進。すると、何と!というかやはり!というか。ちょっとした崖のようなところで道は終わっていました。下方をじっくり眺めてなんとか降りられそうなルートを、立木伝いに降りて行くと、今度は車道に並行する小さな涸れ沢に出ました。車道はその上3mほどを通っています。降りた地点に登る手がかりは無し。沢を登るか降りるか…地形図をにらんでいるうちに、どうやら少し降りたところで道沿いの沢が道と同じ高さになるところがあるようです。車道はそのあとヘアピンカーブ。ここしかないと思って降りて行くと、ようやく車道に登ることができました。道行く車の中から人は一体私をなんだと思っていたでしょう。。。素知らぬふりで二階滝駐車場に向かい、トイレ休憩。雨降りになっています。
二階滝駐車場のトイレで用を足して、ふと気付くと、腰にぶら下げていた歩数計が、取り付け金具を残して消えていました。さらに、500ccボトルを収納するケースのジッパーも外れて無くなっています。歩数計はともかく今後の道歩きに水は必要なので、応急処置。ジッパーのあちこちを糸で縫いつけてなんとか使えるようにしました。雨の中、冬空で縫いもの。近頃目がかすむようになったのに、糸通し器が不良品で先っちょの細い針金が外れてしまったのもイタイ。愚痴ってもしょうがないので二階滝へ行きました。
さてその登山口なのですが、なんだか見つからないんですね。手持ちの水も無くなってしまいましたが、自販機なんてありません。もうお昼。雨は降ったり止んだり。ここが登山口かな、と思しきところで、ここはもう小さな流れになっている河津川のほとりで昼食と言うことにしました。上流に人家も畑も無いようなので、生活排水などの汚染は無いのでしょうが、なにせこの鹿がいる。綺麗に見える水とても動物に汚染されていないとも限らないのです。そこで念のために、いざと言うときのために携えてきた携帯用浄水器が火を噴くわけです。これで越した水をさらに沸かせば恐らく十分だろう、というわけでお昼はサッポロ一番ピリ辛みそ味+サラミ1/3本、食後にコーヒー、全て河津川上流風味。ごちそうさまでした。
それにしても登山口が見つからないなあ。地形図に描かれていた道はこの辺だろうと見当をつけてよじ登りかけてみますが、とても行けそうな気がしません。仕方なく、川に並行する林道に戻ってみました。すると、地図にある登り口よりさらに200mほど先に、登山口の標示が…!おお、なんということだ。
ややあって、新山峠到着。1000m弱の標高です。ここを西に向かえば標高1056mの登り尾山頂。ここからのアップダウンもそれほどにきつくはなさそうですから、そのうちまた来ちゃうかもしれませんね。
それでもなんだかやはり地図に描かれているルートとは矛盾するような地形に出会ってしまったりして、ちょっと変だなと感じ始めたとき、ワサビ棚が見えました。これは少なくともかつて人がここに入った証拠には違いがない。もっとも、いつの昔かに放置されてあとは手付かずのワサビが自生しているだけかもしれないわけで。。。不安を感じつつも降りて行くと、沢にかかる木の橋を発見。ホッとしました。その後まもなく、目指す林道に出ることができました。どこともつかぬ沢を下りて行くと言うのはまことに神経が疲れるものと知りました。沢の怖さを何冊もの遭難本で読んだせいでしょう。
奥原の集落を過ぎて、今宵はどうしようなんてことを考える時間になりました。ちょっと探せば野営できそうなところもありそうな気がしたけれど、結構人目につくようなところばかり。仕方なく、バスで河津駅に向かい、あすまた戻って来ようということにしました。
河津駅に着き、駅近くの蕎麦屋で鍋焼きうどんとビール。すっかり夜です。おりしも河津は、2月に咲く河津桜祭りの真っ最中。でも春一番が吹きはじめています。今日はかなり荒れそう。野営地の候補に考えていた河津の浜に出てみると、かなり荒れていて波が兇暴です。浜も狭いので恐ろしいことこの上ない。あきらめて、河津川の川岸に出てみると、人通りもさほど多くはなさそうなのでここに野営することにしました。近くのコンビニでさらにビールと、山行で失った塩分を補給すべく塩辛い酒の肴など購入。
_ うにゃにゃ [おつかれさまでーす!]
2009-02-14 詳細そのうちアップしますが [長年日記]
_ 疲れてます。
二泊三日の貧乏旅行の予定でしたが、ものすごい低気圧&&春一番&&どしゃぶりにせめたてられて、今朝早々に伊豆急で帰ってまいりました。湯どころの伊豆にいながら温泉にもよらずに。
満開の河津の桜も春の嵐に散ってしまいそうな勢いでした。
天城の散策から帰って今、上腕の筋肉が痛いです。四肢をフルに使って山で遊んできた報いなんですね。
2009-02-16 なんか記事がおざなりになってますけど。 [長年日記]
_ まあ良しとしてください。
最近、NHK-BSの「やさいのようせい」をよく見てます。
レタスの精、すごく可愛いなあなんて思うのは我ながらだいぶ”怪しい”というか”幼しい”なあと思います。”幼しい”って、どう読むんだ?10年くらい前にネットで知って以来ずっと読み方がわかりません。意味だけわかるんだけど。
2009-02-17 [長年日記]
_ この日記、地図を貼れるようになりました。
この地図のマップは小樽市緑4丁目を中心としています。
小田観蛍という余り知られていない歌人の歌碑のあるあたり。ずっと以前、街道行脚に目覚める直前のお忍び小樽・函館旅行の時に訪ねました。
_ 「距離感のちかき銀河をあふきをり身は北くにに住みふさふらし」
2009-02-20 今日もお休みの日。 [長年日記]
_ これは自分の都合ではなくて会社の都合による休日。
大丈夫なのかね、わが社。
たまってた録画を処理しつつ、日記を更新しつつ。 土曜時代劇「浪花の華」は、なんとBSでは金曜にやっていたんだと知った。つうわけでわびしげなる休日に、栗山千明の凛々しさが光っている。そんだけなのよ。
昔祖父母の家のあった、ところを国土地理院のサービスで閲覧してみた。川の名前には昔よく知っていた場所の名が残っている。川沿いに発展したと思しき町から、山に向かって標高150mほど。
この辺、大した高山は無いにせよ、なにしろ山深く感じられる。等高線は入り組み、人家のしるしは皆無に近い。こういうところを歩くとなればどうだろう?
2009-02-21 再生。 [長年日記]
_ 「ガラス色の恋人」
そういうタイトルのドラマを視た。吹石一恵(=ウルトラマンジャスティス)がわりと好きで、土曜スタジオパークで宣伝してたので。この作品は沖縄ガラスに託した再生の物語だが、脳死状態からの臓器移植というデリケートな問題や蘇生術などが絡んでくる。ヒロインがもと看護士であったことには大きな意味がある。
心音によって恋が芽生えてしまう、と言う心理的のトリックを読むのは深読みなのだろうか。まあなんか久しぶりにこういうドラマを見たから感想文を残しとこうかと。
フッキー、もしや少し胸小さくなってないかな…?残念也。
2009-02-22 ちょっとずつスタイル変えたりして。 [長年日記]
_ 頻繁にやるとちょっとうざいかな?
tDiaryのいいとこはきっとこんな風にカスタマイズできるとこなんだろうと思うんで、今後もちょこちょこ変えると思いますが。こやって、ちょっとしたタグも使えるんですよね。使ってみるのがいわゆる手習い。あー日曜だなあ。あるいは
- こういう
- 風に
- 箇条書きとかも。
_ [読書] 「日本神話と古代国家」(直木孝次郎著:ノート)
以前読んだ時のノート。
- …神代の物語のはじめのほうに出てくるイザナギ・イザナミの話では、二人の間に最初に生まれる子は、水蛭子であったので葦船に入れて流される。イザナミは最後に火の神迦具土神を生んで死に、イザナギは剣を抜いて迦具土神の頸を切る。神武天皇は東征に際し、八十建を忍坂の大室でだまし討ちにし、ヤマトタケルは西征の帰途、出雲建を横刀(たち)のすりかえという謀計によって打ち殺す。…全体として見た場合、『記・紀』の「神話・伝承」は決して無邪気な、心あたたまる物語でもなければ、美しいイメージをかもす話でもない。…これが現在行なわれつつある歪曲の主要なタイプである。
- …日本の神話世界の主役であるアマテラスとスサノオとオオクニヌシの三神は、それぞれ(一)祭司(主権者)・(二)戦士・(三)生産者を表現し、三種の神器も鏡・剣・玉も主権と戦闘と生産を象徴しており、このみごとな一致は偶然とは思われない(…玉が生産を意味するのは、たとえば『古事記』の上巻…天照大神の頸にかけた珠が御倉板挙之神と称され、倉稲魂と同じ性格をもつとされることによっても知られる)。
- 吉田(敦彦)氏によれば、印欧語族の神話では、神話の中の勇士が印欧神話における三種類の社会機能である宗教(王権)と戦闘(軍事)と生産(生殖)の三つに対する罪を犯して没落する物語があるという…第一は…兄殺しと言う宗教的禁忌に抵触する第一機能の犯罪…第二は…刀をすりかえるという…第二機能の犯罪…第三は…美夜受比売(みやずひめ)は…月経中であることを告げたのに、「故ここに御合ます」とヤマトタケルは彼女と媾合した。これは生産に直接関係する性的な罪であって、第三機能の犯罪に相当する。
- 神話といえば、民衆の思想、民族の信仰をあらわすものと思われやすいが、また神話とは本来そうしたものであるが、『記・紀』にまとめられている日本神話はそうではないのである。天皇家による日本統一の確立という政治目的に奉仕するように改作された政治的物語なのである。
- …津田左右吉の指摘のように、八咫鏡や草薙剣などをさして神器とよぶことは『記・紀』その他の古典にはみえないことである。
- (神武天皇陵について本居宣長『玉勝間』の記述)そは畝火山の東北の方の麓につきて、天皇宮といふ祠のある山也、そこに字を加志といふ所あり、古事記にしるされたる、かしの尾上てふ名ののこれるなるべし
一応インストールできました。ただ、このNAMAZUってのは、誰かがインデクスを更新してあげないと新しい検索語を拾ってくれないんですよね。こんなときのためにCRONというのがあるんだそうだけど、使ったことない。そのうちね。とりあえず今のところ統計学からアニメまで検索可能です。でも平文が検索されるだけなので、検索結果を日記形式で読みたい人は日付覚えてまた日記に戻ってくるしかないと言う。。。汗
_ 追記:平文じゃないのね。
ちゃんと画像も閲覧できるじゃん。なんてすごいんだ、squeeze && NAMAZU ! 感動した。
まあ、別窓が開きませんから、日記に戻るにはブラウザの戻るボタンを使うしかないんだけどさ。
2009-02-25 なんかまた間あいちゃったな。 [長年日記]
_ 東京の真ん中に外出。
例によって品質管理っぽい議論を同業の人々と語り合う。苦し紛れのプレゼンはちょっと受けたのでうれしかった。
_ 17時に終わって、ちょっと神保町に寄るかと思ってぶらりと皇居の方に向かう。そういえばこの辺に将門塚があったんだと思いついてお参り。都心のここだけ、やはり周りと違う雰囲気がある。熊野湯の峰で会ったサイキック・プリーストとその連れの女性ならどう感じるだろう?しかしその雰囲気の理由の一つは供養塔の達筆のせいでもある。いかにも大いなる何かを供養するにふさわしいような字体に見えるのである。
_ まあそういうところをたまにたずねるのも悪くないと思う。この大いなる気によって小さいが無視できない多くの邪気を跳ね返すことができるのではないか、そんな風に思った。神田明神はそういうわけで、もとはここにあったのであろう。
2009-02-26 たたりじゃあ(←このフレーズ古すぎ) [長年日記]
_ 早起きして本日の会議資料を、と思って起きるとなんかお腹がめちゃ緩い。それに何にも運動してないのにふくらはぎの筋肉が痛い。
会社で仕事してるうちにだいぶ調子が悪いのだということに気がついた。顔が紅潮して、筋肉痛もひどくなってきた。
ふと事務所の壁に貼ってあるビラを見てみると、そこにはインフルエンザの兆候として筋肉痛云々と書かれていた。
明日からまた3連休。よんどころない会社の事情なわけだが、3連休をインフルエンザで過ごすのは悲しすぎる。
動けなくなる前に、と思って買い物してきた。鍋焼きうどんの類5食分、みかんとバナナ、DVD-Rとケース。DVDとまちがえてCD-R(←馬鹿)。カモミールとローズヒップのハーブティ。ハーブキャンデー。
前日、将門公の首塚に詣でたのを思い出して、ああ、まさか。なんて思った。
2009-02-27 とりあえず胃が痛い。 [長年日記]
_ 体調は昨日の続き。
とりあえず胃が痛いのだけど、いわゆる胃痛なのか筋肉痛なのかよくわからない感じで、あまり気にせずに果物とハーブティを取る。イメージにすぎないけど、栄養を取ってさらに水分を大量にとってウィルスを体外に流し出すようにしたらいいんじゃないか、なんて。まあどうにもならないような重篤な状態ではない。
静養しつつDVDの整理をしつつこないだファミリー劇場でやってたヤマト2総集編を見たりした。ストーリの破たんはなはだし。もうめちゃくちゃだな。ヤマトはホントに突っ込みどころ満載で、そういうところを突っ込みながら楽しく見るのが正しい鑑賞なのです。作り手は必ずしもそうは思ってなかったんだろうけど。
さて、覚悟して鍋焼きうどんを喰うか!
2009-02-28 どよーび。 [長年日記]
_ 体中の痛みはだいぶおさまった模様。
今の気分は、例えるなら二日酔いの朝。一滴も飲んでないのに胃がもたれてる。まあここまでくれば大丈夫だろう。
午前中寝てたら、大学院の頃住んでいた貧乏アパートの夢を見た。当時よりましだったのは二部屋使えていたことくらい。きっかけは忘れてしまったが、夢の中でマイルドセブンを買ってしまい、火をつけて一服してしまって後悔していた。現実の私は現在禁煙してから7か月経っている。中毒症状はもう全然無いはずなのに、それでもこんな夢を見てしまうのだから、喫煙習慣は恐ろしい。禁煙を続けていても、ニコチンレセプターは無くなることはなく、ただ蓋を閉じているだけなのだと聞く。その蓋を開けようとしてときどきニコチンレセプターがこんな夢を見せるのだろうか。寝て起きたらかなり調子が良くなってきていることに気づいた。二日酔いの午後位の体調。
_ [漫画・アニメ] キングゲイナー。
午後ちょっと出かけて、一昨日買い間違えたDVD-Rと、ブチルゴムテープを買ってきた。ブチルゴムテープは洗濯機のホースの補修のため。数年前に補修した部分が、テープの経年変化でまた破れていた。塩ビテープ→ブチルゴムテープ→塩ビテープで三層巻きつけて補修終わり。この休みほとんど唯一の生産的活動だ。あとは養生しつつ数年前に知り合いからいただいた「オーバーマンキングゲイナー」視聴。16話くらいまで。白富野、楽しい。「ブレンパワード」「∀ガンダム」と合わせて白富野三部作とか呼ばれてるんだそうで(∀は"すべて"をあらわす数学記号)。最近ザブングル→ダンバインと放映が続いてるからそのうちかかるんじゃないかと言う期待。
キングゲイナーはエウレカの吉田健一が作画監督。この人のキャラは明るいストーリーには非常に良く合う。オーバーマンはモビルスーツをもっと有機的にした感じで、コクピットも服のジッパーみたいに開閉する。オーバースキルという能力を使うのが"オーバーマン"の所以だが、消える能力とか時を止める能力とか、いわゆる「禁じ手」だ。禁じ手を堂々と導入してそれをいかに攻略するか、というのも毎回の見せ場のようになっている。永久凍土の地から"ヤーパン"へのエクソダスは、イデオンのスペース・ランナウェイ(因果地平への逃走)の、映画でも描かれなかったもう一つのありえた姿、と思う。
- 『ヒストリエ』第5巻、岩明均。
第4巻読んだのいつだったけ。ストーリーつながらないのはたぶん記憶が消えたせいだろう。エウメネス故郷に帰るの巻。アレクサンダー大王との関わりはこのあとということだろう。この人の書く人の表情からは心が読めない感じ。『寄生獣』の印象が強すぎるのだろうか?
-
『へうげもの』第8巻、山田芳裕。
最初はあまり好きじゃなかったんですけどね。大名物がどうしたとか茶の湯とか全然興味が無いもんで。今はかなり好きな作品になってきてる。細かいクスグリがいっぱいあるところも魅力なんだろう。歴史上の人物の解釈の独自性を強く出している。家康が質実剛健な田舎者であったり、加藤清正が具志堅用高そのまんまで「ちょっちゅね」とか言ってたり、伊達政宗が芝居がかりすぎてたり。こういうキャラ作りは山田さんの漫画には最初からあったように思う。今でも「大正野郎」も好き。
-
『ヴィンランド・サガ』第7巻、幸村誠。
クヌート王子は非情なる王の道を歩み始め、アシェラッドの生い立ちのごときが示される。ということで、トルフィンの主人公性がちょっと薄れてる感じ。
-
『ヌイグルメン!』第1巻、唐沢なをき。
タイトルとか表紙だけでこの人の本を選んではいけないことがわかった。つまり全て買いなのだと(ということは、『犬ガンダム』とかも読んでおくべきなんだろうか。。。)。実に勉強になる漫画だ。スーツアクターというのはものすごく大変な仕事で、はじめて着て「動いてください」とか言われても手足をバタバタさせるくらいしかできないらしい。仮面ライダーみたいに特異な造形をできるだけ人間型で表現するようなスーツの場合、理想的なのは、外から見て人がもう一人入っているようには見えないような造りのはずだから、そこに入っている人にとってスーツの中と言う環境は劣悪極まりないに違いないのだ。言われてみないと気付かないもんだなあ。
-
『カブのイサキ』第1巻、芦奈野ひとし。
『ヨコハマ買い出し紀行』が終わって、そのあと一体どんなのを描くんだろうかなんてちょっと余計な心配をしていたのだけど、この人の中では、言わば「空想未来神奈川漫画」というようなジャンルがすでに確立していたみたいだ。理由はわからないが(そしておそらく今後もストーリーの中でそれが説明されることはないんじゃないかと思うのだが)、地表の大きさも高さも10倍になって、飛行機がちょっと出かけるための足になる(表題の"カブ"もそういう名前の飛行機)という話。というわけなので、三浦半島最高峰の大楠山は2000m級の山になり、大山は大きすぎて頂上が見えない(12000mくらいになっているんだろう)。ケーブル駅のあったところではこの時代でも大山豆腐を売っていたりして。とてつもなく異常な世界を当たり前に受け入れて、さらにその世界への人の想いの方に物語の主眼がある。当り前の「世界への人の想い」だけでも多くのすぐれた物語ができるのだから、そこに世界の在り方の数だけのバリエーションがあれば、単純な組み合わせだけでも元に倍するすぐれた物語が誕生することになる。まして世界と人の気づきの間に相互作用があるのだから、或る有り方の世界でしか気づけないことがらが、やがて発見されるかもしれない。そういう可能性が、空想の物語にはいつも内在している。
-
『凌鬼の刻』天竺浪人。
おまちかね(ですか?)、エロ漫画です。この人の単行本、おそらくオレ復刻版以外は全部持ってると思う。当初から倒錯の性がテーマだったのだけど、異常で鬼畜な状況を描けば描くほど現実の事件に類似してしまうという悲しさがあったりして、しかも描けば描くほど作品は"抜けない"ものになってしまうという悲しさもあったりして、ホントに後書きが泣けてしまう。でも頑張ってください。天竺さんの漫画で抜くとか、もうどうでもいいんです、オレは。
-
『プルートゥ』第7巻、浦沢直樹×手塚治虫。
「×手塚」とか書いてあるのは、平成仮面ライダーシリーズに原作石ノ森章太郎と書いてあるのと同じようなもんだろう。プルートゥがちゃんと姿をあらわしたのはこの巻が最初かな。実は自分はちゃんとした「アトムの子」じゃなくて、というのは鉄腕アトムを原作でほとんど読んでないからなんだけど、浦沢さんのこれを読むたびに、やはり一度はちゃんと読んどくべきなんじゃないのかと思う。次の巻はついに完結らしい。6月頃発売予定。
- 『ファイアキング』第3巻、王欣太。 画力は相変わらずすごいと思うのだけど、やはり自分はストーリーを読むのを好むタイプなのだろうな、と思う。たぶん展開が自由すぎるのが好みに合わないのだろう。
_ そういうわけで、相変わらず漫画には救われている人生だ。しかし、漫画家にならなくて良かった、とも思っている。せめて気に入ったものは買って読むようにして、印税収入に貢献させてもらおうかと。そういうわけで人に貸すのもなるべくやめるようにします。
_ うにゃにゃ [鉄か・・しっかりというか硬いのはいいですよね]
_ けい [硬くてゴツゴツしてます。 熱いうちに打て! なんかそういうことでいいですか?]