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2022-03-08 [長年日記]
_ 『あつまれ!ふしぎ研究部』13、届いた。明日になると思ってたので幸せ。そうだ、最近会社の先輩さんが矢野和男さん唱えるハピネスの考えのトリコになってて何かと影響を及ぼそうとするのである。それで『予測不能の時代』というのを県立図書館で(横浜市立図書館も川崎市立図書館も予約がいっぱいだった)借りたのが先週末。まだ半分くらいしか読んでないけど、最終章は何故か易の話だったので、話の種に、昔作ったホームページのコンテンツを使って自ら占ってみた。たまには面白い。易経に、何回も占うと卦が穢れる、とある。とあるルールで決めた検査を、合格するまでやり直すと検査の厳しさが緩くなってしまう、という抜き取り検査の話に似てるなあなんて思った。矢野さんの主張をものすごくかいつまんで言うと、未来を予測することはどんなにデータを積んでもできないから前向きに行動するルールを16通りだか64通りの中から選ぶと良い、ということらしい。そうだなあ。ヨーガのインストラクタ先生も、私たちは幸せになるために生まれてきました、なんて言っていて、やはり未来を予測することはできないとか私たちは水のひと雫のようなものだとか、似たようなこと言ってた。人間って全然進歩してないなあと思う。真理は遠い昔に既に見出されていて、科学技術の進歩でさえその真理をその論理構造の上で証明しようとしているに過ぎないのだろう。きっと答えはもうある。それが正しいかどうかを論理で証明できていないのと、その真理の本意は忘れられている、というだけのことなのだろう。二進法を研究したライプニッツは易に感銘を受けたらしい。そのことと、擲銭法で占う易のことが日本語訳に書かれているディックの『高い城の男』のことは、学生時代に読んだ荒俣宏の『理科系の文学史』で知った。その『理科系の文学史』を知ったのは、中国文学の中野美代子先生の講義の中でだったっけ。