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2005-03-08 鼻がぐすぐす
_ 花粉症になるとは思わなかった。鼻ぐすぐす、咳出て熱っぽい感じ。おまけにおなかがゆるい。
これは花粉症なのか?風邪じゃないのか?それとも両方いっぺんに発症してるのか?
わけわかんないけどエキナセア茶飲んでがんばる。植物には植物で対抗するしかない。
2006-03-08
_ [食べ物・飲み物] ベンガルスパイスがあと17パック
なるべく飲むようにしよう、決して捨てるまい、などと思いつつも奇想天外な味に泣きそうになりながらベンガルスパイスを飲んでいる。まだ17パックも残っている。この飲み物はどんな食事にもおやつにも合いそうにないな。シナモンの甘い香りと舌を刺すようなぴりりとした味。漢方薬です。
_ [食べ物・飲み物] ベンガルスパイス・続
わざわざコンビニに出かけてミルクを買ってきました。 コッヘルで一杯分を暖めて、ベンガルスパイス一袋を置いたカップに注ぎました。もともとの強烈な香りはミルクの乳臭さと混ざって、若干マイルドになったような気もしますが微妙です。そう言えばこんなのインド料理屋で出てくるような気もしますね。 マドラーで混ぜ混ぜしつつ約3分。 猫舌なので良くフーフーして。_ ではいただきます
_ ごく…
_ …ン?
_ もう一口ごく…
_ …
_ あ
飲みやすいですね、これ。砂糖無しでも適度に甘いし。うん、これはイケます
_ さあみんなもやってみよう。ベンガルスパイスはCelestial Seasoning(輸入者はオーガニック・ギルド(株))のハーブティです。
_ まあ味の好みは人それぞれですから、お口に合わなかったら堪忍してください。
2008-03-08 またしても昼から蕎麦屋で。
_ 昼から蕎麦屋で飲む会。昨年末から3回目。今回は女性ゲストが参加。
同じ面子で飲み続けるというのも3度目くらいからすでにマンネリになりつつあり、店のメニューもあらかた食いつくした。これからどうなるのか。酒から離れたがっている自分、というのもここにいる。
2009-03-08 昨日からHPに手を入れてる。
_ 全体の構成に関わる変更なので公開はまだ。
とりあえずフレームを排することに決めた。グーグルとかnamazuとかで変なページを抽出されてしまうため。これは、見られたくないページにタグを書き込んだところで解決にならない。
ので、cssでフレームっぽい画面分割をしておいて、各分割にphpで書いたcgiを呼び出すようにするという技。そしてphpのファイルに前述のメタタグを貼っておけば大体なんとかなるんじゃないだろうかという目論見。
マンホールのところが充実してきた。けどまだ未公開。
2013-03-08
_ AC電源つきのUSBハブを使ってるのにこれにつないでるハードディスクにPCのバックアップを取ろうとしてもうかれこれ3日ほど失敗続き。これはもしやなにかの前兆なのでは。今日は暖かかった。というか、昼休み外に出て歩いてたら日差しの当たった後頭部が暑かった。もっとも、髪の厚みが無くなってきてシールド効果が薄れてきたのも理由の一つだ。そう考えると今年の夏は熱中症にはよほど気をつけなくてはならないと思う。そんなときに北海道は厳冬なんですかね。地元の皆さん、どうか日々お気をつけてください。
_ なんとなくキッズステーションのルパン三世(第1シリーズ)見てるんだが、やはりこのシリーズの峰不二子が良い。第2シリーズはバストの形がカッコ良過ぎて遺憾。声も二階堂有希子のほうが実在感が薄くてファム・ファタルっぽいとこが好き。そっかー、この人、忍風カムイ外伝のスガルの声もやってたんだな。そうだ、カムイちゃんと見てなかった。
2014-03-08
_ ニコニコ動画からのおすすめ動画がひどすぎるw
_ 午前中うとうとしながら床で真打競演を聞いてたら、江戸家猫八・小猫の親子のものまねがはじまった。マダガスカル島に棲んでいるワオキツネザルは鳴き声も「ワオ」だと言ってた。親子で猿のモノマネをやると、狂言の猿以上にものすごいことになる。
2015-03-08
_ 野犬の群れが共食いをしている。早くこの世界から逃げなくてはいけない。
_ [読書] 『海を見たことがなかった少年』ル・クレジオ、豊崎・佐藤訳、集英社、1988。
そういうわけでこの中の「空の民」だけ読んだ。プティト・クロワは崖の上のくぼみに終日空を見上げて座っている。まず、光がやってくる。彼女はそれを「小さな馬」と呼び、一緒に連れて行ってと歌う。次に雲が来る。雲は小さくはないが、そういうと雲の機嫌を損ねると思っているのでやはり「小さな雲」と呼ぶ。彼女には大きな謎がある。老人バティに教えられた海の青とはどんなものかを知りたいのだ。バティは、青は一つではなくいくつもの青があるとプティト・クロワに教える。彼女の住む土地は海からは遥かに遠い。そして蜜蜂たちがやってきて、彼女に様々な花のことを教える。それから風が来る。彼女は風を捕まえれば空のただ中に飛んでいくことができると思っているが、風たちは彼女の言葉に立ち止まりはしない。それから蛇が来る。彼女は蛇たちが体の上に這い上がることを怖れはしない。そして、一人の兵士がやってきて、見知らぬ土地の話や海の話を彼女に語る。彼の捉えている世界とプティト・クロワの感じている世界には微妙な齟齬がある。その時、空を、ストラトフォートレスという飛行機が飛んでいく。ボーイングB-52、ジェット爆撃機である。ストラトフォートレスとは「成層圏(stratosphere)の要塞」と言う意味である。兵士は明日朝鮮に渡る。彼女にはそれを告げない。この短編集が書かれたのは1978年、朝鮮戦争は1950−1953年、ストラトフォートレスの運航は1955年からとのことだそうだから、兵士はストラトフォートレスに乗って朝鮮戦争に臨むというわけではないのだろう。そして、ついに、青空の向こうから太陽よりも強大な「サカゾフー」がやってきて彼女は恐怖する。サカゾフーは青い大きな星であり、これが村に降りてきて踊るや、村は戦禍に巻き込まれるのである。プティト・クロワは思う。なぜ人間はそれを望むのか。水木しげるならここで「ほほうこれは妖怪ですな」とか「戦争は遺憾です。腹が減るだけです」とかいうのかもしれないが、プティト・クロワは一声叫んで立ち上がり、そしてそれからあとは一言も発さずに村へと駆けだすのだった。
_ [特撮] 手裏剣戦隊ニンニンジャー。
モモニンジャーの百地霞こと山谷花純、ちょっと佳子様に似てないか?まあ俺の見立てはなかなか人に賛同されないのだが。そう思ってみればこその妄想三昧ではあるまいか。まあ佳子様もギャル語(笑)の使い手だと聞いた。単にいまどきの若い女性の見分けがつかなくなってるだけかも知れぬ。いやそうに違いない。そうに決まった。霞ちゃん、モモニンジャーって言ってるんだろうが「モーニンジャー」って聞こえる。結局みんな滑舌悪いってことか。そういえば確かに「モモ」って言いにくい、ってことは菊池桃子も昔ラジオ番組で言ってたという記憶がある。なんか大脳皮質の活動が低下してきて昔の記憶がどんどんよみがえってくる。老兵は猿の実だな。あれは去るのみ、か…。アカニンジャーも「手裏剣変化!」て言えなくて「すりけん変化!」とか言ってる。十六夜九衛門は自分の事ボクって言う。潘めぐみがボク少女やってる。そういえば高校の頃周りにはボク少女がたくさんいたな。あいつらどういうつもりだったんだろう?でも嫌いでない。でもばあちゃんの中に自分の事「俺」って言い出す輩がいるのは、あれこそどういうつもりなんだろう?爺さんが自分の事「あたし」って言ったりするのもある。そうか。みんなTSしたいのか。いやぁん♡ニンニンジャーのヘルメットの側面には手裏剣のマークがついてるのだが、これが怒筋(こめかみに浮いた血管の漫符)みたく見えて、戦闘シーン見てて気が散る。ラストにガシャドクロ登場。水木しげるさんなら言う!「ほほう、これは妖怪ですな」そうだとも。
_ 三ッ池公園に来た。もう桜咲いてる。つうか散り始めてるし。
そういうわけで久しぶりにご近所をウォーキングした。雨上がりのせいだろう人は少なかった。2009年ころのゴールデンウィークはいろいろあってご近所の散歩ばかりしてた。今日はこのあとさらに筒粥神事で少し有名な師岡熊野神社にも行った。ホントは正月に来たかった。社殿を見てると、熊野地方への旅に行きたいとしみじみ思う。まだ新宮詣でてない。社殿の裏山は師岡貝塚跡。ここも縄文海進の頃は我が家同様に海沿いの陸であった。今も高台を通る道でつながっているから、縄文の人々もほぼ同じ道を行き来したのだろう。「港北区史」にもこの道は相当古いと書いてあったが、そういう古さだとは想像しなかった。現在の大倉山駅も菊名駅も綱島駅も東神奈川駅も、その頃は皆海の底でせいぜいワカメかハマグリの漁場だったことだろう。まるまる2時間、14000歩ほど歩いた。天候の変化や体調の変化を感じながら歩くのは、やはりトレッドミルの上を独楽鼠のように歩くのに比べるとずっと良い。人を相手にすることなくただただ自分と地形と天候だけを感じて生きて行くことができるならどんなに良いだろう。それで天涯孤独になるというなら天涯孤独で結構だ。孤独なんてちっともさみしいことではない。
_ 晩飯、麻婆丼。
特別な麻婆丼。辛いんだから。だが他にも特別なことがある。何が特別かと言うと、麻婆豆腐をどんぶりに入れただけ、ということ。つまり飯は無い。
温暖な気候になってきた。そろそろ食生活も春向きに変えていきたい。そういうわけで、そろそろまた豆腐のネバネバーネの季節だ。
2016-03-08
_ 今日の首都圏は濃霧。とべなかった飛行機もあったとか。気分悪し。
_ [物理学] ランダウ力学
先週不審に思ってた時間の完全微分の省略について。結局、省略しないものもしたものも、ラグランジュの運動方程式を作ると完全に一致することを確認できた。一般の場合を考えておくと、後々捗るのではないかと思う。ここ数日、できないことばかりだったが、無力感に対抗するにはこんな小さくて地味なことをやるより俺には他に無いのだと思う。それは必然的に車輪の再発明にならざるをえないのだろう。だが、誰かが正しいと言ったことをそのまま受け入れられるような素直さが俺には無い。俺は基本的に懐疑主義で誰一人、何一つ信じてなどいないと言ってよいかもしれない。ただ、何も信じていないと考える自分がいるだけで、その自分だって全幅の信頼を置けるような存在ではありえないこと。それは自分が良くわかっている。そんな自分の意識だけが宇宙の中心に蓮華座で骨盤を立てて座っている。そう考えたところで自分にとっても他人にとっても何も悪いことはおこらない。そのときだけは少なくとも平穏でいられるのだ。
2019-03-08
_ 晴れたが、正に早春賦の季節。春は名のみの風の寒さよ。この歌は長野の安曇野と関係があったはずだ。塩の道・千国街道の旅で知った。
_ 今日の夜ヨガは特に腰の伸びにアプローチしていた。花粉症対策に何とかと先生が言ってたのだがすっかり忘れて没頭してた。帰宅すると、郵便受けに書簡が2通、それから、またしても本が入っていた。もう誰の仕業だか知ってるぞ。はい、俺っす。佐保田鶴治先生の続・ヨーガ根本経典。書簡の1つは科目登録の通知。放送授業の非ユークリッド幾何学は受けることにほぼ決まっていたが、1つくらいは落選するかと思っていた面接授業は申し込んだ3科目とも登録決定となった。3つとも6月中には終わるので放送授業の試験勉強の時間は多分十分あるはずだ。と、今は思っているのだが。。。
2020-03-08
_ 雨なのでウォーキング行けず。『映像研には手を出すな!』EDの「名前のない青」にハマる。バンド名「神様、僕は気づいてしまった」。ボーカル、男性かもしれない。どちらでも、とても良い声。
_ 夕方ジム。人が少ない。何でも市内のジムで噂のコロナ罹患者が出たとかで。ヨガクラスもお風呂も人が少なくて大変良かった。
2021-03-08
_ 今日も寒うござんした。仕事の休憩時にちょいちょい『小説 田中絹代』を読んでた。無声映画の頃からの日本映画の歴史なんかもちょっとわかったりして面白い。著者・進藤兼人さんは明治45年という大正時代とのちょうど境目に生まれた人で、関東大震災の頃は12歳という勘定になるから、その頃の記憶も鮮明だったろう。その翌年に蒲田の松竹撮影所が再開となり、田中絹代も大阪からこちらに移る。そんな辺りまで来た。当時はまだ無声映画の時代で、初のトーキー『マダムと女房』の話がこれから、というところ。
今でも感謝してるのだが、私が中学の頃には、必ずしも豊かで無い我が家に日本大百科事典「ジャポニカ」があった。多分親が頑張って月に一冊か二冊ずつ買って全巻揃えたのだと思う。好奇心旺盛な中学の自分には今のインターネットのように多くの有益無益な情報を与えてくれた。エッチな項目はもちろん喜んで読んだ。図版も多かったので何かにつけて紐解くのは楽しみだった。その中に、映画という項目があり、『マダムと女房』の一場面が載っていたのは忘れられ無い。どうということのないシーンだが、日本初のトーキーというキャプションがあってよく覚えている。他にも世界初のトーキーとして、白人の役者が顔を黒塗りにして歌っている『ジャズ・シンガー』の一場面、アニメの代表としてポール・グリモーの『王様と鳥』(当時のタイトルは『やぶにらみの暴君』)なども載っていた。そうそう、ジャン・ポール・ベルモントの『勝手にしやがれ』の写真も載っていたっけ。百科事典は、社会人になったら是非とも自宅に揃えたいと思っていたのだが、いつのまにか紙での出版はされなくなってしまった。こういうものを失ってしまった世界は今、少し貧しく見えなくも無い。我が家に紙の百科事典が揃うことはこの先ないとは言い切れないな。でも何故か『日本語大辞典』が二階の踊り場に全巻置かれてる。ホントにちょっとしか参照してないが、古いものを時間をかけて読めるようになったら大活躍してくれることだろう。
2022-03-08
_ 『あつまれ!ふしぎ研究部』13、届いた。明日になると思ってたので幸せ。そうだ、最近会社の先輩さんが矢野和男さん唱えるハピネスの考えのトリコになってて何かと影響を及ぼそうとするのである。それで『予測不能の時代』というのを県立図書館で(横浜市立図書館も川崎市立図書館も予約がいっぱいだった)借りたのが先週末。まだ半分くらいしか読んでないけど、最終章は何故か易の話だったので、話の種に、昔作ったホームページのコンテンツを使って自ら占ってみた。たまには面白い。易経に、何回も占うと卦が穢れる、とある。とあるルールで決めた検査を、合格するまでやり直すと検査の厳しさが緩くなってしまう、という抜き取り検査の話に似てるなあなんて思った。矢野さんの主張をものすごくかいつまんで言うと、未来を予測することはどんなにデータを積んでもできないから前向きに行動するルールを16通りだか64通りの中から選ぶと良い、ということらしい。そうだなあ。ヨーガのインストラクタ先生も、私たちは幸せになるために生まれてきました、なんて言っていて、やはり未来を予測することはできないとか私たちは水のひと雫のようなものだとか、似たようなこと言ってた。人間って全然進歩してないなあと思う。真理は遠い昔に既に見出されていて、科学技術の進歩でさえその真理をその論理構造の上で証明しようとしているに過ぎないのだろう。きっと答えはもうある。それが正しいかどうかを論理で証明できていないのと、その真理の本意は忘れられている、というだけのことなのだろう。二進法を研究したライプニッツは易に感銘を受けたらしい。そのことと、擲銭法で占う易のことが日本語訳に書かれているディックの『高い城の男』のことは、学生時代に読んだ荒俣宏の『理科系の文学史』で知った。その『理科系の文学史』を知ったのは、中国文学の中野美代子先生の講義の中でだったっけ。
_ うにゃ [♩特別なマーボ丼 かっラインだから〜♩]