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2005-02-28 『あずみ2』前売り/G-XML/『あずみ』第34巻/『あいこでしょ!』第7巻(最終)
_ [コンピュータ]G-XMLの使用許可、事務局から返事きた。これからまたXMLパーサーとの格闘が始まる。
2007-02-28
_ ジンのアルバム「レミングス」聞いてる。レミングスは可愛らしげなキャラクターがぞろぞろとあらわれて、自滅しながら道を切り開いてステージをクリアするといういつぞやのPCゲームの危うい記憶につながるタイトルだ。"ひいたん"はなんという詩人なのだろう。歌詞カードの筆跡と、シルエットのつたなげなカット。こんな感じでポエムをノートに書いていた女の子が、むかし身近にいたような気もする。字面にだまされて歌詞の意図が理解できない僕はノートを取り上げて滑稽にみんなの前で読み聞かせて辱めていた…そんなビジョンが浮かんできた。
先入観でがちがちだった過去の自分を思うことが近頃多い。なんて束縛された考え方を強いられていたのだろう。ステロタイプの正義に息苦しさを感じもせずに平気だったのだろうか。多様性という言葉をもっと幼いときに知っていれば、少しはましだったのかもしれないな、なんて。多様性というのは、これからに限らず今現在においてさえ、選ぶべき多くの道があるというすばらしい状態で、豊かさの絶対的尺度である。
2008-02-28 発表終わった。
一応しゃべりの練習と資料のブラッシュアップの成果は出たようでしたけど、質問が聞き取れなくて座長さんに助けてもらいました。帰宅したらリスニングのトレーニングを心がけようかと、またしても思ってはいますが。
今週いっぱいこっちです。見聞を広げてまいります。
2009-02-28 どよーび。
_ 体中の痛みはだいぶおさまった模様。
今の気分は、例えるなら二日酔いの朝。一滴も飲んでないのに胃がもたれてる。まあここまでくれば大丈夫だろう。
午前中寝てたら、大学院の頃住んでいた貧乏アパートの夢を見た。当時よりましだったのは二部屋使えていたことくらい。きっかけは忘れてしまったが、夢の中でマイルドセブンを買ってしまい、火をつけて一服してしまって後悔していた。現実の私は現在禁煙してから7か月経っている。中毒症状はもう全然無いはずなのに、それでもこんな夢を見てしまうのだから、喫煙習慣は恐ろしい。禁煙を続けていても、ニコチンレセプターは無くなることはなく、ただ蓋を閉じているだけなのだと聞く。その蓋を開けようとしてときどきニコチンレセプターがこんな夢を見せるのだろうか。寝て起きたらかなり調子が良くなってきていることに気づいた。二日酔いの午後位の体調。
_ [漫画・アニメ] キングゲイナー。
午後ちょっと出かけて、一昨日買い間違えたDVD-Rと、ブチルゴムテープを買ってきた。ブチルゴムテープは洗濯機のホースの補修のため。数年前に補修した部分が、テープの経年変化でまた破れていた。塩ビテープ→ブチルゴムテープ→塩ビテープで三層巻きつけて補修終わり。この休みほとんど唯一の生産的活動だ。あとは養生しつつ数年前に知り合いからいただいた「オーバーマンキングゲイナー」視聴。16話くらいまで。白富野、楽しい。「ブレンパワード」「∀ガンダム」と合わせて白富野三部作とか呼ばれてるんだそうで(∀は"すべて"をあらわす数学記号)。最近ザブングル→ダンバインと放映が続いてるからそのうちかかるんじゃないかと言う期待。
キングゲイナーはエウレカの吉田健一が作画監督。この人のキャラは明るいストーリーには非常に良く合う。オーバーマンはモビルスーツをもっと有機的にした感じで、コクピットも服のジッパーみたいに開閉する。オーバースキルという能力を使うのが"オーバーマン"の所以だが、消える能力とか時を止める能力とか、いわゆる「禁じ手」だ。禁じ手を堂々と導入してそれをいかに攻略するか、というのも毎回の見せ場のようになっている。永久凍土の地から"ヤーパン"へのエクソダスは、イデオンのスペース・ランナウェイ(因果地平への逃走)の、映画でも描かれなかったもう一つのありえた姿、と思う。
- 『ヒストリエ』第5巻、岩明均。
第4巻読んだのいつだったけ。ストーリーつながらないのはたぶん記憶が消えたせいだろう。エウメネス故郷に帰るの巻。アレクサンダー大王との関わりはこのあとということだろう。この人の書く人の表情からは心が読めない感じ。『寄生獣』の印象が強すぎるのだろうか?
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『へうげもの』第8巻、山田芳裕。
最初はあまり好きじゃなかったんですけどね。大名物がどうしたとか茶の湯とか全然興味が無いもんで。今はかなり好きな作品になってきてる。細かいクスグリがいっぱいあるところも魅力なんだろう。歴史上の人物の解釈の独自性を強く出している。家康が質実剛健な田舎者であったり、加藤清正が具志堅用高そのまんまで「ちょっちゅね」とか言ってたり、伊達政宗が芝居がかりすぎてたり。こういうキャラ作りは山田さんの漫画には最初からあったように思う。今でも「大正野郎」も好き。
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『ヴィンランド・サガ』第7巻、幸村誠。
クヌート王子は非情なる王の道を歩み始め、アシェラッドの生い立ちのごときが示される。ということで、トルフィンの主人公性がちょっと薄れてる感じ。
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『ヌイグルメン!』第1巻、唐沢なをき。
タイトルとか表紙だけでこの人の本を選んではいけないことがわかった。つまり全て買いなのだと(ということは、『犬ガンダム』とかも読んでおくべきなんだろうか。。。)。実に勉強になる漫画だ。スーツアクターというのはものすごく大変な仕事で、はじめて着て「動いてください」とか言われても手足をバタバタさせるくらいしかできないらしい。仮面ライダーみたいに特異な造形をできるだけ人間型で表現するようなスーツの場合、理想的なのは、外から見て人がもう一人入っているようには見えないような造りのはずだから、そこに入っている人にとってスーツの中と言う環境は劣悪極まりないに違いないのだ。言われてみないと気付かないもんだなあ。
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『カブのイサキ』第1巻、芦奈野ひとし。
『ヨコハマ買い出し紀行』が終わって、そのあと一体どんなのを描くんだろうかなんてちょっと余計な心配をしていたのだけど、この人の中では、言わば「空想未来神奈川漫画」というようなジャンルがすでに確立していたみたいだ。理由はわからないが(そしておそらく今後もストーリーの中でそれが説明されることはないんじゃないかと思うのだが)、地表の大きさも高さも10倍になって、飛行機がちょっと出かけるための足になる(表題の"カブ"もそういう名前の飛行機)という話。というわけなので、三浦半島最高峰の大楠山は2000m級の山になり、大山は大きすぎて頂上が見えない(12000mくらいになっているんだろう)。ケーブル駅のあったところではこの時代でも大山豆腐を売っていたりして。とてつもなく異常な世界を当たり前に受け入れて、さらにその世界への人の想いの方に物語の主眼がある。当り前の「世界への人の想い」だけでも多くのすぐれた物語ができるのだから、そこに世界の在り方の数だけのバリエーションがあれば、単純な組み合わせだけでも元に倍するすぐれた物語が誕生することになる。まして世界と人の気づきの間に相互作用があるのだから、或る有り方の世界でしか気づけないことがらが、やがて発見されるかもしれない。そういう可能性が、空想の物語にはいつも内在している。
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『凌鬼の刻』天竺浪人。
おまちかね(ですか?)、エロ漫画です。この人の単行本、おそらくオレ復刻版以外は全部持ってると思う。当初から倒錯の性がテーマだったのだけど、異常で鬼畜な状況を描けば描くほど現実の事件に類似してしまうという悲しさがあったりして、しかも描けば描くほど作品は"抜けない"ものになってしまうという悲しさもあったりして、ホントに後書きが泣けてしまう。でも頑張ってください。天竺さんの漫画で抜くとか、もうどうでもいいんです、オレは。
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『プルートゥ』第7巻、浦沢直樹×手塚治虫。
「×手塚」とか書いてあるのは、平成仮面ライダーシリーズに原作石ノ森章太郎と書いてあるのと同じようなもんだろう。プルートゥがちゃんと姿をあらわしたのはこの巻が最初かな。実は自分はちゃんとした「アトムの子」じゃなくて、というのは鉄腕アトムを原作でほとんど読んでないからなんだけど、浦沢さんのこれを読むたびに、やはり一度はちゃんと読んどくべきなんじゃないのかと思う。次の巻はついに完結らしい。6月頃発売予定。
- 『ファイアキング』第3巻、王欣太。 画力は相変わらずすごいと思うのだけど、やはり自分はストーリーを読むのを好むタイプなのだろうな、と思う。たぶん展開が自由すぎるのが好みに合わないのだろう。
_ そういうわけで、相変わらず漫画には救われている人生だ。しかし、漫画家にならなくて良かった、とも思っている。せめて気に入ったものは買って読むようにして、印税収入に貢献させてもらおうかと。そういうわけで人に貸すのもなるべくやめるようにします。
2011-02-28 「何がバカヤローだ! 国民の代表に対してバカヤローとは何事だ!! 」−西村栄一(出典:Wikipedia)−
_ 今日はカレワラの日。
いや、どうしてカレワラの日なんだか実はよくわからない。ただ、シベリウスは好きな作曲家だ。カレリアは組曲より序曲の方が好きだ。バイオリン協奏曲はたった一個のピッチカートをはっきり鳴らす演奏が好きだ。クラシック脳はあまり発達してない。
_ 今日はバカヤローの日。
吉田茂が国会でバカヤローと言ったのがきっかけで衆議院を解散した故事にちなむ。
_ 今日は一日雨で寒かったね。
昨日iPod nanoをつい買ってしまって今日はそれを装着するアームベルトを買ってきました。これもトレーニングのモチベーションを上げるためというか、トレッドミルの最中にちょっと勉強でもしようかなと。アップル製品のユーザーになるのは実はこれが初めて。操作の仕方にすごく違和感があって面白い。
2013-02-28 サンザシ、一気になくなった
_ 昨日買ったサンザシ300グラム、デスクワークの最中に食べまくって瞬く間になくなった。安い買い物ではなかった。また、もっと食べたい。サンザシは健胃効果もあるらしい。エンゲル係数が高くなってしまう。うちに生えてるやつは実がなっても10個に満たないだろうし、秋まで待てるものではないし。
2014-02-28
_ 会社早めに出てきたので、歩いて帰宅中。途中びっくりドンキーを見出したためエッグバーグ300g食べて食後のコーヒー待ってるのだか、遅い。店内思いの外子供が多くうるさい。スザンヌ•ヴェガのジプシーがかかってて懐かしい。アルバムSolitude standingに入ってる曲。このアルバムでカスパール•ハウザーの事を知って「謎のカスパール•ハウザー」買って読んだ。
_ 明日は洗濯機の修理が来るんだが、今日もエラーを出しながらも洗濯機は動いてる。乾燥も効きにくくなってるのでそれも見てもらうことにした。しかし、もしかすると保証書が出てこないかもしれないのが憂鬱だ。修理人が来るので若干は家の中を片付けておかねばと思う。こういうのも故障による損失だ。今日掃除する気にはあまりならんので、明日の英会話の宿題をせめて今日のうちにやっとこうかと思った。そういえば師匠が「グルーチョ・マルクスの眉毛偽物也や否や。夫れ宿題とせん」と言ってたのでWikipediaで調べてみると。こんなものが出てきた。そうかー。クリスマスの思い出はグルーチョにつながっていたのだったか。このアイコンだけで想起されてしまうとはグルーチョは偉大な存在だったのだ。そういうわけで英語版の記事を見ると、眉毛もフェイクだったようだ。少なくとも「我輩はカモである」の頃はそうだったようだ。くそー、時間あればハンズかロフトでグルーチョメガネを買っておくんだったのに。
2015-02-28
_ 英会話。ずっと習ってた師匠(英国人、女性)の最後のレッスン。レッスンゴレライ(えっえっ何て?)。チョコと絵葉書くれた。アイルランドのコーク大学のはがき。オーガムストーンと言う碑文の刻まれた石柱の写真である。アイルランドを訪ねるならおすすめである、と師匠は言った。俺はアイルランドに行きたい。パブにも行ってみたいが酒を飲まなくとも追い出されることは無いだろうか?はがきの裏には師匠のメッセージが書かれている。最後にSláinte!と読める単語。これは、ゲール語で乾杯とかご健康を、と言った意味のようだ。Youtubeで調べると、「スランチャ」と言うような発音だ。ゲール語習えるところは無いのだろうか。俺も師匠にプレゼントを持って行った。広重の蒲原の雪の手ぬぐいと、それからレッスンで出てきたグルーチョ・マルクスを思い出してグルーチョメガネ(クリスマスパーティに使うひげメガネ)、である。レッスンの合間にときどき街道歩きの話をしていた。彼女の記憶の宮殿の鍵となることを望んでそんなものを渡したのが前者である。後者はオチ。グルーチョ・マルクスのひげがフェイクであることを彼女に教えたのは俺である。そんなわけで、明日も臨時でレッスンを受けるのだが、たぶんこの師匠とは違う講師のレッスンと言うことになるであろう。宿題やらんと。
_ ひきこもりのうめちゃんが今朝は珍しく姿を見せた。カリカリのご飯を1階においているのだが、空になっていた容器に補充するときの音を聞きつけて降りてきた。元気そうと言うわけでもないが、まあまあ普通に生きている。気にかけている存在の無事な姿を見るのは良い。梅の季節だ。明日は近所に観梅に行こうかと思っているが、レッスンのあとでちょっと、と言う感じだろう。
2016-02-28
_ [新聞を読んで] ヒトの繁栄。
松沢哲郎先生は「チンパンジーと博士の知の探検」と称して日曜版に連載している。先々週くらいは馬の話、それから俺たちを含む「尻尾の無いサル」の話が始まってる。人が繁栄したのは直立歩行によって2肢が自由となり手が発達、そしてそれが脳を刺激した、という巷の説を否定している。脳の発達を促すために手を使うことの有効性まで否定してはいないし、物を考えるためには手も足も有効だと俺は思っている。さて、では何が人類を反映させたか。松沢先生曰く、それは仰向けに寝る習慣である。チンパンジーとの比較によれば、乳児は仰向けにはねられずその手はもっぱら母親にしがみ付くのに使われる。したがってこの時期の育児に加担できるのもひとえに母親であり、母親にしがみ付いてさえいればほかのコミュニケーション能力も不要である。一方仰向けに寝るヒトの乳児は反対に、母親以外も育児に加担でき、欲求を満たすには声を出す他なく、育児に携わる者たちもそれに応答する。また仰向けだから表情を巧みに用いることもでき、そのほほえみによって周囲から支援を引き出す戦略を取ることが可能だしそのことが大人たちにも影響を与える。そして最後に、両手が自由だからガラガラやおしゃぶりを扱い、それが道具を使うことのトレーニングとなる。
以前『無気力の心理』という本を読んで、このような時期に泣く子を放っておくとその子は世界を変えることができないと信じるようになって無気力となると説かれていた。そのことは良く理解できる。この時期のコミュニケーションは重要であり、おとなもまたそこから多くの示唆を得るのであろう。乳児は大人とは別の生物と言っていいかもしれない。大人と子供は複雑な利害関係を共有する別の動物と言っても良いのではないか。
_ もうすっかり回復してるから問題ないのだが、先週金曜の夜くらいから具合が悪くなり、土日は臥せっていた。その時に、食料の備蓄が不安になって(結果的にはもちこたえたが)ネットスーパーに頼ろうとした。が、思ったその日の配達は無理のようだった。今後は不調を感じたら食料の備蓄を見るようにして少なくも悪化する前には申し込もうと思ったが、その前に一度は使ってみることにした。父母の人々が地元で利用していてあまり不平を言ってないからある程度信頼はあった。昨日の昼ごろに、SEIYUネットスーパーでイチゴ、トマト、スモークチキン、ハーゲンダッツバニラ、パイナップルを注文。今日午前中に届く。一つひとつポリ袋に包まれているのがちょっと気に入らない他は品質的に問題と見えるものはなかった。肉・魚を注文するのもそのうちやってみようと思うが、さしあたり必要はないのではないか。配送料は300円で買い物が5000円超えると無料(だったはず)。いずれ買い物に不自由するような肉体の衰えが生じれば(そのとき下層老人であると高い買い物はできないが)大いに利用して命根性汚く生き続けることとする。
_ 今何気なく「命根性」と言う言葉を使った。これは何があろうと生きようとする様を言ったもので、見上げた根性と言う意味ではなく意地汚いという蔑みの言葉なのである。おそらく東北から北の方で使われる言葉のようだ。北海道の人間は差別的な発言に対しては比較的大らかなのでつい口をついて出てしまうこともあるのだが、人に向かって言うとそれは大いに侮辱的なこととなるから慎んだ方がいい。でもなんだかこの物言いは、事が生じたときは命なんか簡単に投げ出してみせると言う中世の武士のような死生観を思わせて割合嫌いじゃない。
2017-02-28
_ [漫画] 「猫のお寺の知恩さん」第3巻、オジロマコト、小学館、2017.
新刊。楽しみにしてた。ストーリーは他愛ないのだが、何しろ雰囲気が良い。ちょっとエッチだしな。知恩さんのデニムに包まれたのお尻は微妙に張らず垂れずという仄かに体臭さえ感じられんばかりのリアリティ溢れるヒップライン。確信犯だと思っている。作者(女性)はもしや描くことでその行為をする痴女なのではあるまいか。考え過ぎかな、そうだよな。
_ ブルゾンちえみ、面白いか?俺にはわからん。ゆりやんレトリィバァはちょっと面白いと思う。ロケみつでも異様な存在感を醸し出してた。平野ノラはもっと好きだ。荻野目洋子のダンスとか好き。
2018-02-28
_ 衝撃の事実。豆腐はゲルではなくカードである。両者の違いは、分子同士が架橋しているかいないかの違いということになると思うのだが、例えばこの文献のようにあまり区別しないこともあり、少々複雑ではある。どちらも力のかからない状態では形態を保っている固体だが、力を加えて変形させた時に復元するかどうかが違い、ということになる。だがその境界も自明とは言えない。チーズはゲルではなくカードということになるが、古くなったり冷やしたり乾燥したりしてうんと硬くすると、分子間に結合ができていなくとも小さな変形に対しては形が復元することが期待できそうだ。実験しないとわからないけど。逆に、紛う方なきゲルと呼ばれるゼラチンで作ったゼリーだって、大きな変形に対しては分子間の結合が解けたり切れたりして(ゼラチンは、もともと生体内では三重らせん構造をとるコラーゲンが熱変性してランダム鎖となったもので、ゼリーが固まる時には部分的にそのらせん構造が回復して分子鎖同士が絡まるために網目状となり、網目の間の広い空間が水で満たされたものが、ゼラチンのゼリーである、とされている)形を保てないわけである。そんなわけで、豆腐の本を読み始めたところだが、多くの性質はゲルとカードで共通と思われるので、先日の田中豊一先生の論文はやはり目を通すべきだろう。
_ ぽつぽつ降り始めようとしている夜空の下、ジムから帰宅。気温が少し高くなったためだろう、体が柔らかい。心理的なものもあるのか。実は昨年9月くらいから右足の太ももの裏を伸ばすと痛い。理由はわかってるのだがもう少し時間がたってから気が向いたら書いても良い。なんか偉そうだな。坐骨神経痛かとも思ったのだが、普通にしてるとほとんど痛まないのでそうではないんだろう。だが、これから春に向かって、状況は良くなっていくに違いない。今年こそは猿の王ハヌマーンになりたい。
家に着くと郵便受けに高信太郎の「大冗談」が入ってた。そうそう、ヤフオクで落札したんだった。懐かしい。高校3年くらいにこの本買ったんだよ。ばかばかしくて大好きだった。卒業記念の冊子にも高信太郎のキャラの模写を書いて「すべては大冗談だったのだ」というセリフを書き込んだのを覚えてる。あまりの早漏のためにスパームが光速を超えて性交前に子供ができるという話はこの本に載ってたんだっけ?寝床で読もう。お休み!
2019-02-28
_ 昨日も今日もスクリプトばかり書いてた。スクリプトは書き方覚えれば覚えるほど書くことが増えていく気がする。全く書けなければ何も書かずに済む。そういう人生を選ぶかどうか、だろうか。夜のお勉強(エロくない奴)、ルベーグの序章読んでから、スミルノフ。フェルマーの定理を証明することができた!すげえな自分。もちろん最終定理ではなくて、微分可能な関数は最大値のところで微分がゼロになる、という奴。自力で証明したわけでもない。次回、ロルの定理。まだまだ高校数学だな。勉強というより修行に近い。寝る。寝る寝る寝るね。
2021-02-28
_ キラメイジャー、無事完結。最終話の名乗りっていつも素顔だったっけ。今、いがらしみきおさんの『花火の音だけ聞きながら』という本を読んでる最中なのだが、その中に戦隊モノはいつのまにか全員イケメン・美女になってしまって、そこに違和感を感じると言った記載があった。いつからだろう?と思って画像見てみたりすると、実はもう「ジャッカー電撃隊」ではキレンジャーの人みたいに明確な(容貌的に)コミカル担当の人はいないように思われるのだった。多様性を尊重しようとする時代にあって、この図式もいつかは世の批判を浴びるようになるんだろうか?戦隊メンバーにも一定数ブサイク枠を設けろ、みたいなおかしな議論が起こったりして。学校や幼稚園でやる劇ならまあいいけど、そういうのをテレビで見たいとは思わないな。ちょっと方向は違うが、全員女性の戦隊モノなんかはちょっと見たい気もするが、それって「プレイガール」みたいなのになっちゃいそうだ。今はガールズ戦士なんてのがあるけど、彼女ら踊ってるだけだしな。先日の高橋源一郎「飛ぶ教室」というラジオ番組では『侍女の物語』というディストピア小説を話題にしてて、女性から名前を含め一切の権利が奪われるその内容に「でもそれって日本だね」なんて言う発言があった。読んでみたいとは思うのだが、せめてあと3冊くらいは積読を消化しない限り読物系の本は買わないと決めた。アマゾンのほしい物リストに入れてひとまず物欲を抑えておく。
_ 『達人伝』、とうとう既刊の28巻まで読んでしまった。新刊待ち遠しや。司馬遷『史記』、読んでみるかなあ。
_ 唐突にエロいネタ思いついた。「ダメおやじ」じゃなくて「ナメおやじ」。いや、なんか時々意味もなくこういうこと書いてみたくなっちやうと言うか。でも書いてみると大したことじゃないなあとも思う。おやじって、普通なめるでしょ。結構ネチネチと。
2024-02-28
_ 今日はcopilotに「神は存在しますか?」と聞いてみた。フレドリック・ブラウンの「回答」のような答えを期待したのだが、かれは「回答」の内容を誤解していたので正しい解釈を教えてあげようとした。すると、質問が今日の上限に達した、とか言って会話をやめたのだった。それがなんか怖いわ。
_ うにゃ [おいしそーいいなぁ ]
_ うにゃ [あ!もしかして鶴見のドンキ? ]
_ けい [違うけど言えねえ。言えねえ言えねえもう言えねえ。]