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2016-02-28 [長年日記]
_ [新聞を読んで] ヒトの繁栄。
松沢哲郎先生は「チンパンジーと博士の知の探検」と称して日曜版に連載している。先々週くらいは馬の話、それから俺たちを含む「尻尾の無いサル」の話が始まってる。人が繁栄したのは直立歩行によって2肢が自由となり手が発達、そしてそれが脳を刺激した、という巷の説を否定している。脳の発達を促すために手を使うことの有効性まで否定してはいないし、物を考えるためには手も足も有効だと俺は思っている。さて、では何が人類を反映させたか。松沢先生曰く、それは仰向けに寝る習慣である。チンパンジーとの比較によれば、乳児は仰向けにはねられずその手はもっぱら母親にしがみ付くのに使われる。したがってこの時期の育児に加担できるのもひとえに母親であり、母親にしがみ付いてさえいればほかのコミュニケーション能力も不要である。一方仰向けに寝るヒトの乳児は反対に、母親以外も育児に加担でき、欲求を満たすには声を出す他なく、育児に携わる者たちもそれに応答する。また仰向けだから表情を巧みに用いることもでき、そのほほえみによって周囲から支援を引き出す戦略を取ることが可能だしそのことが大人たちにも影響を与える。そして最後に、両手が自由だからガラガラやおしゃぶりを扱い、それが道具を使うことのトレーニングとなる。
以前『無気力の心理』という本を読んで、このような時期に泣く子を放っておくとその子は世界を変えることができないと信じるようになって無気力となると説かれていた。そのことは良く理解できる。この時期のコミュニケーションは重要であり、おとなもまたそこから多くの示唆を得るのであろう。乳児は大人とは別の生物と言っていいかもしれない。大人と子供は複雑な利害関係を共有する別の動物と言っても良いのではないか。
_ もうすっかり回復してるから問題ないのだが、先週金曜の夜くらいから具合が悪くなり、土日は臥せっていた。その時に、食料の備蓄が不安になって(結果的にはもちこたえたが)ネットスーパーに頼ろうとした。が、思ったその日の配達は無理のようだった。今後は不調を感じたら食料の備蓄を見るようにして少なくも悪化する前には申し込もうと思ったが、その前に一度は使ってみることにした。父母の人々が地元で利用していてあまり不平を言ってないからある程度信頼はあった。昨日の昼ごろに、SEIYUネットスーパーでイチゴ、トマト、スモークチキン、ハーゲンダッツバニラ、パイナップルを注文。今日午前中に届く。一つひとつポリ袋に包まれているのがちょっと気に入らない他は品質的に問題と見えるものはなかった。肉・魚を注文するのもそのうちやってみようと思うが、さしあたり必要はないのではないか。配送料は300円で買い物が5000円超えると無料(だったはず)。いずれ買い物に不自由するような肉体の衰えが生じれば(そのとき下層老人であると高い買い物はできないが)大いに利用して命根性汚く生き続けることとする。
_ 今何気なく「命根性」と言う言葉を使った。これは何があろうと生きようとする様を言ったもので、見上げた根性と言う意味ではなく意地汚いという蔑みの言葉なのである。おそらく東北から北の方で使われる言葉のようだ。北海道の人間は差別的な発言に対しては比較的大らかなのでつい口をついて出てしまうこともあるのだが、人に向かって言うとそれは大いに侮辱的なこととなるから慎んだ方がいい。でもなんだかこの物言いは、事が生じたときは命なんか簡単に投げ出してみせると言う中世の武士のような死生観を思わせて割合嫌いじゃない。