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2007-04-04 回帰が好き。相関係数が嫌い。
_ 学生時代に直線回帰を習って以来、回帰計算は数値計算の中でも好きなほう。いろいろセンスが無いから実験データはばらつくし、ばらついたデータに"目のこ"であてはめる直線もなんとなくおかしい。だからデータが与えられればばらつきを無視して一義的に直線が引けるなんて素晴らしいなあなんて思ったのだろうか。
そのくせ、相関係数のことはなんとなく胡散臭く思っていたのだった。
仕事がらみで調べてみると、うん、やはりちょっと胡散臭い。同じデータ系列の全部から計算するときとその一部から計算するときでかなり値が違う。どうももともとそういうもんだということらしいけど、本質的なのは直線に当てはめるときにどういうデータの取り方をするかが効いてしまうというところで、そこが胡散臭く感じるところなんだろう。なんかうまく説明できないけど。
相関係数の区間推定の導出もまた、"Student"ことGossetと、そして敬愛するR.A.Fisherの手になる仕事だった。私のイギリス人のイメージは白い髭を蓄えてパイプをくゆらせるFisherのイメージで決定的になった模様で。
2008-04-04 渋谷→神保町→秋葉原→上野→秋葉原→帰宅。
_ 休暇取った。
_ 昼から外出。東横線で渋谷に行くと、Book1stが無くなっていた。半蔵門線で神保町へ。明倫館では欲しい本が見つからず、またしてもほっとした。谷弘児のなんと新刊漫画が出てた。コミックビームに載っていたようだ。ガロで読んだ陰溝蠅児のシリーズを思い出して懐かしい。わずかになよっとしたような極めて細く正確な描線。肉感的な女性の描き方がまた素晴らしい。昔の作品に比べて思うのは、少年を主人公とした作がそれなりの割合を占めているということだろうか。伯剌西爾で読んだ。自宅サーバーを構築しようとしている。現在のメインPCをLinuxマシンにして少し良いスペックのマシンをWindowsPCとして新作するか、もっとPentiumIIIくらいのCPUでもっとずっと廉価なLinuxマシンをでっちあげるかのどっちか、と考えている。神保町から歩いて秋葉へ。後者の選択に投げ売り同然のマザーボードを探してみるが、いま一つこれならいいやという感じがしない。たぶん前者の選択になるだろう、ただし最近の自作事情を知らないので、しばし調査が必要だ。おなかがすいたので上野まで歩いてデリーでカシミールカレーを食べる。レトルトで食べるよりやはり旨い。食後、また秋葉まで歩いて戻る。2003年くらいに、つい最近オシャカもなった自作機の検討をしていたときに何度か立ち寄った「とらのこ」という居酒屋に行く。サラリーマンでいっぱい。いわゆるオタクの方たちは見当たらない。私の他には。揚げたての「とり天(大分の名物かな?都心では珍しいと思う)」が柔らかくてうまかった。日比谷線で帰宅。
2009-04-04 いろいろあるけど明日はどっかに遊びに行きたいな。
_ この場合遊びというのはおねいさんのいるお店のことでは無い。
久しぶりに野に歩き山に遊びたいと言っているわけだ。けどちょっと考えておかなくちゃいけないことがあるし、放送大学も始まったし、できればHPも更新したいし、積読になってるデミングの"Out of Crisis"にも目を通しておき、なお可能ならば自宅サーバーも。。。あへあへあへ。結局一つもできなかったりするんだよねー。
2011-04-04 カメラ持って神奈川宿場散歩(2)
_ 今BSで「東京物語デジタルリマスター版」放映中。尾道言葉でありがと、とか言ってる。そんなことには関わりなく昨日の続きの画像。
2012-04-04
_ 醜いものとは距離を置いていたい、とは誰しも願うことだろう。この間の「平清盛」で佐藤義清が西行となる瞬間に、美しさを捨てて一生懸命(この時代だと一所懸命か?)に生きることはできない、とかいうようなことを言って出家した。まことの西行がそういうことで出家したかは知れないが、彼は明らかに、"第三の道"を求めて旅立ったのである。二元論の罠は創世以来今に至るまで堪えることが無いように見える。彼か我か。この対立関係だけでまるでアルダー転移の前提である統計集団のごとき人間の集団があった場合でも、おそらく対立関係だけからある種の凝集が生じるだろう。個々には斥力しか感じていないのに、その力のバランスのちょっとした崩れによってグループが生まれる。そういうことも人間社会には良くあることだ。イノベーションが生じない集団の中で起こる経済現象はパイの奪い合い、ゼロ和ゲームである。そんなことをつくづくと考えさせられてしまう出来事が、期が変わったと共にあった。身近に存在するフリーライダーは、彼らが不当に得をしているということが犯罪なのではない。その存在自体がモラルハザードを引き起こすことが本当の問題なのだ。私は昨日、ゼロ和ゲームから降りて第三の方法を探すと自分に誓ったつもりでいた。しかし今日は、多分に見苦しく自己主張を繰り返す者が身近に現れたために、崇高であったはずの昨日の誓いがまぬけで現実離れしていて幾分中二的ですらあるように思えてきてしまったのだ。私の怒りのノートのページはあっという間に残り少なくなり、怒りを書きつけた葉を流す小川は大量の葉でせき止められてしまった。嫌なことはそれだけにとどまらない。そのあとずっとその嫌なフリーライダーのことばかり考え続け、いかにしたら彼に復讐できるのかとそんな物騒なことばかり考え続けてしまうのである。
今、この状況からの、社会的であることと矛盾しない脱却法は、自分よりもさらに崇高な思想にふれることだろうと思う。こういう読書こそが本当の癒しになるのだと思うとちょっと面白く思われる。今日は何を読もうか…。まあたぶん沖正弘師のヨガの本と言うところだろう。
_ 書いてるうちにちょっと気分良くなってきた。フランツ・カフカが夜遅く城にこもって公開するつもりのない小説を書き続けたのは、こういう効果のためだったのかもしれない。ゴールデンウィークにどこに行くかということを考えていたのだが、那智勝浦の観光協会に「大辺路は歩けますか」と問い合わせたら、「伊勢路は大丈夫と思われるが三重県に問い合わせてみて」というような返事をもらった。そうかー、自覚してなかったけど、大辺路はほぼ歩き終えてしまっていたんだな。そういうわけなので、ゴールデンウィークはヤマビルを恐れながら熊野古道に行くことに決めたのでもう誰にも止められない。ちなみに50歳になったから「大人の休日倶楽部」に入ろうかと思ったのだが、ビューカードのステマであると思われたために止めた(←思っただけ。たぶん事実ではないだろう)。宿捜す。その前に道順調べる。うわー楽しい。これ、楽しい。
_ [熊野街道]伊勢路
やばい、何箇所か通行止めの場所がある。まあいいや、う回路捜しながら行っちゃえ。
2013-04-04
_ [特撮] 仮面ライダー
第9話・第10話で突然本郷猛の声が変わる。これは噂に名高い、藤岡弘骨折の時の応急処置(番組の)なのである。第1作の仮面ライダーは98話もあってみるのも大変なんだが、島田陽子とか山本リンダとか中田喜子とか出てきて面白い。後年名づけられたのだが、ライダーの活動をサポートする女の子たちは「ライダーガールズ」と呼ばれる。続く。
_ 第11話。小学三年生の私は、父の仕事の都合で仮面ライダーの放映されていない土地から放映されている土地へ引っ越した。それでこのゲバコンドルの出る回あたりから記憶があり、その後またあまり見なくなってしまったように思う。すでに藤岡弘が入院中で物語もパッチワーク的になっているのでそこも突っ込みどころが多いが、ゲバコンドルにはまた突っ込みどころが多い。設定ではこれまでの怪人の長所を合わせて作られたとあるのだが、それが具体的にどこに生かされているのかわからない。首領は納得してるかもしれないがショッカーにもし重役会があったらとても承認されないだろうと思う。そういうところに独裁主義の問題点があるわけだな。しかもこの怪人は若い女の生血によって目覚めたわけだが、このような設定が、怪人と妖怪の境を非常にあいまいなものにしている。まあそういう設定なのでそのあともゲバコンドルは若い女を執拗に狙うのである。バレリーナを襲っているシーンを真上から映してるシーンは一種耽美的ですらある。この回ではこのあと重要な役割となる滝和也が初登場する。突然協会にあらわれて結婚式を挙げる和也はレースで猛と一二を争うライバルである。なので、滝和也は一応既婚者ということになる。演じるは千葉治郎、千葉真一の実弟である。彼は強いよ。生身の体であれだけ戦闘員や怪人と渡り合えるなんて変身前の本郷猛より強いのではないかと子供心でも見ていた。今見ても戦闘シーンの切れはとても良い。一方ゲバコンドルと戦うライダーは投げ飛ばされて土の中に上半身めり込んでもがいてる始末。なんか今回のライダーは弱いなあ。本郷は一体どうしちゃったんだろう、なーんてな。
滝和也は今回正体を明らかにしていないが、FBIの捜査官なのであり、今回の結婚式もショッカーを操作するための偽装という説もあるが、この話の中では被害にあった嫁の敵を討つために立花たちと共闘すると言っている。ここから2話ほどは藤岡弘不在の状態で話が進むことになる。続く。
2014-04-04
_ 帰宅が遅くなったので不機嫌だ。なぜかと言うと、昨日はゲゲゲの日だったから本屋の空いてる時間に間に合うように会社を出ようと思っていたからだ。
_ 度し難き存在、彼のことを例えば豚男と呼んでみる。驚くべきことに彼には子供がいたりする。豚男の子供が豚で無いわけがあろうか。人間の世界は豚男にいつの間にか支配されていく。強いAIが知的な世界を支配する一方で、精神圏の下層をはるかに下る、手段が目的に取って代わる地獄の世界で彼らは勝利者となる。勝ち誇る豚。これは悲喜劇・人間。ポオがアル中になるのも無理はないことであるのだ。
2015-04-04
_ 英会話の予習してたら、ビル・ゲイツ、スティーブ・ジョブス、ティム・バーナーズ=リー、それぞれ何者かという問いがあった。最初の二人は言うには及ばないが、三人目のティム・バーナーズ=リーがわからなかったので調べたら、ロバート・カイリューと共にWWWの考案者とのこと。htmlも彼の設計になるものだという。もともとWorldWideWebとは、バーナーズ=リーがハイパーテキストを閲覧して編集するために開発したツールの名前だった。
_ 道明寺餅を作ろうと思って、道明寺粉、桜の葉の塩漬けなど購入。作る暇あるかどうか。。。
2018-04-04
_ なんかポカポカ陽気どころかもう初夏の風情。寒い冬が終わったばかりなのにもうジメッとしたやな汗を感じている。今日は二度、蚊が目の前を飛んでるのを目撃した。家のまわりで見るヤブ蚊とはちょっと違う種類に見えた。どっちも捕まえて殺害。われの寿命じゃ、如何様にもがけどもせんなかるまい。
2019-04-04
_ 今日は特に書くべきことはないかな?ビショップという人の書いた本、原書は学生の特権で無料で読めるが、英訳の時間がいよいよ惜しくなって結局書店で購入。インプットの倍はアウトプットしようと思っていたのに。。。
2020-04-04
_ 例によりてご近所ウォーキング。なんだかんだで15キロ弱歩いた。まずは自宅から横浜駅へ。オレ、横浜に着いたらどさんこ市場で松尾ジンギスカン買うんすよ。ところが駅地下はほぼシャッター商店街と化していたのだった。まあ、そうかもなと思ってそのままジムへ向かう。もちろん歩き。うちのジムはど根性でこのコロナ騒ぎの中でもずっと開業している。たいしたものだ。スタッフが一生懸命館内くまなくアルコール消毒してたりしてるおかげだろう。感謝しか無い。で、着いてストレッチして一風呂浴びてからスーパーで肉類など買って帰宅。自宅焼肉で威力を発揮するのはなんだかんだ言ってもジンギスカン鍋だった。スーパーヒーローの主題歌聴きつつ食す。ビールも飲んで。聴きながら思う。はやくガオレンジャーとタイムレンジャー見たいなあ。この二つの主題歌は特に好き。主題歌の世界観を早く理解したい。と言いつつ今見てるのはデンジマン。そしてとうとう。古いのから順番に見ようと思ってたがついに痺れを切らして、毎週見るようになった頃より前の作品の中で一番新しいゲキレンジャーも見出したのだった。こうやって、新旧作品はさみ撃ちで見てくの。どの辺でコンプリートするかというと、ジュウレンジャー、ダイレンジャー、カクレンジャーあたり。20作品以上も未見の作品があるなんてニキニキだ!伊藤かずえ最高だよ。
2021-04-04
_ にちよーび。そろそろ60も近いので、ちょっとずつ死ぬ準備でもし始めるか、なんて思い始めた。まだ早いと思われるかもしれないが、なかなかキレイに死ぬと言うのは難しいことなのだと、母と父の死に様を見て思うわけです。まあそうは言っても実際に死ぬまでの時間は結構ありそうなので(決して死に急ぐつもりでは無いから)、ライフプランの一環としていつ頃になったら魔窟を解散するとか(いやこれは解散できるものなら今すぐだって解散したいんだが)、ちょっとずつ考えていけば良いように思っている。不慮の死もありうるが、それはもう自分のコントロールできるものではなさそうだから思考を節約して慮外とするしか無い。
これまでにも死ぬことについては度々考えることはあったのだが、今それを考えると言うことはそれなりに現実味を持つ。私は死後の世界を考えないから、残された人々がどのように亡骸を処置しようと構いはしない。健康保険証に全ての臓器提供の意思を表示しているから、その時の私の身体は抜け殻のようになっているかもしれない。どうせ自分ではそれがどんな気分かを感じることはできないだろうからそれも構わない。死後の自分はもう自分のものでは無く、例えば時折自分を思い返す残された人々のものでしか無い。苦しみながら死ぬとしたらそれは苦しいだろうが、もしかするとそこにすら「今際の際に与えられる慈悲深い慰め」(確かポォの詩の一節なのだが作品名が思い出せない。『夢の夢』だと思っていたが、そうでは無いようだ)が脳の生理作用によってもたらされないとも限らない。どうあれ自分には死ぬ間際のところまでしか与えられていない。三島由紀夫は肉体を鍛えてそれを死装束とした(と、『帝都物語』には書いてあった)。『蒼天航路』の曹操孟徳は「死ぬにも体力がいる」と死の間際までもりもりと飯を食いながら遺言をしたためた。このような極端の例に見るまでも無く、死ぬ準備とは、死ぬまでの間どう生きるかと言うことに他ならない。というわけで死ぬ準備とは、死ぬまでに起こりうる様々な事柄に対する危機管理である、ということに思い至った訳。今期は放送大学で「死生学」の講義を受講している。その一環でヨルダン社から出ている『死と悲しみの社会学』を読み始めた。この本はアマゾンでは1万円に近い値がついているので図書館から借りた。蔵書を減らしていくのも死ぬ準備、膨大な録画ライブラリを視聴し或いは消去するのも死ぬ準備。災害の時の避難用ザックに鰹節を入れておくのも死ぬ準備、トイレやガスコンロの掃除をすることも死ぬ準備、体を鍛えることも死ぬ準備。
_ かながわ旬菜ナビ、今週はすごかった。はるるんがドラクエの勇者風の衣装で伝説のドーナツ寿司を作るクエスト。なんか勇者のヘアバンドめっちや似合ってて衣装めっちゃ安っぽかった。また会えるといいなあ。
2022-04-04
_ 雨降り。今日は夜ヨーガを予約してたのに、打ち合わせが定時刻に終わらず予約料金を無駄にしてしまったので主催者を恨んでいる。コノウラミハラサデオクベキカ!エコエコアザラクエコエコザメラク。アブドル・ダムラル・オムニス・ノムニス・ベル・エス・ホリマク。しーうーのあらまんちゅー。最後のは呪文じゃないと思うがよくわからない。今頃原因不明の頭痛に悩まされていることであろう。代わりと言ってはなんだが銭湯行った。銭湯は良いなあ。恨みごともアウフヘーベンできるよ。でも早く晴れて。。。
_ うにゃにゃ [今日はおかまの日ですね!]
_ けい [結局漫画本の整理くらいしかしねかったっす。桝田道也さんの『朝倉家騒動記』が出てきていがったっす。]