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2012-04-04 [長年日記]
_ 醜いものとは距離を置いていたい、とは誰しも願うことだろう。この間の「平清盛」で佐藤義清が西行となる瞬間に、美しさを捨てて一生懸命(この時代だと一所懸命か?)に生きることはできない、とかいうようなことを言って出家した。まことの西行がそういうことで出家したかは知れないが、彼は明らかに、"第三の道"を求めて旅立ったのである。二元論の罠は創世以来今に至るまで堪えることが無いように見える。彼か我か。この対立関係だけでまるでアルダー転移の前提である統計集団のごとき人間の集団があった場合でも、おそらく対立関係だけからある種の凝集が生じるだろう。個々には斥力しか感じていないのに、その力のバランスのちょっとした崩れによってグループが生まれる。そういうことも人間社会には良くあることだ。イノベーションが生じない集団の中で起こる経済現象はパイの奪い合い、ゼロ和ゲームである。そんなことをつくづくと考えさせられてしまう出来事が、期が変わったと共にあった。身近に存在するフリーライダーは、彼らが不当に得をしているということが犯罪なのではない。その存在自体がモラルハザードを引き起こすことが本当の問題なのだ。私は昨日、ゼロ和ゲームから降りて第三の方法を探すと自分に誓ったつもりでいた。しかし今日は、多分に見苦しく自己主張を繰り返す者が身近に現れたために、崇高であったはずの昨日の誓いがまぬけで現実離れしていて幾分中二的ですらあるように思えてきてしまったのだ。私の怒りのノートのページはあっという間に残り少なくなり、怒りを書きつけた葉を流す小川は大量の葉でせき止められてしまった。嫌なことはそれだけにとどまらない。そのあとずっとその嫌なフリーライダーのことばかり考え続け、いかにしたら彼に復讐できるのかとそんな物騒なことばかり考え続けてしまうのである。
今、この状況からの、社会的であることと矛盾しない脱却法は、自分よりもさらに崇高な思想にふれることだろうと思う。こういう読書こそが本当の癒しになるのだと思うとちょっと面白く思われる。今日は何を読もうか…。まあたぶん沖正弘師のヨガの本と言うところだろう。
_ 書いてるうちにちょっと気分良くなってきた。フランツ・カフカが夜遅く城にこもって公開するつもりのない小説を書き続けたのは、こういう効果のためだったのかもしれない。ゴールデンウィークにどこに行くかということを考えていたのだが、那智勝浦の観光協会に「大辺路は歩けますか」と問い合わせたら、「伊勢路は大丈夫と思われるが三重県に問い合わせてみて」というような返事をもらった。そうかー、自覚してなかったけど、大辺路はほぼ歩き終えてしまっていたんだな。そういうわけなので、ゴールデンウィークはヤマビルを恐れながら熊野古道に行くことに決めたのでもう誰にも止められない。ちなみに50歳になったから「大人の休日倶楽部」に入ろうかと思ったのだが、ビューカードのステマであると思われたために止めた(←思っただけ。たぶん事実ではないだろう)。宿捜す。その前に道順調べる。うわー楽しい。これ、楽しい。
_ [熊野街道]伊勢路
やばい、何箇所か通行止めの場所がある。まあいいや、う回路捜しながら行っちゃえ。