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けいりう堂日記

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2021-04-04 [長年日記]

_ にちよーび。そろそろ60も近いので、ちょっとずつ死ぬ準備でもし始めるか、なんて思い始めた。まだ早いと思われるかもしれないが、なかなかキレイに死ぬと言うのは難しいことなのだと、母と父の死に様を見て思うわけです。まあそうは言っても実際に死ぬまでの時間は結構ありそうなので(決して死に急ぐつもりでは無いから)、ライフプランの一環としていつ頃になったら魔窟を解散するとか(いやこれは解散できるものなら今すぐだって解散したいんだが)、ちょっとずつ考えていけば良いように思っている。不慮の死もありうるが、それはもう自分のコントロールできるものではなさそうだから思考を節約して慮外とするしか無い。
 これまでにも死ぬことについては度々考えることはあったのだが、今それを考えると言うことはそれなりに現実味を持つ。私は死後の世界を考えないから、残された人々がどのように亡骸を処置しようと構いはしない。健康保険証に全ての臓器提供の意思を表示しているから、その時の私の身体は抜け殻のようになっているかもしれない。どうせ自分ではそれがどんな気分かを感じることはできないだろうからそれも構わない。死後の自分はもう自分のものでは無く、例えば時折自分を思い返す残された人々のものでしか無い。苦しみながら死ぬとしたらそれは苦しいだろうが、もしかするとそこにすら「今際の際に与えられる慈悲深い慰め」(確かポォの詩の一節なのだが作品名が思い出せない。『夢の夢』だと思っていたが、そうでは無いようだ)が脳の生理作用によってもたらされないとも限らない。どうあれ自分には死ぬ間際のところまでしか与えられていない。三島由紀夫は肉体を鍛えてそれを死装束とした(と、『帝都物語』には書いてあった)。『蒼天航路』の曹操孟徳は「死ぬにも体力がいる」と死の間際までもりもりと飯を食いながら遺言をしたためた。このような極端の例に見るまでも無く、死ぬ準備とは、死ぬまでの間どう生きるかと言うことに他ならない。というわけで死ぬ準備とは、死ぬまでに起こりうる様々な事柄に対する危機管理である、ということに思い至った訳。今期は放送大学で「死生学」の講義を受講している。その一環でヨルダン社から出ている『死と悲しみの社会学』を読み始めた。この本はアマゾンでは1万円に近い値がついているので図書館から借りた。蔵書を減らしていくのも死ぬ準備、膨大な録画ライブラリを視聴し或いは消去するのも死ぬ準備。災害の時の避難用ザックに鰹節を入れておくのも死ぬ準備、トイレやガスコンロの掃除をすることも死ぬ準備、体を鍛えることも死ぬ準備。

_ かながわ旬菜ナビ、今週はすごかった。はるるんがドラクエの勇者風の衣装で伝説のドーナツ寿司を作るクエスト。なんか勇者のヘアバンドめっちや似合ってて衣装めっちゃ安っぽかった。また会えるといいなあ。


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