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2024-04-14 [長年日記]
_ [漫画] 『児玉まりあ文学集成』1、三島芳治、リイド社、2019。
日曜の朝、枕元にあるこの本を読み出して、読み終わる。「これが文学よ」児玉まりあさんは言った。それで僕にとってこの漫画はその描線も含めて全く文学となり、1話1話が児玉まりあ文学の作品となったのだった。結城浩さんの『数学ガール』を初めて読んだ時にも味わった憧れとも嫉妬ともつかない気持ちになる。ヒロイン児玉まりあさんとミルカさんは同じ人、と言って良いのかもしれない。児玉まりあさんはイカ娘のように髪の長い女の子として描かれているのだが、彼女曰く「笛田くん(多分この作品の主人公)にはね 私のことが髪の長い美少女に見えるらしいの。」この人の後ろ姿はまるでヒトヨタケのよう。それにしても、毎話末についている参考文献の作品名はどれ一つとっても読んだことがない。せめてユイスマンスの『大伽藍』くらいは読んでいたかった。純白な悔しさを抱く僕。今はただただこの描線を模写してみたいと思っている。
_ 書きつけて思ったこと。何故自分の羨望が真っ白だ、と感じたか。数学にせよ文学にせよ、僕にとってはどれだけ近づいても相変わらず「遠くにありて思うもの」であり続けるからなのだろう。その目指すものはそれぞれにあまりにもここから遠すぎて、そこに辿り着けないことにはなから悔しさなど感じない。ただ昨日より今日はそこに何センチ近づいたかがわかるだけなのだ。シリウスに憧れてそこに行きたいと思っても辿り着くことなどできないことがわかっているのに、冬の夜の寒さが苦にならなければいつまでも見つめていて構わないのだ。書いていてつくづく、自分の文は文学ではないな、と実感するよ。