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2005-03-23 疲れてるかも/『街道の日本史』『蜜蜂マアヤ』『おくのほそ道』/『ふたつのスピカ』
_ 昨日は歩き旅の疲れが出て今日もちょっと影響が残っていたような。電車が止まって会社に着いたのが昼に近かった。
_ [読書]読みかけの本3冊ほど片付ける。
・『街道の日本史17 中山道武州・西上州・東信州』上州は人の気が荒く古来治めにくい地とされていたそうな。碓井峠を越える機関車はレールの間に歯状のラックレールを敷いて機関車の歯車とかみ合わせる「アプト式」だった。
・『蜜蜂マアヤ』ボンゼルス。岩波文庫。大昔子供向けのを読んだが、花の精が現れるシーンは覚えが無かった:「人間は眠ってゐる時夢を見るんですか。」「眠ってゐる時だけでなく、」と妖精は言った。「時には目をさましてゐても夢を見るのだよ。さういふ時人間は少し背中を丸くして坐る。頭はいくらかうなだれて、目は空の中まで見透したがってでもゐるやうに、遠くの方にさまよふ。いつでも人間の夢はその生活よりも美しいのだ。だから僕たちは夢の中で人間に現はれるのさ」(実吉捷郎訳)それからマアヤは妖精につれられて初めて人間を見る。それは寄り添う恋人たちだった。
・『おくのほそ道』角川ビギナーズ・クラシック。おくのほそ道の芭蕉筆なる古文書が平成に発見されて話題となった、というのは知らなかった。「おくのほそ道」は奥州道中を「奥の大道」と呼んだのに対して多賀国府周辺の小道をそう呼んだのだという。芭蕉の命名というわけではない。
2006-03-23
_ [読書] 『科学を絵に描いた男 田中豊一ゲルの世界を拓く』(読了)
今日は送別会だったので遅い帰り。『科学を絵に描いた男 田中豊一ゲルの世界を拓く』は電車の中で読了した。田中先生の得意技はベサメムーチョのギター弾き語り。他にもテニスとかボディビルとか社交ダンスとか将棋とかいろいろ。わたしは最近ウェストがやばいので、とりあえずシットアップベンチでも入手して形から入ろうかと思うが。むろんノーベル賞を取るつもりはない。
_ 学生証とテキストが届いた。
学生証は昨日、テキストは今日届いた。学生証の写真をまた撮らなくては。
テキストをぱらぱらめくってみる。ユング心理学も日本列島の地球科学も楽しそう。また授業が始まるのだなあ。今年は火曜深夜と土曜の朝だ。
2009-03-23 古道への想い忘じがたく。
_ ちょっとしたドキュメンテーションをしなきゃなんなくて、しかしやる気がいま一つ
昨日借りてきた「伊豆東浦路の下田街道」を通勤の車中ぱらぱらと眺め、夕食を食べたラーメン屋でぱらぱらと読みして、古本屋で買うことに。
_ 昨日図書館で見てきたビデオ「歴史の道」(日本通信教育協会:どうやらこれってユーキャンの前身みたいだ)も古本屋(←Webの”日本の古本屋”)で見つけたので注文。
_ 古道への道、忘じがたく。
2011-03-23
_ [食べ物・飲み物] 甘納豆・続。
近所のスーパーにはいまだ甘納豆は無し。一方うちの甘納豆はまだ乾燥が足りず、振りかけたグラニュー糖が溶けてしまった。まだまな板の上にクッキングペーパー広げて室温で乾燥中。グラニュー糖買ってきたが、これを何度も続けると豆の部分よりも砂糖の部分の方が多くなってしまうのでは。金団のほうが作りやすい。でも大正金時も煮てしまったしな。こっちは十分乾かすことにする。まあ時間は沢山ある。少しくらい堅目に仕上がっても良いや。
_ 夕食食べつつ以前録画したオンカロの廃棄施設のドキュメンタリーを見てる。この時期に悪趣味かもしれないが、人は大変なものを見出してしまったものだとつくづく思う。どんな技術であっても、何とか使えるようにすることよりも、管理のもとで使うことの方が何桁も大変な技術なのだと改めて思う。検査とか計測とかいう技術はその管理のための二次的な技術とも言えるだろう。「とりあえず動くようにした」という言葉は様々な技術者が使う言葉だが、そんな状態ならばその技術は使ってはいけないのかもしれない。とても技術者の書いた文章とは思えないな。まあご案内の通り、ろくな技術者じゃないよ、自分。オンカロは本当に10万年持ちこたえることができると言うのだろうか?
_ [統計学] チキン先生。
もしかしたらペンネームなのか?どうもそうではなさそうだが。プロセスコントロールの論文の出典がわからなくなってホームページにアクセスしたら、こんなページだった。プロフィールが書いてある。年齢:0才。身長:0フィート。体重:200ポンド(1ポンドは0.45kg)。子孫の数は0人。全て100で丸めた数字とのこと。あまり複雑な思考をするタイプの先生ではなさそうだ。:P)
2013-03-23
_ なんとなくネットでチッチョリーナのことを調べてた(というか動画を見てたんだが)。めちゃハードコアだったのでビビった。彼女がイタリアの国会議員になるというのは日本で言えば風間ゆみさん(←最近ちょっと気になる存在)が国会議員になるようなもんだ。まあでもなんとなく風間ゆみさんは奥ゆかしい感じもするからよほど周囲に押されたり強烈な問題意識に駆られない限りそんな可能性は無いような気もする。とりあえず私に必要なことはチッチョリーナの映像をさらに参照することくらいしかないじゃあないか。
_ ふぅ…じゃねえや、まちがえた。さて。久しぶりにというかいつものようにエッチなこと書いてるからもうちょっと書くかな。
AV女優の「演技」ということについて。AVがつかない場合でも女優に要求される演技というものにも様々なものがある。村上もとかの「龍」のわりと最初の方で、ヒロイン・田鶴ていが何人もの映画監督の作品に出演してそのたびに演技にとまどうあたりを読むとその辺の感じが良く分かる。溝口健二のように一切演技指導の様なものをしないで役者が悩みぬいた極限の表現をよしとする監督もいれば、役者は与えられた通りの演技を余計な自己主張を交えずに行なうべきとする小津安二郎のようなタイプもいる。最近亡くなられた若松孝二さんのそれは溝口健二のアプローチに近いもので、そういう極限状況で寺島しのぶは「キャタピラー」のなかで”五体不満足”で戦地から帰った夫が土間に転がってるのを見て「軍神さんはごーろごろー♪」なんて「いもむしごろごろ」の替え歌を歌い、ベルリン映画祭で銀熊賞を取るのである。キルビルの栗山千明はタランティーノが何やってもべた褒めするからあの素晴らしいゴーゴー夕張を体現することができた。
_ 一方、AV作品はその本領はやはりエッチなイベントにあるので(めんどうくさいことにこれが今ではもう単に性交のことを意味しないんである。性交は一切ありませんとか女性は一切脱ぎませんとかそういう断り書きがないと売れないようなジャンルの作品も多々ある)、その部分さえ丹念に描かれていればよいので女優に演技力は必要なく、そのイベントにおける女優の反応が良くて絵が煽情的であればそれでいい、という考えははわりあい常識的な解釈ではないかと思う。しかし、数々の作品と現実世界の虚実を照らし合わせてみるに、どうやらAV女優にはやはりすぐれた演技力が必要とされているのではないかと思い始めている。だがそれはまだ演技になる一段前のことであるのかもしれない。
演技の手始めは、まず観客の前に自分の姿をさらすことから始まる。これはたぶん異論の無いことだろう。ここですでに、演技者たるかそうでないかが大きく分かれる。作品世界でなくとも、壇上ですぐれた演技を披露すれば「あの人は大した役者だ」とか「○○節が絶好調だ」とか称賛されるわけである。それに似たことを裸でやるのがAV作品の役者なのである。だから、まず演技の第一歩として、カメラの前で露出できる(『脱げるか』と書いてもいいのだが、実際には脱がないSEXを売りにする作品もあれば、上手に脱げないのが初々しくて大変良いというコンセプトの作品も数多くあるのだから実にややこしい)、ということは演技の始まり、いわば「演技縁起」(←こういうこと言うのがまた文章をすごく読みにくくしてるのはわかってるさ。でも日記におやじギャグを書いちゃいけないなんて誰が言ったんだ?)というべきことである。間違ってはいけないのだが、ストーリー仕立てのAV作品の中で寺島しのぶみたいな演技をすることは普通は行なわれない。仮に、そちらが大変いい出来だったとしたら、本来のメインイベントのところで本来の楽しみ方ができなくなっちゃうから。だがそれでも両方楽しみたい!という方にも朗報はある。むしろ「失楽園」とか「ベロニカは死ぬことにした」とか普通の(?)映画作品にこそその両者のバランスが計算されて(旨く行ってるかどうかはさておき)提示されているので、ぜひともDVDを入手して一人で(あるいは夫婦で、恋人と二人で)見ることをお勧めしたい。
本当に言いたいのはそういうことではなかった。たとえばアロマ企画の作品にAV女優が登場するとする。この作品は必ずしも露出を控えているわけではないがテーマが淫語、すなわちみだらな言葉による聴覚的な刺激と女優の行為によるいくぶん屈折した性的嗜好を満たす作品であったとする。このときに女優の発する言葉が「スチュワーデス物語」の堀ちえみみたいだったら(例えが古すぎる、単に"棒読み"だと書けばいいのに)これを作品として成立させるためには特別の工夫が必要になる。堀ちえみ本人が登場して「わたしは愚図でのろまな亀だけど、あなたのカメはそれ以上に愚図でのろまね」的なことを言えばそれはそれで企画的にはいけそうな気もする。なんか書いてるとそんなに非現実的ではないような気がしてきた。こういうところがAV作品の懐の深さの様な気もするが間違ってる気もする。だんだん言いたいことがぼやけてきたけど、及川奈央も立花里子も風間ゆみも仮にAVという看板を外したとしてもすぐれた女優として在り得ることは確かであると思う。及川奈央はすでにそんな方面で活躍しているのだし、立花里子は惜しくも早くに引退してしまったが、明らかにウルトラ警備隊のコスチュームで頑張っている「戦闘美少女ローゼンクロイツ」の、ストーリー仕立ての部分の演技では無く、敵の暴力に屈して思わず吐く「くやしい…」の一言はこのような企画作品における最高に望ましい演技でなくてなんであろう。余談だがこの作品のメイキングのところの素のリコピンはすごく可愛くて、人柄の良さがうかがえる。風間ゆみは視聴作品が少なくてあまり語れるものが無いが、前記の立花里子(Sのメイド役)と共演した長いタイトルの作品における上流階級の変態マゾ夫人なぞは、両者の相性も良さそうでそのためもあってか、作品世界の表現を完成させるに不可欠な演技である。上品で高飛車な奥様とドロドロに乱れる淫女が両立することを”言葉”でなく”心”で理解させる(最近ジョジョのこのセリフが気に入ってる)。
_ AV作品にはAV作品を完成させるための演技が必要なのである。たぶん現実のエッチな行為においてもそれはエッチな行為の完成のためには重要なことなのだと思う。感じてもいないのに感じる感じると叫ぶ演技をしろということではないし、絶頂に達していないのにイクと叫べばよいということではない。むしろ「感じる」と口にすることで官能が深まりそれが本当に快感を引き出すという代々木忠が身を削って明らかにしたその境地をこそ目指すべきなのである。代々木忠は一切の演技を否定する立場からさまざまなSEXドキュメントをものしたが、それらが明らかにした数々のことがら、男の中にも女の快楽があること、また逆もしかりなこと、プライドを捨てることでより深いエクスタシーを目指せること、目を合わせ感覚に素直になり相手を互いに思いやることからチャネリングと言う一段高い共感の状態に移行できることなど。これらを素の自分とは違う次元で体現できるなら、それはAV作品における最高の演技と言えるだろう。
_ たぶん、90年代と2000年代とではAVにおける演技、あるいはAVに求められるものが大きく違っているものと思う。できることならそれを系統的に調べてみたいのだが、90年代の作品はおおむねVHSで作られており、入手困難とは言わないまでも、重要な作品は1作につき4000円程度かそれ以上であることが痛い。たとえば、いまこの時代に改めてみる豊丸の作品群、という切り口を実践したいと思ってもこれにかけられるだけの潤沢な資金が無いし、入手困難な作品も多いのである。
_ ちなみに先の立花里子と風間ゆみの共演作の正確なタイトルはこうだ:「巨乳淫乱わがまま変態マゾ奥様と、召抱えられた丁寧淫語で性感御奉仕サディストメイド」敏感な人ならタイトル読んだだけで、ふぅ… というところだな。
2015-03-23
_ 札幌の今日は昨日までよりもだいぶ寒い。とはいえ春が近い。ちょっと鼻かぜ引いたので一緒にいた父母に映ってしまったかもと危惧していたが、大丈夫だったようだ。
_ 帰りの電車の中で、ウィキペディアを調べ続けてた。北欧神話のオーディンはギリシャ神話のヘルメスと同等とみなされているとのことだった。ヘルメスは泥棒の守護神であり医学の守護神であり商人の守護神であり旅人の守護神であり、かつては道祖神と同様に陽根をシンボライズした柱が土地の境界に置かれたということだ。カドゥケウスという彼の杖は医学のシンボルとして使われることが多い。杖に絡まっている二匹の蛇はもとは杖の本体から伸びてその本体に巻きつく枝であったということだ。ヘルメスはローマ神話のメルクリウスと習合し、さらに中世においてはエジプトのトート神とも習合してヘルメス=トリスメギストスと呼ばれる超人として扱われた。
2017-03-23
_ 遺憾、暫く食えないと思う程に丸天のラーメン食いたくなってきた。ホームページのラーメンの画像見てたら、ああ、つのるぜ。
_ [漫画] 「ヒストリエ」第10巻、岩明均、講談社、2017.
前の巻から1年強ぶり。すごく久しぶりに、マケドニア軍の雄叫び「ア−ララララララララーイ!」を見てすごく懐かしく感じた。マケドニアの快進撃が始まり海上帝国アテネは滅びる。エウリュディケはフィリッポス王(アレクサンドロスの父)に嫁ぐ。エウメネスは「王の左手」の候補に。つづく。次読むのまた2年くらいあとなんだな。
_ [漫画] 「コトノバドライブ」第4巻、芦奈野ひとし、講談社、2017.
これでおしまい。この稀有な漫画を次に読める機会はいつなのか。「ヨコハマ買い出し紀行」の少し細長いアルファさんのことも懐かしく思い出す。追記。route31(第31話)「あの坂のこと」は、飛ぶ夢がテーマ。羽ばたいて大空を飛ぶ、というのではなく、例えば坂をかけ降りるとき、フッとジャンプするとそれで弾みがついて少しの間、滞空している、という程度の浮遊感を、この作は描いている。そういう夢はずいぶん何度も見たことがあるので、漫画にしてくれたのは嬉しい、と感じた。こう言うものを表現できるのが漫画の力なのであり、それはとりもなおさず芦奈野ひとしの力量なのだ。
_ 痰が絡む。寝る。
2019-03-23
_ 寒くて億劫だったが床屋行ってジム。同僚の人のアドバイスやら動画やら見て倒立の練習。いろんな練習の仕方があるけど、力づくで上げる必要は無いように感じた。掌は逆ハの字に開くと良いと言うが、必ずしもそうでは無いかもしれない。肩幅より僅かに広めにして両掌を底辺にして出来る三角形(正三角形より少し潰れているのが良いだろうか?)の頂点に目線を置き、あまり腰を反らせないように肩の筋肉を感じながらバランスを探る。いつもとは違う感覚があって、なんか行けそうな気がしている。倒立が出来たら伸肘(しんぴ)倒立に進めるとさらに良いと思うが、これはだいぶ難度が高い。開脚にも、良い手応えを感じている。出来なかったことが出来るようになるというのは嬉しいことだ。「アウトプット大全」という本を読んでいてそのことが大事だと思った。影響受けやすいからな、自分。春のせいか、ちょっとダンスなんかもやってみたいような気分になる。でも丁度良いクラスが無い。
_ というわけでヨガ関係の本ちょっと読んでから「あっぱれ!KANAGAWA大行進」見た。久本真菜さんは来週で番組降りるのです。今日は増刊号かつ「久本アナ卒業スペシャル」なので真菜ちゃん番組のかなり初めの方から号泣。こっちももらい泣きしながら見てた。
2020-03-23
_ アニメ『映像研には手を出すな!』終わってしまった。ギリギリで改変された彼女ら3人の作品は僕には難解だったので何度か見てみても良いかもしれない。まあまだ漫画の方は続いてる。来週は生さだ(無観客)なんですね。
2021-03-23
_ 『私が見た未来』とかいう絶版漫画が話題らしく、甥の人が読みたいらしいと弟その一からメール。持ってないです。全ての漫画があるわけじゃない。ちょっと読みたくなったが国会図書館にさえ所蔵が無いようだ。富士山が噴火するとか物騒なことも書かれてるらしく、一種の予言書のように思われているらしい。そんなことより、早く「ゴージャス・アイリン」OVAにならないかなあ。なる見込み今のところ全く無いが。「私、残酷ですわよ」ってアイリンに言われたい。
2022-03-23
_ 夜ヨーガ。ダウンドッグから軽く両足を蹴り上げて腕の外側に足を着地させてそのままアームバランス、というやつをやったら当たり前のように背中から転倒。ヨガマットの後ろでやってたのでマットの上に倒れ込み特に問題はなかったんだが足を上げ過ぎたのだった。だって足上げて数秒止まれるくらい、って言われたから思い切りあげたんだもん。サライ小学五年生だもん。怪我も脳震盪もなかったわけだがちょっと大きな音が出たので恥ずかしかった。そのあとなんか気分がしばらく変だったけど。
2023-03-23
_ 今日も雨。こういう時の露天風呂が大好きな変態で良かった。暖かいので何年かぶりにポーションのアールグレイを豆乳の水で割って飲む。旨いじゃないか!ちなみにここ数年飲まないで置いてたやつ。変質はしてないようで、ちょっと怖い。満島ひかりのラジオ番組が始まるようだな。良いな。水曜の夜の大竹しのぶのやつは喧しくて嫌いだったが、4月には終わってくれるのかな?
_ という訳で朗報。瀬戸口みずきさんの『めんつゆひとり飯』が4/1からBS松竹東急で放映だ!めでたし。
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