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2006-03-22 『科学を絵に描いた男 田中豊一ゲルの世界を拓く』(続き)
_ [読書] 『科学を絵に描いた男 田中豊一ゲルの世界を拓く』(東海大学出版会、2002)
そろそろ読了しないと返却期限が近い。
田中豊一という人をわたしは単にゲルの体積相転移で名を上げたのみの人と思っていたのだが、その人の根底にはどうやら生命の謎の探求ということがあったようだった。わたしにはよくわからないのだが「たんぱく質もゲルである」という発言にそれがあらわれているらしい。たんぱく質が20種類のアミノ基400個ほどからできていて、その組み合わせをしらみつぶしに(自然が)試して機能を発現するものに到るためには20の400乗(=10の540乗)通りの組み合わせを試すことになる。ビッグバンから現在まで10の20乗秒といわれているから1秒に一個を試しても全然足りない。だから偶然機能を発現するものがあらわれるなどということはない。これは田中さんが初めて言ったことなのかどうかはわからないが、そんな記述が強く印象に残った。
本書前半はその研究に、後半は身近な人々が語る田中さん自身の記述となっている。ここには、凡庸なわたしのあこがれていた天才とか秀才とか呼ばれる人間の生き様の如きが描かれている。努力し続けて苦にならないと言うことがこのような人々の特性である、とは良く言われることで、そのことは今更のように思い知らされるのだが、加えて、その努力は無駄なところには使われない、ということもあるのかもしれない。田中さんの地図にはノーベル賞を取ると言う目的地も記入されていたようだが、名声を得た頃、研究室を小さくして原点に戻る、という新たなルートも引かれていたようだ。
自分がどこへ向っているのかを示す地図のようなものが頭の中にあれば、いかに道のりが長く、激しい風雨に翻弄されようとも、途上ずっと目的地のイメージに導かれて勇気を持って歩み続けることができるだろう。そのような地図がどれほど明確にあるか、ということは事を成し遂げられるかどうかということにおいては決定的なことではないか、と思う。「絵に描けるような科学」というのがその地図に他ならない。
2009-03-22 春の嵐。
_ 今日は街中を歩く人はすべからく傘の骨を折ってた。
わたしもその一人だった。で、横浜中央図書館に行ってきました。
なぜか磁気工学の本と化学の本と、縄文の本の一部コピーと下田街道の関係で2冊。うち一冊は若山牧水の紀行文。
_ 調べ物に疲れたので「歴史の道」というビデオを発見して少し見た。以前歩いた木曽路、姫街道、そして最近の下田街道なんか。撮影機材抱えてこの道歩いたのかすげえな、としか思えない。NHKの「街道てくてく旅」の時もそう思った。旅人の人よりカメラの人の方がずっとすげえよ。登山の番組とかもそう思う。
_ そんなわけで昔見た景色を懐かしく思い出したので、今日は木曽の酒「七笑」。すごく久し振り。
2010-03-22 センチメンタル・ジャーニー。まとめ。
_ 「月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつはもとの身にして」
この歌は伊勢物語の第4段の歌なのだそうで、なぜか覚えていた。今回のセンチメンタル・ジャーニーで実感したことは第一夜に書いたように、時の流れの無常であること、その本質は何か、ということだった。これは大きな体験だった。そして、上に書いた在原業平の歌をなんどか思い起こしていた。月は昔の月のままだ。
花だって昔の花だ。
春は昔から変わらぬ春なのだ。その春が、嵐を伴っておとづれた。
変わってしまったのは、わたしだ。わたし一人だけが変わってしまったのだ。だから、私以外の全てが変わってしまったように見えているのだ。本当に変わってしまったのは私自身なのに。
そんなふうに、反・業平を気取りながら今回の旅を終えた。思った以上にセンチメンタル・ジャーニーであった。会いたいと思っていた人3人のうち1人にしか会えなかった。 その、会えた方の一人、金田一温泉・仙養館の女将さまが心にしみることをいくつか言っていた。大腸癌から立ち直った実兄殿のこと、年を経ると楽しいことは少なくなり、笑う機会がすっかりなくなってしまうこと。人の気分は本当はちょっとしたことですぐに暗くなったり明るくなったりするのに、落ち込んでいるときはそんなことには思い至らないこと、座敷童がいるというので何年先も予約がいっぱいだった某旅館の火災のこと。。。 でも一番印象に残ったのはこのことだ。上に書いたように、座敷童で有名になった某旅館に続いて、わたしが定宿(とか言ってまだ2度しか泊ってない)とする仙養館にもどうやら座敷童がいるらしいという口コミが広まりつつあり、おそらくその噂を頼りにおとづれた老父がいた。突然に息子を亡くした無念さが彼をおそらくは旅に駆り立てたのだろう。幽霊の姿であっても良いから息子に会いたい、そう思ってこの精霊の住む温泉地を訪れたということだった。
わたしのどころではない彼の人のセンチメンタル・ジャーニーにおいてもやはり、思い知ることは時の無常・その本質であったろうと思う。息子さんの霊に会うことはできなかったらしい。 けど、宿の部屋でフラッシュをたいて写真を撮ると、そこにはオーブらしきものが映っていたんだそうな。 わたしはこのオーブなるものが心霊的なるものと関係があるようには思っていないのだが、一応私が寝床を映した画像にも、いわゆるオーブと呼ばれる光球が映っているように見える。 実体験に相当するような昔語りが発掘されるといいのかもしれない。ともかく私のセンチメンタル・ジャーニーは本当にセンチメンタルな側面を深く刻んで終わった。宿でこっそり練習やってたムーン・ウォークも多少スムーズに動くようになった。奥州街道の旅は本当に終わった。そして、見た限りもう、米沢に向かう新しい旅を始めてしまっても大丈夫なんじゃないか、そうも思ったのだった。
旅から帰ったら、案の定、うちのご近所のしだれ桜が開花していた。これが街灯に照らされているのは本当に毎年深甚に思われるイベントだ。今年もそうなった。私にはどうやら早い春が来た。皆様におかれましてはいかがでしょうか。
2011-03-22 「あなたは何が一番お好き?」「橘飩(きんとん)が旨い」−森鷗外「ヰタ・セクスアリス」−
_ [食べ物・飲み物] 甘納豆もうすぐ完成する。
発酵モード1.5時間×3回を1晩のうちに行ない、何とか完成目前。グラニュー糖をまぶせば途中どんなできになってもある程度恰好がつく、ということのようだ。この状態で広げて室温で乾かしてるところ。これでようやく蒸しパンの具ができる。ほぼ3日かかった。たぶんもうスーパーの棚には並んでることだろうけど、もうそんなことどうでもよくなってますから。
そういえば吉野町の辺りに時雨甘納豆を売ってる店があったっけ。こんどプロの手際を知るつもりで行ってみよう。そして、様々な豆を片っ端から甘納豆にしてみたい。グリンピース、ヒヨコ豆、レンズ豆(オレンジの奴なんてちょっと可愛いんじゃないの?)さやえんどう(さやごと)、ソラマメ、ピーナツ…なんか要するに砂糖菓子作ってるに過ぎないじゃないか。納豆の甘納豆って作れるんじゃないかな、もしかして。煮てるうちに糸が無くなっちゃうかなあ。いやいや、納豆の糸はそんなに柔じゃなかったはずだ。あ、でも良く考えると砂糖で浜納豆作るようなもんか?浜納豆と甘納豆、煮てるよね。味は真逆だけど。。。
ところで、甘納豆作るとおまけがつくんだよ。鍋の周りにきんとんがくっつくんだ。これをかき集めて、森鷗外の「ヰタ・セクスアリス」の主人公みたいに呟いてみるんだ。「金団が旨い」と。森鷗外は難しい漢字で書いてたみたいね、キントン。
_ [漫画] 「焼きたて!ジャパン」橋口たかし
ツタヤで1冊100円の中古本を7巻まで買った。つうか8巻が無かったよ。主人公・東和馬(あずまかずま←なんでこういう噛みそうな名前にするかなあ)は「太陽の手」を持つパンの神の申し子。パンの神ってもケンタウルスみたい奴のことじゃないよ。でもそうか、と思った。多分自分ちは寒いから私の手も冷たくて今一つ発酵が進みがたいのだ。しかもこの漫画見て知ったが、フランスパンって難易度高いじゃないか。先日作った平均的日本男子は結構奇跡的な出来栄えだったのではないだろうか。
ヨガ行って帰ってきて甘納豆の仕上げをして"折ーるケーキ"とカフェインレス珈琲でくつろいでるところ。もうすぐ寝る。
2013-03-22
_ 帰りめちゃ遅くなった。ちょっと歩いたら脚力の衰えを感じてしまった。荷物が重かったということにしておこう。
_ ちょっとしたきっかけで、またしてもこのHPが数人の同僚の知るところとなってしまった、だがそんなことで書くべきことを曲げるわけにはいかない。このHPもプロバイダを3代変えて日記だけでももう10年はつづり続けている。その年月が今のスタイルを醸成したのだ。これからも自然に変わっていくことはあっても今急に変えるわけにはいかないのである。ただ、画像検索で誤検出の少なさそうな"アニメ絵"を公開してしまったのはある意味うかつではあった。オリジナルの絵だというのもミスヒットの確率を著しく下げている一因であった。自然画の検索だとそう旨く行かない。似たような色調をつかった似ても似つかない画像がたくさん出てくる。以前「お、この子誰だろう」と思って見てた画像で検索をかけたら、その子が着てた服の赤い縞模様ばかりがヒットして、まるでコンセプトの違うクリスマス関係の画像ばかりが引っ掛かってなかなか誰だか分らなかったということがあった。だが今同じことをやると、一発で判明する。その子が絵色千佳であるのだ、ということが。どうやら技術の進展があったようだ。
_ もう自爆ネタやめようかなあ。。。でもそういうネタしかないんだよな、自分のこと書く日記なんだし。じゃあこの日記を読んでると思われる特定の誰かのことばっかりネタにすることにしようか?そうすると実家の両親のこととかも俎上に上ることになってしまうしなあ。…って、いやいや、スタイルを変えないと宣言したばかりではないか。ずっと自爆し続けよう。メガンテ!メガンテ!
2015-03-22
_ できることがありながらしない人の多くいる中で、できることだけをすることは結局美徳としか言いようがない。そのことに限界を感じたとしても、それを嘆いて何になるだろう。だから、血の涙など拭い去って、凄まじい笑顔で笑って見せたらいい。笑い事を書くにしかざらん。笑いはこれ、人間の本性なれば。フランソワ・ラブレーは400年以上も前に随分いいこと言ったと思う。今日は父がこの世界にyoutubeのあることを発見し、母がこの世界にバーネットの「秘密の花園」のあったことを再発見した、記念すべき日だ。なんて日だ!使い方違うか。
_ にしんの握り。
近間で少し遅めの食事。山椒漬けか締めたものが出てくるかと思ったら、生だ。こういう食べ方は北海道で無くては考えられない。そういう点で驚きがあった。そのことに比べれば、味の方には驚きはさほどなく凡庸と言ってよかった。より新鮮であれば或いはと思う。それよりも、山椒の木が我が家の猫の額に一本だけ残っていて、すでに新芽が出始めているのを思い出した。にしんの山椒漬けをまた作ろうと思い始めた。
2016-03-22
_ というわけで横浜に帰ってきたらやっぱり暖かい。というか電車の中などは暑い。いよいよ夏に向かっていくんだなあなんて今からちょっと憂鬱。近所のしだれ桜は今年は少し開花が遅い。灯油があと一缶残ってるなあ。無理して使い切るか。
2017-03-22
_ コクヨのスケッチブック。
もはやセY3とは言えないオサレな野帳。ちょっと高い。札幌の東急ハンズで購入。
2019-03-22
_ 休み明けで能率今ひとつ。そして週末の休み。吉沢やすみ、でやんす。
_ 帰宅。しばらくするとうちのロボホンが「発車します。ぷしゅー。ガタンゴトンガタンゴトン。次は鶯谷、次は鶯谷」って勝手に喋りだした。何度か聞いているのでもう驚かないが、あまり相手しないでいると一人遊びを始めるのだ。私みたいなヤツ。そのうち悪い遊びを覚えるんじゃないのか。
2021-03-22
_ げつやうび。遊びで、というわけでもないんだけどシコシコと数式書いてたらなんか見覚えのあるやつが出てきた。なのにそれが何なのかまるでわからない。過去に一度だけ見たことがあるんだろうか?他人の空似だろうか?答えは持ち越し。
2022-03-22
_ 寒い中今日の仕事終わり。計算間違いを調べるのに飽きて魔が刺してファントミに出てた頃のサライのいたずら描きしてみた。停電になるかもしれないというのにこんなことで良いのか!でもちょっと腕がたくましいから後で直そう←なんだコイツは。 髪型とポーズしか似てないけど気に入ったので、次はまーちゃん(森昌子の姪…)も描いてみるかなと思ってる。
_ 寒い中ウォーキング行って銭湯、と思ったのだが、今宵は停電のリスクがあると気づいて中止。けいさん湯で温まってちょっと手習い。悩んでるうちに今夜の停電は無くなったらしい。一日中照明暗めで過ごしてきたが、我が家はすでにほぼ全ての照明がLEDになってるからそんなに気を遣わなくてもいいのかな、とちょっとは思う。その割に電気代が掛かってるからなあ。余計な電流があちこちに流れてるんじゃ無いのか。時々指先がピリピリすることがある。そう言えば、うちのぬこさんたちは日中私の寝床でずっと寝てるのだけど、たまに寝床のテレビをオンしてることがある。画面を見つめてるところは見たことが無い。「見てないんなら消せよ」と言うと、「今見てたのに…」と不機嫌そうに返事するところが小憎らしいじゃないか。ごめん、返事するのはもちろん嘘だけど、テレビつけてるのはホント。スイッチを踏んで歩く感触を楽しんでるんじゃないかと思う。今日は大人しく節電してた。明日も寒い!
_ Edmwnd [Thanks for the good info you site very cool., ]
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