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けいりう堂日記

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2005-06-06 早帰りでジンギスカン/トモフスキー『散らかったユウウツと赤い月』

_ 週末は仕事の持ち帰りでろくに休めなかったから、午後の会議が終わったところで適当に早帰り。2週間ぶりだろうか、ビールを一本、ソラマメ、ジンギスカン。以前は一杯飲んだら後を引いてズルズル飲んでいたのに、500cc飲んだらもう良いやって気になってあとはアイスローストマテ茶。お茶漬けで〆。『ブラックジャック』見ながらマンゴーカルピス(季節限定)飲んでます。テーマソング変った?

_ 注文していたトモフスキー『散らかったユウウツと赤い月』、届く。


2006-06-06

_ [読書] 『真名本 曾我物語』(読了)/『物語の舞台を歩く 十六夜日記』

『真名本 曾我物語』読了。本当は解説ちょっと残っているが。抹香臭いと思っていた本地垂迹の仏教説話の数々も読んでいるうちにあまり気にならなくなり、なんとも華麗な文章であるように思われてくる。華麗とは文章に色がついているような感じというか、ムアコックの作品で言うとエルリックよりもコルムというかなんというか。うん、わかりにくいな。

_ 『物語の舞台を歩く 十六夜日記』田渕句美子、山川、購入。「物語の舞台を歩く」のシリーズ全12巻の1つで、これはちょっとやられたなあと言う感じもする。シリーズ第6巻は曾我物語だったりする。


2008-06-06 休暇取って通信課題。

_ ほとんど一夜漬けで解答を作成したら午後15:00。今日はそのためというわけでもないけど休みとってたので、本校に出かけて出してきた。図書館初めて見た。大きいな、やはり。

しかし今回もいけない。放送授業全然視聴してないんだもんな。

さ来週末は面接授業。ちょっとだけ楽しみ。


2009-06-06 すごい発見しちゃいました。Part2.

_ なんとうちの裏はどくだみ園だった!

以前なら見向きもしなかった、というか厄介者としか見えていなかったのだけど、最近使えるものは何でも使おうとか思い始めた。それに、どくだみは立派な日本のハーブですからね。急に資産家、というか農場経営者になったような気分であります。

とりあえずひと束収穫して陰干しにしてる。しかし、生のままで適当に刻んで入浴剤にするのもいいらしい。お風呂には今、昨日入れたばかりのキャッツミントが入っているので、次の機会にしようと思ってる。

_ [食べ物・飲み物] 昼飯に手間取る。

お昼ごはん、そうめん。最初スパゲティにしようと思って、昔買ってほったらかしの缶詰のトマトと鶏肉と玉ねぎとスライスニンニクでソースを作ったのだが、出来上がった時になって麺が無いことが判明した!それで急遽沸かしたお湯でそうめんをゆでたのだが、何と今度はめんつゆがないじゃないか。

トマトソースでそうめん食べようかと思ったが、このとき、ついこの間たこ焼き作る時に買った粉末あごだしが火を噴いて、つゆ自作。結構うまいじゃないですかふふふ。。。この天気で伸び放題の山椒の若い芽を器に浮かばせたりしてね。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ うにゃにゃ [私の昼ごはんは、肉うどん!白だしで小葱をたくさんいれて食べました^^ たこ焼きもつくるんですね!料理上手羨ましいです]

_ けい [あー!そうだよ。細ネギ刻んだやつ入れるべきだったよ。無念…]


2011-06-06

_ ちょっと油断すると生活が不規則になって気分障害が起こる。気を付けなくては。


2012-06-06

_ わたしにしてはめずらしく2週続けて出張。今回は車中であわてて資料を作る必要が無かったのが良かった。新聞を隅々まで読み、帰りはこじんまりした会議のレジュメなんか書いたり寺田寅彦の「柿の種」なんか読んだりしてた。それでも、移動時間のロスタイムを容認する気にはあまりなれないのが事実。


2013-06-06

_ ちょっと今仕事中なんだがどうにもむかつくことがあって書きこまずにいられない。缶コーヒーのワンダ・フレーバーズがクソマズいんだよ。もうあったま来た。仕事に戻る。

_ まだ会社。夜の休憩時間。FFにキスティスっていう女性キャラがでてくるのだが、日曜以来テスティスにキスしてるイメージで固定化してしまっている。まあそれはそれで。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ うにゃ [そんなにくそまずいのか。。。なんか、きになる。そのまずさ。 お疲れちゃん♪♪]

_ けい [醍醐なるすめぐまほのかにかほりたるいとけなきほとと思ひてその香を聞くや早くいと強き香油鼻打ちけり。ひとえにくそびっち..]


2014-06-06

_ 日付変わった。さすが梅雨時、6月6日にあめざあざあ、の日。葉っぱかな。葉っぱじゃないよ蛙だよ。蛙じゃないよ、アヒルだよ(別の歌い方もあった。ちょっと危ない)。

_ ザ・ムーン、第一巻だけあった。続きを覚えてないのでたぶんそれ以降は持ってないのだということにしてネットで注文した。楽しみ。。。

_ 思い出した。「葉っぱかな、葉っぱじゃないよ」って歌っておいてそのあとその葉っぱの絵に横線をいっぱい書き込んでエロいネタにするというのを発明したことがある。あれは高校の頃だったかのう。。。


_ そういえばケン・ラッセルの"Debussy Film"の字幕見つけたのだが、どうやらフランス語字幕のようだ。なんか字幕サーチソフトとかダウンロードサイトとか罠だらけで怖い。ブラウザのホームページもbingにすり替えられてしばらく直せなかったし。字幕ビジネスというのがネットの世界にはあったのか。英語字幕どっかにないのかなあ。。。→よく見たらDVD自体にsubtytleのOn/Offがあったよ。このDVDアメリカから購入したのでリージョン1なのだ。あと4回変更したらもう変えられない。この仕組み何とかしてよ。だいたいBBCのビデオなのになんでイギリスで買えなかったんだよ。まあでも良かった。これでリスニングの練習が捗る。


2015-06-06

_ [放送大学] 建築/ランドアート/環境(1日目)

榑沼先生の面接授業「建築/ランドアート/環境」1日目。いつもの感じでスタートする。この授業は映像を多用するのだが、神奈川学習センターの設備は今一つその内容に見合うものではないようだ。国内を多く旅して多くの建築が目に入りはするが、ちょっとすごいなあくらいは思ってもその意図とか意味とか解釈に踏み込むことはしないでいた。それは芸術に対しても同じで、俺にはこういうものを愛でる審美眼と言うものは無いと思っている。有名な絵画を前にして何かを語ろうとしても、そこにある色や線、モチーフと言った素材的なことを語ることは俺にはできるかもしれないが、そこにあるものだけでは、その作品の意図についてまで語ることはできない。ぽんと一つの作品を目の前に放り出されたときに、そこからこれは素晴らしいとかなんとか言えるような目が利くようになるためには、それが作られたときや場所や作風などから膨大な背景情報を脳内や参考資料、場合によっては(というよりもこれが一番多いかもしれない)他人の言葉を引っ張り出してくる必要がある。そんな背景情報が無くともその作品の良し悪し(と言いつつその”良し悪し”の尺度もわからないのだが)を語れる人がいるようだ。それがどうやら審美眼というものではないかと思いはするのだが、そんなものをどうやって信じたら良いのか。こんなわけだから贋作が人を傷つけることは大いにまかり通るのだし、流行り廃りと言うのも真贋の間をおぼつかなげにうろつかざるを得ない人の能力の限界ゆえのことで仕方ないと思う。俺には審美眼が無い、と俺が言うのは、芸術や建築の意匠を前にして健全で自分を偽らずに済むほぼ唯一の方法だろう。今回の授業でも多くのインデクスを手に入れることとなる。映像作品は買うと高価なのでなかなか苦労だ。


_ 授業中、ギブソンのアフォーダンスという概念の紹介があった。短い引用からその意味を正確にとらえることはできないが、その中に環境と言うものはミリとかメートルくらいのスケールで知覚できるものに限定されるというような主張があった。俺はこのことに違和感を感じた。ミリやメートルのようなサイズの限定は技術の進歩によって新たな観察手段を使いこなすようになれば取り去られていくかもしれない。ただ、新たな観察手段で見たものを環境の一部であると実感できるようになるためには長い時間がかかるかもしれない。新たな手段で観察されたものは、その解釈(それは芸術作品の鑑賞のように意図を解釈するということでなく、そこには何が映っているかということを解釈するのだ)が困難なのである。水中の花粉を光学顕微鏡で観察したロバート・ブラウンは、花粉が不規則に動くのでそれが生命現象であると解釈した。そうすると、意志によって運動するはずの生命体はなにやら顕微レベルでは規則的ではない動きをするものから構成されているということになり、不規則運動を意図ある運動に転換する原理は何か?などというあまり意味の無い議論をしなくてはいけなくなるかもしれない(ブラウンがそんなことをしたかどうかは知らない)。ウィキペディアによると、この話には二重の誤解があるようだ。一つは、ブラウン自身が冒した誤解であり、彼の見た不規則運動は熱運動の反映であり生命現象とは関係が無いこと。もう一つの誤解は、彼の観察したものは花粉そのものではなく花粉が観察試料中で破砕して溶けだした、より細かい粒子であったこと(不規則運動のもとである水分子に比べると花粉そのものは10万倍くらい大きいのでそれ自体揺り動かされはしない)。このエピソードの後世への伝搬の際に大きく流布してしまった誤解である。ともかく、こういう誤解を乗り越えないと新たに観察された事象を自らを取り巻く環境の一部ととらえるものの見方はできないだろう。1827年のブラウンの観察から1907年のアインシュタインのブラウン運動の理論まで80年掛かっている。実用的な電子顕微鏡が発明されてからギブソンがアフォーダンスと言うまでの間には40年くらいと思われるから、ギブソンがナノメーターの世界を環境から排除したのは仕方の無いことだ。だが、解釈の困難を乗り越えて仮にサイズの制約を環境の定義から取り去ったとするなら、ギブソンの言っていることは要約すれば「知覚できるものだけが環境である」ということである。それはひどく当たり前のことで、知覚できるということは何らかの手段で対象と関わることができることだから、我々に何らかの影響をおよぼすものごとを広く環境と呼ぶのなら、ギブソンは実は環境の定義に対して何も言っていないのと同じだ。彼は何故改めて「環境の再定義」をわざわざ行なったのか?引用が短いので、このようなツッコミに相応しいことをギブソンが議論しているかどうかはわからない。

映像資料として、イームズの”Powers of Ten”(これは会社の同僚が以前紹介してくれたので見たことがあった)と、”Blacktop”という映像を見た。後者は校庭のアスファルトの上に水をいろんなやり方で流して、その広がり方の複雑さをえんえん写したものだ。初めは少量の水、のちには大量の水を一度に流し気泡が含まれていたりする。レオロジーと言うよりもソフトマターの物理現象と思われた。アスファルトを避けて校庭に引かれた白線の上を沿うように流れる水の映像があった。ガラスが汚れているとその上をつたう雨だれは汚れを避けるように流れる。清浄なガラスは通常水滴を一滴たらすと球形にならずに薄く広がる。その水滴の載った部分を適当な倍率で真横から見たなら、液滴の液面とガラスの表面のなす角度は非常に小さいだろう。10°以下だと言われている。その液滴の表面とそれの載っている基板表面のなす角度のことが接触角であり、大きいほど濡れにくい。テフロンの上に水滴をたらすとそういう状況になり、しずくは玉のようになる。程よく濡れているときに横から観察すると液と基板の二つの境界は液滴の端の点で出会うように見えるが、それを再び真上から観察すれば、それは液滴で濡れた部分とそうでない部分を分ける閉じた境界線となる。それを「コンタクトライン」と呼ぶのだが、誰がそう呼び出したかはわからない。俺はソフトマターの物理でノーベル物理学賞をとったド・ジャンヌ先生(故人)が、受賞後に書いたReviews of Modern Physicsで知った。
 

先ほどの白線の上だけを選択的に広がる水は、コンタクトラインピンニングという現象と関係している。水滴が汚れた部分を避けるように流れるのは、濡れやすい界面で広がる方が濡れにくい界面で広がるより少ないエネルギーで済むからなのである。だが、流す水の量がもっと増えていき、水の層の厚さが篤くなっていけば、大勢はそんな境界付近のことなどどうでも良くなり、今度は粘性と質量を持った液体がそれぞれの部分でどんなふうに変形するか、あるいは移動するかといういわゆる”流体”の物理現象へと移っていく。一応そんな風に現象に関係する物理法則はあるのだが、そこからの帰結は一意に見えない。変形するものの記述は難しいのである。だから昨今の天気予報の的中率の高さは実に驚きべきものなのだ。というわけで翌日に続く。


2016-06-06

_ ヨガの事でも書こうかと思ったがなんだか腑に落ちないことが立て続けに起こるので憂さ晴らしに書いておこうと思う。
 なにかことが起こった場合、再発防止のためにフールプルーフのシステムを工夫する、というのがどうも当世流のように思われる。だが、それがなぜ再発させてはいけないことなのかを考えることについてはどうだろうか。事故を起こした時にすぐ「じゃあ『なぜなぜ分析』をやって根本原因を見つけましょう」とかやるのもいいが、逆に、一歩間違ってたらさらにどんなに悪いことが起こっていたかに思いめぐらすことはなぜかそれにくらべるとずいぶんと軽んじられているように感じる。やらかしてしまうフールは、場合によっては痛い目でも見ない限り気づきの能力を獲得することができないほどにフールであるかもしれない。当然のことだが、フールプルーフでフールを減らすことはできない。だが、それなら私達はベビーサークルに囲われていなければ愚かな行為をし続けてしまうような存在なのだろうか?そんなシステムが無くとも、道義的な思想や十分なリスク予測などによって自発的に再発が防がれることの方がどんなに恒久的対策か知れない。もちろん確実な対策ではない。個人の気づきのレベルにも依存することだし、道義的な問題に対して明確な回答を与えるような便利な論理体系はおそらく現在においても存在していない(いや、むしろ現代であるからこそ失われているのかもしれない。禁忌の存在とそれを犯した場合のペナルティというものがかつてはそういうシステムとして存在していたのだ)。そんな感じだから、どれだけ考えに考え抜いて真摯な反省をおこなったところでもう一度同じことが起こってしまうかもしれない。だが、そうと言ってその困難から逃げてしまっても良いようには思えないのだ。だから、愚かな行為とはどんなものであり、そのためにどのような悲劇が起こるのかを学習することには意味がある。古典文学や聖典・名画・名作といったものに接する意義はそういうところにあるのだろう。まずい、寝る時間遅くなった。


2018-06-06

_ 喉の不快も残ってるが、昨日は微熱、今朝は節々が痛む感じ。月曜のヨガの筋肉痛ばかりでは無いのでは。そう。湿邪の季節である。

_ 今日も何とか終わり。。。ではなくて、夕食摂ったら放送大学の通信課題を提出する。物理って難しい…。コツメカワウソの妖精ちぃたんの攻めっぷりがすげえ。

_ というわけで通信課題を提出。webだからもう答え合わせもできた。10問中3問間違った。1つは納得したけど2つはちゃんと学習し直さないと納得できない。まあ理系のドクターの実力なんてこんなもの…って開き直りたいところだがやはり情けないものがある。思うに、これは問題を解く場数が全然足りてないということなんだと思う。学生時代だって試験前くらいしかちゃんと勉強しなかったのだし、論文を読むために勉強して納得はできたとしても、全く新しい問題を解くための体力は全然鍛えられてないんだと思う。ちょっと反省してしまうな。これで行くしかないんだ。わかってないことを認めるのは苦しいし、そのわかってないことをちゃんとわかる努力ということも苦しい。こういう気質が病的と言うんだろうけど、せめて今間違えた問題は解けるようにしたい。この科目、持ち込み不可だし過去問の解説も無いのだし。こういうことになると、問題集買ってたくさん問題を解いてみたくなる。こういうときだけかもしれないけど。ついでにこれまでの履修状況みて見た。あと57単位で卒業できてしまう。さすがに長く在学してるもんなあ。一番心配していた外国語の必要単位も、面接授業で満たすことができてしまっていた。あとは要件としては面接授業を1単位取りさえすれば、残りの56単位はどのような形態で取得しても卒業の要件を満たしていることになる。しばらくは物理と数学系は学び続けようかな、と思う。


2020-06-06

_ どよーび。「あっぱれ!KANAGAWA大行進」久々に新作で放映とのこと(ただしスタジオかららしいが)。昨日食べて残ったやげん軟骨を利用して昼食に親子丼作成。これだって立派な親子丼だと思うが、しかしたぶん血の繋がってない鶏の骨肉と卵を混ぜて「親子」と称して食べるなんてニンゲンは何と残酷なのでしょう。料理してたら長年使ってたゴツい冷風機が故障。寿命と割り切ってタワー型の扇風機を買うことにしたのは良いが、故障した方は横浜市の粗大ゴミ回収の申し込みページのリストには無い。こういうものは回収には結構な料金が取られるものなのだ。まあとにかく新しい扇風機来てから処分を考えよう。蒸し暑し!

_ という訳で蒸し暑かったので床屋へ。しばらく前からやってみたかったスポーツ刈りを注文。床屋のオヤジが、バリカンは長いのと短いのがあるけどどっちにするかと聞いてきたので、折角だからと短い方を頼んだ。バリカンの刃が頭の地肌に当たってヒンヤリ。この感覚はちょっと無い。そしてカットはあっという間に終了。以前坊主にしたのは2005年だと過去の日記に書いてある。最初の坊主の時は鏡に映る自分がおかしくて笑いが堪えられなかったが、今日は鏡を見て「おお…サイコーw」と呟く自分。大人になったものだ。気に入ったらこの先ずっとこれで行くかなと。これが私のニュー・ノーマル。


2022-06-06

_ 『ローカル女子の遠吠え』ネタで「東海三県」というと静岡は入らないらしいということにワナワナしてる。雨の中ヨーガ。


2023-06-06

_ 6月6日はやっぱり雨ざあざあになってしまいましたな。久しぶりにキッチンで数式計算やってたのだけど、なんかダメ。諦めて明日見直すと言うことでビール飲む。『宝島』見終わったので次は『ガンバの冒険』か『あしたのジョー』でも見るかなと。最近昔のアニソンにハマってる。ルパン3世セカンドシリーズの『ラブスコール』とかキャプテン・フューチャーとか『赤毛のアン』とか。もちろん『宝島』も。大野雄二もハネケンももっと聴きたい。『赤毛のアン』の大和田りつこさんはNHK R1の「マイあさ」で童謡コンシェルジュ・永遠のうたのおねえさんとしてときどき出演してキャスターさんたちに歌の無茶振りしてます。『赤毛のアン』はまず原作読みたいな。


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