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けいりう堂日記

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2024-06-01 六月しとしと涙雨。 [長年日記]

_ という訳で6月。昨朝の「マイあさ」で大和田りつ子さんの歌う「六月しとしと涙雨」が掛かる。毎月最終金曜はアナウンサーの人々に童謡を歌わせる趣向で、この日は輪唱をやっていた。僕も寝床で2人のアナウンサーに続けて歌ってみる。今朝も強めの雨。大和田さんの歌はワンコーラスしか流れなかった。でんでん虫虫カタツムリに「ねえカタツムリ、角出せ槍出せ目玉出せ」と電話を掛けている。その後どうなったかが知りたくてYouTubeを探したら、はいだしょうこさんが、この歌を作曲した小原孝さんのピアノで歌う動画が出てきた。カタツムリは果たして何と答えたか?

6月に入る前から梅雨みたいで天気は不安定。ヨーガのインストラクターさんたちは自律神経をケアするような内容でクラスを行なってくださる。湿邪の季節には小豆を食べてむくみを取るのも良い。カビ防止のためにトイレの壁はすでにクエン酸で拭いた。雨樋の調子が悪いから晴れ間を見て掃除しなくては。

カタツムリは答えたのだ。「わかってるよお前は 元気出せ 元気出せ 元気出せ」この季節は晴耕雨読にしよう。歌詞は垣内磯子さんという方によるとのことである。


2024-06-02 [長年日記]

_ 開港記念日。

入力が開校記念日になりがちなのだが今日は横浜開港記念日。日米修好通商条約という日本にとっては不利な条約の帰結として開かれた横浜港に記念などと、と、以前は思っていた。今は単に、ジャックの塔に登れる日とわきまえていたっていいのではないか。という訳でスーパーヒーロータイムも見ずに出かけたのだった。思ったより上まで登れたので良かった。


2024-06-07 [長年日記]

_ [漫画] 「あつまれ!ふしぎ研究部」19、安部真弘、秋田書店、2014。

今日発売日。次が最終巻とのこと。今回の巻の最終話はフライング気味に10年後の元ふしぎ研究部員の飲み会。ハーレム漫画として良い完結にいたらんとしている。そうそう。漫画はいつか完結せねば。

_ [漫画] 『緊縛マゾヒスト』三条友美、あまとりあ社、2024。

最近知ったのだが、三条友美先生が昨年6月にお亡くなりになっていた。Xでスタッフの方の通知により公表されたらしい。というわけでそろそろ一周忌、ということになる。タイトルの作品はカバー・イラストがCGによる未発表作品で、収録作品は新作というわけではないのだろうが、これが一応三条さんの遺作ということになる。CGを駆使した後年の作品『人妻少女アイ』『家畜人ヤプー』は僕には確かに新しい時代のエログロの誕生と映ったが、これらは継承されることは無いのかもしれない。ヤプー、完結まで氏の表現で見たかった。しかし漫画はいつか終わらねばならないものなのだ。作家とともにその表現手法も無くなってしまうというのは自然の摂理に適っているようにも思われる。AIで模倣したとしても、それは絶滅動物をDNAから復元したようなもので、構成しているものが同じであったとしても”シミュラクラ”に過ぎない。そういう意味で「ぱいどん」のプロジェクトは無粋なものというか、AI技術を持った集団の余技的な活動に過ぎない。そこには手塚先生はいないし、イタコ漫画家・田中圭一さんが描いていてくれてれば十分ではないか。


2024-06-08 [長年日記]

_ 父の遺品出てきた。

計算尺  なんだかわかるだろうか。使い方調べて何かのネタにしよう。
メーカー名  メーカー名とシリアル番号なのか機種番号なのかわからない番号が。と思しき記載が。RICOHって、あのリコーなのか?←そうみたい。
ランプシェード  Zライトというのは多分商標なのだと思うが、高校くらいからずっとそういうタイプの卓上灯を使っている。ただ、現在の魔窟はレイアウトに著しい制限を有しており、早い話が容易な模様替えの出来ない乱雑度合ということで、ぐいと書面にライトを近づけようとしても叶わないのだった。しかし!水道に様々な変形蛇口があるように、電灯にも様々なアダプターがあるのである。ということを最近知って取り付けた。ぐっと光源がノートの書面に近づいたので弱くなった視力には好ましい事この上無い。だが、そのままの裸LEDでは目に優しくない光線が四方八方…いや良く考えたらそれは二次元の場合じゃないか。三次元の場合は六方十八方だろうか?なんか難しいぞ。ともかく等方的に放射されるのでやはりシェードが必要になった。そんなものは買ってない。ネットでDIYの記事を探したら、以前紙で作ったランプシェードが燃えて痛ましい事故が起こった話なんかが出てきた。LEDだけど熱には注意してレザック紙で作ってみた。コンパスカッターではあまり大きな円が描けないので、円錐形に円筒を接続することに。のりしろを工夫してなんとか作ったのが画像。黄色しかなかったので折角の昼光色が電球色みたいになってるけど、直進してるところは流石に昼光色。まあそのうちちゃんとしたのをつけてもいい。シンプルに昔の裸電球の傘で良いんだけど今はむしろ入手困難なような。。。  画像アップしたのを見てみたら、なんか意外とおしゃれに映ってるのでこのままでもいいか、なんて思い始めた。こらこら。後ろに映りこんでるエロ本のタイトルとか読もうとしちゃだめですよ。

_ 四方八方じゃなくて六方十八方で正しいか?とCoPilotに尋ねたら、「もしあなたが「六方十八方」を使いたい場合、それはあなたの独自の表現方法として素晴らしいものです。 どんな方向でも探求することは、私たちの知識を広げる素晴らしい方法ですね!」と返してきた。お前僕のこと馬鹿にしてるね?


2024-06-10 [長年日記]

_ [読書] 『少年オルフェ』、米沢幸男、講談社、1981。(講談社青い鳥文庫033-1)

なぜこの本を読もうと思ったかというと、オルフェウスという人物と、オルフェウス教という教義に気まぐれに興味を抱いたから、というそれだけの事。NHK少年ドラマシリーズでこの作があったということだけは覚えていた。古書を求めんとしたが如何せん高い。という訳で歴史ある公共図書館で借りたのだった。古書独特の少し甘いようなカビ臭いような香りをさせながら読み進む。大好きな妹を失った兄は、確かにどんなことをしても妹を取り返したいと願うだろう。その悲しさとは裏腹に、兄・すすむの冥府の旅は何か楽しい。僕もこうして、長い間わだかまっていた記憶に一定の納得を得ることができた。次は『とべたら本こ』、が、読みたい。


2024-06-11 [長年日記]

_ NHKジャーナルを聴きながら小型七輪でなんか細かいもの焼いて食べてるところ。最近思うんだが、ラジオ番組はSNSでお気楽に投稿してくる駄弁に何故こうも頼るのか。つまらん御託を聴きたくなくて人と交わらずラジオに逃げてきている自分には耐え難いことこの上ない。SNS要らない。絆とかも要らない。確かめなきゃならないような繋がりなんて、全然繋がってないことの証明ではないのだろうか?SNS要らねえ。え?この日記もSNSの一種なの?違うだろ、全然ソーシャルじゃ無いんだもん。単純に、七輪で焼いて何も付けずに食べる椎茸の旨さよ。


2024-06-15 [長年日記]

_ 今日は放送大学の面接授業。次回までにとある解析をして報告せねばならぬ。という訳でちょっと公的調査の中身を調べることにした。やはり面接授業のたびに何か新しいことをしたいというわけ。
にしても今回もまた、シニアの人々(僕だって彼等と違う、というわけではないのだけど。あえて違いを言えば彼らは彼らの属するコミュニティの中ではそれなりに責任ある立場にいたものが多く、こちらはそうではない、という事)に苛立ちを感じてしまったのだった。立場の違いのせいなのか或いは近親憎悪のようなものなのか、いつも思う事がある。「シニアって、駄目だな」という事。シニアは基本的に寂しがり屋で構ってもらいたい癖にプライドが邪魔して挙句、我褒めとしか思えないような言葉で自らの魅力をアピールしようとするし、論理抜きで他者を否定する。決してこちらに反撃してくることがないとわかっていれば、情けも容赦も無く。これはおそろしいことではあるが、差し当たり困るのはそれがしばしば授業の進行の妨げとなってしまう事なのである。なお悪いことに、シニアには死の影が付き纏っているから、思いついた事は生きてる証のつもりで何でも口に出さないといけないような強迫観念に囚われている。もし僕が彼らの配偶者だったなら絶対に熟年離婚するだろう、と思うのだ。


2024-06-19 [長年日記]

_ なんとなく中学の頃のことを思い出そうとして思い出せなかった名前。「エマニエル夫人」演じてたの誰だっけ?エマニエル・アルサン。いや、それは原作者の筆名だ。ミア・ニグレン。それはリメイクされた時の女優。結局ウィキペディアで調べたのだった。おお、忘れるべからざる名前だった。ここには書かないけど。この人、身長174cmもあったのか。そういうことを思いつつまた視聴したい。


2024-06-21 [長年日記]

_ 今朝は二日酔いだった。その日は朝から「今日は帰宅途中に軽く飲もう」などと固く決心して出かけたのだったが、その日の午前に、どうにも受け止めきれない出来事が知らされたのだった。
知らせを聞いたとき、おかしなことに僕に生まれたのは怒りの感情だった。それから、これは怒るべきことではないのだ、と気づいた。そしてその事実の周辺では僕よりももっとそれを受け止めることができずにいる人たちがいる、ということにも。
幸いなことに、僕にはエピクロスの教えやグリーフ・ケアということに触れた経験がある。悲嘆の時は重要であるということを学んでいたのだ。そういう訳で、軽い飲みの計画はその出来事にまつわる追想という儀式へと意義を変えた。
割と最近思い知ったことは、長く生きていくということは、かかる出来事を自分がなすより前に、他の人がどんどんなしていってしまう、ということだ、という事実だった。これは確率の問題ではないから、帰無仮説も対立仮説も立てる必要が無い。荒井由美が卒業写真を開かねばならないような気持ちになったとき、僕はエピクロスの言葉に触れたくなる。悲嘆の時を過ごした。想い願っていた幸福な未来を叶えられなかったものがいるということに思い至った時には、流石にこっそり泣いた。飲み屋で泣き濡れるオヤジなど全く絵にはならないが、世界はたくさんの色のうちのひとつを喪失したのだ。終わりの電車とバスのあるうちに帰宅したのだが、朝目覚めるとメガネがどこかに行っていた。スペアは何故か二つあるので万全だった。朝は雨。このようなことがあるときにはなぜかいつも涙雨が降る。慰めの雨が喪失感に苛まれた心を潤すのである。今は悲嘆ではなく追想を、と深く願う。


2024-06-22 [長年日記]

_ 眼鏡は単にテーブルの下にあった。帽子の下に隠れていたのだった。いつものことだが、踏み潰さないで良かった。ネジが緩んでいるので調整してもらいに行かなくては。今日は晴。晴れれば暑くなる。雨だと寒くなる。道理を通せば窮屈だ。とかく六月は棲み難い。


2024-06-23 [長年日記]

_ [統計学] 政府統計。

e-Statsというページでは国勢調査はじめさまざまな政府統計データにアクセスできる、ということを最近知った。『公的統計による統計入門』という本がとても使い方の参考になる。この本はそればかりではなく、色々なグラフの描き方を紹介しており、探索的データ解析の参考とも捉えることができるのだ。本にも載ってる辺りのデータに直接アクセスしてコロナ感染拡大の生活様式への影響を見ることなんかもできる。少しずつこのデータベースの使い方がわかってきたので、実際にデータをダウンロードして得意のRで有意差を検定したらおもしろかろう、などと思ったのだが、それはちょっと甘かった。国勢調査は5年毎だし、毎年の調査項目だって多分携わるお役人がどんどん変わっていくからだろう、ファイルの名付け方にいまいち過去との連続性が無い。そして実際に統計表を開いてみれば、こりはびっくり。表としての見てくれを気にしてだろう、要らない空白があったりとか数値をカッコでくくってみたりとか。ネ申エクセルって、こんなところに堂々とまだ生き残ってたのね。河野太郎ちゃんが「こんなのやめようよ」って当時のツイッターで呟いたのは2016年。もしかしたらそこからの間にエクセルデータのデータ・クレンジング技術も長足の進歩を遂げてるのかもしれないな。ちょっと調べてみるかな。という訳で、趣味の統計は今宵もおもしろかった。「趣味の○○」と称する道には、こういった「奥が深い症候群」を誘発する罠がどの道にもたくさん仕込まれているんだ。だから楽しい、と考えるしか無い。楽しいと思えるのは僕がホモ・ルーデンスの1人だからだと思う。そんなこと書いてるけど僕はまだ『ホモ・ルーデンス』を読んでない。奥が深いことだのう。ほい、じんが!


2024-06-27 [長年日記]

_ 「SFマガジン 2024,年2月号」

何となく昔のNHK少年ドラマシリーズのことが気になって先日は『少年オルフェ』を,読んだわけだが、今はちょっとずつ『飛べたら本こ』を読んでいる。ドラマ自体はほとんど見たことは無い。ただ、テーマソングの物悲しさともアイロニーとも取れるような歌詞と、シンプルな爪弾いているようなギターは深く記憶に残っていた。そんな懐かしさから、歌っていた金延幸子という人に興味が湧いた。CD買った。ネットで調べたら、この人がごく最SFマガジンのインタビューを受けている記事を見つけて、このバックナンバーを図書館で借りた。執筆者の中に知った名前はほとんど無く、ただ、神林長平さんがまだ「戦闘妖精・雪風」書いてるんだなあ、ということはわかった。これも読んだ事は無い。金延さんは敬愛するフィリップ・K・ディックと親交があったらしく,その思い出が語られていたのだった。色々思い出すことがある。易に興味を持ったのは『高い城の男』だったとか、ブレードランナーを観た札幌の日々のこととか。なんかもっと大事なことに気づいた気もするが夜明けも近い。


2024-06-30 [長年日記]

 放送大学の面接授業が終わってゆっくりとした休日。ここのところはその授業で行なうプレゼンの準備に、「趣味の」というには必要以上の手間をかけていた。多少寝不足気味もありつつも何とか準備を整えて、当日は午後からのプレゼンに臨んでいたのだった。
 先日も、このクラスには結構な割合でシニアの方が存在していて、その態度があまり評価できるものではない、ということを書いたのだが、特にその傾向が顕著な方がその日の昼休みも例によって大声で語っている。講師の先生の講義の話題があちこちにいっていて一体どこに辿り着こうとしているのかわからない、とか、先生の話ぶりが良くない、文末がはっきりせずもごもご言っていてわからない、などと。僕もそのことは感じてはいたのだが、ここは義務教育の場でないのだから、講師の個性は大いに出て構わないとも思っていた。何より、その世界の一線で活躍していた経験をお持ちの先生が多く、そんな体験を伺えることは、入学資格のほとんど存在しないこの大学の大きな魅力だと思っている。その気になればいくらでも深く学べる場所なのだ。僕ら学生はその切っ掛けを沢山与えられる。そこから何かを学び取って更に自らを深耕するかどうかは全く僕ら学生に委ねられているのだ。こういう学校がどんどん出てくれば良い気もするが、問題は、全ての学生がそう考えてもいない、ということなのだ。学生の年齢層も、経歴も全くバラバラで、特にそんな学生たちと顔を合わる面接授業の先生は、一体どんなレベルで講義をすれば良いかにはよほど苦心することだろう。大声さんの声を我慢してあとわずかの休憩時間を過ごそうと目をつむっていたのだが、彼は言ったのだ。「その語尾を濁すような語り口は、まるで娘の婿にそっくりだ。」

「僕は面白いと思いますけどね」

 目をつむった僕の口から、思いのほか大きな声でそんな言葉がでてしまった。これ以上不快で、家族にであれ他人にであれ敬意の存在しないアニマルワールドの言葉を人間界の中で聞きつづけるのは苦痛だったのだ。そして、ああ言ってしまった、と思ったが、それで彼の垂れ流す言葉は途切れた。たぶん教室の空気も冷えたのだろう。やや間があって、彼が「面白いって?何を」と言う。「講義の内容がです」「先生の話し方が面白いというのか何なのか」彼はまだ自分に向けられた批判を受け入れられずにこちらを見て話を続けようとしたが、すでに当の先生も教室に入られ、それ以上のことは起きなかった。ただ、僕は自分の発言によって自分の心拍を上げてしまった。プレゼンの一番手は僕だったのだ。10分ほどのプレゼンは、寝不足と興奮とによって始終声が上ずりがちで息苦しいのもとなった。それが無ければこれまでに用意したプレゼンの中でも良い仕上がりだった。先生も興味深く思われたようで、質問コメントが長引いてしまい、発表順が最後のほうの方がイラつかれていたようでもあった。
 9人ほどの発表者の中には、さすがにプロフェッショナルをうかがわせるものもいくつかあり、僕が興味を持っていても手を出せずにいた分析法をうまく使っているものには感心した。GISデータを使った確率の推定やモデル化なども面白かった。そして、等の大声氏は、初めに課題の趣旨を取り違えていて十分なものが用意できなかったことを詫びてから、どこからか蒐集してきた数値を棒グラフや折れ線グラフで延々と見せ続けていた。ところどころ「こんなことになっていて」とか「みなさんどうしますか」などと警句とも取れないような音を発していた。いつまで続くのか、話はどこに帰着するのか。先ほどの先生への批判をそっくりお返ししたいような内容と言っていい。先生はすべての学生に対して敬意を持って問いやコメントを発しておられた。大声氏に対してもだ。こういう態度は学ばねばならないことの一つだ。僕は全く人間ができていない。そしてふと気づいた。先ほどの授業への批判は、授業の意図を理解することができずせいぜいこんなことしかできないという自分への引け目の裏返しだったのではないか。せめてそう考えてあげたかった。言っている偉そうなことと実際に自らのできることがこんなにもあまりにかけ離れている人間が存在しているということを信じたくなかった。彼が僕の遠からぬ未来の姿であるかも知れないとは信じたくなかった。しかし、「偉そうなことを言っていても結局ここまでしかできなかったんだよね」などとひそかに留飲を下げている自分もそこにいたのだった。彼はプレゼンの始終人の発表に特に意味のない合いの手を必ず一言は入れ続けていた。そういう風に生き続けてきたのだろう。修正するだけの知恵も動機も彼には無い。これは僕の未来の一つの、ただし低い確率であってほしい未来の一つのシナリオだが、そうなったとしても非難すべき娘婿など僕にいないということは幸運なことだ。講義内容以外の大事なことまで教えてくれる放送大学とは誠に得難い教育の場である。シニアとしての生き方に対する沢山の反面教師がいる。僕はそこまで求めちゃいないけれど。ただ、必要とあらば自分の弱みをさらけ出せる勇気は実力の裏付けがあってこそのことなのだ、ということは胸に刻んでおきたい。面接授業では何かが起こる。適度に楽しめるくらいの頻度で、今後も受け続けよう。

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