RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2008-06-21 はじめての面接授業(1)
_ 午前から午後まで弘明寺で座学。横浜の近・現代。
先生は「横浜学という言い方はあるけど神奈川学というのは聞かない」という。
東北学とか湘南学とかいう地域学というのは、その地域に或る際立った特色というか特殊な地域性、あるいはその地域を聞いて想起するイメージの強さなどがあって初めて成立するものなのだろう。神奈川は川崎・平塚・鎌倉・伊勢原・秦野・横浜などといったそれぞれの地域において地域学が成立しうるだろうけれど、その総体としての神奈川という地域のイメージはせいぜい「横浜のある県」ということなのだろう。
たとえば古代や中世においては、歌枕との関連で神奈川〜というより相模の国には一定のイメージがあったのではないだろうか。それは神奈川の各地域に関する詳細な情報が中央に伝わらなかったことのせいでもあり、「神奈川学」ならぬ「相模学」が成立するとしても、それはそのような中央で作られたイメージを主体とするものにならざるを得ない。と、今はとりあえず考えておく。
この先神奈川の諸道を歩くときには、神奈川学の可能性を頭の隅に置きながらということになるだろう。
2011-06-21
_ さすがに動作がのろいと感じられる私のPC。自作したの何年前かと言うと、どうも2008年のちょうど今頃のようだ。そろそろアップグレードしても良いんじゃないかと思うが、とりあえずメモリを最大限に上げることで快適になるんじゃないかなー。ワーキングメモリを増設するのは最も安価で効果的なアップグレードである。
2012-06-21
_ うーめんのおかげで…ということかどうかわからないが、だいぶ楽にはなったのだが念のため今日も休養。風邪のようでもありそうでもないようでもあり。でも夜にはヨガやってやっぱり疲れたりしてた。「勝手に観光協会」おもしろし。
2013-06-21
_ 早く帰ってきて今「しゃべくり007」の録画を見てるんだ。目当てはやはり真木よう子だ。今回の衣装も胸元の陰影を弱めたフラットな衣装。今回も、子供の頃ジブリ作品のまねをして一人遊びでお芝居してたと言ってる。「さよなら渓谷」公開間近であちこちに出ているのだと思うが、バラエティで露出してるとちょっとイメージが変わってくる。それにしても無名塾時代に仲代達也と喧嘩したエピソードは良いよねえ。早くいろんな宿題を済ませて「ベロニカは死ぬことにした」を見たいんだよ。噂ではかなり捗るらしいぞ。
_ 今部屋に飾っている手ぬぐい。
ちょっと前に弘明寺観音商店街歩いてて見つけたくの一の手ぬぐい。なんでも甲賀流に望月千代女という少女を集めて忍者や歩き巫女としての訓練を積ませた人がいたらしく、武田信玄に仕えたということである。この手ぬぐいのちょっとにらみを利かせたような視線を浴びせられると日々いろいろと捗るんじゃないかと思ってたが特にそういうこともなく、すでに風景と化している。
昨日だったかな、なぜだか唐突にドレッド・ツェッペリンが気になり始めてとりあえずアマゾンでカートに入れた。そうだ、もともとは(これもまた何故か、なのだが)牧伸二のことを考えてたんだった。一時期、ドレッドヘアにしてウクレレでレゲエをやってたことがあったっけなあなんて考えながら会社の敷地を歩いてたんだ。
2015-06-21
_ 左手で書いてみた。
こういうことやると、「天才バカボン」で赤塚不二夫が左手で描いた漫画を載せてたのを思い出す。思ったよりもひどくない、というかむしろ妙に味のある字になってるようにも思える。
2016-06-21
_ 今日もとてつもなく蒸し暑かった。デフォルトで頭がぼーっとしてたのに加えて周囲には何が楽しいのか、やたらでかい声ではしゃぎまわっている御仁がおいでになっていたり。
俺の周辺はいつの間にかキンダーガーデンになってしまったのだ。俺はいつの間にかキンダーガーデンで日がな暮らしている。親分にお遊戯見せたり友達のほっぺたつねってぎゃあぎゃあ泣いてるだけでちゃんと生きて行けるなんてこんな良い社会はどこにもない。できる限りしがみついていて、無垢な誰かと知り合ったならそいつもまた自分のような社会人に仕立てあげてしまえばいい。日本の将来は捨てたものではない。明日も今日のように楽しく生きて行こう。。。
_ 早見あかりんがデブ専…完全に間違えた。デブ活やってるというのがブログに載ってたらしいのだが、ページ削除されてるっぽい。どうやら先だっての「ラーメン大好き小泉さん」主演の影響でリアルにデブってしまっていたらしい。確かに最近のと言われる画像見ると、ちょっと背の高いあーりんに見えた。常ならむ世じゃの。
2017-06-21
_ というわけで大雨の合間に帰宅中。大事をとって大学図書館に行くのはまたもや延期。やむなし。どうどどどうど どどうどどうどど。それはやまなし。違った、風の又三郎。二回間違えていっぱい間違った。
_ 強い風の中雨は上がったのでトレーニング行った。マシンを待つこともほぼ無くスムースに終了。お風呂も入って帰ってきた。みちたりた…
2018-06-21
_ なんかのついでで自分の日記をググったら、だいぶ前に書いてた「悪魔くん」(実写版)の記事が2ちゃんねるの板でリンクされてた。レビューとも言えない記事だけど全話コメントしてたのでそうなったんだろう。その後そんなにマメな記事書いてないのを少々反省してる。
_ ツィッターで@KanagawaSafetyをフォローしてるんだけど、うちの近所も不審火がそこそこ多くて怖い。どんなに自分で気をつけてても、点けられたら大変なことになるわけだし、日中いないことは大体わかってしまいそうだし。
2020-06-21
_ 日記書き忘れるといけないので朝だけどもう書いてしまう。しかし朝だから大したネタは無い。朝飯のこと書く。たらこ、冷やご飯にお湯かけたもの(この間読んだ『ローカル女子の遠吠え』最新刊に、白湯をかけたものをお茶漬けと呼ぶのは解せないというネタがあったのでお茶漬けとは書かない。『孤独のグルメ』には小津安二郎の『お茶漬けの味』のことが描かれてた。観てないな。たぶん白黒なのでお茶をかけてるかお湯をかけてるかはわからないかもしれない)、ワタ抜き済みのサンマを焼いたもの、大ぶりのなめこの味噌汁。なめこの味噌汁作るたびに、つげ義春の紀行漫画を思い出す。タイトル思い出せないが『二岐渓谷』ではなかろうか。旅の主人公が旅館の前に生えている大きななめこに惹かれて宿を決める。このなめこが食べたいと常々思っている。私もまた孤独のグルメなのだろう。ごちそうさまでした。作ったのも食べたのも自分だけど。
2024-06-21
_ 今朝は二日酔いだった。その日は朝から「今日は帰宅途中に軽く飲もう」などと固く決心して出かけたのだったが、その日の午前に、どうにも受け止めきれない出来事が知らされたのだった。
知らせを聞いたとき、おかしなことに僕に生まれたのは怒りの感情だった。それから、これは怒るべきことではないのだ、と気づいた。そしてその事実の周辺では僕よりももっとそれを受け止めることができずにいる人たちがいる、ということにも。
幸いなことに、僕にはエピクロスの教えやグリーフ・ケアということに触れた経験がある。悲嘆の時は重要であるということを学んでいたのだ。そういう訳で、軽い飲みの計画はその出来事にまつわる追想という儀式へと意義を変えた。
割と最近思い知ったことは、長く生きていくということは、かかる出来事を自分がなすより前に、他の人がどんどんなしていってしまう、ということだ、という事実だった。これは確率の問題ではないから、帰無仮説も対立仮説も立てる必要が無い。荒井由美が卒業写真を開かねばならないような気持ちになったとき、僕はエピクロスの言葉に触れたくなる。悲嘆の時を過ごした。想い願っていた幸福な未来を叶えられなかったものがいるということに思い至った時には、流石にこっそり泣いた。飲み屋で泣き濡れるオヤジなど全く絵にはならないが、世界はたくさんの色のうちのひとつを喪失したのだ。終わりの電車とバスのあるうちに帰宅したのだが、朝目覚めるとメガネがどこかに行っていた。スペアは何故か二つあるので万全だった。朝は雨。このようなことがあるときにはなぜかいつも涙雨が降る。慰めの雨が喪失感に苛まれた心を潤すのである。今は悲嘆ではなく追想を、と深く願う。
_ うにゃ [そんなに好きなのね。ようこさんが!]
_ けい [ようこじゃねーよ。よう子。もー写真集買う!]
_ うにゃ [買ったら感想聞かせて下さいね〜 ようこさんだいすきけいさん♫]
_ けい [もー月刊真木よう子も週刊真木よう子も買う!]