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2008-08-13 本州先端の旅の一応終わり。
_ 朝食前にホテル周辺を散策。足が痛いとか言ってらんないわけで。
石川さゆりの歌の流れる記念碑をまあ一応お約束だから鳴らしておいて、先を行く。日本唯一の階段国道というのが長くて疲れた。これは車優先の現在の交通事情に対する強烈なイロニーである。 階段国道の先には太宰治の文学碑。「津軽」の一節。本州をどこまでも北に向かおうとしてもこういうところにすぽんとはまり込んでもうその先には行けないことになるから読者諸君も気を付けたまえ、なんかそういったことが書かれている。太宰治が竜飛崎をおとづれた時は今日のように曇りだったのであろうか?もしもはるか北、しょっぱい川のその向こうに蝦夷地の山々が見えていたなら、ここが本州のどん詰まりであるなどとは思わなかったのではないのだろうか?なぜならば伝説の義経主従はもちろん、はるか縄文の人々までもが、この津軽海峡を陸路を途絶させるものとは認識しなかったのである。あの向こうには津軽の閉塞を打ち破る広い大地が続いている。だからこそ彼らはこの海峡をしょっぱい川と呼んだのであり、判官の悲劇ははるか蒙古にてアジアの快挙に変じたのであり、三内丸山遺跡にはオホーツクから伝わった黒曜石が鋭利に輝いていたのだ。
というわけで朝食の後、バスで三厩。義経寺は明日の義経祭を控えて賑やか目に見える。高台の上から平舘海峡を望む絶景の寺。ほんとはちゃんと歩いてここまで来て、旅の終わりの快哉を叫びたかった。が、どうせまた来るのだ。
JRでじっくり時間をかけて帰宅。新幹線の中で、白神山地から川越に帰らんとする父と同じくらいの年の人と語らいあう。
秋に、また来ることができるだろうか。そして、しょっぱい川を越えることができるだろうか。
いやいや、ここまで来てしまった男はもちろんどんな手を使ってもここに舞い戻ってきてしまうのだ。おそらく何を犠牲にしても、だ。
2012-08-13
_ PCの電源をパワーアップしてHDD増やしてWin7をインストールしなおしてる。ブラウザのお気に入りとかメーラーのむかしのデータとかがどこにあるかいつもよくわかんなくなる。これでまだPCがかったるいようならいよいよグラボを搭載することにしよう。ただし来月以降。
2015-08-13
_ 盆休みなれど帰省しないでやりたいことばかりやろうと。でも旅に出るリソースが少々欠如してるので、UbuntuとCentOSの問題を両方解決しようとしている。
_ [コンピュータ] Ubuntu
UbuntuはLinuxのディストリビューションなんだけどGUI画面でいろんな操作ができてLinuxっぽくない。でももしかしたらLinuxの普及に大きな役割を今後果たしていくのかもしれない、、とかそんなことはともかく、そのGUIが出てこなくていろいろ試した。結局のところ必要なものがインストールされていないのと、リブートして反映してないということだけが問題だったようだ。できた。これでやっとヘビ使いになれる。
_ [コンピュータ] CentOS
i-nodeが枯渇してて何もできなかったので、そのファイルをまず消さねばならない。が、大量すぎると単にバロスの呪文が利かないのだった。ファイル名を取得してxargsを使ってパイプ
でrmに渡すやりかたがいいといろんなHPに書いてあるけどうまくいかない。でも、VPSの提供元のコンソールから同じことをやると実はうまくいくのだった!ガーン!猛烈に感動した。と言うわけで現在未使用ノードが着々と減っているところ。なんでこんなことになったかはちゃんと調べないといけない。まあ今日は成果があったと言える。
_ 桝田道也さんの「とらせず虎三郎」パブーで購入して読んだ。
2016-08-13
_ 街では盆踊りが始まっている。この喧騒な行事を確かに私は好まないのだが、それでもその喧騒に耐えればもう秋は近く、苦手な夏を何とか乗り切ったように感じる。北海道では甲高い女声で歌われる「子供盆踊り唄」が延々と繰り返されるのが特徴だ。
シャンコ シャンコシャンコ シャシャンがシャン
手拍子揃えてシャシャンがシャン
何度となく聞いているのにシャシャンがシャン、とは聞こえず子供の頃からずっとシャシャンコシャン、と聞こえている。はしゃぐ甥たちを見ながら今年は何となくこの喧騒も侘しげに響いている。もう、横浜にもどらなくてはならない。帰宅してすぐやることは、日曜朝の特撮の録画を見ることとなるだろう。今回、鈴木美潮さんの「ヒーロー達の戦いは報われたか」を持ってきて折々読み、残り1/3ほどになった。子供の世界から何か現実からは得られないものを得ようとする私の日曜の朝は半世紀前とあまり変わることが無い。「悟空の大冒険」や「アストロ超人ジャンボ」が「ジュウオウジヤー」や「仮面ライダーゴースト」に代わっただけのことだ。
2017-08-13
_ [特撮] 宇宙戦隊キュウレンジャー
今日は惑星トキで各メンバーの心に残る人物が目の前に現れる、という趣向。お盆にちなんでるんだろう。マーダッコがすべての人格で次々現れて最後は”ござる”ことばでオタ芸なんかやってるやつ。
_ というわけで夕刻にヨガ、それから昨日に続いてまたプールでちゃぽちゃぽした。正直水泳は苦手な方。以前買った水泳本のDVD見て少し予習。息継ぎがうまく出来ないので、クロールで掻いてからくるんと上を向いて呼吸をしてまたうつ伏せになってクロール…というのを繰り返す。鼻にも口にも水がいっぱい入るが、なんとか25mを4往復できた。まずはこれを繰り返して水になれることを続けようかなと思う。100m泳げばさすがに疲れる。
_ 鈴虫、ちょっと鳴いた様な気がした。うとうとしてたから幻想だったかも。
2018-08-13
_ 父の人のご機嫌伺い2日目。札幌はちょっと曇ってる。雨の予報。父の人は近頃漢字の読み書きに興味を持っている御様子。牽牛花が朝顔であるとか躑躅(ツツジ)は流石に書かないとか。で、「魚偏に春、夏、秋、冬」と書く漢字がそれぞれある」と。「春はサワラ…夏は?」と私。「ワカシ」と父の人。ブリの若いやつだ。そして秋がカジカ、冬がコノシロ。コノシロは食べたことないなあ。それから彼曰く「ワカシだけ漢字がないんだ」
いや、今、魚偏に夏って言ったよね?続く。
_ 続き。無い、と言ったのは、パソコンの辞書に無い、という意味だった。「だから作ろうかと思う。」お!?
彼の人の思惑は、魚偏の漢字の偏(だからそれを『魚変な感じの変』って変換しようとするなよiPhone! そうです。私の誤記の殆どはiPhoneの誤変換のせいなのです)と、夏という旁(つくり、これも書けるものでは無い)を合成しようということだった。「でも、夏という旁の漢字ってあるのかなあ」「榎」即答かよ。続く。
_ 母の人の墓参終わり。つづき。「以前『筆まめ』で自分のハンコを作ったことがある。背景を透明にすれば本当のハンコみたいにできる」とのことで、父の人はそういうアプリのリテラシーを私とは比べようもなく多く保持しているのである。それは尊敬に値するのだが、そう言えば30年も前に記憶を遡らせて思い出すに、とてつもなく変換に時間のかかる出たてのワープロソフト(それは例えば富士通のFM77に搭載されていたJWORDとか、英文ならwordstarとか、である。一太郎なにそれ背後霊?(それは百太郎。なんて美しい自分ツッコミ)という時代だ。使える漢字も多くはなかった。それでもそこだけ空白にして後から手書きなんて恥ずかしい、と思ったら、先ほどの父の人と同じ言葉が出るのである。「だから作ろうと思う。」というわけで、人は皆俄かドット打ち込み職人と化して外字を次々と作っていくのである。そしてそれらは多くの場合、環境のことなる別のパソコンにファイルや電文で渡した途端、?とか◻(←ちょうどいい具合に化けた)とかの見事な伏せ字となる悲しい定めの作業である。今やスマホに王座を奪われたかに見えるパーソナルコンピューターにもその黄金時代があった。しかしその黎明の頃、必要であればドット打ち込みも厭わない、そんな漢(おとこ)達がいた。私もその1人だった。しかしこのWindows10の時代に、eudceditとコマンドプロンプトに打ち込んで外字エディタを起動させ、嬉々として点を打ち込み始める漢が生き残っていた。漢字は「かんじ」ではなくこの場合「おとこじ」と読むべきでは無いのだろうか?父の人、あんたロックだよ。本当の漢だよ。流石俺の父の人だよ。それにしてもなんて楽しそうな…w 俺もこんな老爺になりたい。
_ できた!漢字(おとこじ)
父の人作。いいのかな、こんなにネタにしてw なんか肉親をネットのネタにするのって、姉ちゃんの詩集とか中二の弟の◯ナニーとかの秀逸な記事を思い出して身の引き締まる思いだが。因みにこれはまだ仮の状態なので、この後リファインされるのかと思うとちょっと残念な気もする。これはこれで、どせいさんの文字みたいで悪く無いんじゃ無いだろうか。 外では大雨のせいで遂に子供盆踊りは中止。お菓子だけ配っている。歓声も聞こえない寂しげな中、「子供達あつまれあつまれー」とアナウンスの声も少し虚し気。それを父の人と寿司を摘みながら聞いている。盆踊りが終われば北海道はもう秋の風情だろう。明日は帰る日。雨が続いて空路に影響が出なければ良いが。大人盆踊りは雨の中ど根性で決行らしい。はっきり言ってこの雨に濡れるとかなり体が冷えるだろう。風邪引くな、大人供。_ その後、弟の人その1から電話。遺憾ながら今回は会えなかった。子ども盆踊りが中止で無ければ甥の人達共ども会えたかも知れなかった。電話、甥の人その1に代わる。会えずに残念と告げると特に憎まれ口を聞く事もなく「うん…うん…」となんだか大人しい。その2に代わると、やはり似たような反応。眠いのかと聞くとまだ眠く無いと言う。彼等も確実に大人になっていくのだろう。どんなに年を取っても大人になれないヤツもいる。いつの間にかことにテレビが流れている…嚥下体操がはじまっている…明日の天気は?
2020-08-13
_ 特に帰省するとかではないのだが、盆休み。『夢使い』『ウィッチクラフトワークス 』とアニメ作品視て、午前中に『ファイナルファンタジー アドベントチルドレン』なんか視てた。エンドロール見てて驚いたのは、ティファ・ロックハートの声が伊藤歩だったこと。この人のことは朝ドラ『おひさま』の先生役で良く覚えてる。当時、このキャスティングに批判的な人いたらしく、脅迫騒ぎが起きたりもしてたらしいのだが、私はティファの声としてはとても合ってると思った。何度かエアリスが出てくるシーンにはやはりジーンとしてしまったりして今日は平和な休日でござりまする。小さな地震が頻発してるけど。
2021-08-13
_ だいぶ間が空いてしまったが、相変わらず散歩と書き取りとお風呂の毎日に加えて、水彩スケッチなんか始めてしまったので、それらに比べるとホントここに何か書く意義が薄れてきてしまった。でもまあ生存確認のためにたまには書く。『アオイホノオ』最新刊買って読んだ。ホノオ君が東京に出て来て間も無い頃に泉昌之の『夜行』という漫画を読んで本気で笑い転げるエピソードが出てきた。何を隠そう私もこの漫画には大爆笑した。しかも「ガロ」にのってるのを立ち読みしてた時で、その本屋の中でどうしても笑いを堪えられなくて声出して笑っちゃったのだ。その後この漫画は『カッコいいスキヤキ』という単行本に収蔵されるのだが、初版に載っていたウルトラマンのパロディはその後の版では大人の事情によって削除されてしまうのであった。この漫画に出てくる、最後に残しといた一番好きなはずのおかずが実は…というモチーフは泉昌之というか久住さんの作品には度々出てくる。最近読んだのだと『新・中学生日記』でキノジュン(女の子)がお弁当食べるときに似たような目にあってた。雨続きで散歩がしんどい。涼しいけど湿度高くてあまり快適じゃ無い。
2024-08-13
_ 旧盆なので迎え火を焚き、亡父母の遺影の前にいつもの盆グッズを飾るのだった。今は只、季節の風物として残っているだけの古の人々の信仰心の名残を、無信仰の自分はそれでも尊重して、楽しんでいる。苧殻を焚く脳裏には、和装の旅装束をした両親が着飾った馬に乗ってどこからかやって来る姿であったりもする。そんなもので乗り付けられても困るだけなのだが、想像するのは只だし気楽だ。
読み捨てた本に付箋をつけたところをノートに書き写したり、我楽多で歩けないスペースを片付けたら別のところが歩けなくなったり、テレビの録画には相変わらず埋もれてしまったり、これでは遺憾と朝から軽くジョギングして水風呂を浴びて「これでいいのだ」と悦に入ったり、ラジオの高校野球を嫌って聞いたNHKラジオ第二のハングル語講座がラップを取り入れていて面白かったり、手持無沙汰で流していた放送大学の『進化心理学』が予想以上に面白かったり(そもそもこのような学問分野を打ち立てること自体が優れて野心的と言わざるを得ない。”なんでそんなことわかるんだ”というような問題ばかりなのに、苦心してそれらの証を立てていくスタイルが好ましいのだ)、気になる分野の論文を読もうとしてつい午睡の魅力にあらがえなかったり。けれども気に入ったイラストが描きたいなんて思いながら全然ペンタブを起動すらできなかったり。そして夜の寝床でつまらないことを思いついては枕元のノートに書きつけているうちに夜は夜明けへと向かっていく。
ああ、これが夏休みなんだな。ことしもそういう夏休みが来て、そして名残惜しくもすぐに去っていくのだ。涼しいところにウォーキングに行きたい。でもそんな予定は全く無いのだ。それでいいのだ。
_ うにゃ [お土産お願いします!]
_ けい [いえ。見つかりませんでした。。。]