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2005-12-14 職場の忘年会
_ ビール二本、ウィスキー3口、あとは水を飲んでいた。飲むよりも帰宅後の珈琲とアイスクリームのほうが美味しい、と思うようになったらしい。
年末の京街道行脚に向けて事前調査を開始。
2007-12-14 パスポートセンター行ってカラオケ。
_ 風邪はだいぶ良い。午後出社にしていたので、山下公園前のパスポートセンターに書類を出してきた。1週間で受け取れるらしい。一頃よりずい分早くなったんじゃないかな?
_ 午後の仕事をバタバタとやっつけて、ちゃんとカラオケ大会に参加。だんだん人数が多くなってくるアニソン・カラオケなんだが、今回は他の忘年会とバッティングして出られなかった人もいると言うから次回はさらに人が増える。
_ なんやかやで朝まで10時間ほどカラオケルームにいたことになる。途中吉野家で豚丼食べた以外は歌い続けに近い。
2010-12-14 「高齢者の性の交わりは藁火のようだ」−モンテーニュ−
_ 今朝方見た夢は、私を主人公とする寓話だった。
私のことは世界中の多くの子供たちが、寓話の主人公として知っている。港に係留された小さな船を家として猫と共に暮らしているペテン師と呼ばれる男。それが私だった。私に関する絵本は沢山出ているが、私自身が一番好きなのは、私のことを気に入った一人の子供が描いた絵本だった。表紙にも、裏表紙にも、一匹の猫を伴った私の絵が描いてある。どうして両方に同じような絵をその子は描いたか、わかるだろうか?
それは、その絵本を作った子供が、物語の始めから終りまで、つまり私が生まれてから死ぬまで、ずっとその猫と私が共にあるようにと願って描いたからなのだ。その絵本を見るたび、私の目頭は熱くなる。
思いも寄らない、凝った構成の夢だ、と思った。夢はこのようにして自覚の無い感情を自分に気づかせてくれることがある。だから夢を見ることは好きだ。夢を見る力があるならば、そして、永遠にそばにいる一匹の(全く、一匹で十分だ!)猫がいるならば、そして必要な時はいつでも大海原に出ることのできる住処があるのならば、私はペテン師と呼ばれることを厭わないし、それ以外のすべてから切り離されて、絵本の中だけにいる存在になっても構わないと思う。
現実には、耐えきれないほどの醜いものが付いて回るものなのだが。
_ 昨日が「正月事始め」で、正月を迎える準備を始める日、ということだ。昔の人の知恵ですね。このくらいからやっとかないと大晦日までに用事が終わらないってことなんだろう。ちなみに今日は四十七士が討ち入りした日だったそうだ。それで雨降りだったのか。暖かくて雪にはならなかったが。降雨の特異日なのかもしれないな。
そういう訳で、特に大掃除とかしない年が近頃多かったけどちょっとくらいやっとくかと。しかし面倒くささが変わった訳でもないから楽をしたい。風呂の掃除のためにデッキブラシを買ってきた。天井から壁からこれで全部磨くつもり。ふた月くらい前からうちのお風呂にはナメクジが一匹棲みついている。いつもなら流したりつまんで捨てたりするんだがなんとなくほっといたら主のようにいつも顔を見せるようになった。別に愛しいとかも思わないが、ちょっともののあはれを感じる。そう言えばナメクジって催眠術を使ったりテレポーテーションしたりするんじゃなかったっけ。単なる妄想かなあ。それとも水木しげるの漫画のネタだったかなあ?
_ [読書] 「脳と性欲」大島清著(続き)。
近頃会社では、何かと「裸エプロン」のことが話題になる。もちろん話題に取り上げているのは概ね私なのだが。事あるごとに既婚者に問いかけてみるのだが、これまでにリアルで奥さんに裸エプロンをしてもらったという者がいない。一体何のために結婚したというのだろうか。私には不審である。ところで、タイトルのモンテーニュの言葉はこの本に書かれていたことだった。以下引用。(←最近会社で著作権に関するeラーニングを受けて、引用であることの必須条件の一つにどこが引用でどこがそうでないかを明記することが挙げられていたので、さっそく実践にうつす。このごろ新聞記事とかを引用してるから場合によっては日経に訴えられかねない。もちろん以下の引用は引用の引用なのだが、オリジナルのどこを引用するかと言うことは一種の著作と解釈される−コラージュ作品のように−から、この場合"引用の引用である"ことを明記せねば…ああ面倒くさいな。中国に生まれておけば良かあqwせdrftgyふじこちゃ〜ん。前置き長すぎる。ここからホントに引用→)「『藁火は藁火であってはかない。それは生殖の情火につながっていない。だが藁火は、一瞬、二人をほんの少し『あたためて』くれる。年寄りの性生活は、性感だけの性のようにも思われる。それはおだやかな愛撫だとも言える。あるいはまた、心踊りの衰弱した、習慣化された皮膚の接触とやわらかな刺激の交換であるのかもしれない。』私たちは、人間だけにしか存在しない性欲の発現の仕方−つまり性のあり方を高齢者の性にみることができる」(引用ここまで。二重カギが引用の引用部分)。素敵な文章だ。裸エプロンが無くても老いらくのセクスが待っているのならそれを味わうためにパートナーを得ることも有意義なことと思う。
この本を読んでるうちに、私の中にはホルモン教の如き思想が芽生えてきた。念のために書いておくが、モルモン教では無い。人は自分の行動を思索の結果と考えがちだが、多分それは誤解だ。人はホルモンをはじめとする化学物質によって支配されている。ここで言う支配は比喩的な意味では無く、本当に人類は体内に存在する薬物の支配下にあって行動を起こしているのではないか。薬物に依存する人は、私も含めて、その薬物を摂り続ける行動が自発的なものであり、自分にとって何らかの利点があるからそれを摂るのだ、と言う。自分をだましているばかりか、ともすれば他人を巻き込もうとさえする。あるいは、この人こそが自分の永遠の伴侶であるという選択は、運命的な出会いと考える。自分の意志を超えた何か超人的な存在があるかのように言う。そんなものは無い。ただ、そのように解釈することで安心を得る自分がいるばかりだ。自分の未来は新たに生まれた幼子のためにあると考えようとする。まるでそれによって自分自身が永遠の命を得たかのように幸福になる。自分が滅びたあとに自分の存在があるということがなぜ信じられるのか?かなり昔にエピクロスがその間違いを正していたはずなのに、人にはそれを受け入れることが難しい。自分の生以前も、死以降も、自分とは何の関係も無いというのに、どういうわけか人は死を恐れ、新たな生命の誕生を必要以上に喜ばしいことと感じる。
人は何か崇高なもののために理性的な行動をしているわけではなく、ただ遺伝子の存続の手段に過ぎず、生物の行動を支配するのはホルモンの分泌に過ぎないのではないのか。その陰に思索があるにせよ無いにせよ、どんな生物も自分の行動には意義があり、生命現象は崇高なものであると思っているに違いない。では何故、強姦の恐怖が排卵を促進したりするというのだろう?
ここまで書いてみたら、ホルモン教も何のことは無い、いわゆる「中二病」と言う奴じゃないか。34年も経て再び感染するとは思いもよらなかった。ただ、あの頃の症状と違うことが一つある。この病を得たからと言って、世界はつまらなくなりはせず、かえって世界が豊かであることの証拠のように思われることなのだ。それにこの記事のことをあまり信じない方が良いかもしれない。なにしろ私は、世界でもよく知られたペテン師らしいから。
_ ところで、さっそく風呂場でデッキブラシを試してみた。もっと早く気付いていれば良かった!何と言う使い心地。「夏子の酒」で豪田さんが苗代の草取りに勧めていただけのことはある。ついでにもう一つ気付いた。ヒノキの桶に沈着した水垢には重曹が有効に働いているようだ。何で今まで…。
_ 大きな亀の子だわしも買った。
どこで買ったか自信が無かったのだが、この日記にNAMAZUを付けておいたおかげで、横浜東急ハンズであったことがわかった。全文検索で「*たわし*」と入力すると2007年の4月にパローレパローレと歌いながらベルギービールと一緒に購入したことがわかった。気が狂ってるな、このときの私も。
2012-12-14
_ [カムバック!マイ中二時代] 宇能鴻一郎。
こないだ書きかけた宇能鴻一郎だが、今日その代表作の一つである「すわっぷあそび」という本がアマゾンから届いた。ちょっと読んでやろうか?
「…すると、そのお湯の、わずかな接吻で、あたし、
ズーン、ズン、ズン、ズン
と感じちゃうんです。しゃがんでるからだの底の方から、その甘い感覚が、のぼってくるんです。
思わず、上をむいて、
「ああ」
と、ためいきをついちゃう。」
作家は名前からわかるようにどう考えても男なんです。でもきっと書いてるときには女の気分いっぱいで書いてると思うんです。そう思うと、あたしも、ああ…って、うつってしまうではないか。この人の作品は、中学の時に友達の大宮君という人の家に行ったとき、そこにあった大宮君のお母さんの愛読書と思しき『微笑』か『新鮮』に載ってた作品だったように思う。連載当時は「すわっぷ・ごっこ」というタイトルだったと思うのだが、もしかすると別作かもしれないんである。覚えている内容にはゴム製の生首にローターが仕込んであるアダルト・トイで遊ぶシーンとかあって、今手元に届いた作品の中にはその記述がない。ところで宇能鴻一郎は札幌出身で東大文三に入って博士課程まで修了している超インテリだ。しかし、境遇の良く似た三島由紀夫の事件があってから後、純文学の筆を折り一転「あたし〜なんです」体のポルノ小説で一世を風靡したんである。そんなわけで私にとっては、初めての精通をきわめて近い未来に控えた未熟ですこぶる青臭い中二時代のエロスエロスな思い出とともにこの人がある。山本奈津子という美しく清楚なポルノスターの数々の映画が作られるのは少しあとになる。じゃあまたな。
2013-12-14
_ MUF債権回収株式会社から355万円の債権を回収する旨のメールが来る。ついにXVIDEOの視聴料の請求が来たのか?まあこわい。どうしましょう。おかねないわぁ。執行は必ず行われるですって。まあこまったわ。べんごしさんにそうだんしようかしら。念のため書いとくがこういうメールにまともに付き合ってはいけないよ。年末にかけてさらに迷惑メールが増えてきてムカつく。
_ 英会話クラスはまたしてもネゴシエーションの予定だったが、一応戦略を練って臨んだところ、当てが外れて今日はカウンセリング。そういえば先週なんか書いて渡したんだっけ。初めに自分のストロングポイントとウィークポイントを認識することに。俺はConfidenceは無いし流暢でもないしと自己評価の低さを披露しつづけた。なれConfidencありしと見ゆ、とお師匠さんは言うのだった。ともかくaccuracyとlisteningはウィークポイントだということになって次回からは少しこれに力が入るのだと思う。他愛ない会話が楽しいことと、英国の文化に興味があると言うと、お師匠さんはそんなことを次回から話すようにしてくれるということになった。お師匠さんのお母さんだかがアイリッシュで、実はお師匠さんは少々のゲール語を解するのだそうだ。これはしめた。トラッドの話で楽しめるかもしれぬ。そんな気持ちから、帰宅してジューン・テイバーを調べてみたら、彼女はアン・ブリッグスというトラッドフォークの歌手に影響を受けているらしい。アマゾンで視聴してこれは買いだということに決まったのでポチッた。明日届くと思う。
2014-12-14
_ 師匠のお土産。
英語の師匠がアイルランドに行ってきて、お土産をスクールに持ってきてくれた。子供向けのと大人向けのがあって俺は前者を選んだ。レプリコーンと言う妖精。
_ 現実の厳しさに打ちのめされる日々だ。ただ生きるということがそれだけで苦痛だ。この世界で生きることが苦悩の連続だ。生き生きと楽しく日々を送れるなんてなんという幻想、あるいは自己欺瞞、あるいは鈍感さなのだろうか。一度こう考え始めてしまったらもう深く落ち込んでいく他はない。デメテルがハデスに娘・ペルセポネを奪われた悲しみと、アマテラスのスサノオの乱暴狼藉に対する怒りが世界から光を奪った。そのような世界が現前にある。そういう閉塞感から俺はどのように光を見出せばよいか。そのヒントもまた、それら神話の教えるところにある。かくして今は、読書のための読書をしよう。今日手に取る書の題はその名も『ヴァギナ』。それを”脚の間に持っている”女性の著書。引用は広く細やかで、安達哲の『お天気お姉さん』を原作とした映画でヒロイン桂子がテレビカメラに向かってスカートをまくりあげる仕草にまで言及されている。邦訳で400ページ余り。口絵はもとカラーだったが日本版とアメリカ版は白黒に差し替えられていることがはからずもヴァギナを隠ぺいせんとするイデオロギーの愚かしさの証拠となっている。まあ今や、この手の画像に触れようと思うならウィキペディアが良い助けになってくれる。ヴァギナの解禁がなされたなら、俺のように童貞をこじらせる若者も減ることであろうし、ジェンダー云々を理念だけで語ることによる陥穽にもはまらずに済むというものではないだろうか。
2016-12-14
_ [テレビ] 「逃げるは恥だが役に立つ」
今週の録画見た。ヒラマサくん失業。突然職を失う恐怖はあまり他人事とは思えない。脚本の所為だと思うが、原作漫画と比べながら見ていると、真のヒロインは百合ちゃんじゃないのかな、と思ってしまう。ダンスもみくりよりキレがあるしな。
_ お風呂入りながらラジオ聞いているとEUの今後の危惧を語っていた。それを聞きながら連想したのは、10数年前にネットが広がり始めた時と今のこと。あのとき、確かにネットはワールド・ワイド・ウェッブと呼ばれていた筈なのだが、そして今もそれは密かにそう呼ばれているのかもしれないが、どちらかと言えば”URLの頭の方についている謎の三文字”のように見なされているのではないだろうか。当初はフレドリック・ブラウンの「回答」がいよいよ実現することになるのかという期待も個人的にはあり、そちらの方は必ずしもwwwを介さずにでも勝手に進んで行くのかもしれない。もう一つ、世界を包み込んで国境を亡きものと化してしまうのではという期待もあった。ICQで遊び始めた時にフィリピンの人とチャットしようとしてあまりのこちらの英語力の無さにこれではいけないと思いかけたりもしたのだが、結局そのことが英会話教室に通う(今止めちゃっているけど)モーティベーションになったという訳ではなく、差異を差異のままにしてそれをインテリジェントにラップする技術の方がどんどん進んでいる。
ネットにつながったことによって、彼我が一体となるよりも先に、彼我の差異の方がより明らかになったように思われる。ニュースも買い物も驚くほど遠い距離から届くようにはなったけれど、そのことによって異文化が交流した部分より以上に、近しい者同士がより近くなる効果の方がずっと大きかったように見える。ヒトはヒトと同じになるよりもヒトとの優位性を愛するのではないか。その利己的な性質はまず自分に、ついで自分の同類へと引力相互作用のように近いほどより急激に大きく働くのではないか。そんな風に思った。物理的な方法でつないだとしてもヒトとヒトはつながるとは限らないのだ。”自分の同類”が必ずしも近親者を意味しないというところは複雑だ。まとまらず。
2017-12-14
_ 水木さんの全集の全巻予約を紀伊國屋書店でやってるので、そこのポイントが結構たまった。年末に失効する分があるらしいから何か買おうと。で、結局幻冬舎アウトロー文庫の「家畜人ヤプー」全巻を注文してしまったという訳さ。真性マゾに気分づけられた年末を過ごすことになるのか。我ながらトッホッホだな。
2018-12-14
_ 今週後半は寒さのせいなのだろうか、目覚ましの音で起きることができず出社がだいぶ遅くなった。全く関連無いが、今日、とある同僚の方が、こんなことを言うのだった:
「私の娘は10歳になるのですが、『お父さん、"ザンボット3"って知ってる?』って言うんですよ。」
私は、将来有望ですね、と返したのだが、私もちゃんと見てはいない。課題にしとくかな。
_ 六代目三遊亭圓生のCD聴きつつジムへ向かう。
2019-12-14
_ 午前中に行こうと思ってたところが臨時休業。やむなしとて次の用事へ。床屋に行き、学習センターで本を返し、図書館で本を返し、歯医者でチクチクと痛いクリーニング。帰宅。これもまた魔窟になろうとしているテーブルの奥の方からなんかやたらと切れ味の良いペーパーナイフが出てきた。いやこれ、ペーパーナイフなんだろうか?画材のパレットナイフだろうか?ケーキ用のスパテルだろうか?全然わからないまま、紙の切れ味に酔いしれている。これが切れなくなったときに同じものをどこで手に入れたらいいのだろう?
_ うにゃ [今年もよろしくお願いします😊]
2020-12-14
_ 仕事中参考文献読んでたらdomainという語が出てきて、なんと訳すかしばし悩む。「変域」。数学用語だったらしい。夜、思い出したことなど。「男の人呼んでー」。元は寅さんのおばちゃんのセリフだったらしい。
_ スマホの保護ガラスまた割っちまったぜ、ちくせう。早速ポチン。
2021-12-14
_ もうこうなったら年末の岸辺露伴ちゃんのドラマと年明けのジョリーンを楽しみに待つしか。。。ちなみに徐倫の方の気になる冒頭だが、ネットフリックスで既に放映されており、みんなの、そして俺の期待通りにヲナニヰを看守に見られたー!っていう台詞がちゃんとあるらしいので安心した。オイオイオイオイオイオイオイ。ナアナアナアナアナアナアナアナアナア。寝るし。荒木先生新作描くのかなあ。描くよね。
2022-12-14
_ 昨晩は宣言通りムーラン視てたんだが、趣味に合わんなあ。まだ全部見終わってないよ。今夜は流星が見られるかもと上を向いて歩いてたら坂本九にぶつかりました。「痛いじぇんか!」と怒られて涙がこぼれないように歩きました。れっつきっす。
2024-12-14
_ 筑前煮も食べ尽くして今はラタトゥーユの日々。今宵は鶏鍋を肩肉を安く売っていたので。結構食べてしまった。
もも肉よりもヘルシーで胸肉よりもパサパサしてない、という感想。あまり売ってないと思うのだから何故に今日は売られていたのか?きっと、肩筋の隆々な鶏達が大量に屠殺されたのだろう。
_ きだ [急に寒くなりましたし、起きるのつらいですよね。 今思いついたのですが、目覚ましを5個同じ時間に鳴らすのはどうです?..]
_ けい [いいえ。2個で起きられないときはもう起きない方が良いのだと思うことにしました。]