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2016-12-14 [長年日記]
_ [テレビ] 「逃げるは恥だが役に立つ」
今週の録画見た。ヒラマサくん失業。突然職を失う恐怖はあまり他人事とは思えない。脚本の所為だと思うが、原作漫画と比べながら見ていると、真のヒロインは百合ちゃんじゃないのかな、と思ってしまう。ダンスもみくりよりキレがあるしな。
_ お風呂入りながらラジオ聞いているとEUの今後の危惧を語っていた。それを聞きながら連想したのは、10数年前にネットが広がり始めた時と今のこと。あのとき、確かにネットはワールド・ワイド・ウェッブと呼ばれていた筈なのだが、そして今もそれは密かにそう呼ばれているのかもしれないが、どちらかと言えば”URLの頭の方についている謎の三文字”のように見なされているのではないだろうか。当初はフレドリック・ブラウンの「回答」がいよいよ実現することになるのかという期待も個人的にはあり、そちらの方は必ずしもwwwを介さずにでも勝手に進んで行くのかもしれない。もう一つ、世界を包み込んで国境を亡きものと化してしまうのではという期待もあった。ICQで遊び始めた時にフィリピンの人とチャットしようとしてあまりのこちらの英語力の無さにこれではいけないと思いかけたりもしたのだが、結局そのことが英会話教室に通う(今止めちゃっているけど)モーティベーションになったという訳ではなく、差異を差異のままにしてそれをインテリジェントにラップする技術の方がどんどん進んでいる。
ネットにつながったことによって、彼我が一体となるよりも先に、彼我の差異の方がより明らかになったように思われる。ニュースも買い物も驚くほど遠い距離から届くようにはなったけれど、そのことによって異文化が交流した部分より以上に、近しい者同士がより近くなる効果の方がずっと大きかったように見える。ヒトはヒトと同じになるよりもヒトとの優位性を愛するのではないか。その利己的な性質はまず自分に、ついで自分の同類へと引力相互作用のように近いほどより急激に大きく働くのではないか。そんな風に思った。物理的な方法でつないだとしてもヒトとヒトはつながるとは限らないのだ。”自分の同類”が必ずしも近親者を意味しないというところは複雑だ。まとまらず。