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2006-11-21 夢の話 [長年日記]
_ 週末の歩き旅を控えて見た夢は、旅先から実家の母と、そして父の働いている職場を順に訪問する夢だった。
夢の中の父も母も壮年の頃であったろう。心的なイメージの父母は大抵壮年期である。母とは盛り土をした墓地を訪ねる。これは彼らの墓であり、弟の骨折りで入手した土地だった。登る道が雨で崩れかかっている。
2年ほど前に実際に弟に、親の墓のことを考えているか、と責められて少々いさかいを起したことがある。親が死んだときのこと-葬儀や埋葬-はいつも心に引っかかっている。古墳のような大きな墓を用意してやれたらいいのに。そういえば史跡めぐりで古墳を訪ねるときにそんなことを思ったりしているかもしれない。
次に訪ねた父の職場には旧知の父の同僚がいた。事務所の玄関には私宛の郵便が丁度届いていた。これはわたしが旅先からここに、何かの理由で届けたものだ。旅先で入手した書物などを旅先から自宅宛てに送って身軽に旅を続けることは実際にあることだが、その荷物がまた旅先で手元に戻ると言うこの夢は、期待した身軽さを実現し損ねたという意味だ。
さらに父の職場では懐かしい人にであう。この人は私が入社した頃に同じ職場にいた先輩で、アカデミックな仕事の仕方をしているのが最初は憧れだったが次第に浮世離れしたところが正直あまり気に入らなくなってしまった。最近業務発明で表彰を受けた彼の顔を久し振りに見て、何年かに一度でもこんな風にインパクトの有る仕事をするタイプの人なのだとある種の感動を受けたのだったが、その人にも雑誌が届いていた。「応用物理」(職場には応用物理学会の会員が多い)だと思って良く見ると「生物物理」という雑誌だった。
大学(放送大学の前に在籍していた大学)の志望を決めたときに決定的だったのはシュレディンガーの「生命とは何か」だった。講座で扱っていたのも生体高分子が多く、それゆえ「生物物理」という分野は私にとってはアカデミズムの象徴だと思う。最近は空間点分布に興味を持っているが、これも生態系と関連が深い。
「近頃の生物物理はどうですか」とその先輩に尋ねてみた。その質問は幾分挑発的であり、入社当初の私はこんな態度で先輩に接することが多かった。先輩は「最近は○○だよ」とアルファベット3文字の略称を口にする。生物の適応戦略に関する概念のようだった。私はこれに関連した放送大学の授業をとりたいと思っている。先輩はこういうところにも食指を伸ばしている。さすがだな、と思った。このもの静かな先輩は終始私に穏やかに接しているのだが、彼が夢に現われた意図は明らかだった。先輩は「キミは一体何をしているの。現世の利益にとらわれて本質を追いかけていないのじゃないの?」と私を糾弾するためにあらわれたのだった。それで午前3時に目がさめてしまい、しばらくあれこれと考え込んでしまったのだった。