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2024-09-23 [長年日記]
_ 深夜の中秋の宴は思った通り明け方まで続いたのだった(開始が遅かったせい)。それでも何とか午前中には活動を再開する。魔窟のアウフヘーベンはいまだ続いている。魔窟を構成する素材のほとんどは紙である。気軽に印刷した紙、筆まめを称してやたらと書きつけた紙、本の体裁をなすものたちと、もと本の体裁をなしていたものたち。まあ日本の家屋は木と紙でできてるというくらいだから仕方無い(だいぶ意味が違う)。整理整頓の達人たちは「”いつか”は来ないから捨てろ」と促すのだが、僕にとっての問題はその”いつか”が本当に何度もやってきてしまうことなのである。しかしながら、図書館から借りていた本が一冊どうしても見つからなかったときには流石に自己嫌悪に陥る。「死ぬ準備」の一環として最近認知症の本なんか読んでいる。認知症に対する肯定的な内容なのでそれ自体は良いのだが、物忘れや物盗られ妄想の体験談など読んでいると、そんな未来もあり得るのだと思わざるを得ない。今日の探し物は単に整理の悪さで見つからなかっただけではあり最終的には見つかったのだが、本当に物忘れが非道くなったらいかに整理していてもこんな苦しい思いをするのだろうか、と少々暗くなった。探し物が成功したのは魔窟のアウフヘーベンによるからそれ自体は良かったと思う。それに、忘れていた週プレのグラビア(『機界戦隊ゼンカイジャー』のマジーヌのグラビアとか。今見返すとこの企画は確かにちょっと狂っているかもしれない)とか、南部先生のモンテカルロ計算の論文とか生前の両親と若い自分が写っている浅草・雷門の写真とか地形図が入ったままのマップケースが3つも4つも出てきたりするので、ちょっと楽しい。この後はまず大量のコード類の取捨選択をしてから、膨大な数の本たちの「あるべき場所」を決めてそこに置くことをしたい。秩父往還の道の確定は結局できなかったが10月も連休があるから大丈夫。休めなくっても道は逃げない(ただしその現状は刻々変わっていくのだろうが)から大丈夫。そろそろ冬の旅のことも考えなくては、と思う。