第2回(98/06/06)
神奈川―茅ヶ崎 〜ひたすら歩くことが楽しい日〜
<introduction−なぜかランドマークタワーにて−>
6月6日は雨ざあざあでは無くてシトシトなのであった。前々から欲しいと思っていたゴアテックスのレインウエアをランドマークタワーのL.L.Beansで購入し、やっと今日の道行きが始まる。何故か二日酔いである。前日某所でラーメンを食した後に勿体無くも…いや、言うまい。なんの、この程度の二日酔い何ぞは小一時間も歩いていれば回復するはずだ!さあ!東横線で反町へ戻ろう。
これが抜け参りの二回目。
<98/06/06 12:30>
出発点は前回と同じ横濱・反町。今度は遥か京都に向かって歩くのだ、と思うと本格的に五十三次の旅が始まったような気がする。今日の道行きはすべて「ウォーキングマップル神奈川」に記載されているから地図を買う必要も無い。自分の生活している横浜という土地を旧街道沿いに歩くというのも超常である。
ときどき横浜駅から歩いて反町の「サカタのタネ ガーデンセンター」へ行くことがあったが,今日はその道を逆に通っている。青木橋の辺りの高台には開国の頃アメリカ領事館になった本覚寺がある。国道1号線をこの辺りで右に曲がり、軽井沢公園の方へ向かうのが旧東海道の道である。弥次さん喜多さんが飯盛り女に袖を引かれたのはどの辺かな…などと思いながら、先を急ぐ気持ちがはやる。
やがて相鉄天王町の駅前の商店街にさしかかる。商店街は土曜の正午間近の賑わいである。<13:30>
保土ヶ谷(第四宿)の駅前に到着。良いペースである。一つどこかで腹ごしらえでもするかと思っていると、旧街道沿いに一軒の蕎麦屋を発見。これはまた古式豊かな造りであるなあと、迷わずここに入った。店の名は「桑名屋」という。中も何だか旅篭屋のようである。ここで天せいろを頼むと、背の高いほっぺたのふっくらした可愛い従業員の娘さんが小さなグラスに梅酒を入れて持ってきた。そばもまた美味い。すっかり気を良くして再び旅を続ける。
権太坂に差し掛かる。この坂を私は「ごんたざか」と呼ぶのか「ごんぶとざか」と呼ぶのか、ここに到るまで判断つかずにいたのであるが、それにしてもオイ、「ごんぶと」ってウドンの名前だぞ!我が非常識にもあきれるばかり。「ごんぶとざか」はだらだら坂で、登るにさほど苦労はなかった。
そろそろ15:00になろうかという頃、品濃一里塚に着く。ここでちょっと休憩。雨はとうに上がっている。良い心持でウーロン茶なぞ飲む。この先の旅において自動販売機のドリンクの存在の重要性は計り知れないものとなるのである。
再び出発すると、辺りの道は木陰の中で実に快適である。[品濃一里塚]
<16:10>
戸塚(第五宿)の駅前の人通りの多い小路を過ぎて、戸塚大阪上のCASAでまた休憩。アイスローズヒップティーなどという飲み付けないものを注文して、ビタミンCを補給しようというつもりなんである。この先に「お軽と勘平の戸塚山中道行の場の碑」なるものがあるのだが、なにしろ史実に無い人物であるから当然後世の作。そろそろ夕刻過ぎのことが気になりだす。できたらどこかでゆっくり風呂に浸かりたいものだ…。藤沢まで行くにせよ茅ヶ崎まで足を伸ばすにせよ、東海道線でどこかへ行けば良い。熱海か?
かねて用意の温泉案内を眺めつつしばし考えた後の結論は、二の宮へ行こう!
何故に二ノ宮くんだりと疑問に思う方も多いことだろう。私にも良く分からないが、たまたま温泉案内に「セドル健康ランド」というのが出ていて、駅から送迎バスが出ているのが分かったというだけのことである。CASAを出ると後はとにかく夜になるまで歩くのみだった。
やがて藤沢(第六宿)を通過。そろそろ日暮れの予感。メルシャンの工場のそばでまた休憩する。ここには「おしゃれ地蔵」というのがあって、女性の願いなら何でもかなえてくれると言う。実際にこれは地蔵ではなくて夫婦をかたどった道祖神のようである。満願のあかつきにはその顔におしろいを塗ってあげる慣わしになっているために「おしゃれなお地蔵さん」と呼ばれているのである。
暗くなってきたので先を急ぐ。帰宅する高校生が自転車に乗っている姿が目に付く。茅ヶ崎高校が近いのだった。停留所の表示を確認しながら茅ヶ崎駅を目指しバス通りを行く。<19:15>
茅ヶ崎の駅である。缶ビールとピーナツを買って慌ただしくJR東海道線に乗りこむ。やはり歩きの後のビールは格別だ!そして19:40に二の宮。駅前に出ると…ああ、なんてさむしいんだろう。「健康ランド」行きのバス停は…おお!あった。けど、こんなとこにバスなんてホントに来るのか?というくらい周りは暗い。だが、ちゃんと来たではありませんか。客は私ともう一人。目的地に着くともう一人の客はそそくさと「健康ランド」の隣のパチンコ屋に行っちゃったのであった。
さて、当の「セドル健康ランド」と言うのはほとんどサウナなのであったが、それでも私は満足であった。食堂で食べた刺身の生きがさほど良く無かろうが、宿泊が雑魚寝オンリーであろうが、従業員のオバちゃんが数年前に死んだ母方のばあちゃんに似ていようが、それらはそれなりに楽しめるものだった。「こんなに安上がりで気分爽快になれる趣味があったなんて!しかもただ歩くだけだからいくらでも続けられるゾ!」とこのときの私は確かにそう思っていた。東海道の魔に取りつかれてしまっていることにも、うすうす感づいてはいたのだが、こんなに楽しくて元手が要らないのだったらどうという事は無い…
この認識が大きな間違いであることは、回を重ねるたびに明らかになって行くであろう。
<脚注>
1.某所でラーメン…これは渋谷のセンター街ならぬ中央街にある「壱源」のことを示す。旭川ラーメンが限りなく美味いのだが、なぜ前日其処に居たのかはマ・ル・秘。<戻る>
2.「サカタのタネ ガーデンセンター」…この頃の私は畳1帖半ほどの小さな庭を比較的まめに手入れしており、ここで庭に植えるネタを買いこんでいたのだった。歩き旅が始まって以来全然手入れしていない。<戻る>
3.開国の頃アメリカ領事館になった本覚寺…見晴らし良く横浜港が一望できるために領事館に選ばれたらしい。山門には未だに領事館になった頃に塗られた白いペンキがこびりついている。<戻る>
4.権太坂…その昔旅人がこの坂の名を土地の者に問うたところ、土地の者が自分の名を尋ねられたものと勘違いして「ヘイ、権太と申しますだ」と答えたことに由来すると言う(森川昭『東海道五十三次ハンドブック』)のだが、まるでカンガルーの語源みたいだ(カンガルーはオーストラリア原住民の言葉で『分からない』という意味とのこと)。<戻る>
5.一里塚…街道につきものの一里塚がここに来てやっと登場するとは、よほど先を焦っているのだと思われることだろう。そのとおり!一里塚は宿場から1里ごとに置かれる道標兼休憩場所で、道の両側に榎を植えた塚を築いて作られた。この「品濃一里塚」はかなり当時の姿を残していると言う。<戻る>
6.「おしゃれ地蔵」…残念なことにこの時の写真がどこかへ行ってしまった。顔には今もおしろいがべったり塗られているところを見ると、霊験あらたかなのであろう。地元の住人のはずの我が徒弟○さんはこの存在を知らなかったが、その後意中の人とめでたくゴールインしたので、密かにこの地蔵にお参りしていたのかもしれない。<戻る>
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