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今様膝栗毛 第15回(99/07/27)

鳴海−四日市

 〜さあ行くゾ!台風近づいてるけど     

     (夏休み連続行脚その1)〜

姥堂に程近い道にあったタイル


の夏休みのうちに東海道行脚には蹴りをつけるぞ、と意気込んで昨晩遅くまで出発の準備をしていて、目覚めたのは朝の五時数分前だった。小沢昭一の「東海道ちんたら旅」よろしく今回も、乗り慣れた東海道本線で鳴海を目指すワタシ。ヨコハマ発五時四十七分静岡行き。

 空の雲はなんとなく台風の到来を予感させる。晴天だけど。

 思えば去年は、同じバックパックに野宿のためのさまざまな装備を詰めこんできたのだったが、今年は全て宿を取る。一日目の今日は四日市のビジネスホテル、明日二日目は関の旅館、三日目は水口に程近い三雲のホテル、四日目は京都のひなびた旅館にでも泊ろう。


<11:30>

 静岡と浜松で東海道線を乗り換えて、さらに豊橋からは名鉄に乗り換えて、鳴海についたのは午前11時半。今日は熱田の宮へ行き、そこから関西本線で桑名へ行き、四日市で泊る予定。

 ほどなく、笠寺一里塚に着く。ここは江戸から88里、今は東側のみを残している。名古屋市内の一里塚はここ1ヵ所だけだそうである。

笠寺一里塚。

 

  一里塚を過ぎると間も無く、笠寺観音と呼ばれる笠覆寺。そばには泉蔵院。

笠寺観音。

玉照姫を祭る泉蔵院。

 この玉照ちゃんというのは土地の娘で、野ざらしになっていた十一面観音像に笠をかぶせてあげたら玉の輿に乗る事ができたんだそうで。この故事に習って、今でも笠をお供えするらしい。

界隈には商店街もある。こんな風にあまりにぎわっていない商店街には郷愁を感ずるを禁じえないですね。

笠寺”観音”商店街

 町名はいつしか笠寺町から呼続町に変わっていく。「よびつぎ」と読むのであるが、由来が気になる。

<12:35>

 小さな熊野社があり、事解命(ことさかのみこと)を祭る。「わかる」という語は「分ける」より派生し、「わかれることによって知れる」が語意であるとは、ハテ何で知った知識だったろうか。

 山崎川にかかる橋の手前でこんな店を見つけたが、「どうか突っ込んでくれ」といわんばかりのキャッチコピーが。

 こういうどうでもいいものをいちいち気にしてるから重要な史跡を見逃すんだよな。

 しかしまあ、それが「今様膝栗毛」の心意気ってモンだ。

 あんまり大した心意気じゃないけどね。


 サテ、あたりはだいぶ街中といった風情になってまいりました。もうこの辺りはイワユル名古屋ですね。なにしろ消火栓の図案がシャチホコと名古屋城だ。見なれた「東海道ルネッサンス」の弥次サン喜多サンもσ(^Ω^)を出迎えてる。

ちょっと見にくかったなあ…

お久しぶり。

 

 それにつけても、シャッター絵に関する愛知の人々のセンスは相変わらずで何よりです(笑)↓。

顔についてる二つのマルはダイヤモンドアイなのかバカボンのほっぺなのかわからない。

どっちにしてもキライだなあ、こういう顔。

 

 新堀川を渡れば伝馬町。裁断橋の跡がある。ここは裁断橋跡であり、姥堂跡であり、都都逸発祥の地でもあるという一度の訪問で三度オイシイという実にお得な膝栗毛スポットなのです。

全景。左下に裁断橋跡の由来が書かれている。

て、ちんと〜ん♪(ヨッ)

「可哀想だよ〜ズボンのおなら〜、

右とォ左へ〜、泣き別れ〜♪」

なんてね。

「姥」とは奪衣婆とも、ヤマトタケルの母とも、あるいは

宮簀媛命とも言われていて、

民間では「おんばこさん」と呼ばれていました。

昭和二十年に消失する前は高さ八尺の像で、

「奈良の大仏を婿に取る」などと江戸の俚謡に唄われたと。

平成四年に四尺の大きさで復元されました。

そして「ほうろく地蔵」を過ぎると、もう宮の渡しは目前。

姥堂から先、突き当たりにあるほうろく地蔵。

「ほうろく」って、蒸し焼きの土鍋のことか?

 


<13:30>

 かくして宮(熱田、第四十一宿)にたどり着きぬ。宮の渡し公園でしばし休憩。入り口のところに、伊勢湾台風の時の被害をあらわす最高浸水位2.5mのポールがあった。

どのくらいの高さかというと…

 

 とまあ、この位はあったらしい。 雰囲気伝わったかなぁ。

 昔は木曽三川(木曽川、揖斐川、長良川)を避けて船で桑名まで行ったという七里の渡しは今はもう無く、堀川を下る遊覧船が出ているのみである。

 渡し守(?)のおいちゃんとしばし与太話をした。パンフレットをもらったはずなのに、どっかにいっちゃったぞ、おい。次ページへ


<脚注>

1.事解命…熊野社が祭るこの神様の由来に関してはさまざまな説があるのだそうだが、σ(^Ω^)は全く知らない。関係無いと思われるが膝栗毛第九回には事任(ことのまま)神社ってのもあったっけ、日坂の宿に。<戻る

2.都都逸発祥の地「『広重五十三次』を歩く」(NHK出版)によりますと、1801年(享和元年)の頃から熱田の遊里で潮来節に似た七七七五の唄が流行ったと。もとは神戸(ごうど)節と呼んだその詞の中に、

「おかめ買ふ奴 天窓(あたま)で知れる 油付けずの 二つ折れ

 そいつはどいつじゃ どいつじゃ どどいつどいどい」

等というのがあってここから「どどいつ」と呼ぶようになったのだと。熱田の宿に鶏(けいはん)屋、別名「おかめの店」なる茶屋が繁盛し、そこにいた茶屋女お仲さんが始めて唄ったと伝えられる。<戻る