第11回(98/08/16)
池田−舞阪浜名湖畔
〜野宿旅シリーズ2 旅は道連れとはぐれるものなのじゃ〜
<introduction:98/8/16 天竜川河畔、午前五時半>
人の声が聞こえる…犬も吠えている。子供の頃近所に良く吠える犬がいたので、未だに犬は苦手だ…
しばらくして、ここが河原であることを思い出した。テントから外を覗くと、犬とフリスビーをする人がいた。何かのコンテストにでも出ようとするのだろうか、良く仕込まれた犬である。
ウム、いつ眠りについたのか思い出せないが、寝覚めはまあまあ良い。朝食としよう。
食パン2枚、コンビーフ、桃、卵スープ、そしてコーヒーの朝食を取りながら、犬のフリスビーを眺めていた。比較的涼しいようだが、暑がりのワタシはすでに汗をかきはじめている。
だが大丈夫!今日は浜名湖の湖畔まで行くのだ。さ、ゴミをまとめて、行きますか。野宿旅二日目。抜け参りの11回目。
<8:00過ぎ>
天竜川橋を渉る。車がびゅんびゅんと通る脇を通っていく。ズボンが昨日の歩きで汗だくになっていたので、今日は短パンである。途中天竜川町でコインランドリ−を見つけたので、お洗濯。
乾いた衣服をリュックに詰めこんでまた出発。何となく荷物が軽くなったような気がする。
<11:25>
浜松駅まで、これと言った見所も無くひたすら歩く。「夢街道」の道標が途中あるので静岡の中の東海道はわかりやすくて良い。
当然のことながらどこを歩いていても暑い。少し歩いてはすぐ自販機の飲み物を飲んでまた歩き。いっそ水浴びがしたいなあ…と思って歩いていると時々ヒネリを外した水道の蛇口が目に入る。
行脚の友に水道のヒネリを持って歩くってのは良いかもしれないな。
さて…浜松城でも見に行くか。宿場の道標もきっとその辺りにあるであろう。
「浜松城」 …なんて言わずもがなの説明書く度に |
で、浜松(第二十九宿)のお城に着いた頃にお昼になりました。ワタシを迎えてくれたのは家康さん。ヤア、府中以来ですなぁ。 宿場スタンプもここにあった。ヨシヨシ。 ではお昼にするか…どこかのお店で食しても良いのだけど、荷を少しでも軽くしたい。そこで… すみません。こんなところでストーブ出してカレー暖めちゃったりして。 でも外で食べる○○カレーはやっぱり美味いなあ、王さん。 お城には入らずにそのままお昼休み。 でも普通はうなぎくらい食べるんじゃないのか?やっぱり。 |
お出迎え痛み入ります。 |
あとは一路舞阪を目指し、寝床を確保するまでだ。と、歩きつづけてはや夕刻になる。東若林町の辺りで二つ御堂を見たくらいで他にはこれという見所は無いようだった。坪井町のあたりで、バス停にベンチがあるのを幸いとそこで小休止。飲み物の自販機もあるから好都合だ。
と、そこへ近在のお婆サマ方が二人現れた。二言三言言葉を交わす。ワタシの姿を見て「よう焼けて」など笑う様もどこと無く懐かしい。
と、そこへワタシの越し方から一人の男が現れ、婆サマ方に声を掛ける。
「ここらへんに小学校はありませんか?」
この御仁、麦藁帽子をかぶり傘を持ち、ちょっと見は年齢不祥である。
婆サマ方はこの先にあるようなことを言う。地図を持っていたワタシが、ここだと示す。2kmほど先の舞阪の宿に学校があった。
行く方角が一緒ならば二人で行くと良かろうと婆サマ方は勝手に決めてしまった。そして「旅は道連れ」なんて言って勝手に合点している。
ワタシとしても断る故も無いので我々は共に歩いていくことにした。
聞けばくだんの御仁は大学生で、長い休みに何もせず家で寝転んでいるのに飽き飽きして、国道1号線沿いに東京からここまで歩いてきたのだと言う。ずっと野宿旅をしており、ここ数日は夏休みで人のいない学校の校庭で寝起きして居ると言う。水道が使えるから良いのだ、と彼−Yさんはおっしゃる。なるほどと思ってワタシも一度は小学校で夜を過ごして見ようかなどと思った。
舞阪本陣前のワタシ。 |
五時をまわった頃、舞阪(第三十宿)に我々は辿り着いた。 宿場のスタンプを置いていると思しき町民センターは日曜日に付き本日休館である。本陣跡で記念写真を撮る。 その後我々は弁天島へと向かった。弁天島の辺りには温泉があるゆえ、浸かりに行こうと言う腹だったのである。 途中弁天橋から見る夕日が何とも美しかったのであるが… |
弁天橋から見た浜名湖の夕焼けは金網越し。 |
しかしながら、弁天島の温泉宿は、温泉のみの利用はやっていないと言う。大変がっかりしてきた道を戻り、ラーメン屋で夕食とすることに。ナツカシの北海道ラーメンがしみるのだった。
腹もくちくなり、我らは舞阪の小学校へ行って見る。小学校では盆踊りをやっていて人が多い。とても寝られる風情ではない。人出が引くまでワタシはそこらをぶらつくことにした。Yさんはここに留まるという。
そこらをぶらついていると、何とワタシは道がわからなくなってしまった。辺りは暗いし、不安この上も無い。メチャメチャに歩いているうち、Kマートを発見。飲み物と食べ物を購入した。
Kマートを目印に舞阪小学校へ戻ったがYさんの姿は既に見えない。しかして未だ盆踊りの人はちらほら居る。そこで夜明かしするのがはばかられて、ワタシは弁天島へと戻っていった。
心なしか涼しく感ずる夜である。くじらサンの形の滑り台の前の砂場にテントを張って、野営である。今夜はぐっすりと眠れるようだ…真夜中目を覚ますと、釣り人が来て居る。あまり気にならずに寝られたのは人里近くであったゆえかもしれないが、昨日今日の疲れが出た所為であろう。ではまた明日。おやすみ、諸君。
弁天島の野営の跡。
<脚注>
1.王さん…王貞治。第10回を参照。<戻る>
2.二つ御堂…名にし負うようにお堂が二つ並んでいるのである。平秀衡が京都に出向いていた今から850年ほど昔、秀衡公大病の噂を聞いた公の愛妾が今日に向かう途上この浜松で秀衡死去のデマを聞いてここにお堂を建てて阿弥陀仏を安置し、菩提を弔いつつ死去した。当の秀衡公は回復して京から奥州に帰る途中でここに到りその話を知る。そして愛妾への感謝のしるしにもうひとつお堂を建てたと。<戻る>
3.宿場のスタンプ…実は野営した弁天島のJR駅にも置かれていたことを後日知った。<戻る>
<第12回へ行く>