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第12回(98/08/17)

舞阪浜名湖畔−吉田宿(豊橋)

 〜野宿旅シリーズ3 吉田の宿のモルツガールズ〜


<Introduction:98/8/17 弁天島にて朝6:00頃>

 野宿も二日目ともなればいつもの家の煎餅布団と何ら比べる所は無い。

 いや、ちょっと言い過ぎでした。

 確かに家の中で寝た方がよっぽど疲れは取れるに決まっているのだが、昨日の寝不足の所為か、この日は良く眠れたのである。心なしか涼しくも感じたし。

 それとも滑り台の鯨サンのそばで寝てたから安心できたのかな。

 ワタシが昨夜の宿とした弁天島は、浜名湖に浮かんでいる。湖の上なのに海水浴場があるのは浜名湖が塩水湖ゆえである。

 その弁天島に散歩に行ったら、シャワーを発見した。やった!水浴びだ水浴び!何しろ1日目は風呂も水浴びも出来ないところに泊っていたし、よもや天竜川で水浴びなどと言う危険なマネは出来なかったからなあ。ここで身奇麗になってから朝食としよう。

 かくして鯨サンの公園のテントをたたみ始めると、すぐそばの道を、見知った姿の人が通っていく。麦藁帽子、手には傘…

 Yさんだ。もう出発なのか。昨夜はあれからどこへ行ったのであろう。

 ワタシに気づくこと無くYさんは新居の宿に向かってひた歩いていく。

 「お〜い!おはよう〜!」

 と何度かワタシはYさんの後姿に声を掛けた。しかし気づかぬように先を急いで行く。

 Yさんの姿は遠くなった。

 まあ、旅は道連れもこのくらいが良いところかもしれない。なにしろワタシは人にペースを合わせて歩くのは不得手なのだ。

 さ、水浴び水浴び。テントを畳んで、野宿旅もいよいよ最終日。抜け参りもここで1ダース目。


<7:45>

 水浴びをすれば、どんなに暑いさなかでも心臓が止まるくらい「わ!つめてえ!」なんて体がビックリするのは不思議な気もする。しかし爽快この上なし!

 でも、いかにシャワーが出るとは言えスッポンポンになっちゃうのはちょっとマズイかな?早朝とは言え人もちらほらいるし…などと辺りを気にしつつ体をゴシゴシ。

 そのあとの朝食も素敵に美味い気がする。昨夜ちょっと道に迷ったときに偶然Kマートを見つけて朝食のパンを購入できたことは幸いであった。卵スープ…それからコーヒー。うん、今朝も調子良いぞ!

 8:00をまわった頃、いよいよ出発。浜名湖の上に掛かる橋は、手前が中浜名橋、向こうが西浜名橋。間にあるのが新弁天。湖の上の道をずっと歩いていくと、種田山頭火の句碑があった。


水のまんなかを道がまっすぐ、と書いてあった。

 浜名橋の上から釣りをする人が何人もいるようだ。釣り糸や釣った雑魚を道端に捨てていくのはけしからんことだと思う。


<9:40>

 新居(第三十一宿)の関に着く。途中ゆうパックを扱っているお店があったので、もう必要の無くなったテントや着替えの類を自分の家宛てに送り付けたので、背中がすこぶる軽い。やっと本来のウォーキングに戻った気がした。新井の関所では休憩のみで建物の中には入らなかったのだった。月曜ではあるが、結構人出が多い。

 しばしの休息の後、次なる目的地、白須賀(しらすか)を目指して歩いて行くワタシであった。国道1号線とほぼ平行に伸びる旧街道沿いを行く。どこかでYさんが歩いているのを見ることは…多分出来ないだろう。

 まばらに松並木がある。江戸時代に植えた松並木はマツクイムシに食い荒らされほとんど倒れたと書かれた看板があった。

 <11:30>

 2時間弱の行程の末、白須賀(第三十二宿)の宿場の道標をやっと見出した。そろそろ昼食の時間である。酒屋の前の自販機の飲み物をがぶがぶ飲んでいると、酒屋のおかみらしき人が出てきたので、この辺に食事の出来るところは無かろうかと尋ねた。旧街道から少し外れて1号線沿いに何軒か有るという。そこへ向かう途中、ワタシを襲ったモノは…!

 それは突然の便意なのでした。

 これは大変なコトになった。早くどこかへ掛けこまねば東海道中ウンコタレになってしまうではないか、なんだそりゃ…と、焦り混乱するワタシの目前に一軒の喫茶店が。おお!これぞ天佑!

 店に入る。沈黙。

「こんにちは〜」

 となるたけ明るく声を掛けるが、さらに沈黙。

ええい、じれったい!とりあえず手洗いを借りるぜ!

(間)

 自然にいざなわれし後快活になって手を拭きつつ再びあらわれた私を迎える者は誰一人もいなかった…。

新井の関所と宿場スタンプ(かすれた…)

 一体どうなってるのだ、この店は。

 更にこんにちは、こんにちは、と南春夫のように何度か声を出したが誰も出てくる気配が無い。

 仕様が無い。ここで食事も、と思ったが、出よう。営業中になってるんだけどなぁ。ともあれトイレ貸してくれてありがとうございました。助かりました、ホントに…。

 一号線沿いであるゆえドライブインが数軒並んでいる。その中の一軒に入った。中はドライバーとおぼしき人々が大勢いてなかなか盛況。店においてあったゴルゴ13なんぞ読みつつゆっくり休憩を兼ねて昼食。


<12:30>

 さて白須賀の宿は、京に向かって静岡県内最後の宿場である。先ほどの宿場の道標のところへ戻り、また旧街道沿いを行く。

 木立の中をゆるゆると登る坂道は潮見坂という。京から江戸に向かう場合、この辺りで始めて富士山が見えるところなのだそうだ。坂を登り切った辺りに小学校と中学校がある。夏休みと言うのに先生が出てきているようだった。水飲み場でちょっと顔を洗って、職員室とおぼしき部屋の窓から中にいる女の先生に向かって宿場スタンプを見せながら、こういうスタンプがどこかに無いかと尋ねたが、女先生は知らなかった。

 付近には記念碑が沢山立っているが、1枚も写真が無いのはここでカメラのフィルムが切れたせい。学校を過ぎると後はゆるゆるとした下り坂が続く。道の両脇には古い家並。雑貨屋を見つけたのでフィルムを購入した。程無くタバコ屋に置いてある宿場スタンプも発見。

最後のスタンプ。

 白須賀を越えればいよいよ遠江(とおとうみ)から三河へと入っていく。ちなみに「とおとうみ」とは「遠つ淡海(あわうみ)」で浜名湖のことだそうな。境川を渡れば愛知県である。静岡は広かった


<14:00頃>

 境橋をわたると道はまたニックキ国道1号線と合流し、そこから約5kmほど行くと、三河に入って始めての宿場二川(第三十三宿)に到着。本陣跡は記念館になっているが、本日は月曜の為休館。静岡の中にあった宿場スタンプもお馴染みの道標ももうここには無いと思うと少しサビシイ気がした。

 ここで小休止。靴を脱いで、マメを潰し、足の裏の万瘡膏を貼り変えるワタシの姿を、時折通る人がいぶかしげにちらりと見ていく。

 30分ほど休んで、また先を行く。ここから豊橋まではあと7km。さすがに野宿旅の疲れが出てきた。どうも脚に来ているようだ。

二川宿の本陣資料館。

 周りの平地から、そこだけ空に向かって108メートルだけ突き出した岩山と言う名の岩山を右に迂回して、道はまたツライ国道1号線に重なる。この辺りから、次第に脚が上がらなくなってきた。今までは脚のトラブルと言えば足裏にマメが出来たことと翌日か翌々日になって筋肉痛が出るくらいだったが、脚が上がらなくなったのは始めてである。数十歩歩いては立ち止まるというのを繰り返さないと先に進めない。陸軍の歩兵さんはこんな苦労をずいぶんしたのであろうなあ、飲み物の自動販売機も無い時代に。

 

 浜名湖が境か境川が境か知れないけれど、三河に入ると途端に時折耳に入る人の言葉が変わったような気がする。交通標語が変なのも道理だ。

「スピードが速いのん!」

 ……

 ワタシの歩くスピードは今や牛より遅いのん。まあ、ソレはともかく、豊橋市街に近づくにつれて今や懐かしい都会の風情が押し迫ってくる。

 もうすぐだ、もうちょっとだ、などと自らの脚を励ます姿もいとあはれ。

 吉田(第三十四宿)というのは豊橋の昔の名前だが、ほうほうのていでここに着いたのは六時も近い頃と記憶する。豊橋駅そばのデパートの屋上にビアガーデンがあるのをたまたま看板で見つけて、急行する。

 食券を購入してテーブルにつくと、何とビアガーデンの中にはバドガールならぬモルツガール。ああ、脚も休まる目も休まる。

 散々に飲み食いしておいて、帰りはまた普通電車でゆるゆると帰るのである。夏休みゆえ臨時の夜行列車も出ているから問題無しなのだった。

だって、いそいでるのん!

 それにしても、こんなに日常を逸脱してしまって、まっとうな社会生活に戻れるのだろうか。ますます東海道人種となっていくワタシである。


<脚注>

1.南春夫のように…「世界の国からこんにちは」という大阪万博の歌があったのを知ってるかね?諸君。<戻る

2.静岡は広かったちょっと見にくい膝栗毛のトップページの地図を見ていただくと良いのだが、第十一宿三島からこの第三十二宿白須賀までが静岡県内。つまり五十三の宿場の内の二十二宿が静岡県内の宿場なのである。<戻る

3.右に迂回して左に迂回すれば岩屋観音が見られたらしい。<戻る

4.ほうほうのてい…漢字で「這う這うの体」と書くことを辞書で調べて今知った。<戻る

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