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第10回(98/08/15)

掛川−池田天竜河畔

 〜野宿旅シリーズ1 ううっ、眠れないのじゃぁ〜

 

<introduction:98/8/某日 ヨコハマ−シシガヤ・シチズン・フォレストにて>

 ここは東海道からホドヨク離れたヨコハマ市民の憩いの場である。ワタシは以前ここにMAXくんと共にカブトムシを取るために夜中木の幹に蜂蜜なんぞを塗りに来たことがあったっけ。懐中電灯で照らした木の幹にはなんとナメクジラさん達が大勢で憩っていてビックリした。翌日カブトムシなんぞ取りに行ったりしなかったし、何やってたんだ、ワレワレは。

 今はそんな真夜中ではなく、そろそろ五時を迎えようかという夕刻。ワタシはナゼかバイカー用のテントとガスカートリッジ式のストーブ(家庭用ではなく、いわば携帯用コンロなのだけれど、アウトドアの方々はこれをストーブと言い習わしているようだ)、コッヘルセット、缶ビール一本、およびチキンラーメンを詰めこんだ30Lのザックを背負ってここに辿り着いた。辿り着いたと言っても家から10数分のところなのである。

 これはすなわち野宿旅の予行演習なのである。東海道歩きも10度目ともなると、少し代わった趣向をやってみたいと思った。せっかくの夏休みだから連続で歩けば交通費の節約になる。寝冷えの心配も無いゆえ外で寝ることは可能であろう。しかし野宿なんて生まれてはじめてするぞ、やり方がわからん。結構危険なことなのではないのか?

 そこで「野宿のすすめ」という本を参考書として読みふける。

 お、面白い!これは男と生まれたからには生涯にせめて一度はやっておかねば後悔するであろう。

 というわけでシシガヤの大地にペグを打ち、なんだ簡単じゃんかとテントも張った。けどやっぱり中は蒸し暑いな…夕日を眺めつつ、クソ暑いのにインスタントラーメンを食しつつ飲むヌルイビールの旨さよ。あ、蚊が出てきた、ぺしゃん。虫除けスプレーが要るな。

 うん!大丈夫大丈夫!まして無人の地を行くわけでもない。いざ往かん、野宿旅シリーズの始まりだ〜い。抜け参りの10回目。


<6:00>ヨコハマ駅

 家を5時台に出てToe急Kick名駅からヨコハマへ。しかし掛川まで行くのに今回も普通電車なのか?

 そうなのだ。宿代ケチって野宿までするってのに何ゆえ新幹線に乗っていく必要があるのだ。時間はたっぷり有る。

 と言うわけで、学生時代は全く旅に出たことの無い私は三十路も後半になって初めて「青春18きっぷ」を買って東海道線で西へ向かう。電車で乗り合わせた学生サンと思しき人数人が「京都に着くの何時かな…」などと話している。彼らも「青春18きっぷ」を握って旅に出るのだろう。何だかわからないが夏休みという実感が涌く。学生の頃良く読んだ山田正紀の文庫本を片手に、眠りつつ読みふけりつつ掛川ヘ向かう。

<10:20頃>掛川

 前回記念写真を撮った掛川駅からスタートである。駅前から商店街へ向い、そのまま西へと向かう。前回の失敗に鑑みて今回は道中の1/25000地図を全て持ってきている。ちゃんと旧街道の道を赤線で書きこんであるんだから、方角さえ間違えなければ迷うことは無い。

 まだ街中なのにもう道に迷う心配をしてるのかって?してるんだよ。街中とは言え方向がわからなくなることは多々有る。歩いている場合緩やかなカーブにダマされていつのまにか反対向きに歩いてたなんてこともタマにはある。

 だから、街中と言えども方位磁針と地図は必須なのだ。

 もっともワタシが方向音痴だってこともあるんだが。

 

<11:30頃>原川

 1時間少々歩いて、垂木川という川を渡ると信州でもないのに善光寺(仲道寺)である。右の写真ではとてもわかるまいが、立て札には「ここは東海道真ん中のお寺です」と書いてあるのだ。左下にチョコっと写っている丸太のベンチに腰掛けて靴を脱ぎ、靴下も脱いで足を風にさらす。今回、雨が降っても良いようにと靴はライケルの防水仕様であり、靴下も合わせて登山用のウールの厚いものだからすぐに足が蒸れる。蒸れるとマメができやすくなる。しかし、リュックもそれなりに重たいので足元はしっかりしていた方が良いと「野宿のすすめ」に書いてあったしなあ。マメの出来そうなところに万瘡膏を貼っておこうっと。良い天気でいささか暑い。

 30分ほども休んだろうか。その後原川の松並木を抜け、東新屋を過ぎて、次の目的地の袋井を目指す。

 重いリュックを背負っている所為であろう、ペースは普段より遅い。

善光寺の入り口

袋井宿の道標

<12:30頃>袋井(第二十七宿)

 昼を過ぎた頃、袋井市役所に辿り着いた。ここでお約束の東海道スタンプ。訳無く見つかるとウレシイ。

河原乞食の証拠。

 ではお昼にしよう。コンビニで白飯とミネラルウォーターを買い、原野谷川の河原に行く。コッヘルに水を入れてストーブに火をつけて、レトルトカレーを暖める。

「外で食べる○○カレーも美味しいよ」

 と、遥かな昔のTVコマーシャルで王貞治が言っていたのを思い出す。外で食う飯ってどうしてこうも美味いんだろう。お、橋の下ではチャリの隣で寝てる御仁が居るぞ。彼も我も河原乞食だ。どこからかビートルズの曲の流れる静かな午後…

 食後のコーヒーがまたいいんだよな。近頃は簡単にレギュラーコーヒーが楽しめるので良い。タップリと休憩を取って、14:00にまた出発した。

 途中巨大なブロイラーに遭遇したり、

車と戦っても勝てそうなヤツ

家康と信玄の争った古戦場の跡を見つけたりしながら、

木原畷古戦場跡

 

 東海道ど真ん中の宿場である袋井を過ぎていく。そして遠州鈴ヶ森、阿多古山一里塚跡なんかを見つつ、見附(第二十八宿)に入っていった。途中薬局を見つけたので、万瘡膏を補給しておいた。時刻は16:30ほど。

 見附には磐田市立郷土館という建物があった。スタンプもここにあった。この建物は明治8年建造の小学校であった。休息をかねて中に入ると、オット授業中でしたか、これは失礼。

授業風景(ヒモからあっち側にはいっちゃいかんらしい)

小学校に向かっていく見附の親子。

あ!スタンプ見〜付け、なんつって。

 授業をしてるのは先生と生徒のレプリカントである。授業参観よろしく後の席に座ってしばし眺めていた。

 

先生: 「…」

生徒: 「…」

先生: 「……」

生徒: 「……」

 

 退屈になってきたので他の部屋を見に行ったのだった。

 こんなところで道草を食っていてかなり辺りが暗くなってきた。今宵の宿と決めた天竜川河畔まで急がねば。途中、食糧を買い込んで川岸に着くと、19:00をまわっている。

 ここらは昔、池田と呼ばれた辺りである。河原は広い。掛かっている橋の幅の半分以上河原である。

 急ぎテントを設営する。ちょっと風が出てきて雲行きもやや怪しい。シシガヤでテント張る練習しておいて良かった…。しかし、もうどっから見てもカンペキな河原乞食だな。少し離れたところに車が一台いる。もっと離れたところからは人の声が聞こえている。花火でもしているのだろう。

 簡単な夕食の後、しばし横になって見る。まだ8時前じゃないか。そう簡単には寝られないぞ。

 雨が少し降る。すぐ止む。また少し降る。

 風が吹いて、テントの下布を通る。何だかテントの下に生き物がいるように思えてビクっとする。

 蒸し暑いので外に出て見る。星が見えたり見えなかったりしている。夜空の雲が速く動いているせいだ。

 遠くからこちらへ向かってくる車のヘッドライトがテントを照らすのが気になる。1kmほど離れた鉄橋を東海道線の電車が走る音も気になる。

 ヘッドランプをつけて山田正紀を読んで見る。タバコを吸う。虫除けスプレーを足に噴霧する。 

 

 こんな風なことを何度も繰り返し、時刻は午前1時をまわった。これが初めての野宿のココロ、先行き不安な野宿旅第一夜…


<脚注>

1.「野宿のすすめ」参考文献を参照。<戻る

2.山田正紀の文庫本「エイダ」である。<戻る

3.東海道スタンプこれの正体がしばらくわからなかったのだが、つい先日落穂拾いの旅に丸子へ行ったとき、安倍川餅の石部屋でその正体が遂に知れた。これは静岡県と財団法人静岡県観光協会が企画している「歴史の道ウォーク」のスタンプであった。静岡県内の東海道・姫街道の要所に置かれた29ヵ所のスタンプを全て押すと認定証をもらえるらしい。もっと早く気づいてたらなァ…静岡県内だけでも折に触れ行くとしようかな。<戻る

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