第7回(98/07/19)
江尻−藤枝 〜そしてまた一人旅へ〜
<introduction:7/19
6時頃>
良い目覚めの清水シティホテルの早朝、ワタシは独りTVを見ていた。誰だか忘れたが昔刑事ドラマで見たような覚えのある中年男がジーンズを履いて四国八十八ヵ所の某寺を訪ねている。それを見ているうちに、
「やはり今日も歩こう!」
と思っちゃったものはもう仕方がない。今日は朝方雨降りで、清水港も雨に煙っていた。函館の朝市のような賑わいを期待して外に出て思いきり振られてしまったが、徐々に雨は上がっていく…
ホテルで和食の朝食を食べて珈琲を飲んでいるとMAXクンも食堂にやってきた。
「おはようございます、ハカセ」
「おはよう。ワタシは今日もゆくが、キミはどうするね?」
「ええっ?ボクはもう帰りますよ。ハカセ、気をつけてくださいね。今日は静岡辺りまでで止めといた方が良いですよ」
キミはいつも優しいねェ、MAXクン…。
そして我々は清水の駅前で別れた。これが第七回のはじまり、キヌギヌの別れのあとの一人旅…
<9:00> MAXクンと別れて私はしばし或るものを探して駅の近傍をうろついた。無い…。 それは何を隠そう江尻の宿のスタンプである。このために半時ほど時間をロスしたが結局見つからず、先を急ぐこととした。 程無く、巴川に掛かる『稚児橋』という橋に差し掛かると、欄干に乗って遊んでいる子供がいる。「危ないぞ、わらべや」と声を掛けようとしたら、ナント、この子は裸であまつさえ背中に甲羅を背負っているではないか。 これは昔、この橋を架し「江尻橋」と名づけた渡り初めの日に川の中から橋の上に踊り出た河童を象った像である。今はもう住んでいないのであろうな…カパケペコポ(河童語)。 |
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<12:00頃> 途中変なところに座ってビール飲んでる酔っ払いもいるが…でも気にせず進もう。東海道本線と新幹線を渡って向こう側についたところは長沼という所。ここでウーロン茶を飲んで一服した時、7年来使いこんでいたジッポライターを無くしたことに気がついた。 この辺りはそろそろ『膝栗毛』の作者十返舎一九の故郷、府中(第十九宿)である。 府中の街中にはこんなタイルがところどころに張ってあってなかなか笑わせるぜ。
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そんな所で飲んでると危ないぞ。 |
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そろそろ昼食の時間だナ、どこで食べよう。と物色しつつ商店街を歩くと、西郷隆盛と山岡鉄舟の会見した跡であるというところがある。ここは「宇を鉄」という寿司屋の前。ランチもあるな。よし、ここだ。主人はヒゲメガネの御仁で、ちょっと親近感…うん、寿司も美味しだ。 腹ごしらえの後で、駿府城跡に向かう。二日目の歩きでもあるし、足が蒸れていてマメ注意報が出ているので、ここでしばし休息だ。親が死んでも食休みってネ。
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西郷どんと山岡君 |
<13:00頃>
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腹ごしらえもしたし休憩も十分だ。家康公も「そろそろ出発してはどうかな?」と言っている。では行きましょう。 安倍川の手前には安倍川餅を売る店が2軒隣り合っている。ワタシは甘いものは苦手ゆえ覗いただけで先を行く。昔は人足渡しで、お金の無い人は自分で渡る。この長い東海道行脚の中で、ワタシも一度くらいは川をジャブジャブ渡っても良いのではないのか?ここは広すぎるけど。 安倍川を過ぎると、辺りの景色は次第に田舎じみてくる。好きだなあ、こう言う風情は。我が田舎を思い出すんだよね。 |
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<15:00頃> 丸子(第二十宿)本陣跡に到着。せっかくだから記念写真を撮っておくとしよう。ところで諸君、ここを「まるこ」と読んではいないであろうね?ここは「まりこ」と読むのだよ。 |
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このポーズにどんな意味があったかは覚えていない。 |
丸子には「丁子屋」という店があって、ここで名物のとろろ汁を出している。岡本かのこの「東海道五十三次」には、主人公の夫婦がここでとろろ汁を食べるシーンがある。近代を研究する夫が得意気に江戸時代の地図の説明をしている。妻は、せっかく二人で旅に来ているのにそんな話をしなくても…と少しすねている。そうして食すとろろ汁の味は「神仙の土のよう」な味がする… この記述を丸子につく前に読んでいたら、必ずワタシはここでとろろ汁を食したであろう。しかし、藤枝に着くまでの時間を気にしていたワタシは、これを食すことなく、ただ丁子屋にあった右のスタンプを押しただけで出てきてしまったのである。 この東海道歩きが完結した暁には、このように体験し落した事柄だけを追体験するための旅をするかも知れない。名づけて「東海道落穂拾いの旅」。 |
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続けて歩けば、さらに周りは山間となっていく。赤目ヶ谷を過ぎ、宇津ノ谷に差し掛かる辺りで、疲弊した。人家もまばらであるが、大きな古めかしい造りの家のそばに自動販売機を見つけてここで休憩…ここにはナントおあつらえ向きに気の切り株が幾つか置いてあり、「どうぞお使い下さい」とあるではないか。家の表札を見て一礼。 「鈴木廣行サン、どうもありがとうございます!」 元気を取り戻して宇津ノ谷の入り口には下のような看板が。秀吉からもらった羽織を所蔵する家やら五右衛門風呂やらあって、ちょっとした観光コースになっている。 |
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ここの名物は十団子だそうである。今でこそ「だんご十兄弟」なんて地口も浮かぶが、当時はそんな歌なんぞ卵にもなっていなかった。当の十団子もどこにも見られない。 業平ゆかりの蔦の細道の方へは行かずにひやりとしたトンネルを抜けると、なぜか道の上にはニワトリのつがい…って、放し飼いにしてるのかなあ、これ。こけこっこーなんてって言ってるよ、おい。なにしろこの辺りにもなると車の通りも少なくて轢かれる心配が無いようなのである。田舎って、いいよなあ。さあ、次の宿場、岡部まではもうすぐだ。 |
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<16:40頃>坂道を降りていくと、遂に岡部(第二十一宿)である。
ね?右も左も岡部でしょ。 宿場に入る手前で、ワタシは脇を流れる岡部川の辺りをちょっと覗いて見た。すると、川から10mほどのところを何やら赤い小さなものが歩いているのを見つけた。 「蟹だ…」 つげ義春の漫画に、近くに川があるわけでもないのに家の縁の下に蟹が棲みつくというヤツがあったのを思い出す。それにしても…田舎って良いなあ。
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<19:00頃>
やがて藤枝(第二十二宿)の商店街に差し掛かる。ブリックロードを歩き、あんまり暑いのでスーパーに入ってスイカアイスを所望する。食べ歩きつつ、藤枝の駅に到着。
電車の時間を選びつつ、夕食を取るのに入ったのは「丸金飯店」というラーメン屋であった。初老の夫婦でやっている。店中に○に金の字のロゴが貼ってあるのだが、全て手作りで一つとして同じモノがない(笑)。夫婦は中国の帽子をかぶっている。店の中にはヨコハマ中華街のチラシのようなものが貼ってあるので、旅の想い出に購入したものなのではないだろうか。以下はその時の夫婦の会話を再現したものである。
「ちょっとちょっとお父さん」
「なんだよ、母さん」
「ホラ、この帽子、チョット良いわよね」
「そうか?」お父さんはぶっきらぼうに答える。
「良いわよ、コレ…。こんなのかぶってお店やったら、チョット良いじゃない?」
「そうか?」お父さんチョット考える。まんざらでもなさそうだぞ。
必ずや上のような会話が為されたに相違ない。お父さんにとっては恥ずかしいことこの上ないペアルックなのだが、そこは口にださねど愛する妻の些細な願い、黙ってかぶる中国帽なのである、などと勝手なことを考えつつ今宵もビールは美味かった。さて、たっぷりと時間を掛けてヨコハマに戻るとしよう。
<脚注>
1.静岡…ここでは静岡市のことを指す。昔の府中の宿。<戻る>
2.江尻の宿のスタンプ…スタンプに関しては第六回を参照。これは結局何度か見まわした駅前の商店街にあったらしいことを後日知った。休日早朝だったのでお店が締っていて分からなかったのであろう<戻る>
3.川の中から橋の上に踊り出た河童…これに因みその後ここは稚児橋とか童子橋とかよばれるようになったらしい。<戻る>
4.「遠かたや しけきかもとを やい鎌の」…意味を御存知のかたいたら御教授ください・<戻る>
5.「7年来使いこんでいたジッポライターを無くした」…この話をパタさんにしたところ「じゃあ今度あたしが新しいのをプレゼントして上げよう」と言っていたがまだもらっていない。パタさん、ワタシは忘れていません。<戻る>
6.「ここは「まりこ」と読む」・・・実はここに来るまでワタシも「まるこ」と読んでいたのである。<戻る>
7.「ああ、田舎ってつくづく良いなあ!」…別にけなしてる訳じゃなくてホントにそう思っているのだが、静岡の諸君の気に触るといけないのでこの位にしておこう。<戻る>
8.「必ずや上のような会話が為された」…夫婦に直接聞いたわけじゃないので為されていないかもしれないのである。<戻る>
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