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第1回(98/05/30)

神奈川―日本橋 〜抜け参りの始まり始まり〜

<introduction>

記録をつけだすと一番楽しみなのが歩いた距離です。グラフ化したり、地図に書きこんでいけば楽しみが倍増し,距離への目標が出てきます。…(中略)…ちなみに、世界一周(赤道で)は4万75キロ、アマゾン川が6300キロ、東海道は500キロになります。」(大泉書房刊『ウォーキング・エクササイズ』より抜粋)
 上記の文章が皐月も終わりに近づいたころのワタシに目的意識を生ぜしめたのであった。遡ってゴールデン・ウイークの終わり頃芦ノ湖を3/4周してから旧街道を箱根湯元めがけて降りていき「かっぱ天国」で湯に浸かって以来、歩くと言う行為の可能性をもっともっと知りたくなっていった。昭文社の「ウォーキングマップル神奈川」を片手に、それに載っているコースを手当たり次第に選んで、休みの度にあちこちうろつき回るうち、何かこの行為を一つの形にまとめて見たいと思い始めた。それには踏破目標を定めるのが一番良い。

 これが抜け参りの始まり。

<98/05/30 10:00>
出発点(神奈川:第三宿)は横濱・反町。このときのワタシはやはり上述の「ウォーキングマップル神奈川」を片手に、その上に示された道をたどるしか術は無かった。街中を歩くのだから、箱根のときのように弁当を持つ必要は無い。日本橋に着いたらその後浅草で観音温泉に浸かって垢を落とし、それから大学の同窓会に参加するといういそがしいメニューである。「ウォーキングマップル神奈川」には当然神奈川から先の道が記されていないので、途中川崎の有隣堂で1/25000の地図を買おう。はじめは京都と逆向きだが、まあ良いだろう。
 ほぼ国道15号線沿いの道を黙々と歩く。過去数回のウォーキングの経験から、はじめジーンズで歩いていた私も今は登山用の汗が乾きやすいパンツを履いて、そのポケットに「ウォーキングマップル」を丸めて入れている。あとで同窓会に出るときの為に、途中子安辺りの作業着屋で代えのズボンとベルトを買った.総額2000円に満たないものだが、今も喜んで会社に履いて行っている。歩くことだけが目的。周りの風景を眺めるより、いかに一日の走行距離を稼ぐかが目下の興味であった。
 正午ちょっと前に川崎に入ると、ワタシの姓と同じ名のついた町に出た。住所表示を撮影。

<12:00>

川崎(第二宿)駅前についたのがちょうど正午だった。出掛けに心配していた雨も降ることなく、抜け参りの始めはつつがなく進行中。歩きつづける快感で気分も高揚している。食欲も十分。そこで、駅前の「島田屋」で昼食。この「島田屋」と言うのは、職場が川崎だったころ良く飯を食いに来たところなのですね。ここのおすすめメニューは「チキン・ヤーン」。12:45に歩きを再開。次は15:00に品川に着くのが目標である。
 
川崎から蒲田へ行く道をさえぎるのは多摩川。六郷の渡しのあった新六郷橋を渡り,なるべく旧街道沿いを歩こうとすると、雑色あたりの商店街に出てしまうのである。大田区、なぜか温泉が多い。途中、大森海岸へはどう出るのですかと妙齢の婦人に尋ねられて、地図を見せて多分こっちでしょうと教えたが、どうも方向が逆だったような。

<15:00>

品川(第一宿)に到着。この辺で一休み…と思ったのだが、なんとなくどこの店にも入りかねてずっと先へ歩きつづけていく。このときのワタシは旧東海道をあまり詳しくは調べていなかったために、品川宿跡を外れて、とにかく15号線沿いをひた歩いていた。こんなに長距離歩いていると言う事実だけが、ワタシを満足させていたのである。

<16:00>

銀座に到着。歩行者天国である。始めての銀ブラがこんな形になるとは予想しなかった。

<16:30>

そして日本橋。すべての街道はここを基点とする。おのぼりさんよろしく通りすがりの人に記念碑の前で写真を取ってもらったのだった。ここに到りワタシは、やっと抜け参りへの途についた気がした。このあと浅草へ向かい、花やしきそばの浅草観音温泉で歩き旅の垢を落とし、同窓会の会場のある水道橋へ向かったのである。浅草観音温泉には湯船に紋紋ちゃんが居てちょっと緊張した。

 距離にして30km、時間にして六時間半の最初の東海道中はこうして終わった。ウォーキングのもたらす心地よい疲れと足の裏の熱さ、宴会のほろ酔いなどがワタシを何時に無く幸福な気持ちにさせていた.。このときのワタシは、「東海道には魔物が住んでいる」という事を知らずにいたのだった。


<脚注>

1.東海道は500キロ…江戸時代の人々は一日十里(40km)を歩き、約2週間で日本橋〜京都三条を踏破したというからたいしたもんだ。戻る

2.「かっぱ天国」…箱根湯本駅から看板の見える温泉。シャワーもカランも無い質素な露天風呂が何故かワタシのお気に入りなのである。独りものが気がね無く泊れるような風情の所為か?戻る

3.抜け参り…奉公人や家庭の奥さんが奉公先や家からコッソリ逃げ出してお伊勢さんを目指すのが抜け参り。路銀が尽きて街道沿いで乞食をするものもしばしばいたという。戻る

4.国道15号線沿い…旧東海道は概ね国道1号線沿いだが,戸塚より日本橋まではほぼ15号線沿いなのである。戻る

5.「チキン・ヤーン」…島田屋の従業員も作れはするが意味を知らないというこのメニュー。どうやらヤーンと言うのはタイ語の『焼く』らしい。つまり『鳥焼き定食』。ちなみにワタシの同僚のMAX君はこの店で『たらこ定食』を頼んだら、オカズがタラコ一腹だけだったので眼を丸くしていた。戻る

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