第5回(98/07/04)
三島―吉原(富士) 〜日射病スレスレ炎天下の旅〜
<introduction−富士駅前の居酒屋『養老の滝』にて7/4 18:40−>
ナゼか今ワタシはすでに富士駅前である。蒲原辺りまでは行きたいもんだな、と思っていたのに、本日の歩行距離約24kmであった。
店をやっているのは二人の妙齢の女性である。若い方の少々ワタシ好みの大人し目の女性に、冷奴と梅が多めの梅タタキ胡瓜とビールを注文した。ビールを飲みつつ今日の歩きを反芻する。TVでは静岡は日中37℃あったと言っている。関東では一部40℃であったとか…これからの歩きは、やはり暑さ対策が重要だなあ。アスファルトからの照り返しがこれほど厳しいとは思わなかった。何年もしていなかった日焼けを、今年はしそうな気配。
梅タタキがやってきた…なんだ、別に梅が多めじゃないじゃないか。まあいいけど。さてそれでは今日の歩きのはじめまで時間をさかのぼって…おなかが不安な抜け参りの五回目。
<98/07/04 9:20> 東海道本線の普通列車に乗って三島に着いた。この先も回数を重ねねばならないのだから来るたびに新幹線なんぞ使ってはいられないのである。駅前の商店街を歩いて…むむ、今日は何だかおなかの調子が今一つだな。幾分下り気味…途中薬局に寄らなくては。しばし歩くと新宿というところに差しかかる。傍らに地方神社という小さな社があって、ここでは菊理比命(キクリヒメノミコト)と管公を祭っている。
更に行き行きて10時少し前に八幡のあたりの喫茶店に入る。既に暑さを感じているのである。東海道ウォークの良いところは、水筒を持っていなくてもあちこちに自動販売機があるから飲み物には困らないというところだろう。
地方神社さらに行き、長沢八幡宮に着く。ここには頼朝が挙兵したときに義経が奥州より掛けつけてここで涙の対面をしたという「対面石」という一対の石が置いてあった。ちょっと腰掛けて一休み。
対面石
(一つは写真では影になっていて見えない)<11時頃>
沼津(第十二宿)に着いた。…と、なにやら街頭のスピーカーががなりたてている。なになに…
「津波が発生しました!海岸付近の方はスミヤカに避難してください!」
これはいけない、早く逃げねば!だが街中は何とも静かである。もはや住民は全て避難して私一人取り残されているのか?危し、オレ!妻も子も無い天蓋孤独の身で異郷に果てるのか?
結局それは緊急時を想定した訓練であったらしかった。頻繁にやっているから住民は無視しているのであろう。本当の津波が来たら一体どうするつもりなのだ、沼津の諸君。
千本松原を左に、ひたすら先を急ぐのだが、気温はドンドン上昇している。そろそろ正午。県道沿いはトラックがびゅんびゅん通る。暑い、とてつもなく。このあたりで食事にしなくては飢えてしまう可能性が高い…と思っていると、ドライブインを発見したので急いで入り、秋刀魚定食を注文する。水を何杯ももらって呑む。胃腸薬もついでに飲んだ。おなかの具合はチョット良くなっている…けれど結構疲れがきているかもしれないな。近くの工場辺りの従業員も昼食にやってくる。このあたり工場が多いのは、やはり富士の湧水を工業用に使用しているという事であろうか。
昼食を終えてさらに歩こう。ここいらはもう原(第十三宿)である。辺りの風景にちょっと飽きが来ているので、松原の方−つまり海岸の方に寄って行った。
海岸の見える防波堤の上の道に出ると、甲羅干しに来ている人が結構いる。ついこの間までは初夏の候いかがお過ごしですか、といったところだったのに…ワタシはなにしろ暑さに弱い。次に寒さに弱い。
海岸に憩う人々は幸いだ。パラソルなんぞ持って来て、まるで「ここはニースの海岸ざんすよ。ミーはバカンスの最中ざんす。こんな暑さの中汗だくで歩き旅なんて、あんたは野暮天ざんすネエ」なんぞ言わんばかりではないか。余計なお世話だ。
ワタシを野暮天呼ばわりするパラソルの御仁<14:50>
いよいよ暑さも高潮、ひいひい言いながら歩いているが、もうかなりツライ。涼しげな場所を探して休もう。ここいらは田中新田と呼ばれたところである。またしても小さな神社がある。ここにしよう。手水のところの水を使って顔を洗う。ウー!木陰もあるぞ。木陰がこんなに涼しく感じるなんて、久し振りのことだな。良い心持だ…このまま少し寝ちゃえ。
近くを東海道線が走っている。この辺りまで来ると天下の東海道線もローカル線の風情である。車両が4両くらいしかないように見える。遠くに来た、と思いつつウトウトする…。
15:30頃再出発。良い休息になったので、お賽銭を5円。しけているか?ワタシは。かねてから僅かに痛みを感じていた左の腰の辺りの痛みが増してきた(今回体の不調を訴える記述が多いなあ…なんかイヤですね、病気自慢しているみたいで)頃、大昭和製紙工場の辺りにハデな建物を見出した。毘沙門天である。ちょっと寄り道していこう。急な階段を登っていき、うろうろしていると、ここに「くつ石」という全長1mちょっとの靴の形をした石がある。これをさすると足の病に利くと書いてあるではないか。腰にも効くかもしれないと思い、さすって10円奉納してみた。
更に先を歩くと…おお!?なぜか腰が軽い!畏るべし毘沙門天。だがしばらく歩いていると、また痛んでくる。10円しか奉納しなかったから効き目が薄いのであろうか?いや、そうではない。これは必ず因果律に支配された現象の一つに違いない。そう言えばあそこの石段はやけに急だったぞと、思い当たる節があって、ワタシは試に左の腿を大きく上げて股関節を大きく開く動作を数回行なって見た。するとやはり痛みが消えるではないか。つまり急な石段を歩くときに痛みの部位が上手く刺激されてマッサージ効果を生んだという事だったのである。これをより効果的に行なうには、ヨーガのガス抜きのポーズが良いであろう。これは良いことを知った。10円で腰痛対策をさずかるとは、毘沙門天の徳は計り知れない…
かくして吉原(第十四宿)に到着。この辺りは本当に、どぶ川のような小さな流れの水も澄んでいて冷たそうである。いけない、有名な左富士を見るのを忘れてしまった。事前に当地のことを良く調べて置かないと悔いの残る旅になってしまうなあ。しかし、そのような「落穂」を拾いにまた訪れる機会もきっとあることだろう。
富士駅前でいつものように通る人に写真を写していただいた。今回お土産が無いので代わりに公開しよう。それにしても、次第に次の出発点が自宅から遠くなってくるゾ。ひょっとして、この旅は歩くことよりも出発点にたどり着くまでが大変なんじゃないのか?何しろ全工程あと380kmほどあるのだから,仮に一日に40km歩けたとしても、あと最低10回は電車の往復が必要ではないか!アア、これは結構金が掛かるゾ…そうか、実は東海道ウォークとは贅沢な趣味であったのか!果たしてワタシに続けられるのであろうか…?
この不安は後にワタシをして初めての野宿旅へと駆り立てるのであった。
富士駅前で
かくして、冒頭の言に戻る。ああ、自宅に帰るのも一苦労だな…。
<脚注>
1.千本松原…実際には1万本くらいあるらしい。<戻る>
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