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第9回(98/08/01)

金谷−掛川 〜怪奇、夜泣き石のたたりじゃあ(このフレーズ古すぎ)〜

 

<introduction:8/1 朝 再び金谷町オン・ザ・ヒルを出でて自転車オジサンに出会う>

 朝早く起きて腹ごしらえ、と思って失敗に気づいた。ここは朝食のサービスが無いではないか。仕方ないよなあ、ほとんどラブホなのだもの。まあ、金谷駅の方へ行けば何かしら食すことが出来るだろう、と思ってホテルを出でて、一号線沿いの道を下っていく。

 5分ほど歩くと自転車を止めてその傍らに座っている人がいた。

「あの道は先へ行くと下りになるかね?」とわが越し方の上り坂を指して、訪ねる。

「いや、しばらく上りが続くと見える」とワタシ。

「あ〜、じゃあ行くの止めるが。国道一号なんたってよぉ、道が良くねえがゃ」

ワタシの名古屋弁ははなはだ怪しいが、まあこんな感じの口調で名古屋の彼は言う。

「おめえさんはどこから?」

「ワタシはヨコハマから」

「おれぁ東京行ってその帰りだでよぉ」

ナントこの御仁、自転車で東京−名古屋を往復しているという。よく見ると眼鏡の片方のレンズが無い。転んで壊したらしい。

「どこでも行ってみることだがゃ。オレも冒険が好きだでよ!」

そのとおりだ、自転車オジサン。かくてワタシも行かん、抜け参りの9回目。


<7:30>それにしても、メシを食うところが無い。駅まで来たがそばスタンドもまだ締っている。付近にコンビニも無いなあ…そばスタンドが開くまで少し待つか。

 この駅はSLの走ることでいささか著名であるらしい。若者の姿もちらほら見える。ここらの若衆は静岡辺りで遊ぶのであろうなあ。

しばし待つと、先の自転車オジサンが駅にやって来た。少しく与太話を交わしたのち、彼は県道を行くことに決めた。ワタシはそばスタンドの開くのをまだ待っていた。しかし開く気配が無い…と、シャッターの脇に、ナント閉店した旨の書置きが張られているではないか!口惜しすぎるぞ、金谷駅長君!と文句を言いたい気もするが、仕方なく菓子パン2つと牛乳を駅のキオスクにて購入し、食するのであった。

 ちっ。昼はもっと美味い物を食ってやる。

<8:00少し前>甲斐無き待ちぼうけの後、出発である。昨夜蛇が出そうで怖くて歩けなかった道も、朝の光の元ではナントいう事の無いただの田舎道であった。そこを行き、程無く「石畳茶屋」に出る。朝も早いから茶店もまだやっていない。東海道スタンプにチョット似た石畳茶屋のスタンプ発見。

 その先を行くと、武田信玄の築いたという諏訪原城跡に到るというので、ちょっと寄り道のつもりで行くと…それは薄暗い林の中を小山を登っていくという意外にハードな道のり。城跡と言っても草原だけがある。ああ…来なきゃ良かった。後悔後を絶たず。

石畳茶屋の
スタンプ

石畳茶屋

 いいんだ。先へ行くぞ。箱根から三島までの道程以来の石畳を歩き、程無く菊川の里に着く。のんびりとした田舎道をとことこ行くと、今日もまた暑くなりそうな予感…いや、既に結構な暑さである。公園を見出したのでちょっと水浴び。

菊川の道しるべ

 すこし道に迷いつつもドンドン先へ行けば、道は緩やかな上りになる。これが名高い「小夜の中山」への道である。昔ここには無間の鐘というのがあって、これを衝けば現世では金持ちになれるが死後無間地獄に落ちると言われていたのだそうな。周りはずっとお茶畑である。

 しばらくすると、古びた茶店のような建築を見つけた。「扇屋」というその店は名物子育て飴を今も売る店で、100歳になろうというお婆さんがやっているらしい。まだ準備中だったが、店の中に人の気配があった。それがそのお婆さんであるのだろう。買っていこうかな…だが準備中のようだし、大体ワタシは甘い物が苦手なのだった。

 結局扇屋は眺めただけで先へ行く。上り坂はおおむね上りきり、このあとはホドヨイ下りとなる。


更にゆきゆきて、一本の松の木の下に句碑があるのを見出した。作者は芭蕉サンだ。

「命なり わずかのかさの下涼み」と書いてある。

 スッゴク実感できるなあ、この句。東海道歩きをしていて気のついたことの一つに、「日陰はやはり涼しい」という事なのだ。エアコンのある生活に慣れてしまうと、日陰の涼しさなんて忘れちゃうでしょ。日陰を涼しいと感じられることは現代人が失いつつある能力の一種なのではないのか?な〜んてね。

 というわけで気持ちが数℃冷えたのを良しとしつつ先を行くのである。すると…

芭蕉の句碑のある松の木陰

こういうものにはちゃんと
お参りをしておかないと後で
ヒドイ目に合うのである

 道端に、かつて夜泣石があったことを示す碑が立っていた。じゃあ石はどこにあるのだ?…ナント、旧東海道を外れて一号線沿いにあるとは!今更行けないぞ(TΩT)。

 なんだかいろいろと名物を見逃してしまっているなあ、今回。前回に続いて事前準備が不足しているのだから止むをえないが。先が思いやられる…

 などと言っているうちに、沓掛という所に出た。時次郎サンとは関係無いようだけどね、ここ。

 さてここからはまた一号線沿いであるようだ…と、2〜3キロほど歩いた頃、なにかおかしいな?と感じた。地図にある崖の向きと、実際に見える崖の向きが逆だ。それでも先へ行くと、あれ…トンネルがある。

 そうです。全然反対方向に歩いていたのでした。更に先へ行くと夜泣石のあるところに出てしまうではないか。それにしてもこうも思いきり道を誤るとは、何かの祟りではないのだろうか…

 


<13:00頃>もうすぐ日坂の宿であるが、ここらで昼食を取らねば。商店の女性に尋ねると、一号線沿いにドライブインが有るというのでそこへ行く。冷やし中華を食して体力が回復した。

日坂(第二十五宿)は今も当時の風情を保存しようという努力のされているところであった。

このように、一軒一軒が宿場のたたずまいなのである。
こういうところに住んでいる人はどんな気分なのだろう。

 ときおりすれ違う小学生が「こんにちは〜」なんて挨拶してくれる。おそらくは、

 「(センセイ)はい、いいですか〜。ここ、私達の住む日坂は、昔東海道の宿場町として栄えたところです。

コラ、そこ!話を止めなさい。はなしをやめなさい!

はい、いいですか〜。今でも、宿場の跡を訪ねてくる旅人が来ます。そんな人達に出会ったら、元気良く『こんにちは!』と挨拶をするんですよ〜。はい、わかった人!」

「(セイト全員)はーい!(と一斉に手を上げる)」

礼儀正しいのは良いのだが飛び出しは遺憾ぞ、日坂小学校の諸君。
これではまるで、「ボク達飛び出しちゃいますから注意してくださいね」と言っているようではないか。

と、かような授業風景がこのような礼儀正しい生徒を育んだものと思われる。

と言うわけで更に先を行くと、事任(ことのまま)神社の社務所で発見!日坂宿のスタンプ。女のわらべ達が踊りのお稽古をしているのも風情があるなあとほのぼの眺めているワタシはちょっと幼しいヒトのようであったかも知れない。あとはまたしても国道一号線沿いをひた歩くワタシであった。逆川を通過し、いよいよ掛川に入っていく。

<15:00>掛川(第二十六宿)に到着。最高に暑〜い!城下の売店では冷えたお茶の試飲をやっている。売り子サンに勧められるままに5杯も6杯も飲んでしまった。美味いゾ!これは是非買って帰らねば

 さらに茶そばとアイス珈琲を賞味してしばしの休息を取る。ここまで来たからには天守閣を見ずには帰れまい。300円出してチケットを買う。この城は、今川義忠が築城を指示して、今川氏が織田氏に敗れたのちは家康の家臣石川家成が入場し、更に後家康が関東に移って秀吉配下の山内一豊が入場して天守閣を築いたということである。では靴を脱いで中に入ろう。ウッ、足の裏がキツイなあ…

 狭くて急な木の階段を昇っていく。中では石落しや狭間なんかを見る事も出来て、お城ってのは確かに用兵の要に違いないなんて改めて思ったり思わなかったりなんかして。

夜泣石の意匠であるが、御近所のお子達がいっぱい押したせいであろう、型崩れしていて良くわからない。遺憾なあ、日坂の子供の諸君。

こっちは掛川のスタンプ。掛川城でいとも簡単に見つかった。こうでなくては遺憾遺憾。

 

これは天守閣じゃなくて太鼓櫓だと思う。

 天守閣でワタシを待ちうけていたのは長壁姫…ではなくて番人であった。非常に親切で、こちらの聞きもしないことを何でも教えてくれる(笑)。

 今朝発った金谷はこっち。これから行く袋井は向こう…え?将門の首塚が有るのか?それは大手町にあるって帝都物語に書いてあったけどなあ。

 二の丸なども見学して、時刻はそろそろ17時近い。今日はここまでにしよう。途中迷ってずいぶんムダに歩いてしまったしな。

こっちが天守閣。

<17:00>掛川駅前ターミナルホテルの「エスポワール」というレストランにてビール。らくだっ茶を飲みすぎたせいか、今一つ美味さがバクハツしていない。17:47の東海道線に乗って帰宅すると、帰りは何時であろう。今朝会った自転車オジサンは今頃どこであろう。次の歩きはいよいよ夏休みか…色々準備をせねば。テントの張り方も練習する必要があるぞ…などとさまざまに想いなしつつ、次回から野宿旅シリーズである。


<おまけ>

日坂で入手した宿場の地図。


<脚注>

1.「命なり わずかのかさの下涼み」…本歌は西行法師の「年長けて また越ゆべしと思ひきや いのちなりけり さやの中山」。一応訳しておくと「この年になってまた越えることになろうとはつくづく命あっての物種だね、中山小夜子サン」というところであろうか。ところでこの歌にはいろいろ替え歌があって、例えば「一日に二度越ゆべしと思ひきや 命からがら佐夜の中山」(馬場金埒、狂歌師の作品。解釈すると、「菊川についたところで刀を忘れたことに気づいたぞ。全く一日に二度も越えることになるなんて思っても見ませんでした。命ものどもからがらだよ。ネエ、中山佐夜子サンってば」というところであろう)など。<戻る

2.夜泣石とある妊婦が小夜の中山を通った時山賊に斬り殺されて、妊婦の霊が石に宿って夜毎すすり泣いたという。この時に傷口より子供が生まれ出でて、水飴で育てられて後に母の敵を撃ったというのが子育て飴の伝承らしいが、これでは「墓場の鬼太郎」のパクリである(逆か)。<戻る

3.幼しいある疑惑を有する者に対して「怪しい」という表現をするのは良く知られているが、特にpedophilliaの疑いのある者に対してアングラの世界ではこのような表現をすると聞いた。一体何と読むのだ?読めないところがアングラ独特の怪しい表現なのかも知れない。<戻る

4.是非買って帰らねばこのお茶は抹茶のように粉末のお茶であって、お茶の茎まで粉末化していて飲むときにはこれを少量水かお湯に溶かせば良く、当然ながらお茶がらが出ないゆえ「らくだっ茶」と言う名前なのである。考えたのは「うる星やつら」のラムちゃんだな。ところでこのらくだっ茶、職場にお土産として買って帰ったのだが余り人気が無くてまだ残って居るのだが、そろそろ賞味期限の1年が経とうとしているなあ。<戻る

5.長壁姫姫路城の天守閣に住むという妖怪である<戻る

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