RSSフィード:http://alpha-ralpha.com/diary/index.rdf
2005-01-01 明けましておめでとうございます。
_ [姫街道] 豊川から赤坂まで。
昨日とは打って変わってまたまた晴天の中を、まずは豊川稲荷に参詣し、ついで三河国国分寺跡など見ながら姫街道をどんどん西に進み、お昼にようやく、懐かしい東海道との分岐点である御油に到着。赤坂宿まで松並木の中を歩いた。
電車で浜松に戻って、浜松城天守閣に登って、浜松から三方原まで行ってバスで浜松駅へ戻る。
新幹線で帰宅。今年はきっといい年になる。
と信じたい。
2008-01-01 熊野街道1日目:布施屋から伊太祁曽まで。
_ [熊野街道] あけましておめでとうございます。
恒例になった新春行脚一日目は、熊野街道。大阪側から紀ノ川を渡ってすぐの和歌山県・布施屋からのスタートになる。が、その前に、和歌山で途中下車して、昨年登れなかった和歌山城天守閣へ。越し方と行く末を眺めたあとで布施屋に向かうと昼過ぎ。世界遺産・熊野古道に続く道とあって、案内板が充実している。吐前王子・川端王子の跡などをたずね、伊太祁曽(いだきそ)神社に出た。本日の歩きは8km程度。伊太祁曽神社を訪ねるとさすがに人が多い。道中の安全など祈願して伊太祁曽駅から電車に乗って和歌山に出て、今日の宿・海南へ向かう。貴志川線の電車には普通の車両のほかに「いちご電車」と「おもちゃ電車」というちょっと恥ずかしくなるような車両がある。この日は「おもちゃ電車」に乗った。車内にフィギュアが飾ってあり、ガチャポンなんかも置いてある。貴志川線の貴志駅長は「たま」という猫だそうだ。なんか「鉄子の旅」みたいに沢山電車に乗った一日。明日は二つほど峠を越えることになる。 続く。
2009-01-01 和尚がツー。
2011-01-01 あけましておめでとうございます。
_ 今思い出したけど、当時作ったGIFアニメのウサギも、なぜか目つきがいやらしいウサギだった。なんでかなあとしばし考えた結果、どうもこれはうる星やつらの因幡くんの仲間のウサギの目つきじゃないかと思い当たった。まあどーでもいーっす。
_ 今年もけいりう堂をよろしくお願いいたします。お餅を食べすぎないようにね。
_ [コンピュータ] パソコンと言えばやっぱりNECなんだよなー。
会社の寮にいた時にはPC98RAを使っていた。これを使ってなんとか知的生産の技術を実現しようとして、結局は旨く行かなかった。データベースのNINJAなんてのは結構面白いもので、京大式カードシステムなんかと相性が良さそうに見えた。ワープロとしての機能も結構良かった。その後ウィンドウズとMS Wordに移行したのだが、こういう大きなアプリケーションを動かすためのハードはPC98や互換機のエプソンとかでは駄目だった。外付けHDDも100メガとかで結構高かった。結局PC98はゲームに使うくらいだったし、次第に使うことも無くなっていった。PC活動を復活させたのは先に書いたように怪我のせいと、インターネットのせいだった。すでに趣味となっていた街道行脚のことをHPに載せることは最初から目的だった。この趣味は、その気になればHPにいつも良いネタを提供してくれる。去年はあまり歩けなかった。今年は沢山歩けるだろうか?
2013-01-01
_ 正月。
諸君おめでとうございます。ではこれから若水で風呂入れて雑煮の出汁取ってたぶん寝る。
_ 諸君おはようございます。雑煮食いました。人参が生でした。健康です。これから新春の舞楽と能見るんだよ。でも昨日のももくろは良かったなー。俺もモノノフになるかな。今日は日本晴れです。
_ 初売り出かけて帰宅して雑煮。今日は三食雑煮。もち飽きた。今朝録画した新作狂言「狐と宇宙人」見た。今年の新春の狂言はこれだけしか放映無いのか?この新作は小松左京の手になるもの。地球に来た異星人が最初に出会ったのはヒトでない別の生物、というのはSFには良くあるシチュエーションだが、そこに狂言では代表的なトリックスターである狐を持ってきたのが秀逸。
2014-01-01
_ 帰省三日目。あけましておめでたし。
年始の挨拶行ったりなんか食べたり「ターミネーター」の特典映像見たりなんか食べたり甥の人たちと一緒にウルトラマンのDVD見たりなんか食べたり。
それにしても朝から甘いもので朝食にしてる奴らの気がしれない。もっと雑煮の餅食えよ。
2015-01-01
_ 日付変わリリーズ(好きよ、キャプテン)。ハンズで偶然見かけた松山油脂のカモミールハンドクリームが俺の炊事で荒れた指先を瞬時に癒してしかもさらさらとベタつかないことに畏怖を覚えているところ。今年もたくさんの驚きがあることを期待したい。それだけが人に生きる活力を付与するものだからだ。
_ 空港のひと時。
晩飯の超大漁丼という奴が思いの外美味かった。でも見た目のインパクトがなくて画像撮らず。昨日の母のおみくじの神の教えを書いとく。
「難儀苦労のある時ばかり神の御袖にすがる気か
難儀な時の神頼み、平素(ふだん)は一向にふり向きもしないで、人の力の及ばぬ苦しみに行き合わすと、俄かに神様神様とさわぎ立てる。神様も可哀想だと思し召し御助けなさって下さるでしょうが、私共は平素から神様を敬い、其御心に叶う様正しい行いをしておかねばならぬ」
はじめの歌のような一節は神の独白とも、その代弁者たる誰かの言葉とも取れる。前者だとすれば、神は明らかに人に対して不平を申し述べていることになる。ここに俺は、ヨブに対する加害者としての神との類似性を見る。だが、神は果たして自らのことを「神」と自称し、自らの衣の袖を「神の御袖」などと称するであろうか?この点は問題とされねばならない。だが後者だとするなら、俺たちはさらに大きな問題にあたる。この一文の題は「神の教え」。神の教えを語る者とは誰なのか。さらに言うなら、この一節は教え諭す文体ではなく、素直に捉えるなら疑問文、あるいは疑問形を用いてなされる糾弾、少なくとも嘆息混じりで発せられた言葉なのである。神自身を差し置いてこのような言葉を発する権利のある誰か、とは一体誰なのか。この場合、その誰かは、「神の教え」と語り置きながらその実自ら信ずるところを、たまたまこのおみくじを引いた者、つまり俺に押し付けようとしているのであろうか。さらに言えば、「神様も可哀想だと思し召し…」などとあるを見るなら、この誰かは神の思うところを熟知しているという自負のある者である。それは人の分別をわきまえないことでないとするなら、そのようなことを語れるものは誰なのか。今年の初めは、こんな疑問で始まったのである。
_ s航空の便で帰る途中なのだが、手荷物検査で引っかかる。一つ目は保温容器。これは中身の確認で済んだが、もう一つはミニアイゼン。結局部分的にアスファルトの露出した札幌の街中ではいささか使いにくくて威力を発揮しなかったのみならず、客室持ち込みを断られて預けなくてはならなくなった。札幌の街中で滑って転んで怪我をしろと言われたわけではないが言われたような気がして気分が悪い。まあ確かに、便が出発するや、おもむろにミニアイゼンを取り出して手近のか弱い女性や男性の喉元に突きつけてハイジャックの暴挙に出る可能性が皆無かと言われれば、何が起こるかわからないこの世の中で可能性がゼロだとはいえないが、よくよくの事情がない限り俺にそれはない。むしろ同じ検査で羽田はすり抜けてしまったことを検査の品質のばらつきと捉えて同社は反省せざるをえないということになるだろう。俺も次は気をつけるよ。アイゼンでなくてスパイク式に変える。もともとそっちを持ってくるつもりだった。でも出がけに見つかんなかったんだよ…。
_ エアバスA330、WIFIつながるわテーブル広いわスペースも広いわコンセント使えるわで、これは捗る。さっきまでの怒りはチャラ。
2016-01-01
_ あけましておめでとうございます
札幌は雪がひらひら舞い降りる新年だ。思ったより冷え込んではいない。例によって宿で自炊。いつものように紀文の糖質ゼロ麺でパスタ、目玉焼き、トマトジュース、ヨーグルト。ミニクッカーは便利。何でも好きなものが作れる。そんなわけで今年も変わらずやっていこうと思う。
2018-01-01
_ というわけで年明けた。平成30年、いい年になるといいですねー。なんとか旧年中にPCも復旧した模様。ついでに魔窟の一角がきれいになったので良かったというしかない。若水で体清めたらまったりしてからしばし寝ます。
_ というわけで、羽田。晴れ渡ってる。もうすぐ搭乗。やばかった。出発時間何と2時間遅い時間と誤解してた!気づいた時は一瞬キャンセルして別便取るかと思ったが、日本の交通インフラが優秀なため、また元旦とて混み合うこともなく、何食わぬ顔で予定通り出発。
_ 空港で軽食。食べられるものがあまり無い。出発前におにぎり慌てて食べて舌の付け根を噛んだ。
_ 書きかけになってたけど、バタピー の問い合わせへの回答。Webページに書き込んだ問い合わせに対する答えは電話で来た。お姉さん曰く、バタピー という名称を使ってはいるがバターは使っていないとのこと。なんか難しいけど、バタピー風塩・植物油炒りピーナッツのようなものであるらしい。ただ、こだわりのバタピー など、実際にバターを使っているものもあるので原材料表示を見て欲しいということだったようだ。食べ物の選択は難しい。単に嗜好や思想だけでは本当に食べたいもの、あるいは食べたく無いものを選ぶことが難しいのだ。塩せんべい1つとってもアミノ酸で調味しているものは多く、そのアミノ酸が何に由来しているかはわからない。ご飯は大盛りがサービス。味付けは調味料をふんだんに使うほどサービス。こういうセンスは貧しいように感じるのだが。
_ そうだ、もう一個書くべきことがあった。今日乗った機内に、ヤマトの森雪さんがいたんだ。出発前のアナウンスをやっていたんだから間違いない。救命器具の説明までやってた。
_ ついでにもう1つ。機内誌のナゾナゾ。1.ケンちゃんと将棋をするのが趣味なAくん。彼が健康法でやってるのは何?
2.彼氏のケータイを見ようとした彼女、いきなりノリノリで踊り出した。一体なぜ!? 私は2問目は全然わからなかった。答えは来月!
2019-01-01
_ というわけで平成最後の和尚がtwo。今年も手前どものド変態 男ビッチ日記をよろしくお願い申し奉りまする。テレビで熊野速玉大社や神倉神社が映ってる。今年の私の旅は伊勢にたどり着けるだろうか。ヤマビルに初遭遇したりしないだろうか。まあ、毎年思うが良い年になって欲しい。私はもう既にだいぶ良い歳ですけどね!
_ 甥の人々に年玉をお見舞いして、夕刻から調子の良くなって食欲の湧いた父の人と極々ささやかに年始の食事。その後BS1で「ホモ・デウス」見てやはり暗澹たる我らホモ・サピエンスの未来に思いやられている。今年は良い年になるかもしれないが永劫にそうであるとは流石に言い難い。夢物語のように思っている時間は意外に短いのかもしれない。AIは麻薬のようにヒトの世に広がっていく。一度味わってしまったら便利過ぎて止められないし、そこに利益を期待しているものたちがいるし、それを使っていることがまるで自分の能力が向上したことのように誤解させてくれるし、それを使いこなしているように感じるし、思考を停止することができるのだし、心地良いし。これが何か悪い薬の話でなくてなんだろう?自分は一体何を自分で決めたのか?自分には、本当は何ができて何ができないのか?「本当」とは何のことなのか?かくいう自分でさえこの流れを止められないどころか、その加速に加担してさえいるかもしれない。過去の過ちは全てこうだったに違いない。皆んな危惧だけは抱いていた。でも誰一人それを止めることはできなかったのだ。その挙句に自分もまた被害者だった、なんて、そんな見苦しい言い訳だけは生きている間にしなくて済めば良いな、とつくづくと思う。
2020-01-01
_ 明けましたな。昨夜は「時効警察はじめました」の最終回の録画とか戦艦大和・武蔵・信濃のドキュメンタリーとか録画してた紅白飛ばしながら見て過ごした。年明ける前に既にお雑煮食い飽きました。
2021-01-01
_ 明けましたな。今年は手前喪に服してますのでおめでとうとは言いませんが今年もよろしくお願いします。紅白録画しつつ見てましたが、何だか終末感漂ってたように感じたのはみどもだけでしょうか。歌い手の不安がこちらにも伝わってくるような気がして。ともあれ新年。人類はまだ滅びないでしょう。
2022-01-01
_ 「コロナ禍の去年、死刑!」というわけで新年が明けたのだ。新年早々『うる星やつら』再アニメ化という朗報が入る。ラムの声はすみぺだ。これは文句無しだな。同志諸君大喜びだろう。あたるの声は神谷明…じゃなくて神谷浩史。つうか神谷明は面堂終太郎であたるは古川登志夫だった。今年もよろしく。
_ おおそうじゃ。ジョジョの録画予約をしておかねば。ストーンフリー!やれやれだわ。
_ うにゃにゃ [あけおめ、ことよろ!!]
_ けい [よろしくです。今年こそは、うにゃにゃのブログとリンクさせてください]