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2004-03-31
_ 今日もちょっと早帰りして、マテ茶とタバコを買って帰る。
「日本の古書屋」経由で注文した「塩の道・千国街道」が届いた。料金の振り込み期限が遅れていたのでちょっと不安だったが。
これで千国歩きの準備も着々と…
GWに向けて無駄遣いしないようにしないとなー
2005-03-31 /DVD
_ 今期手がけてきた仕事も今日で終わりかな、と思ったらまだ問題が残っていたことが今日になって発覚してしまった。あーあ、桃の花が散ってしまうよ…
同僚から氣志團のDVD借りたので10曲連続で見て聞いた。「震えるぞハート 燃え尽きるほどヒート」なつかしいJOJOのフレーズが。カッコいいなあ、ハハハ。
2006-03-31 今期は今日でおしまい
_ 明日から新学期です。来週から会社も期が変わります。それなのに、私のお財布には今、なぜか東京-福島間の新幹線のチケットが入っております。
先々週遊びに行ったばかりだと言うのに、桜にはまだ早いであろう東北に、またしても出かけるつもりなのですね。月曜は早速骨休め休暇にしてしまってるし、期首から仕事やる気ゼロですな。全く世間様に顔向けができない。
2007-03-31 歯を入れた。庭にいろいろ植えた。
_ 歯医者行く。やっと歯が入ったけど、なんかすごく違和感がある。これが大人になると言うことなのね…。ちょっと寂しい。




_ アネモネは夜は花を閉じて昼間開くなんて、植えてみて始めて知った。アネモネの花言葉はなんだっけ?エウレカセブンで登場人物のアネモネがなんか言ってたんだけど、忘れてる。
冬の間丸坊主だった山椒も急激に芽を吹き出した。
今年こそはアゲハの幼虫より先に葉を収穫して、会津名物「ニシンの山椒漬け」を自作するぜ!一年越しの計画。何て辛抱強い、というか執念深いのでしょう、オレって。
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横浜カレーミュージアム、今日で店じまい。デリーのカレーはレトルトと上野本店で食べるしかない。
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ひこいわし買ってきた。まるごとぬか漬けにしてみる。内臓抜かないで漬けるとお腹のところが破れてきそうな気もする(以前ししゃもを漬けたときはそうなった)。でももしかしたら、はらわたがいい味つけになるかもしれない。大失敗になるかもしれない。まあやってみなきゃわからないけど、そうか。失敗したときのことを考えて少しぬか床を分けて保存しておいたほうがいいな。塩辛いぬか床をかき混ぜると指がひび割れるのがちょっと嫌。
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いろいろな番組が最終回。ウルトラマンメビウス、ルルーシュ、ひまわりっ!!(このエクスクラメーションマークが二つのところがポイント)。ミライ君、いいヤツだったな。最後まで。
2008-03-31 箇条書き:今日の出来事。
_ ・「最終兵器彼女」7巻まで入手して読了。世界が終る。
・マンデルの回帰計算のエクセルシート作る。VBA久しぶりにいじった。クールじゃないよ、ね…。共分散の定義、Rと違ってた。
・スキューノーマル分布を一般化した分布関数の乱数をどうやって作ろうかと思案。どうやら棄却法ですっきり作れるみたいだった。
・桜木町駅のそば屋でそば二杯食べる。この店大盛りを出さないから最近はお稲荷さんとかおにぎりとかを取らずに二杯食べることが多い。麺はともかく汁がうまい。鶏肉そばが一番好き。
・冬に戻ったように寒い。雨があがってますます寒いみたい。
2009-03-31 スケッチ旅行。
_ 春のNHK趣味悠々で、水彩スケッチで旅をする企画が始まった。
久々に自炊の夕食。めかじきのハーブ焼きは塩を振った後で水分をよくふき取らなかったので汁だくに。あと二日前に作った煮物。玄米。赤だしのひるげ←永谷園の中ではこれが一番好き。次が納豆汁かな。
食べながら趣味悠々の録画を見てた。スケッチはやりたいんだけど、自分の理想と力量とに余りにも差がありすぎて手を出せずにいた。が、50代もまじかに控えて、そろそろいい感じの諦念が生じているかもしれない。つまり、俺はせいぜいこの程度、というぐらいの諦め。
そのスケッチをしながら旅をする。その思いと、東海道をゆっくりとたどり直したいという積年の思いが今ひとつに重なってしまったような気がする。
こうやってどんどん単なる歩き旅からハードル上げてしまうというのはどうかという気もするんだが。しかも野宿旅をからめたりしたらどうなっちゃうんでしょうか。なんて、また余計なことを思いついてしまったみたい。しかし、一度は歩いた東海道だから、良い野宿ポイントの検討はある程度付いてしまうしな。。。
あ、いや、単なる妄想ですょ。今のところは…。とりあえずスケッチの練習くらいはしときましょうか。
2010-03-31 わんこそば大会。
_ [食べ物・飲み物] 初・わんこそば(競技)を戦う。
以前奥州平泉で秀衡膳と名のついたわんこそばを食べたことがあるが、これは一人前20杯と数の決まっているものを粛々と食べるものだった。今回は違う。入社したころから東神奈川の駅で看板を見て以来、ずっと気になっていた「たち花」なる東白楽のわんこそばは数を競って食べる。100杯食べると記念品がもらえるらしいというので、妙齢の美女と連れだって出かけたのだった。
注文すると店のロゴ付きの前掛けが出てくる。味が単調になったときのためのおかず数品と薬味セットが出てくる。食べ方の説明を受けて、最初は戸惑い気味だった我々は次第に戦士としての自覚を高めていくのだった。ビールで少々のどをうるおしているうちスタートとなる。五杯食べたら自分でその目印におはじきを一個ずつ置いていくのだが、食べるのに夢中になって何個か置き忘れた。おかわりをよそうお姉さんは慣れた手つきで、掛け声もほがらかに「はいどうぞー」「はいどんどん」「はいよいしょ」という具合で。そのうち「はいどんどん」が悪意を帯びているように聞こえてくるのが不思議なところだ。100杯を重ねるとさすがにキビシいものがある。100杯記念の記念品をもらって記念の記帳をする権利もいただく。ノートをめくっていると、食べ終えた人の感想がいちいち面白い:
「無理」
「もう当分そばはいいです」
「そばが来る…」
「はいた」
「はいどんどん」
ちなみに連れの美女は女性の規定数80杯を余裕で超えて100杯食べてつらっとしていた。その名をうにゃにゃと言う。
わんこの他にもひっつみとかいろいろおいしそうなのがある。次は普通に違うの食べに来たい。
2011-03-31
_ 「ブラタモリ」第2シリーズおしまい。
実はこの記事は録画を見終わった土曜の深夜に書いてる。多分第3シリーズもあるだろうと思うのだが、名残り惜しい。第2シリーズ最後は「渋谷」。矢倉沢往還(大山道)を歩いた時、宮益坂からすり鉢の底の渋谷を通って道玄坂を登っていったことを思い出しながら見ていた。金王八幡社とか、宮益坂の庚申塔とか。渋谷川の暗渠が東急デパートの地下を通っていることは後年になって知った。
2013-03-31
_ [特撮] 獣電戦隊キョウリュウジャー。
ピンクは惜しげなく太もも露出してるのにそこがコンプレックスだったことが今朝判明。きっと"見られてきれいになる"作戦だ。来週はノッサン(←こんな呼ばれ方する戦隊ヒーローってw)大活躍。オヤジギャグ炸裂で笑い死にさせられたい。
_ フリーライダーを憎む、ということは何度か日記には書いてきている。そういう性格がいつ作られたのかわからないが、子供の頃にはすでにあったようで、自分が自分なりに考えたり調べたりしたことを惜しげもなく人に分け与えるような子供ではなかったように思う。考える能力が無い人のことが理解できなかったのだろうか、彼らは知識にただ乗りしようとしているように思えて仕方が無かった。今もそうだ。これはそんなに簡単な問題ではない。知識を与える立場にある場合に、その知識に関してどのくらいの価値を賦与しているかはなかなか妥当性を問うことができない。その知識はより高い知性から与えられたものである場合も多いからだ。
知識にせよ物質的な充足にせよ、それらを持ち自由にできるということは全能感をもたらす。特撮番組の大好きな自分にはその全能感がどんな感情をもたらすのか良く分かっているつもりだ。大人になってもそんな感情を楽しむ機会は多々あるものだ。自らのパフォーマンスが旨く行ったとき、ゲームにのめり込んでその世界のルール上の勝利を勝ち取った時、セックスで相手を満足させるとき、旨い食事を提供するとき、そしてエウレカと叫ぶ瞬間。。。何も持たないことを勧めるある種の思想は、その全能感の危ういことを警告しているのだと思う。また、警告などはなから目に入っていないものもたくさんいる。全能感のなすがままに行なって失敗することの少ない人というのは確かに存在している。自分はそういうのではなくて、かならずあとに後悔が続く。そんな苦い経験を積み重ねて、自分の才能に懐疑的になるということもまた危うい。才能を測るには数多くの軸がありながら、それぞれの軸上の位置はちゃんと定義できるものだと思う。その軸のどこに自分がいるのか、そこだけをわきまえて精進していきたいものだと思う。そんなときに障害になるのは、軸上の位置関係を"相対化"する者の存在だ。自分のいる位置を平均的な位置であるかのように言った上で「あなたの言うことはわかりにくい」と言われれば、どこまで付き合ってやれば満足するのかと絶望的になることがある。だがこの絶望感がまた一つの全能感の裏返しで無いと言えようか。どんなに苦労して得た知識であってもヒトは共有しあうべきなのだろうか?情報の非対称性の弊害を語るものが情報の共有を惜しんではならないのだろうか?情報の世界にも"民主化"の波が広がるのであれば、その際かならずあらわれる"フリーライダー"を制するにはどのような刑罰がふさわしいというのだろうか?ことこの件に関しては誰もが多かれ少なかれフリーライダーであり、その軽重だけを問題にすることには意味があるのだろうか?知識を持ちながら与えようとしないことは罪だろうか。ネットの世界も良く見ればそんな生存戦略でいっぱいだ。もし自分が今学生だったなら(実は学生だけど)、ネットを使わずに宿題をこなすことはできないだろうと思う。インターネットは本当に大きな発明だ。頭を外科的な手段で直接ネットにつないでる人もすでにいるのではないかと思う。そうするとその人は全人類の知識を有するという全能感に打ちふるえているだろうか?誰かがそうしはじめたら、きっと誰もが争って同じことをするだろう。そういう世界における唯一の美徳は、こんな弁解じみた駄文ではなくてもっと良質なコンテンツをネットにアップロードする行為なのだろうと思う。いや、神になるとかいうことじゃなくて。
_ [特撮] 仮面ライダーウィザード
おもわずタイトルを「仮面ライダービースト」と書きかけてしまった。ビーストは今回、内なるキマイラと対話する。以前ウィザードが内なるドラゴンと対話したときにも思ったことだが、こういう内省的な描写は好きなんだよね、自分が内省的だから。自分の中にドラゴンがいたりキマイラがいたりすると考えてみると、人生の理不尽さや自らの愚かな行為に得心がいく。人生上の不可避なイベントに何故を問うことに対する「神話的回答」というべきものだ。特撮ヒーローの作品には神話的構造で見ることのできるものが多い。一方全く異なる視点があり、「腐女子的回答」というべきものもまた存在する。畏るべし…。
_ なんかうちの屋根裏か軒下のあたりでゴソゴソしてる奴がいる。きっとスズメだ。うちに近づいたらビーストの餌食になるというのに。スズメにはネコの匂いがわからないのだろうか。そんなことだからある日襲われてドクロとなってまうのだ。朝起きたら枕元にスズメのドクロ…ああそれにしてもゴソゴソとうるさい。
_ 午後、図書館へ。予約してた本を受け取ろうとしたら、所蔵館であるにかかわらずまた何日も前に申し込んだにもかかわらずまだ準備ができてないとのこと。調べてもらったら、なんと修繕中ということでしばし待たされる。しかし受け取ろうとするとまだほつれが残っていたため、急きょのり付けしてもらいゴムで固定して「2時間たってから開いてください」という限定付きでやっと借り出すことができた。実はこの本、和書が絶版らしく古書でも状態の良いものを入手するのはちょっと難しい。一方原書のペーパーバックは安価なので、内容を日本語でちょっと読んでみて購入の判断材料にしようとしたのであった。この本は、技術的特異点に関する本、というかそれを言いだしたカーツワイルその人の著作である。
図書館の坂道を下りていき、関内へ、そして中華街へ。久しぶりに歩いた野毛は、なんだか20年ほど前のいかがわしさを取り戻しつつあるように思えた。横浜スタジアムの脇を通って行けば関内駅から目的の中華街の輸入食品店へは結構近いことが分かった。買ったのはまた塩くるみとサンザシ。今日は寒い。風邪引きそう。
_ [テレビ・ラジオ] NHKスペシャル
佐村河内守と書いて"さむらごうちまもる"。"さむらかわちのかみ"ではない。こんな名前が存在することがまず驚きだったが、重低音のノイズが文字通り四六時中鳴り響く中絶対音感だけを頼りに交響曲を書く人。ちょっと別のことをしようとしてたのだがどうもテレビから目が離せない。
_ テレビで思い出したのだが、今日エクセルのアップグレード版を買いにヨドバシカメラに行ったついでに3Dテレビを見てきたのだが、どうも腑に落ちない。値段の高さはともかくとして、まず東芝のグラスレス3Dは、デモ用のコンテンツがよくなかったのかもしれないが、2.3次元くらいにしか見えず、3D化によって情報量が増えた感じがあまりせず、3次元化を補う画像処理(超解像と呼んでいる)の結果が自然画像に対して違和感を生んでいるように見えた。一方、どういうことかLGを大売出ししているらしくそのグラスつき3Dを見てきた。確かに奥行から手前への立体感が強調されていたが、これはどうもリアルな3Dではないな、と思った。パースを意図的に狂わせた「デカスロン」のころの山田芳裕(漫画)を思わせるものだったからだ。なお違和感があるのは、立体なのにそれがテレビの枠にはめられているということだった。いずれの方式にせよ3D像は現実のそれを模するように再構築されているようには見えなかった。やはりこの技術は今のままでは普及しない。コンテンツも何十年か前の飛び出す映画とどれほど違うともつかないように思われるし。見て改めて思ったのは、この技術に私が期待してたのは、もしや計測可能な奥行き方向の情報だったのではないか、ということだった。つまり、私は二次元ディスプレイ上に表現された3D映像を求めてはいなかったようだ。ホログラフィ技術がリアルタイム性を獲得するか、あるいは三次元ディスプレイが実用化されないうちは、3Dテレビに対する消費の心配をする必要はなさそうな気がする。まあしかし技術の進歩は予測もつかないから、もしかしたら…。
_ 6月の横浜能楽堂の舞台は能「熊野(ゆや)」と狂言「酢薑(すはじかみ)」とのこと。「熊野」の故郷である駿河の国・天竜川の東にある池田の宿は、姫街道を歩いた時に通ったことがある。冬だったが、熊野ゆかりの藤の木は見事で、花の季節に一度音連れたいものだと思った様な気がする。6月の予定など今からわからないから予約を入れるのに躊躇しているのだが、能の映像資料は特別な日のNHKの放送を録画する以外にはあまりたやすく入手できるものではなさそうなので、このような催しをちょいちょい見に行くのが最も良いのだと思う。「道成寺」のDVDがたやすく入手できるというのはむしろ特例的なことだったようだ。
_ [テレビ・ラジオ] みうらじゅんと山田五郎の親爺同志
第13回の録画見てたら「親爺苑」というコーナーで「年寄りの冷や水」という格言にみうら・山田風解釈をつけるというのがあった。これは金冷法のことであるという解釈がついた。さすがだ!年寄りの冷や水は、やったほうがいいということだったのである。俺も先日のお彼岸に一つ年を取ったのでお風呂でコ○○ンを握る回数を一つ増やしたばかりだが、これからは水冷式もちょっと試してみる。まあどんなに鍛錬したところで大した用途は無い。ちなみに最近のみうらじゅんさんは政治家の片山さつきさんとよく間違われるって言ってたので片山さつきさんの画像をネットで見てみたらコーヒー吹いた。
2014-03-31
_ 「レッド」読んでて連合赤軍のことがちょっと気になりだしているところ。多くのことが語られ記されたであろうゆえ、手を付け始める糸口はいたるところにあるのだろうと思う。
_ 最近の仕事の関連で、2次元画像のエッジ検出とかモルフォロジーとかのことも気になりだした。一方で因果モデルとか階層モデルとかベイズモデルとかが捗ってないのに苛立ちを感じてもいたり。とまれもう新年度だ。おいで~今日もフィスカル←ラスカルとフィスカルイヤーをかけてみたがわかんねえのなんのって。
2015-03-31
_ 今期最終日。来期もいろいろありそうだが、なるべくめげない。めげてもなんとかする。もうめげそうだけど。いつもそうだけど。旅に出たいな。弘前が新宮が俺を待ってる。ずっと待たせてる。
2018-03-31
_ というわけで夜だ。駅のトイレを借りて小用の場所の前に立ったら、目の前にお花見セールのお寿司折り置かれてる。何これ、食べていいの?まあ食べなかったんだけど。
2019-03-31
_ [特撮] 仮面ライダージオウ
ディエンドに続いて今回は懐かしや仮面ライダーカリス登場。オレハァ、キサマヲムッコロス!さらにさらに、剣(ブレイド)も。新ライダーにレジェンドライダーにアナザーライダーと、今回の仮面ライダーはライダー大放出。時を経て再び激突する剣とカリス。次回、なんかすごいことになっちゃったー!!つづく。
_ [特撮] 騎士竜戦隊リュウソウジャー
最近のライダーもそうなんだけど、擬音が音じゃなくて加工した人の声なんだよね。私自身としてはあまり好きじゃないんだが、擬音のバリエーションを生み出すのには効率が良いのかもしれない。こういう演出に注目して特撮の歴史を概観するのもいいのじゃないかと思うんだが。今回のマイナソーは見るものを石に変える能力を持っている。ギリシャ神話のペルセウスは、ゴーゴンを倒すために盾を鏡面に磨き上げてそれに映しつつ戦ったのだが、リュウソウジャー・メルトの作戦は地面を崩して石化能力を持つ目の部分をその破片で覆い隠すという力技。今回のマイナソーは”うい”ちゃんの、誰かに見てほしいという気持ちが生み出したものだが、なぜそれが石化能力を生んだか?それは、ういちゃんのパフォーマンスが見るものを固まらせるようなものだから、というオチ。いまだ仲間とならないグリーンとブラックの兄弟は、彼らの騎士竜を探すと決める。つづく。
_ 夕ヨガの後帰宅。夕食とりつつ「ももクロChan」録画見る。「チャンネルはそのまま!」に百田夏菜子がカメオ出演。朝ドラ以来の再開となる芳根京子、改めて若い子なんだなあって感じてしまう。まだ見てないけど「チャンネルはそのまま!」の花子は案外と地に近いのだったりして。しおりんと一緒に静岡でこってりパトロールとイチゴ狩りに来ているあーりんがぴったりしたニット着てて胸元に惚れた。やばいなあーりん。
_ 先日授業料払ったので、大学から学生生活の栞、通信課題と教科書が届いた。課題の提出期間は5/21-6/4。面接授業も5月にある。というわけで新年度受講の非ユークリッド幾何と時空の第3回を聴講した…は良いのだけど、代数方程式の解の公式を導く話が途中からついていけなくなってしまった。復習する時間あるんだろうか。早くも不安が。
2021-03-31
_ 3月最終日。今日の夕刻は、市立図書館に予約してた本を取りに。ボルツマン先生の『気体論の講義』である。思ったより分厚く、去年の12月に出たばかりの和訳で流石にまだ新刊が定価で売られている。売られているが、7000円を超える。それでとりあえず英語版のペーパーバックを少し前に注文していたのだが、今日図書館で借りた和訳版を見て、これは買う以外に道は無いと思い知ったのであった。今少しやっているのは太陽の脇を通り過ぎる彗星の軌道みたいな計算なのだが、天体とは違って言わば反重力のような力が働いているので彗星は太陽に近づけば近づくほど弾き返されるような軌道を描くことになる。大概の本には太陽に向かって来るその星の軌道が、太陽にまっすぐ向かうのではなく距離bだけ逸れた向きで近づいてきたら、太陽を通り過ぎたあとの軌道はどのくらい弾かれることになるか、という問題を掲げてそれを解く。このbのことは衝撃パラメータとか衝突パラメータとか呼ぶのだが、どの本も一様に記号bで表しているのがちょっと不思議だった。しかし今日わかった。この本でボルツマン先生が何と同じ記号bを使って問題を解いているではないか!これが初出かどうかはまだ私にはわからないが、初出である可能性は高いと思う。その記号を使って自分も同種の、ただもっと簡単な、問題を解こうとしているのだ。そう思うとやはりボルツマン先生には自分たちも大きくその影響を受けているのだなあ、なんて改めて思ったのだ。これはこちらから向こうへの一方的なものではあるが「絆」と呼んでも良いのでは無いか。親しげに会話したり、いつもつるんでいることなんかよりもずっと確かに思える繋がりだ。時空を超えて人を繋ぐものは思想なのだ。ボルツマン先生が生きた時代、必ずしも分子が運動しているということは常識では無かった。著名な物理学者にも原子・分子の存在を認めない人はいた。気体とは分子が激しく運動している状態なのだということは、深い洞察と自然の観察によって古代ギリシアの哲人たちがもたらした自然の見方、つまり思想だった。近代の科学者がその思想をさらに精緻に表現して今に至っているのだ。ルクレチウスの残した詩に書かれたその思想を発見したときの寺田寅人先生の驚嘆に思いを馳せる年度末となった。
_ 遺憾遺憾、大事なこと書き忘れた。ゆうきまさみさんのロングインタビュー、今日届いた。読むの楽しみー。
2022-03-31
_ というわけで年度変わる。今日は雨。七十二候は雷乃発声(かみなりすなわちこえをはっす)。いわゆる春雷の季節で、雷こそ鳴らないものの横浜は一晩中雨だ。だが朝になれば晴れるであろう。ドラマ「あせとせっけん」も終了。諸星大二郎『夢のあもくん』届き、あっという間に読了。稗田さんも栞と紙魚子も出てきたりなんかして。あとがきに書いてあったが諸星さんはずいぶんタッチを変えてパソコンで描いたものもある、とか。まあでも、何使って描いたって諸星さんの絵は諸星さんの絵で、それはそれですばらしいことだなあと。多くは書かないが『回文』という作品の回文があまりにも物騒でとても良かった。
2024-03-31
_ 春は眠たい、というのには理由があるらしい。それはともかくとして、今日は訳あって革小物の縁かがりを行っていた。まだ半分終わらない。丁寧にやるとそれなりの出来栄えになる。完成楽しみ。
_ うにゃにゃ [妙齢のうにゃにゃです^^ また、そば食べにいきましょうね!はいどんどん。]
_ けい [無理。もう当分そばはいいです。]