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2008-05-02 五戸〜青森、4泊5日の旅。
_ 月曜から今日まで東北にいました。青森駅には今日帰れるぎりぎりの時間に着いたら、八甲田丸がちょうど汽笛を上げました。続きは夏休み。野宿になるかもしれない。
2009-05-02 鶴見川ウォーキング。
_ こないだトレッサ横浜で地図買ったから出かけてみた。
出発地点は地図によれば生麦の河口干潟から。だけど、一応末広町の出島の先っちょに行ってからスタート。鶴見小野駅から行って帰ってきたらちょうど東京ガスの環境エネルギー館が開館してたので寄った。ここは面白い。面白くエコロジーを学べる。
キリンビバレッジの敷地に迷い込んで戻りして、生麦。生麦事件跡を過ぎ改めて河口干潟。ここは川なのにほとんど海岸。この部分だけ地面が白い。貝殻でできた岸辺。三浦の剱崎のあたりでも感じたことだけど、貝殻の砕けた浜とは、貝の死骸で埋め尽くされた海岸と言うことだ。
今日はとてつもなく暑かった。若干熱中症気味になって小机でJRで帰って来た。水はコマ目にとってたんですけどね。
2012-05-02
_ 和歌山南部は今日大雨。大辺路・富田坂はさほどでもなかったが、日置川流域に出たところでかなり濡れた。熊野は雨が多いというが、はじめて体験。身延道歩いたり塩の道新潟近く歩いたときをおもいだしていた。串本や新宮の辺りがすごかったらしい。久々に道迷いしたり雨でペース落ちたりして余り進まず。明日ははれだそうです。
2013-05-02
_ 水窪ダム。
_ せっかくダムが近くにあるので見学。しばらくするとアラレが降って来た。道理で寒いと思った。つうか寒いよ!
_ 直江堤。
_ 街道から外れること1キロ強、直江堤に来た。堤に沿って説明板がまたえんえん1キロ強ある。少し日がてりはじめたので、握り飯でも食うかな。
_ 庚申堂
米沢市街地に入る。日本三大庚申は、京都•八坂、大阪•四天王、東京•入谷だったのだが、入谷のは現存しない。そこで名乗りを上げたのがここ米沢、という訳ではないだろうが、当地ではこれを含めて日本三大庚申と言っている。
_ 上杉神社のサクラ
_ 米沢上杉博物館見学したあと、詣でる。
_ 上杉祭。
午後6:30から1時間強続いた。天気が崩れなかったのは良かったが、真冬の寒さ。終わってから食べた米沢ラーメンがうまかったと言うより温かくてありがたかった。
2014-05-02
_ [読書] 『ゼロ年代の想像力』宇野常寛、ハヤカワ文庫JA、2011.
まだ途中だが、思いついたこと。俺はこの批評に取り上げられた作品の多くと、さらにはセカイ系や決断主義の問題と、呆れるほどに無縁でいられたし、そのことを苦にするような状況もほぼ経ることなくゼロ年代を通過して来た。そのこと自体、この評論の文脈上からは批判されるべきかも知れないのだが、この批評が問題としている90年代後半から今に至るまで、物語の喪失を感じてはいなかったように思う。厳密には、この批評ほどにはフィクションの世界の出来事を身につまされるように感じては来なかったのだ。それは俺がそういう世界よりも責任を感じながら過ごして行くべき生業を持つことのできたこの社会においては比較的恵まれた者であったことにも理由はある。少なくとも、漫画やアニメやドラマにはそれなりの重きを置いてはいても、結局それらが発していた警告や悲鳴からは遠い場所にいることができた、ある種の余裕のおかげなのだと思う。その余裕の中には、放送大学で学ぶことやヨガに勤しむこと、そして何より、今まさにその只中にあるところの、旅の恩恵などが含まれている。学び、そして旅に出ること。そのことで、世の中は解かれるべき謎と語られるべき物語に相変わらず満ち溢れていると信じることができるだろう。弥次喜多の昔から、いずれの時代にもあるその時代特有の閉塞感から、ただ旅の物語だけが独立でいられたのだ。
_ [熊野街道]橋杭岩からの日の出。
こんな天体ショーが、晴れていれば毎日楽しめること。そしてそれがわずかに生きている間だけの楽しみであること。しかもその物語は俺の死んだ後もおそらくは繰り返される、永劫の物語であり、決して小さな物語などでは無いということ。そしてこの海の色。昨日のただ青だけの貧困な想像力をも克服できたのではないか。世界は複雑でありそれゆえにこそ美しいことはフィクションの世界からはなかなか実感することができないことだ。これを知るのには必ずしもフラクタル幾何学に精通している必要は無い。人は脳だけで考えることはできないし、日々何を食べるかということだって未来を大きく左右するがゆえに、決断主義で生きてはならない。世界は複雑だか、人の生きる原理は意外に単純であるかも知れない。
_ とある社にて。
_ 日差しはそれなりに強いし昨日の日焼けが痛かったりもするが、風は涼しいというか少し冷たい。それが今日の旅の救いだ。いや、これ以上の好機はないのではないか。今、10:30。
_ 列車待ち。
荷物が重すぎてあまり進めなかった。宿は新宮。歩きを止めたらなんか寒い。南国串本寒い。
2015-05-02
_ 札幌2日目。朝2時間のウォーキングで円山公園に行くと朝から花見の場所取りでにぎわってる。花見とか言ってるけど円山公園の桜はほとんど散っている。泊りで場所取りなんかしてる者もいたりして酒飲みは大変だなとか思ったり。父のところのWiFiが繋がんなくなってしばらくたってたが、いろいろやった挙句やっとつながるようになった。IPアドレスの固定化とブロードバンド接続設定しなおしなどで何とかなったがいまいち決め手がわからないのが不安。
夜は北大北門そばの義経で食べることに決めてたが、大通りからの途次モンベルストアがあいてるのを見てしまって立ち寄って細引きと帽子と箸を買ってしまう。その後やっとの思いでジンギスカン義経を訪ねることができた。聞けば今年で創業53年とか。何、俺と同い年なのか。30年位ぶりに食べたジンギスカンは何となくあの時の味と同じだったように感じた。そこからまた歩いて円山の宿に帰宅。
2017-05-02
_ 帰る日。
_ 晴れた新千歳空港。時間あるので展望デッキに出てみた。悪くないな。
_ というわけで初めてラウンジを利用してみた。人生初だよ!今日は世間的には平日というのもあってか、とても静か。外の旅客機の発着音と誘導の作業音とフリードリンクをサーブする食器の音と、小さなBGMだけが聞こえている。フリードリンクで時間つぶせるんなら教科書とノートを手荷物から出しておけばよかった。そう。そろそろ放送大学の通信課題をやらなくてはならないのだ。その前に茂で食べたラーメンのことを書いておくか。
_ [食べ物・飲み物] 茂ラーメン、6杯目。
4/30に食べたのは「昭和ラーメン」。あっさりした澄んだスープにそれぞれちょっとずつの海苔、キクラゲ、支那竹、棒麩(昨日の画像に載せたやつな)、ほうれん草、ねぎ、塩味の少し強いチャーシュー。上品なまさしく昭和のラーメンだった。
_ [食べ物・飲み物] 茂ラーメン7杯目。
5/1に食べたのは「昆布ラーメン塩味」。シャープな塩味は白味が勝ったスープと糸昆布・20mm角の2枚の昆布との相乗効果と思われた。もやし、カマボコ、チャーシューが乗っていた。糸昆布由来の植物性ムチンの食品レオロジー的な効果で喉越しが良い、というちょっと変わった食感。要するに昆布からトロミが出てる。念のためだが「シャープな塩味」は「塩辛い」の雅語と考えた方が良い。
_ 羽田空港着いた。到着ロビーのラウンジはだいぶ手狭な感じに見える。さっさと帰ってでんぱの神々の録画とか買ったままのヴィンランドサガ読もう。夜はトミタ栞のだめラジオも初めて聞いてみたい。
_ といったわけで自宅に帰った。ももクロChanの録画見てたら約1年ぶりにかなこ復活。全くおバカが治ってなくてすごく安心したよ。これぞももクロだなあ。
_ FMヨコハマでだめラジオはじまってた。声だけで聴いてるとトミタ栞の感じ結構違うな。悪くない。そういえばなんだが、女の子って声だけ聴くとギクッとするくらい大人っぽく感じることとかあった。電話で声聞いて改めて惚れることって、時々あったと思う。ザ・パンチ・パンチ・パンチの頃に目覚めて声フェチになっちゃったからな、自分。もう絶対に治らない。
_ だめラジオ全部聞いたよ。ラジオ番組通しで聞くのはなんか久しぶりで懐かしい感じ。最後「17歳の歌」。
2018-05-02
_ [読書] 「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル、池田訳、みすず書房、2002。
日付変わった。 フランクル「夜と霧」、読了。人類史上並び無い汚点のその現場を体験した心理学者は、勤めて学究的に、理性的に筆を運んでいく。収容されていたその時に、自らの体験を「収容所の心理学」という稀有なモチーフとして俯瞰することとしたその事自体が、彼自身の収容所生活をやり過ごすための「トリック」であった、と文中にある。苦難の日々を生きることはどこまでも具体的なことであり、最悪の状況はそこで崇高な行為を行うための好機と捉えることもできるという一種皮肉な逆説。生半可に悲劇を期待して読み出した自分には語るべきことは少ない。という訳で明日読む本が無くなった。空港の本屋で小説でも見繕うかな。
_ 札幌駅近街。完全に「ラスプーチン」って読んでどうかしてる。
同じ地下街には懐かしい回転ずしチェーンの「くるくる寿司」があったので、外から覗いてみた。学生時代に住んでたものすごく古くて寒い住処のすぐそばにあった店も今は無い。一度、何かの用事で父の人が訪ねてきたことがあり、そこで食べさせてもらったことがある。メニューにあった「なめこ」の軍艦巻きが好きだった。大葉の上に単になめこを乗せた軍艦。瑞々しい旨さを感じたが、今の店には無いようだった。帰宅したら自作してみようかな。確かすし酢がまだ残っていてはずだし、どうせまたいなり寿司とめはり寿司を作り置いて冷蔵するつもりだ。すし酢も自作すれば良いや。先日ネットで購入した高菜漬けはかつおダシを使っていたので満足できていない。まあ美味しく戴く他無い。今、私には一つのプランがある。小松菜を大目に買い、茎は炒め物にして葉を塩漬けか糠漬けにしようと思うのだ。そしてその葉の漬物でめはり寿司を作る。茎は刻んで汁の実としても良いだろう。ターメリックで彩色した豆腐のオムレツに混ぜ込んでも綺麗なのでは無いだろうか?
_ 新千歳、壁画。
札幌市大・山野井さんという方の作品「めざせ!食の王国北海道」な訳だが、キャラが新堂エルさんのそれに似ててちょっとムラっとしたりして。
_ 4冊目の読書。
「小説でも」と早朝の書き込みに書いたが、どうせなら名作と呼ばれるものを読みたかった。しかしその類は帰宅するとうんざりするほど積まれているのだ。それにさすがにちょっと疲れも出てる。こういうのが良い。父の人宅の近くの書店で購入。もしかしたら自宅にもあったかもしれないが、この版は多分無い。ケストナーの「子供の皆さん」(確かにこの人は自分の作品の愛読者たちにそう呼びかけていた。そして、『大人になっても子供であるような人だけが本当の大人だ』と言っていたはずだ。あるいはその言葉をまともに受け取って今の私はあるのかもしれない)向けの本を実はほぼ読んでいない。創元推理文庫に収められた「一杯の珈琲から」「消え失せた密画」「雪の中の三人男」と、あとは評伝と、そうそう、インモラルな「ファビアン」を読んだだけだった。私は、この人の子供向けの作品群を全て読まずに死ぬわけにはいかなかったはずだった。もちろん今からでも遅くは無い。そして「まだぜんぜんはじまらない」冒頭を読み出して、「ああ、これは確かにケストナーの文章だ(正確には『高橋健二の訳したケストナーの文章だ』、だが)としみじみ感じたのだ。天気は正に下り坂。札幌も肌寒い。横浜は少し蒸し暑いかもしれない。きっと読書には好ましい時候なのだ。挿絵・ヴァルター・トリヤー。
_ [読書] 「エーミールと探偵たち」エーリヒ・ケストナー、高橋訳、岩波書店、1962。
日本で出た年は何と私の生まれた年だった。ケストナー少年文学全集の第1巻。飛行機と電車の中で読了。私は知っていた。泥棒にお金を取られて無一文のエーミールの電車賃を払ってあげた紳士が誰なのかを。それは、作者・ケストナー自身だった。まだあまり多くの作品を読んでいないが、例えば「一杯の珈琲から」でも、主人公の行動に対して良いヒントを与える人物としてケストナー自身が登場していたと思う。ケストナーはきっとそうするのが好きなのだ。そしてそのことを知っていたということは、私は確かにこの作品を読んでいたということだった。再会したのだ。できれば正にケストナーがその作品の対象とした少年の時に読みたかった、という恨みは無きにしも非ずではあった。だが、この作品を読む代わりに、違う作品との出会いもあったことだろう。あまり心がけて読書する少年ではなかった、けれど。第2巻は「エーミールと三人のふたご」…ン?いつか、さほど遠くはない未来の楽しみとなることだ。
_ 帰宅した。ちょっと雨がポツポツ。入浴して”アイヌアニメ”の録画視はじめたところ。今日もうアニメ視て寝るだけにするから。ふふん、連休はこれからが本番だ。ヒンナヒンナ。
つづき。小樽の花園団子でたw これ、テレビ塔の下でも買える。ヒンナだよ。
2019-05-02
_ 帰着。わたしはいそいそと自宅のテレビの前に。そう。弟の人その一に録画してもらった「チャンネルはそのまま!」のBDを見始めたところなのだ。ホシテレビ社屋を映す空撮には、母の人の眠る霊園なども映っている。10連休後半の最大のイベントとなるであろう。もう今日はお外に出ないもんね。つづく。
_ 開始16分。流れるCMがことどとくこっちで見ることのない製品やお店のものばかり。「ちゃんねるはそのまま!」「おいしいよつ葉(乳業)もそのまま」。番宣とCMがコラボしてるw これはたまらんw つづく。
2020-05-02
_ 土曜日。今日の朝食は。。。訳あって後ほど書くことにします。以下はフキの煮付け作ったときの画像貼る。
_ さてお昼だ。
_ 帰宅。14:30。今日は10キロ弱で軽い散歩。。。とはいかぬ。めちゃ暑かった!これから水風呂に入ってスイカ食べる。夏だな、もう。ステテコで過ごそう。
2021-05-02
_ 午前中はスーパーヒーロータイム、午後から「死生学のフィールド」の続きを聴講。第10回は喪失と悲嘆。三石琴乃さんの『わすれられないおくりもの』の朗読がしばらく続く。全文っぽい。絵本入手して読んでみますかね。連休早や4日目だなあ。。。今日も天気が不安定でいつ雨になるかとちと不安。続く。
_ 続き。第11回にも三石琴乃さんの朗読登場。結局第12回まで聴講。この勢いで明日もやるか。今日はいつものヨーガは無し。
2022-05-02
_ 雨は上がった。今日は平日なんだな。朝のゴミ出しに出るとご近所の方と顔を合わせる。その方が、「昨日の荷物、ちゃんと受け取れましたか?」とおっしゃる。昨日郵便受けの上に置かれていたコーヒーは、実はその方のお家に誤配されており、後で気づいたご近所さんがうちの郵便受けの上に置いてくれた、という次第だった。配達員でもないご近所さんが宅配ボックスを使ってくれなくてもそれを責める筋合いのものでは確かにない。お届け済みのコメントは「お客さまに直接手渡ししました」となっていたから、このご近所さんが手渡しで受け取ってその後誤配に気づいた、ということだろう。
Amazonの誤配の場合、注文主が「届いていない」と連絡すると、替えの効くものなら新たな品物の配送がそこからまた始まる、という流れになるようだ。中古本とか高価なものの場合どうなるのかな?郵便物の誤配を受け取った時は、宛名のところに誤配を示すメモなど貼り付けてポストに投函すれば良い、ということも割と最近知った。
今朝もオムレツ修行。昨日よりはまとまりの良いものになってきた。あなたすてきよ。いい感じよ。(⇦つげ義春『海辺の情景』)ふわとろオムレツまでの道のりは気が遠くなるくらい遥かだけど。そしてイングリッシュマフィンの残りにサンダルフォーのブルーベリージャムとかキリのチーズスプレッドつけてオムレツと食べる。起こったこと時系列に書いてるだけ。そういうのだと良い漫画にならない、と『闇の伴走者』(⇦書き忘れたけどこのドラマのタイトルの字体、完全に手塚治虫だった)に出てきたけど、まあこれ日記だから。
_ 夜はヨーガ。行く途中雨に会う。帰りは晴れた。やはり快適になるなー。お腹へっこませたいなー。
_ うにゃ [すごく綺麗な夕焼け。日本じゃないみたいです。嬉しいですね(^_^) ]
_ けい [夕焼けじゃねえよ。日の出って言ってんだろ。全くお前と言う奴は。]
_ うにゃ [し、しまった(;゜0゜) ]
_ けい [あんたの想像力は「中二の想像力」だなw]